7 神田さん
キャスト(鋳造)の工程では、高確率で製品に歪みが出る。仕上げるときにそれを整形するのも職人の腕の見せ所だ。
デザイン画と原型を確認しながら、サンプルのピアスの形を整えていた時、会社の電話が鳴った。
「はい。ジュエリーアキバです」
ワンコールで電話を取った早乙女さんの表情を読み取ろうと目を向けた。冴島さんからの電話かもしれないと思ったからだ。
早乙女さんは僕の視線を感じて、首を横に振る。どうやら違うらしい。
「え? いや。違います。」
——なんだ。間違い電話か。
そう思ったとき、早乙女さんの様子が少しおかしいことに気づいた。
「いえ、そうではなくて、最寄り駅は御徒町です」
え? どういうこと? 最寄り駅?
時計に目をやると、もうすぐ十四時。神田さんが来ていてもおかしくない時間だ。今度は道に迷ったのだろうか?
「秋葉原じゃないんです。いや、確かに名前は『ジュエリーアキバ』ですけど、『アキバ』というのは秋葉原のことでは——え? もう歩き始めてるんですか?」
僕は頭を抱えた。どうやら神田さんという人は、なかなか癖が強そうだ。
それから十分ほどかけて道の説明をしたあと、電話を切ってため息をついた早乙女さんは、酷く疲れた顔をしていた。彼女のそんな顔を見たのは初めてだった。
「秋葉さん。神田さんには気をつけてね。なんというか、すごくパワフルっていうか、まれに見る猪突猛進タイプみたい」
「き、気をつけるって言ったってどうすればいいのか分からないよ」
秋葉原からここまでは、歩くと大体十五分。あと十五分は仕事ができる。まぁ道に迷わなければ、だけれども。
一抹の不安を覚えながらも時間がもったいないので、ピアスの整形を続けることにした。整形に使う工具はペンチによく似ている、ヤットコという工具だ。
ヤットコはペンチと違って、未完成の状態で売っている。なぜそんな状態で売っているかというと、自分で削って好きなように形を整えて使うためだ。職人はみな、自分が使いやすい工具を自分で作る。僕も例外ではない。
作業台の上には、自分で加工したヤットコがずらりと並んでいる。数えたことはないけれど十本以上は確実にある。作業によって使い分けるのだが、一番使用頻度が高い僕のお気に入りは、先を細く削って丸めたヤットコだ。
僕はそのヤットコに先細一号と名前をつけて可愛がっている。ただ丸めただけではジュエリーに傷をつけてしまうので、少しだけ平らにするのがコツなのだ。
僕がその先細一号でサンプルのバランスを整えていると、入り口のガラスドアがゆっくりと開いた。どれくらいゆっくりかというと、ドアについた鈴が鳴らないくらい——かたつむりと競争しても負けるかもしれない。
なんせ、ピンク色のキャミソールに、同色のひらひらのスカートを履いた女性が入ってくるまで開いたことにすら気づかなかったくらいだったのだ。
彼女の手に握られた直径二十センチくらいのハンディファンの、ウィーンという作動音で、僕と早乙女さんが入り口のほうへ目をやると、彼女は息を切らせながらゆっくりと口を開いた。
「すいませぇん。遅れちゃいましたぁ」
時計の針が指し示していた時間は十五時。早乙女さんが電話を切ってから、たっぷり五十分は経っていた。ちなみに、最初の約束の時間からは二時間遅れだ。
僕は立ち上がって彼女に笑顔を向ける。
「神田さんですよね? こちらへどうぞ」
彼女は頭を下げたあと室内を見回す。冴島さんとは違って伺うような感じではなく、いかにも興味津々といった様子で、目を爛々と輝かせている彼女を見て、心配していたよりも普通そうだと安心した。彼女は「失礼しまぁす」と言いながらハンディファンを腕に下げた赤いバッグにしまい、カウンターを回り込んで入ってきた。
「すいませぇん。社長さんはどちらですかぁ?」
「あ、僕です」
「えぇ? うそぉ!? あたしと同じくらいの年じゃないですかぁ! もっとおじさんかと思ってましたぁ」
神田さんは顔の前で両手をペタリと合わせて、ピョコンと飛び上がった。
いちいち伸びる語尾と、芝居がかった仕草が少し鼻につくが、まぁ悪い人ではなさそうだ。
そう思った時、彼女の背後に立っていた早乙女さんが怖い目で彼女を見ていることに気づいてギョッとする。
「さ、早乙女さん。お茶を出してあげて貰えますか?」
早乙女さんは今まで聞いたことのないくらい低い声で、「はい」と喉の奥から絞り出すように呟き冷蔵庫へ向かった。
僕は名刺を取り出し、両手で持って彼女に差し出した。
「僕は、このジュエリーアキバの代表の秋葉加志実です。よろしくお願いします」
神田さんは、赤いバッグから全面にピンクのラインストーンが散りばめられた名刺入れを取り出し、そこから名刺を出した。
彼女が差し出してきたのは、薔薇がプリントされたド派手な名刺だった。
「よろしくおねがいしまぁす。神田舞衣ですぅ」
神田さんは、僕の名刺に視線を落とした瞬間、「あっ」と口を押さえる。
「ん? どうかしましたか?」
「いやぁ、大したことじゃないんですけどぉ。秋葉さんの名前の上に書いてある『宝石商』っていう肩書ってぇ、改めて見るとぉ、ちょっと……というかぁ、かなり怪しいなぁと思ってぇ」
「はは。それは僕もそう思います。なんか怪しいものを売りつけられそうなイメージですよね。あ、座って下さい」
テーブルを挟んで神田さんの向かい側へ座った僕を睨みつけながらお茶を持ってきた早乙女さんが、いつもよりも五割増の力でテーブルにお茶を置いた。
「お茶です。どうぞ」という早乙女さんの顔はにっこりと笑っているのに、僕にはなぜかまったく笑顔に見えなかった。
「ありがとうございますぅ」
そんなことに気がつかず、早乙女さんにお礼を言った神田さんは、すぐに僕のほうを向いた。
「こんなにかっこいい社長さんだなんて思ってなかったですぅ。なんか運命感じちゃいますよねぇ」
「……へ?」
「だってぇ、ここは御徒町じゃないですかぁ」
「は、はぁ」
なにを言い始めたのかさっぱりわからず、曖昧に相槌を打った。
「社長さんが秋葉さんでしょう? で、あたしが神田だからぁ。全部一直線でつながってるじゃないですかぁ」
えーっと……。電車の話、かな?
そう思った時、流しへ行く途中の早乙女さんが持っていたお盆が、みしりと音を立てた。
一方、朴さんは黙々と石を留めていた。




