口寄せってご存じですか
「兄に子供をどこへやったのか聞こうと思ったんです」
正一は話を掴めなかったようで、短い沈黙の後、少し困惑したように問い返してくる。
「……お兄さんは死んだんだよね?」
「口寄せってご存じですか」
美古は正面を見据えたまま続けた。
口寄せとは、霊を自分に降ろし、その意志を言葉として伝えるとされる術で、東北のイタコが有名だ。口寄せを行う巫女は口寄せ巫女と呼ばれ、厳しい修行を重ねて力を身につける。けれど後継者不足の今では、その多くが高齢者ばかりになっているらしい。
「私のおばあちゃんは、有名な口寄せ巫女でした」
美古は正一に、こう話した。
青森は、美古にとって縁もゆかりもない土地というわけではない。この土地には、口寄せ巫女として有名な祖母の屋敷がある。
口寄せ巫女の役目は、本来は母が継ぐ予定だった。けれど母は、そんなものにはなりたくないと言って聞かなかったらしい。
祖父は母の自由にさせたらいいと言ったが、代々引き継いできた文化の継承に拘っていた祖母は、母と口論になった。
結局、母は祖母の反対を無視し、東京の男と駆け落ちして東京に出た。出た先で兄を生み、父とは離婚した。母はその後に別の男と再婚し、美古を産んだが、その男とも離婚した。
兄と美古は、兄妹にしては年が大きく離れている。しかし、それゆえに兄はしっかりしていて面倒見がよく、美古が生まれた時から甲斐甲斐しく目の見えない美古の世話をしてくれた。
母は賢明に働き、福祉の力を借りながらも金を稼いで、女手一つで美古たちを育ててくれた。そして兄は、仕事で家にいられない母の代わりに、美古の食事を作ったり、遊び相手になったりしてくれた。
とてもよい家族だったと思う。
保たれていた家庭の平穏を壊したのは、美古だった。
美古が学校の先生との間に子を身籠ったと知り、潔癖な母は怒り狂った。子供のくせに妊娠するなんて頭がおかしいと叱られ、何度も叩かれた。目が見えない美古にとって、暴力は常に予兆がなく、全方位から襲いくる可能性のある恐怖だった。
ついには、髪を引っ張って風呂場まで連れて行かれ、溺死させられそうになった。
「美古を殺す気か!」と叫び、守ってくれたのは兄だった。しかし美古を庇ったが故に、今度は兄が、母の激しい攻撃の対象になった。
やがて、嵐が過ぎ去るように、母は家を出ていった。
美古は、母のいなくなった自宅で子供を産んだ。産声のない、あまりに静かなお産だった。
兄は、この子を埋めに行くと行って、使い古されたバレーボールバッグに小さな死体を入れた。ジッパーの閉まる音が、美古とその子の最後の別れだった。
「どこへ行くの」
「青森まで」
母の暴力によって足を怪我した兄の、少し引きずるような足音が遠ざかり、それきり、兄が帰ってくることはなかった。
母と再会したのは兄の死後の葬式だった。目が見えるようになって、生まれて初めて見た母の顔は、記憶の中の優しい面影など微塵もない、こちらを嫌悪する鬼のような形相をしていた。
母と一緒にいられなくなった美古は、祖母の手伝いをするという名目で祖母の元に転がり込んだ。
祖母の家は、古い木の匂いがした。
祖父が亡くなってから、不自由な独り暮らしを続けていたはずの祖母は、畳に手をつき、「よく来た」と、以前会った時よりも嗄れた声で招き入れてくれた。
囲炉裏の傍で、祖母が淹れてくれたお茶を啜る。湯気の向こうに見える祖母の横顔は、深い皺が刻まれていた。祖母の家には、長期休みの時のみ、兄に連れてきてもらっていた。母は祖母と絶縁しているので、いつも美古と兄の二人だけだった。
喉を通る液体は、かつて兄が淹れてくれたものよりずっと渋かった。けれど、凍てついた体の芯にじんわりと熱が灯っていくような温かさがあった。
美古は、膝の上で自分の指を強く握り締めた。
祖母にはどこまで伝わっているのだろうと疑問だった。美古が過ちを犯したことも、兄が自ら命を絶ったことも、知っているのだろうか。母と祖母は不仲だ。母が祖母に事細かに状況を説明するとは思えない。ひょっとすると、全く事情を知らない可能性もある。
言わなければいけない。でも、知られたくない。
何も映さないはずの祖母の白濁した双眸が、じっとこちらを見据えているようで居た堪れなくなり、口を開いた。
「あの……おばあちゃん」
茶碗を置き、ようやく絞り出した美古の声は震えていた。
「あのね、私」
「いいんだ。喋らねたっていい」
「……え?」
「喋りたぐねぇごどは、無理して言わねでいい。話したぐなったら、その時ゆっくり聞かせればいいんだよ」
畳を擦る、ゆっくりとした動作で、祖母が美古に近付いてくる。彼女の小さく節くれだった温かな手が、美古の肩を包み込み、そのまま強く抱きしめてくれた。線香のような匂いが鼻をくすぐる。
「……よぐ来たなぁ、美古。寂しがったべ、辛がったべ……」
祖母の掌が、美古の髪を何度も、何度も撫でた。視界に映る祖母の閉ざされた瞼から、一雫の涙が零れ落ちるのが見えた。
「ここにおっていい。家族になろう。な?」
同級生からも、実の母からも白い目で見られ、泥のように扱われてきた美古に、祖母だけが「家族になろう」と言ってくれた。
視界の端々が涙で滲み、祖母の姿がぼやけていく。美古の心に呼応するように、背中にいる赤子も泣いているようだった。




