6 知人の紹介
近くのコンビニで買ったおにぎり二個を握りしめたまま、アーディブさんのムクティ・ストーンを尋ねた。
ムクティ・ストーンは一般のお客さんも入れるようにしているので、昼休みはないのである。
店の中に足を踏み入れると、独特のお香の匂いに包まれる。インドの石屋さんは大抵同じような匂いがするのだが、僕はこの匂いが嫌いではなかった。自分の会社で炊こうとは思わないけれども。
「カシミサァン。ドウデシタ? キマッタ?」
「アーディブさんごめん。まだ連絡こないんだよ。もしかしたら企画会議通らなかったかも」
「フゥン。イイヨ。ダイジョウブ」
アーディブさんはそう言って首を横に振った。インドの人が肯定のときに首を横に振るのを見て、最初は戸惑っていた僕だったが、もうすっかり慣れた。
「マタヨロシクネ」
「こちらこそよろしく」
そのままムクティ・ストーンを出て階段を上がる。
ガラスのドアを押し開けて、薄暗い会社の中に入っていく。昼休業中は電気を消すことにしているのだ。
早乙女さんは自分のデスクで手作りのお弁当を食べている。
応接スペースのソファーでは、朴さんが大きな口を開けて昼寝をしていた。
きっと、土日も夜遅くまで、どこかでバイトをしていたのだろう。
平日も夜は磨きのバイトをしているのを知っているが、僕はなにも言わない。
日本に来ている韓国の職人さんたちは、みな驚くほど働く。半年くらいは休み無しで、朝から夜中まで働いて、突然一ヶ月くらい休みを取って韓国に帰るのだ。身体を壊すのではないかと心配になるのだが、もしかしたら、軍隊での生活経験がそうさせているのではないかと僕は思っている。
僕はCAD用のパソコンが置いてある自分のデスクに座り、おにぎりを齧りながらYoutubeで工具の紹介動画を見始めた。
見ていた動画が終わったときに、なにげなくデスクに置いてあるカレンダーを見た僕は、今日の欄に予定が書いてあるのを見て、思わず「あっ!」と声を出した。
朝のバタバタで、今日は午後一で商談が入っていたのをすっかり忘れていた。
知人のフリーデザイナー相原さんの紹介で、初めて会う神田さんという女性だった。
時計を確認すると、十二時五十分。いつきてもおかしくない。
「朴さん、ちょっと起きて!」
ソファーの前に立ち、寝ぼけ眼の朴さんを見下ろす。
「ごめん朴さん。十三時からお客さんが来る予定になっていたの忘れてた!」
背後から早乙女さんの声が聞こえた。
「え? そんな大事なこと早く言ってよ」
「ほんと、ごめん。朝のバタバタで完全に飛んでた!」
朴さんがのっそりと起き上がるのと同時に、早乙女さんが電気のスイッチを押した。
急に明るくなった室内が眩しくて、少し目を細めた。
朴さんが応接テーブルの上を拭いて、弁当箱を持って流し台へ行く。
早乙女さんも朴さんの隣に立ち、弁当箱を洗い始めた。
ジュエリーの製造では、流し台を多用するので、広く作られているのだ。ちなみに、食べ物の滓を流すのは厳禁である。
流し台にも貴金属の細かい粉が流れるので、貴金属を回収するために、定期的に掃除して分析に出すのである。
十二時五十八分には、神田さんを迎える準備ができた。
「二人ともありがとう」
僕は名刺を用意して、自分のデスクに座る。待っている時間にもサンプル作成をしたいし、冴島さんに電話もしたいが、神田さんがすぐに来るのでそうも言っていられない。
そうこう言っている内に十三時になった。神田さんはまだこない。
あれ? 日にち間違えてないよな?
僕は、スマートフォンのメッセージアプリを開き、紹介してくれた相原さんとのメッセージを確認する。
確かに今日だ。間違えていない。もしかしたら道に迷っているのかもしれない。
連絡先を聞いていないので、神田さんとは連絡を取れない。
相原さんにメッセージを送る。
『神田さんがまだこられないのですが、道に迷ってしまっているかもしれません。地図を送ってあげて貰えますか?』
暫く待つと既読がついた。相原さんはいつも返事が早い。できる女ってやつなのだ。
『ちょっと待ってくださいね。連絡してみます』
『よろしくお願いします』
それから十分くらい経った頃、相原さんから連絡が来た。
『すいません。彼女日にちを勘違いしてたみたいで、まだ家にいたみたいで、慌てて家を出たって言ってます』
その文字を見て、思考が停止する。
百歩譲って、日にちを間違えていたとしても、普通は別の日にしないか? なんで慌てて家を出てるんだよ。
まぁ、家を出てしまったものは仕方ない。そう思い、一番気になることを質問した。
『どのくらいで着くかわかります?』
『ほんっとうにすいません! 多分、四十分くらいだと思います』
自分になにも否はないのにもかかわらず、すごく丁寧な文章で返信をくれた相原さんに、申し訳ない気持ちになった。
あの人の性格からして、きっと自分が紹介した責任のようなものを感じているのだろう。
僕は『承知しました。気にしないでください』とメッセージを送り、早乙女さんと朴さんに「ごめん。遅れてくるって」と謝った。
少し眉をしかめた早乙女さんの表情に気づかないふりをしながら、スマートフォンを手に取り、冴島さんに電話した。
電話からは呼び出し音が聞こえるが、いつまで経っても冴島さんが出ることはなかった。
僕は仕方なく、サンプル作成の続きを始めた。
神田さんが吹き荒らす嵐など知りもせずに——




