……ごめんなさい
風を己が体で掻き分け、見ようによっては、芸術的な体勢でアデルは闘技場内を吹っ飛んで行く。そして幾度か地面をバウンドし、ようやく地に臥した。
それを成した人物、リアニは右手を大槌、あるいはハンマーのような形状に変えて、自らが吹っ飛ばしたアデルが今だ戦闘が可能かどうか見定める様に見つめていた。その姿は色が無く、いっそ透明とも言ええる奇妙な状態へと変貌していた。
そして、闘技場に居る他の面々は驚きにその瞳を開いていた。テスラ一派とライスナーはまさか人に九大竜族の一角が負けた事に、そしてケティル達はリアニが二人居る事に驚いていた。
そうこうしている内に、透明なリアニの方は徐々にその姿が変わり、髪の長い裸身の女性の姿に落ち着いた。身に注ぐ光をキラキラと反射させるその身は良く見ると、その表面を常に揺らめいており、その体が只の固体ではないのが見て取れた。
「へぇ」
一瞬の驚きから、いち早く回復したのはケティルだった。ふむふむと興味深げに頷いていた。
「お嬢、あれって……」
「ん?リーヴァも気付いた?水の上級精霊召喚ね。水の精霊との相性が良いって言ってたけど、アクア・ドラゴンでも上級精霊召喚出来るのはかなり稀なのに……」
水に限らず上級精霊はその属性を象徴する力の塊だ。属性の同じ下位の精霊を従える力を持つし、人類よりも優れた知性を持つ者も少なくない。故に余程の力の持ち主で無いと上級精霊は扱いきれない。水の精霊との相性に優れたアクア・ドラゴンでもそうは居ないだろう。
だが、ケティルはそれよりも気になる事があった。それは竜人と互角以上に渡り合ったリアニの体術だ。ノクス・ドラゴンは他の竜人に比べて精霊との相性という点では劣るが身体能力は一、二位を争う。それに対する事が出来る体術は一朝一夕で身に着くものではないんだろう。……いくらアデルがノクス・ドラゴンの中で弱い方であってもだ。
「カナデ、リアニってルー王国で傭兵か何かやってたの?」
「ん?傭兵はやってないわよ。自警団には入ってたけど、それがどうかしたの?」
「自警団?ルー王国ってそんなに治安悪かったっけ?」
自警団と言う言葉にケティルは眉を顰める反応を見せた。リヴァイオール王国とルー王国は互いに留学生を送りあっている。それは互いの関係が良好であるのもあるが、留学生の安全を保証できるというのが前提にあったからだ。そしてリアニの記憶ではルー王国は国民の大半を占める人以外に主だった亜人達の有力者を議会に参加させることで他人種間の溝を埋めて極めて良好な統治体制を執っている国であり、自警団を必要とするほど治安がイメージは無かった。
「ああ、あたし達が住んでたとこって結構魔物とか魔人種とかが多くてさ。衛兵さんとは常駐してなかったから、魔力が多かった人が自警団を組織してたのよ。リアニは見ての通りだし、あたしもこう見えてそこそこ実戦経験あるしね」
「そうなんだ」
至って普通の少女であるカナデが戦う様子が想像できずケティルは短く返答する事しか出来なかった。というか、そもそも二人の間には常識の齟齬があった。
リヴァイオールは周辺諸国に比べ国内の街道の整備が段違いに進んでいる。これはミトラの前の王の政策で、山小屋などは別にしても村と呼べる大きさの集落には必ず街道が通っているのだ。それに要所要所に兵士の詰め所が建てられているので魔物や魔人種、盗賊の類は見つかるとすぐに討伐隊が指揮される。魔人種が多い、もしくは盗賊が潜伏しやすい土地ならまだしも、兵士がすぐに動ける環境にあるならば訓練を受けていない国民が無理に動く利点はそう多くないのだ。
それに比べルー王国は街や都市、集落間の距離は大きく離れているし、街道は大きな都市間で敷設されている程度。何か事件が起こってもすぐに対応するのは難しい。そんな環境の中で自警団が生まれたのは当然とも言えるだろう。
「リアニも私と同じで、生まれつき精霊との相性は良かったけど、使い方が分からなかったみたいで結構暴走とかさせちゃったりしてしてたのよ。それで自警団の人に教わっている内に、いつの間にか入団したのよ」
「カナデは入団してなかったの?」
「うん。私は体を動かすのはそんなに得意じゃなかったから……後方支援はしてたけどね」
自警団に入団しなかった理由をカナデは恥ずかしそうに答えた。ちなみにリアニは同年代の中では非常に優れた身体能力を有しており、体術や鞭剣術は自警団の先輩に教わっていた。
「ふぃー疲れたわ……はぁ」
土で汚れた鞭剣を操った水で洗いながら噂の人物リアニは怠そうに二人の元に帰ってきた。見た所、怪我は無さそうだがどんよりと重い空気を纏っており、戦いがそう楽ではなかったことを暗に告げている様であった。
「お疲れ様リアニ」
「お疲れねリアニ。……どうしたの?やっぱり九大竜族相手は気を張っちゃう?」
リアニの纏う重い空気の理由を、自身も九大竜族との戦いが控えているカナデが聞いた。魔人種との戦いを多く経験しているリアニがたった一回の戦いでここまで疲弊しているのだ。リヴァイオールの建国に
尽力した九大竜族の血脈は伊達では無いと気を引き締めた。
……気を引き締めたのだが、リアニの次の言葉で肩の力が逆に抜けた。
「丸焼けにしてやるって言ったのに出来なかった……」
「……そんなこと言ってたわね」
「アデル……油断したわね」
ギリリとアストリアは奥歯を噛み合せた。その表情はまさに苦虫を噛んだがごとし。人に不覚を取ったアデルにアストリアは酷く苛立っていた。相手にも九大竜族が一人居るとはいえ、所詮は角無し、それに引き替えこちらは五人のメンバー全てが九大竜族、過剰戦力と言われてもおかしくないチーム構成だ。勝って当然、負ける方がどうかしている。アストリアはそう思っていたし、むしろ学校中の生徒がそう思っているだろう。実際、大人気ないと思う者も少なくなかったし、アストリアも派閥の解体が掛かってなければ、こうまであからさまなメンバーを選ばなかった。
なのにアストリア側の先鋒アデルは予想に反して負けてしまった。しかもほぼ手傷を負わせられない完敗に近い形で、アストリアが大声を上げないのは、それこそ無様だと理解しているが故だった。
「ガイナン。分かってるわね」
「承知しております。一切の油断、手加減無く勝利を御身に捧げましょう」
ガイナンにとってアストリアは父の上司の娘。個人的にアストリアに忠誠を誓ってはいないものの、テスラ家には敬意を抱いているが故にガイナンはアストリアに傅く。そしてそれ以上に闘志を漲らせていた。
武人としての気質が強いドラゴン・テッラの例に漏れず、ガイナンも武人としての矜持を胸に抱いて生きてきた。だからこそ、今回の格下相手の決闘をいつものお嬢様の我儘に付き合わされる程度に思っていた。例え、派閥が解散になろうが、彼女が父の上司の娘には変わらない。関係が切れることはないのだから、彼からすれば勝ちも負けも関係無い下らないものに過ぎなかったのだ。
だが、蓋を開いてみればどうだ?油断はあったろうが、九大竜族の一角たるノクス・ドラゴンを人がほぼ無傷で打ち負かしたのだ。
(つまらない決闘かと思いきや……存外に面白くなりそうだな)
鋼の様な体躯に力と気力を漲らせ決闘場の中央へと足を進めた。
決闘場の中央には動く岩こと岩窟人リリオネルと、九大竜族が一つ土の竜人ドラゴン・テッラのガイナン二人の人物が対峙していた。
二メートルを越える長身のリリオネルと、同じく二メートル近いガイナンが睨み合う様子は只それだけで先の戦いとは違う緊迫感を醸し出している。
「ブレイバー家が長男、ガイナン・ブレイバー一手、よろしく頼む」
「……」
両の拳を打ち合わせ貴族と言うよりは武人に近い挨拶をガイナンするも、リリオネルはなんやらコーホー言うだけで名乗りも上げなかった。
「……」
「良いのか?」
傍から見れば無礼極まりないリリオネルの様子だが、ガイナンは何かしらの気配を感じたのか表情をより真剣なものに変え、ライスナーに視線を送る。
「構いません」
二人の間のやり取りがいまいち分からずライスナーはやや困惑気味に問うが、ガイナンはリリオネルを真っ直ぐに見据えると腰をゆったりと下ろし巌の様な両手を硬く握りしめた。
「始め!」
決闘場にライスナーの言葉が木霊する。既にピリピリと緊張感に満ちる空気はより一層研ぎ澄まされ、辺りに静けさが舞い降りる。
どの位の時間が経ったろう。体感時間は一分も無いそれは、集中力により何倍も引き伸ばされた様に決闘場内に居る者達は感じていた。
そのまま時が止まるのではと皆が思った頃。
「ふんっ!!」
ガイナンの剛腕がリリオネルの脇腹に激突していた。だが、はち切れんばかりの筋肉で覆われた右腕で繰り出された一撃にも関わらずリリオネルは脇腹に罅を入れられるも小揺るぎもしない。
「ああっ!?……ん、でも効いてないっぽい?」
先制され罅を入れられた事にケティルが声をあげるが、微動だにしないリリオネルに若干安堵の息を吐く。
「いや、結構のダメージを受けてるっぽいよ」
「ん?どういう事、リアニ?」
「あれを見て」
言葉と共に、すっとリアニの細い指がリリオネルの足元に向けられた。見ればリリオネルの両足は自身の体が岩で出来ているから分かりにくいが、地面と一体化している様に見える。
「あれって……あっ!?」
「分かったみたいね。あの竜人、攻撃の衝撃を逃がさないためにリリオの足を固定したのね」
「っ!?」
「驚いている暇は無いぞ岩窟人よ」
足の拘束に思わずリリオネルは顔を足元に向けるが、それはまさしく失策だった。下がった顔面に対しガイナンはすかさず左のアッパーを繰り出した。隙だらけの相手にガイナンは最高のタイミングでその顎を打ち抜く。
「ぐっ!?」
「……」
だが、苦悶の声をあげたのはガイナンだった。見れば左の拳は手の甲から血が吹き出していた。攻撃を避けられるタイミングでは無かったが、打たれる場所は丸分かりだった。とっさにリリオネルは顎に魔力を集中し、その身を鉄のごとき硬さへと変じさせていたのだ。
岩をも砕くガイナンの剛腕も流石に鉄には勝てない。
あくまでそのままであればだが。
「ふっやるな。拳を砕かれのは叔父上以来だ。ならこれはどうだ?」
言うなりガイナンの両手足に土が集まり手甲と脚甲を形成していった。
「……」
「無駄だ」
ガイナンの攻撃力を侮りがたしと判断したのか、リリオネルは両手を顔面を護る様に組み、更に己が前方に土の壁を作り出す。だが、ガイナンはそれを一言で切って捨てると猛然と攻撃を開始した。
「終わりね」
「そのようですね」
土の壁を僅か数撃で破壊され、防戦一方のリリオネルを見ながらアストリアは満足そうに呟いた。その声に緑色の髪を肩まで伸ばした優男風の少年キュアン・イラクリオンも相槌を打つ。
自陣の勝ちを信じて疑わない二人の眼前には徐々にその体を砕かれていく、言うならば無様な様子のリリオネルが映っていた。
「アデルも最初から全力で行けばこうはならなかったでしょうね。決闘相手に油断するなぞ持っての他ですからね」
「アデルの話はもういいわ」
もうアデルの話なぞ聞きたくもないのだろう。アストリアは元々の強気な瞳により一層の剣呑を纏い、言い放った。
「これは失礼しました」
自身よりも各上の貴族の機嫌を損ねた割に軽そうにキュアンは謝罪する。元来気ままな気質のドラゴン・フロンス故かはたまた本人の性格故なのかは判然としない。
「まぁ、そもそも岩窟人程度が、土精霊を扱わせたら最強のドラゴン・テッラに勝てるわけが無いのよ。自身の得意属性が防がれて勝てる者はそうは居ないわ」
その言葉を証明するようにガイナンは猛攻を続けていた。ガイナンは先の足の拘束を解いたり、再び拘束したりと緩急をつけリリオネルに反撃の隙を与えない。弱まった攻撃力は手足に纏った土で補って余りある。
「……!……」
リリオネルも体を硬質化させるが、全身は無理なのか比較的弱い部位を狙われ完全に防ぐことは出来なかった。偶に防御が成功するも、素手ならまだしも土で保護されたガイナンの手足は傷一つ付かない。
(……所詮は防御力だけだったか)
左手を傷つけられ多少は楽しめそうだと感じた分だけ防戦一方のリリオネルにガイナンは失望していた。確かに防御力は目を見張るものがある。もしかした自分よりも優れている可能性もある。だがそれだけだった。攻撃をしてこない相手などサンドバックとなんら変わらないのだ。だから、ガイナンは今までよりもより一層拳に力を込めて打ち放つ。
「終わりだ!」
「審判っ!」
もうリリオネルは戦えないここから勝てはしないだろう。これ以上の戦いは無理だとリアニはライスナーに試合終了を訴えるために声を張り上げる。
だが、その判断は遅かった。無情にもガイナンの右腕はリリオネルの胸に突き刺さっていた。
「リリ……!?」
「っがぁああああっ!?」
リアニの悲痛な叫びが放たれる瞬間、それよりも遥かに大きなガイナンの絶叫が空に立ち上った。
見れば、ガイナンの腕はリリオネルの胸から既に引き抜かれ、その胸の穴から飛び出している細い腕に握り潰されていた。
「……ぐぅああああああ!?な、なんだ一体っ!」
「……ごめんなさい」
今までリリオネルの体を砕きに砕いてた剛腕は、力強さとは全く無縁そうな白く細い腕によって潰され、血を溢れさせていた。
ガイナンの野太い叫び声と、あまり感情を感じさせないか細い謝罪の声が重なった。
びしびしとリリオネルの胸の罅が細腕を中心に大きくなり、ばらばらと崩れていく。
「え」
「どうなってるの?ねぇ?」
決闘場に居る誰もが呆然したり、自分で出せない答えを他者に求めたりと混沌とした空気が辺りを支配していた。
そんな空気の中、二メートルを超える人型の岩の中からそれは現れた。
ケティルや、リアニ達よりも小柄な、そうアストリアに近い小柄な少女が制服に付いた埃を掃いながら地面に降り立った。
「続ける?」
小首を傾げながらリリオネルはそう小さく呟いた。
ギリギリ一時に間に合いました。




