何でそんなに怒っているんだ?
何が起こったか分からない。無様と言って良い程に見事に地面に転倒しているアイラにはそんな単純な疑問すら浮かぶ余地が無い程に混乱していた。
アイラが仕掛けた突撃はフルメン・ドラゴンの身体能力と雷の精霊の補助を受けた雷歩と呼ばれる歩法の一種あり、フルメン・ドラゴンが直線では素早く走る事が出来ると分かっていたとしても対処出来るかどうかという圧倒的な速度を誇る。
事実、彼女の目から見てリーヴァの動作はあまりにも遅かった。バックステップで距離を取ろうとしているが、それは彼女の動きを見てからのものではないのはアイラの目から見ても明らかだった。リーヴァの行動は既に試合開始後に彼が様子見に距離を取ろうとした結果に過ぎない。それを証明する様にリーヴァは先まで己が居た付近に迫ろうかというアイラに驚きの視線を送っていた。その表情を見てアイラは勝てる。そう確信した。このままあの執事に最接近して電撃を纏ったハイキックを頭に叩き込む。それでお終い。
そうなるはずであった。
「く、何ですか!?これは!?」
アイラの身体を拘束しているのは無色の魔力で編まれた網。網は囚われてしまえば冷静であっても脱出が困難な優れた捕獲道具だ。更に思ってもみなかった事態に見舞われ焦燥する彼女が出られる道理はなかった。暴れれれば暴れる程、網が体に纏わり付き、より脱出が困難になっていく。
(このままでは追い打ちが……!は、早く脱出しないと!)
苛立ちを表現するようにアイラの体からは幾つもの雷撃がときおり迸るも、辺りの空気を無駄に焦がすだけでまるで脱出の役に立たない。
だが、そんな彼女の心配を余所に一向にリーヴァからの追撃はない。もぞもぞと体を動かしながらアイラはその異常に気付いた。
(な、んで攻撃してこないのっ?)
追撃が無い。それ自体は彼女にとって悪い事では無い。ここで負けてしまえば既に二敗している自分達はもう終わりだ。大将戦を終える事無く主人たるアストリアの派閥は潰されてしまう。そう考えれば、良い事と言って良い。だがそれは彼女にとって許せる行動では無かった。
(……余裕ってことですか?主人の身を護る者がここで攻撃の手を緩めると言うことですか!?)
普通に戦っても負けることは無い。だからわざわざ拘束した相手に攻撃しない。そんな弱者に見られた事に屈辱を覚え、そしてそれ以上に、相手の意識がまだあるのに攻撃しないその甘さにアイラは激怒した。もし自分が彼の主人の命を狙う刺客で最後の手段に爆弾を持っていたらどうするのだろう?アイラだったら確実に意識は奪う。例えそれが女だろうがなんだろうが、主人の安全の為ならどこまでも非常に徹するそんな覚悟がアイラにはあった。
(その甘さ……私は認めません!)
怒りを体現したように彼女の体中に紫電が纏わりつき、両の爪に雷の刃を作り出す。後はそれを無造作に振るうだけ、ただそれだけで彼女は網から解放された。
「私をさっさと仕留めた無かったこと後悔させてあげましょう」
網から脱出し全身から雷を迸らせ、アイラは怜悧な声を漏らす。
しかし、その怜悧で美しいとさえ呼べる彼女の仕草も次の一言で瞬く間に霧散した。
「……あれ?」
リーヴァの姿を認めたらすぐにも攻撃しようと思っていた彼女だったが、彼女の視界にはリーヴァの姿は見られない。
「どこに行ったんですか?くっ精霊よ!……え、どういうこと!?」
雷の精霊による探査、感知を発動させるも精霊達の回答は探査、感知範囲にリーヴァは居ないと告げて来る。構えは解かずにアイラは左右、前後にくまなく視線を送るが、それでもリーヴァは見つからない。
「っいつまでも隠れてないで、出てきたらどうですか!?」
何処から相手が襲ってくるのか分からない不安を誤魔化す様に挑発的な口調でアイラは叫ぶ。だが、それはアイラ自身がリーヴァを見失っていると宣言するのと同義である。彼女の半ば混乱気味の思考はそんなことにすら気付いてはいない。
「……ふっ」
「っ!?」
呼気が漏れる様な僅かな音が響く。その音は耳を僅かに撫でる様な、か細いものだったが、たまたまその方向にアイラが注意を向けていた為にその声に気付くことが出来た。もし、日常の生活の中だったら決して気付くことがなかったであろう。
その音……声の主はリーヴァ。口角を僅かに笑みの形に歪ませ、腹部に手を当てている。そうまるで笑いを押さえているかのように。
「貴方……私を馬鹿にしているんですか!?」
微塵も隠されていない怒気を込めた声が、雷と共に発せられた。魔力で作られた網で捕らえた自分に追撃を加えなかった。気配どころか、その姿すら隠しておきながら、攻撃はおろかその場から一歩も動かなかった。そこまでされて侮られていると思わない者などいないだろう。現にアイラもおちょくられている。そう感じていた。
それが大きな勘違いだとアイラは知る由も無かった。
(うう……転んだ相手が突っ込んで来るのを失念していた)
アイラがリーヴァに見当違いの怒りを覚える少し前、当のリーヴァは決闘所の地面に横倒しになっていた。右側を地面につけ、左手でしきりに胸から腹にかけて撫でまわしている様子は酷く情けない。
幸いにもアイラが網の中でもがいていたり、周囲に雷撃を飛ばしたりと騒いでいたおかげで、リーヴァの無様な様子に気付く者は居なかった。……主のケティル以外には。
ゆっくりと立ち上がり、リーヴァがケティルの方に視線を向けると酷く呆れた表情をしているケティルを目が合いリーヴァはがっくりと肩を落とした。その動きが悪かったのかアイラの突進をモロに喰らった腹が痛みを発し、踏んだり蹴ったりな様子に思わずリーヴァは自嘲気味な笑いを漏らした。
「……ふっ」
(決闘相手にすら見失われるというのに……せめてさっきの様子だけでもお嬢にも見失って欲しかった)
痛む腹に手を当てて、珍しく存在感が更に無くなればいいと思うリーヴァだったが、そんな思考もアイラの怒気を孕んだ声をぶつけられ中断することとなった。
「貴方……私を馬鹿にしてるんですか!?」
「……?」
(え……何でそんなに怒っているんだ?)
言っている意味が分からない。痛む腹を撫でているだけなのに、何故かとんでもない敵意をぶつけられリーヴァは普段通りの表情に乏しい顔で首を傾げた。ついさっきまで地面で臥せっていたリーヴァは本気でアイラが怒っているのか分かっていなかったのだ。
そして、そのリーヴァの様子が更なる怒りをアイラに植え付けた。
「……良いでしょう。ならば私を早々に倒さなかった事を後悔させてあげます」
リーヴァばりの無表情を顔面に貼り付け全身から電気を奔らせる。まるで怒気を実体化させたような雷撃は見ているだけで恐怖を抱かせるには充分な程の威圧感を周りに振り撒いていた。
「雷鞭」
ぽつりとアイラがそう呟くと、右手の雷がより一層激しく暴れ、互いに絡み合う様に伸長していく。僅かな時の間にアイラの右手には三メートル近い雷の鞭が握られていた。ばちばちと雷撃を放つその鞭はアイラの怒りを表しているかのように攻撃的な見た目だった。
何の予備動作も見せず、アイラは下げていた右手を跳ね上げる。アイラの攻撃に連動し雷の鞭が唸りを上げる。ヒュンヒュンと空気を切り裂く音が辺りに響き、同時にバチバチという雷撃特有の音が辺りに満ちた。
「……ちっ」
鞭の動きを必死に目で追いながらリーヴァは苛立った様に舌打ちを一つ漏らす。リーヴァの動態視力では時折、音速をも越える鞭の動きを捉えるのは非常に困難、というか不可能だ。だからこそアイラの手元や目線、そして鞭の風切り音で、その動きを予想しなければならないのだが、そのうちの一つである鞭の風切り音は、雷撃の音により聞き取り難くなっていた。
アイラの手が僅かにブレる。それを目撃するなり、リーヴァは何も考えずに横っ飛びに飛びすさぶ。その僅か数瞬後、リーヴァが先まで居た場所の地面が弾け、パァン!と小気味の良い音がリーヴァの耳に入った。
リーヴァのその動きを読んでいたかは定かではないが、アイラは初撃が躱されたにも関わらず、次撃、三撃と休み無く鞭を振るい始めた。
(うぉ!……でっぇええええい!掠ってもアウトってのは反則だろうが!!)
音速を越えた鞭それ自体も脅威だが、掠っただけで相手に高圧電流をおまけで喰らわせるアイラの雷鞭は只の人……むしろ魔法防御力に関しては最低値のリーヴァにとっては最も苦手とする部類の攻撃だった。体力を無駄に消費するのは分かっていても、当たった時のリスクを考えると出来る得る限り最大の回避距離を取らざるを得なかった。
「くっちょこまかと……っていうか何処!?そこですか!」
縦横無尽に振るわれる鞭は雷を纏った蛇の様に鋭くリーヴァに遅いかかかるが、後一歩と言うところでリーヴァに避けられ続ける。その理由はリーヴァの回避術が卓越したものだから……などと言う事では無く、単純に時折アイラがリーヴァを見失うからだった。流石に室内という限られた環境と決闘と言う状況ではその存在を完全に消失させてはいないようだったが、この場合は一対一の決闘でも相手がリーヴァを見失ってしまうというリーヴァの相変わらずの影の薄さに驚愕すべきだろう。
「精霊よ!はぁ!」
アイラは雷鞭を握る手により一層の力を込めて雷の精霊に命を下す。その命令は。
動くものを打ち払いなさい。
リーヴァの回避術に業を煮やしたアイラは雷鞭の攻撃法を誘導式に切り替える。感知、探査と違い対象を明確に指定する誘導式の術式はそう簡単に無効化出来るものでは無い。回避に専念しているなら尚更だ。魔力の消費量は増加してしまうが、アイラの鞭さばきではリーヴァに掠らせることすら出来ないのでそうも言ってられない。
前方に転がる様にアイラの鞭をリーヴァは回避する。先までであれば、鞭を振り切ったアイラがそこから攻撃する事は出来なかった。だが、アイラによって誘導の術式が込められていれば、生きた蛇のごとく動くもの――――リーヴァに襲い掛かる。……はずだった。
「え!?な、なんで!?」
雷鞭はまるで動くものがそこにはいないとばかりに、だらりと地面にその姿を晒していた。思いがけない事態にアイラは再び大きな隙を晒してしまう。一度目の隙はリーヴァが攻撃できない状況だった為、大事には至らなかったが、今回は違う。自身が万全で相手が隙だらけなら攻めない道理はリーヴァには無い。
「……水精霊よ。中水弾。二十」
リーヴァの囁きに首に巻いた青いマフラーから拳大の水球がリーヴァを中心に二十個舞い上がる。そして水球を纏わせたままリーヴァはアイラに向かって走り出す。
「くっ!雷鞭よ!」
それまで守勢だったリーヴァがこれで勝負を決めるかのごとく突っ込んで来るが、危機的状況に陥った事で冷静になったのか、アイラは伸びきった鞭を手元に戻す。隙を突いたはずのリーヴァは内心でアイラの冷静な対応に舌を巻いていた。
音を越えたアイラの一撃が見事に外敵を打ち据える。超が付く程の高圧な電圧に耐えきれず、それはちりぢりに弾け飛んだ。
「え……」
その光景に、もうこの戦いだけで何度目になろうかという驚きの声がアイラから漏れた。
動くものを打ち払いなさい。
解除されなかった命令を雷の精霊達は忠実に守っていた。雷の鞭は走り向かってくるリーヴァなぞ完全に無視して彼の周囲に浮かぶ水球目掛けて突っ込んでいく。
「突き進め!」
それを見たリーヴァは攻撃力不足を補う為に展開した水球を全て前方へと射出した。別にアイラにぶつけようという意図があったわけではない。今は自動追尾であろう雷鞭を前にして水球を展開し続けるのはむしろ危険だと判断しただけだった。
案の上、雷鞭はアイラの一番近くの水球を優先的に撃ち落としていく。そしてそれとは逆に明らかにアイラを飛び越える様な水球はアイラの遥か後方へと飛んでいく。
(何発かは絶対に当たるはずのない軌道を通っている?……まさか)
やや焦る頭を必死にアイラは働かせていた。動きながら精霊達の探査を掻い潜り、さらに複数の精霊を操る程の腕を持つ手練が、そんな無駄な事をするのか?そこまで考えたアイラは水球の不可解な軌道がリーヴァの意図によるものだと判断した。実際にはリーヴァの水精霊の操作はケティルの髪で編まれたマフラーによるもので、しかも追尾や自動防御といった難しい事は一切出来ないとはアイラは知る由も無かった。
だが、誤解から生まれた疑念により後方へと意識を割いた事で、それまで時折姿を見失う程度に終えていたリーヴァを完全に見失ってしまう。
「しまった!精霊……」
そこで全方位に攻撃すればまだ良かったのだろうが、基本的に主人の傍でその身を守るという仕事柄か彼女がとった反射的にとった行動は探査と感知を行う事だった。そしてそれは精霊に気付かれないリーヴァに対しては全く役に立たないものだった。
「うぐっ!?がはっ」
精霊達の答えが返って来るよりも遥かに早く、リーヴァの肘が下から抉るようにアイラの鳩尾を打ち抜く。強制的にアイラの肺から空気が我先にと押し出され、酸欠からアイラの意識がゆったりと遠退いていった。




