8 神田さんの依頼内容
「秋葉原からずいぶんかかりましたね。道に迷っちゃいましたか?」
僕は目の前の神田さんに話しかけた。雑談から入るのが僕のスタイルだ。これには理由がある。デザイナーが描く絵は、本人がイメージしているものと一致していないことが多々ある。立体のジュエリーを平面のデザイン画で完璧に描き切ることは不可能に近いのである。
いきなり仕事の話を始めるのではなく、雑談によってその人の趣味趣向を把握し、考えていることを想像することが、いいものを作るコツだ。
ジュエリーに限った話ではないが、人とのコミュニケーションが大事だという点に尽きる。
とは思っているのだが、正直言って僕は雑談ベタだ。
まだ暑いのか、顔の前で手をパタパタと動かしている神田さんのほうから、薔薇の香りがほのかに漂ってきている。
「道には迷っていないですよぉ。あたし、こう見えても道に迷ったことは今まで一度もないんですぅ」
秋葉原で降りて電話してきたのに? と込み上げてきた笑いを必死に堪えた。
雑談が上手い人ならここから話を広げられると思うのだけれど、僕には相槌を打つくらいしかできない。
「そ、そうなんですね」
「途中でぇ、今日社長さんに依頼したいと思ってたデザインにピッタリな石を見つけちゃったんですよぉ」
「へ、へぇ。そうなんですねぇ」
神田さんにつられて語尾が伸びてしまう。要するに寄り道してたっていうことね。
「それでぇ、今を逃したらもう二度と同じお店にたどり着けないと思ってぇ。色々買ってきたんですぅ」
「それは良かったですねぇ」
道に迷ったことがないのに、なぜもう二度とたどり着けないのかは謎だが、深く追求するのはやめた。
「社長さんを待たせちゃいけないなぁって思ってたんですけどぉ」
「ち、ちょっと、その社長さんっていうのやめませんか? 普段そう呼ばれることないので、なんだかむず痒くって」
神田さんは、人差し指を口に当てて、「んー」と言いながら首を捻る。僕たちの間に沈黙が流れた。早乙女さんのほうを見ると、左手の指にゴム製の指サックをはめて、検品を始めていた。ルーペを持つ右手が小刻みに震えていて、とても検品しにくそうだ。
一分くらい経っただろうか。僕が手持ち無沙汰を紛らわせるために、ペットボトルの蓋を開けお茶を飲もうとしたとき、神田さんが顔の前で両手をパチリと合わせ、目を輝かせた。
「それじゃあ、カシミンって呼びますねぇ」
「ぶふっ。え、あ、あぁ。わ、わかりました」
危なかった。お茶を含んだあとだったら、神田さんがビチャビチャになるところだ。
カシミン。今までの人生で僕をカシミンと呼んでいたのは、同じ小学校の暴れん坊、郷田君だけだ。僕は別にイジメられっこではなかったけれど、乱暴な郷田君が好きではなかった。
「これなんですけどぉ」
神田さんが何かを取り出そうと、バッグの中をゴソゴソとかき混ぜ始めた。ふと、朴さんのほうを見ると、彼にしては珍しく手を止め、ニカッと歯を見せてこちらを見ていた。
早乙女さんのルーペは、さっきよりも大きく震えているが、あのルーペでなにを見ているのだろうか? 異次元?
「これですぅ!」
神田さんが、バッグからズルリと連材を取り出し、その横にクロッキー帳を置いた。
連材というのは、天然石のビーズを糸に通して一本単位で売っている材料だ。
神田さんがテーブルに出した連材は、カットが施された直径2ミリほどの、濃いピンク色の丸いビーズと、ラムネのような淡いブルーの四角いビーズだった。
神田さんがクロッキー帳をめくるたびに、可愛らしい少女や動物の絵が見える。彼女のさんの名刺に目をやると、薔薇の花のイラストが描いてある左側に、彼女の名前と『イラストレーター』という肩書きが見えて、僕は得心した。
神田さんのような個人でジュエリーブランドを立ち上げたいという人がかなり増えているのだ。神田さんが初めてではない。僕はそう言った人たちの相談に何回も乗ったことがある。ジュエリー業界は、はっきり言って参入障壁が低い。これが車とかならそうはいかないが、ジュエリーはカジュアルに作れてしまうのだ。
「あったぁ。これでぇす、見てくださぁい」
ページをめくり終えた神田さんのクロッキー帳を見ると、そこにはファンシーな色合いで、ブレスレットのイラストが描いてあった。
そう。それは『デザイン画』ではなく『イラスト』だった。
ピンク色の丸い玉と淡い水色の四角いビーズを二本並べたブレスレット。中央にはモチーフが垂れ下がり、両サイドに金色の金具のような物が描かれている。その周りには丁寧にキラキラと光る四芒星まで書き込まれていた。
僕はその絵を見て目を細めた。
「神田さんの思いが伝わって来るいい絵ですね」
「ありがとうございますぅ。カシミンさんにそう言われると照れちゃいますぅ」
カシミン。そう呼ばれるたびに郷田君の顔がちらついて、心がざわついた。
後ろからお尻を蹴ってくる郷田君。
ゲラゲラと笑いながらデコピンしてくる郷田君。
顔面めがけてドッジボールを投げてくる郷田君。
どれもこれも嫌な記憶。
僕は平静を装ってにっこりと笑い、彼女の目を真っ直ぐ見た。
「でもね、神田さん。残念だけど、これは作れないよ」
神田さんが目を見開いて、大きな声を出した。
「えぇ! なんでですか!?」
「よく聞いてね。神田さんがジュエリーを作りたい気持ちはよくわかった。本気なのもわかる。だけどね。一度立ち止まって宝石の勉強をしたほうがいいと思うんだ」
神田さんは無言で僕の目を見ていた。さっきよりも真剣な表情に、こんな顔もできるんだと思った。その真剣な目から視線を落とし、テーブルに置かれた連材を手に取る。
「宝石というのはね。相性があるんだよ。いや、別にスピリチュアルなことを言うつもりはないよ。パワーストーンを否定するつもりはないけれど、僕の仕事はそっちじゃないしね。君が選んできたその2種類の石。ルビーとフローライトという石だけど、確かに君の描いた絵にぴったりだと思う」
「それじゃあ、なぜ?」
いつの間にか語尾が伸びなくなった神田さんは、僕の手の中にある連材をじっと見ていた。
「フローライトっていうのはね、すごく柔らかい石なんだ。簡単に傷がついてしまうんだよ。それに対して、ルビーはダイヤの次に硬いんだ。ダイヤが一番硬いのは知っているよね?」
神田さんはゆっくり頷く。
「君の描いた絵は、この二本を並べているよね。これをしてしまうと、フローライトはすぐに傷だらけになって、曇ってしまうんだよ。ジュエリーは長く使ってほしいよね。神田さんも、そういう長く愛されるジュエリーのほうが好きでしょ?」
そう言って笑った僕の顔を見て、神田さんは目を潤ませながら小さい声で応えてくれた。
「スキ……」
僕は、自分のジュエリーに対する思いが伝わったことに満足しながら話し続ける。
「でしょ? だから、ジュエリーブランドを作る前に、まずは宝石の勉強をしようよ。勉強しながら、少しずつ絵を描いて持ってきてよ。いつでも相談に乗るからさ」
神田さんは頷いたあと、突然僕の手を取った。
「うん! カシミンありがとう! 絶対にくる! 毎日会いに来る!」
「い、いや。毎日は多すぎじゃ——」
そのとき、検品している早乙女さんのほうからギリッという音が聞こえた。
——サンプルに傷でもあったかな?




