それは可憐なる蓮の花弁
「お嬢……分かっていると思うが」
自陣に戻り、リーヴァをそこらに転がして、いざ決闘へと赴かんとするケティルに忠告の言葉をかけたのは彼女の執事の少年リーヴァだった。鋭い瞳に確かな意思を込めリーヴァはケティルを見上げていた。無表情に近い彼がそんな鋭い目をするとクールで知的な雰囲気が前面に押し出されるのだが、掌打と電撃をまともに喰らって碌に動けない今は地面に寝転がっている為、色々と様になっていなかった。
「はぁ……分かってるわよ。派手にやるなって言うんでしょ?大丈夫大丈夫」
カッコいいとはお世辞にも言えない格好のリーヴァに溜息と共にケティルは一言文句を言おうとも思うが、先の戦いのダメージを治療しなかったのは、そもそも彼の意図しないとはいえ働いたセクハラ行為のお仕置きだったため、あえて何も言わない。一見、ギャグで済んだ様に見えるが魔法防御が圧倒的に足りていない彼にさっきの電撃は地味に効いているのは十分理解していた。
そこまで考えた所で、ケティルはリーヴァの忠告を完全に忘却の彼方に追いやってしまう。そして、なにか忘れた事すら気づかずに、パタパタと右手を振って戦いへと赴いて行った。
「本当に分かっているのか?……心配だ。今までのパターンなら絶対に分かってないぞ」
過去の例を鑑みるに嫌な予感しかしない。だが、かと言って電撃によってダメージを負った体では首を動かすのが限界だった。どんどんと小さくなるケティルの背を見てリーヴァは大きな溜息を一つ吐くのだった。……リーヴァの心配がその後、現実の事に成るなど今の彼に知る由は無かった。
(ふむ、オールスの奴はあれだけ疲弊していながら、まるで気配を感じないな。やはり暗剣だとバレない為にあそこで降参したのか?……しかし、暗剣が水使いという報告は無かったはず、カモフラージュとも考えられるし……分からん)
リーヴァとアイラの戦いが終わり、ライスナーは自身の思考に没頭していた。今回の決闘は実のところリーヴァの正体の見定めるというライスナーの個人的な興味の為に行われたと言っても過言では無かった。究極的にはアストリアの派閥なぞ彼には僅かも興味が無かった。彼が興味があったのは今年入学したというまるで気配が無い執事の少年だった。
今までリヴァイオールのみならず周辺諸国において一切の対策不能とまで言われている暗剣。その情報はリヴァイオールでも確定されているものはほとんどない。
曰く、ありとあらゆる探査、感知魔法を無効化する。
曰く、どんなに強固な結界でもすり抜ける。
曰く、目の前に居ても気配がまるでない。
曰く、どんな精霊の攻撃も無効化する。
他には五感でも感知しにくいや、半精霊や精霊王の眷属である。幽霊、魔人種。と噂だけは荒唐無稽のものが独り歩きしているのが現状だった。
そんな中で現れたリーヴァという存在は、正体の候補にするにも強引だと思いながらも調べる価値があるとライスナーは判断したのだ。なにせ、今まで怪しいと思える人物すらいなかったのだから。
(だが、やはりオールスは暗剣ではないのか?雷精霊の攻撃も無効化出来なかったし……あのメイドの試合後の雷撃は見事に喰らっていたし、正体が人っていう情報も無いが……むむ、そもそもほとんど目撃例も無いからな)
徐々に闘技場の中心に近づいてくるアストリアとケティルを尻目になおもライスナーは情報を整理していく。暗剣の噂の中の魔法無効化はリーヴァそれ自体では無く、ミトラの髪で織られた特殊なマントに付属する能力なのだが、それを彼が知る由はなかった。
(……まぁ、暗剣の活動は……そもそも証拠がほぼ無いから確定できないが五年前からの可能性が高い。オールスの歳は十六、つまり十一歳からだ。そんな歳の頃からそこまで完璧な穏行が出来るものなのか?第一、オールスが暗剣だったとしてもオーシャン家が益になるような事は一切していない。やはり違うのか?)
そもそもライスナーがリーヴァが暗剣なのではと疑っている理由はただ単にとんでもない位に存在感が無いからだ。リーヴァ本人が聞けば溜息必至の理由だった。それにどう考えても年齢が足りてない様な気もする。
「あの、ローレンツ先輩?」
ぐるぐると纏まらない思考の中、ライスナーが考えていると、おずおずといった体でケティルが声をかけてきた。
「ん、ああ。すまんすまん。ちょっと考え事をしていてな」
ケティルの言葉でようやく思考の海から脱したライスナーは素直に謝った。爵位を持つ竜人同士の戦いは考え事をしながら見るのはあまりに勿体無い。
(……ま、流石にあの音に聞き、あまりの手際に存在すら疑われる暗剣が、こんなところでのん気に学生生活しているわけないか)
思考が考え事から目の前の決闘への興味にシフトしたことで、ライスナーはここ数日、暗剣だと疑っていたリーヴァへの興味を完全に失った。……正体不明の凄腕の諜報員の正体に初めて肉薄した事も知らずに。
金髪を掻き上げる青い目の小柄な少女アストリアと、蒼い髪と靡かせた青い目のスレンダーな少女ケティルが向かい合っていた。向かい合うと言っても二人とも互いに瞳を閉じて集中していた。
そんな深い集中状態にある二人を見て、これからの戦いにより深い興味を抱きながらライスナーはにやりと笑った。
「始め!」
「水蓮よ!溢るる湖を覆いし穢れ無き無垢なる華よ!」
「翼よ!暴るる荒天を駆ける力強き翼よ!」
ライスナーの言葉が決闘開始を告げた瞬間、二人はほぼ同時に精霊魔法の詠唱を開始した。膨大と言ってなんら差支えない魔力が周囲から生まれ、水気と雷気がこれでもかと集まり、自分達を呼び出した詠唱者たる二人の声に従いその力を振るおうとしていた。
「……うあ……すっかり忠告を忘れてる」
リーヴァの元々血色が良いと言えない顔面から更に血の気が引いていく。防御手段がほぼ無い彼からすれば巻き込まれれば命の保証は無い。なんとか逃げようともがくが、今だ回復しきっていないリーヴァの体は芋虫の様にもぞもぞ動くだけでロクにその場から移動することすら適わない。
「うわぁ、み、水が」
「……ぶ、はぁあっ!?」
そうこうしている内にケティルの精霊魔法の余波で周囲に足首位まで水が迫ってくる。カナデがバシャバシャと慌てだす。足元でリーヴァがもがいているのは、案の定スルーされていた。
「……っ!…………っ!!!」
「リリオ慌て過ぎ、水嫌いなの?」
「……苦手」
「おんぶする?」
そして、それ以上にリリオが岩の巨人の姿で自ら離れようと暴れ、終いには岩の体から飛び出して、その頭に上にしがみ付く。そんな以外過ぎる行動にリアニがくすりと笑い。背を貸そうとする。リアニの水精霊の操作ならリリオが濡れないようにすること位出来る。
ケティルの愉快な仲間達が地味なコントを展開していても決闘は恙なく進む。互いに単純な水弾、雷弾を詠唱しながら牽制弾として放つも、的確に撃墜し合う。
「その雄叫びは轟雷。貴き羽ばたきと共に来たれ。雷鳥召喚」
最初に詠唱を完了させたのはアストリアだった。落雷がアストリアの背後に墜ち、それが消えることなく鷹の様な姿に変貌する。
雷の上級精霊、雷鳥ことサンダーバードがここに顕現した。
ただそこに居るだけで圧倒される強大な力の塊、雷鳥は呼ばれたことに歓喜し音無き咆哮を高らかにあげた。
「存分に力を振るいなさい!」
雷鳥はアストリアの命を受け、力強く地を蹴ると雷撃と同じとまでもいかないまでも、凄まじいスピードでケティルに迫る。全身から奔る雷撃はまさに猛威の顕現。
そのままぶち当たれば、如何に九大竜族と言えどもただで済むはずはない。
だが、ケティルもまたアストリアにやや遅れて詠唱を完成させていた。
「蒼き水面、青い湖底は清廉にして静謐たる汝らが聖域。涼やかなる漣し流れと共に彼の地をここに顕現せよ。蓮源郷」
ケティルを中心に何枚もの水の花弁が生まれ、それが徐々に広がっていく。いや、それだけでは無い。葉も茎も華すらも水で構成された数多の水蓮が闘技場に出現していく。
これぞ自分の戦場を自分が得意とするフィールドへと作り替える結界型の大魔法。水連の王国、蓮源郷。
完全発動した蓮源郷により闘技場内の水は腰までつかる程の深さになっていた。一見すると敵、味方も関係無い魔法の様だが、自陣とアストリア側、そしてライスナーにはそれぞれ水で出来た水蓮が彼らを優しく水面に浮かべていた。
「……貴女、本当に角無しなの?」
ケティルが操る水に触れるのは得策では無いと判断してか、いつの間にか呼び戻していた雷鳥の背に立ちながら、アストリアはケティルに懐疑的な視線をぶつけていた。
大魔法それ自体は、そこまで珍しいものでは無い。ただ、それを発動した者が問題だった。角の有る無しは竜人では簡単に分かる実力の証明だ。爵位を持たない半端な竜人ならまだしも、強力な力を持つ九大竜族であれば、普通で十二歳までにはほとんどの者が角が生えると言われている。……つまり今年十六になるにも関わらず角が未だに生えぬケティルは能力が低い、はずであった。
だが、実際ケティルは何の苦も無く大魔法を唱えて見せた。こんな大魔法はそれこそ、上級貴族となんら遜色が無い。
闘技場内はまるで湖の様な有様になっており、そこらに大小の水蓮が咲き乱れていた。絶えざる湧水の聖域。アストリアは自身が聖域を侵す侵略者にでもなったかのような錯覚に陥っていた。
「ご覧の通りですよ。今度はこちらから行きますね」
アストリアの問いに髪を掻き上げ答える。もちろん、そこに角は無い。そして、そのままお返しにとばかりにケティルが今度は攻撃を開始した。
ざわざわと水面がざわめき数多の水の鞭がその鎌首をもたげた。
「ちょっと……数が多すぎない?」
明らかに角の無いのを見せつけられ、実際に振るっている力との齟齬を疑問に思う矢先に、数十を優に超える水の鞭がアストリアの視界を埋め尽くす。そのあんまりな光景にアストリアの当座の益にならない疑問はあっさりと吹っ飛んだ。
「くっ雷鳥!……好き放題やってくれちゃってっ!」
雷鳥が高らかな咆哮をあげると、幾本の雷撃が天から降り注ぎ、多くの水鞭を蒸発させる。アストリアはそれによって生まれた間隙に雷鳥を滑り込ませ、最初の一斉攻撃を回避する。
「翼よ。……暴るる荒天を駆ける力強き翼よ」
このままではジリ賃になるのは目に見えている。魔力に余裕があるうちに打てる手は打っておこうと、アストリアは本日二体目の雷鳥召喚の詠唱を開始した。びゅんびゅんとその脇を鞭が通るも、アストリアの集中力を削ぐことは叶わない。
「その雄叫びは轟雷。貴き羽ばたきを我が背に宿せ。雷鳥召喚」
再び大きな稲光が闘技場内を包むと、雷の翼を生やしたアストリアが空中に浮遊していた。
精霊を一時的に体内に押し込む、特殊な召喚法であり、精霊の格が高位である程、その難度が上がるのは言うまでもない。
自由に羽ばたける翼を得た事で、それまで以上に速さと複雑な軌道でアストリアは空を舞う。それだけではない、アストリアをその背から解放した雷鳥は召喚主を護らんと、迫り来る水の鞭を正確に、そして先よりも速い速度で撃ち落としていく。
闘技場内を縦横無尽に奔る無数の水の鞭と、人と鳥の形をした雷の化身達の戦いは攻撃すれば防御し、攻めれば防ぐといったまるで打ち合わせでもしていたかのように一糸の乱れも無く既に百合近くぶつかり合っていた。
「ちょこまかと……。乙女よ!蒼き水面を舞台に躍りし少女よ!」」
「一進一退ってところね……でも!……おお我が耳に届くは雷域の旋律」
奇しくもアストリアとケティルが現状を打破する為に思い至ったのは、更なる詠唱魔法を唱える事であった。詠唱中も攻防の手を一切緩めないのは、もはや一流と言って差支えない魔法の冴えだ。詠唱が進むと同時にただでされ、溢れていた雷気と水気の魔力は更に高まり満ちていく。
開け放たれた闘技場の上空に厚い黒雲が生まれ、ケティルの隣には大きな蓮の蕾が膨らんでいく。
「貴女が座す場所、それは可憐なる蓮の花弁。貴き歌声と共に来たれ。水姫召喚」
ゆったりと一際美しい水蓮の蕾がその花弁を開くと、そこには見目麗しく水で体を構成させた少女がケティルに傅く様に控えていた。水の上級精霊召喚、水姫。雷の上級精霊、雷鳥と同格の精霊がこの場に召喚された。
「だが、汝が本質は音に非ず、音を越え降り注ぐ天の怒りの具現なり、落ちろ。轟雷雨」
絵本から飛び出したような美しい水の少女に闘技場内の皆が目を奪われる中、その目を覆わなければならない程の雷が、まるで雨の様に降り注ぐ。
それは水姫を召喚した事で大量の魔力を消費したばかりのケティルの隙を見事に突いた形となった。
しかし、それはあくまでケティルの隙、水姫は召喚主を害する攻撃に対し、瞬時に反応する。
「ふぅ、危ない危ない。ありがと水姫」
蓮の蕾を模した水の防御壁がケティルと水姫を覆いつくし、雷撃を完璧に受け流していた。スピードを重視したそれまでとは違う、詠唱魔法による大魔法攻撃の応酬は未だ双方無傷の試合運びとなっていた。




