軽蔑する?
全てを語り終えた美古は、しばしの沈黙の後、小城と沢村の方を見た。
「……軽蔑する?」
「んー、まあ、ちょっとだけ」
小城から返ってきたのは、あまりに率直な答えだった。けれど彼女は、すぐに柔らかい笑みを浮かべて続ける。
「でも、美古ちゃんのこと、嫌いになったりはしてないよ。ね、沢村さん」
「う……うん。ちょっと、びっくりしたけど。美古ちゃんが前の学校の先生と恋仲だったって話、ほんとだったんだ」
小城は堂々としていて、沢村は少し、目を泳がせて動じている。でもそこに、美古への嫌悪はないように見えた。
美古は小さく安堵の息を吐き出した。
「……私、謝りたかったんだ。お兄ちゃんに」
美古の言葉を聞いて、小城は黙って頷く。
「ばかだよね。死んだ人間と話せないなんて、当たり前なのに。お兄ちゃんのことを口寄せしたいって思ったの。お兄ちゃんにどうしても謝りたかった。自分が楽になりたくて……この重たい罪悪感を抱えたまま生きていくのが嫌で。だから、お兄ちゃんの命日を探してた」
「……それでずっと、あっちゃこっちゃ聞いて回ってたんだべ?」
「知ってたの?」
「うん。狭い田舎だし、噂なんてすぐ広まっちゃうよ」
小城はそう言いながら、座ったまま美古の傍へ寄った。
「ねぇ、美古ちゃん。お兄さんの写真、なんかないの?」
「……どうして?」
「お兄さん、亡くなったの去年の夏なんでしょ? もしかしたら、あたし、心当たりあるかもしれねぇ」
その言葉に、美古は目を見開いた。慌ててスマホを取り出し、保存していた写真を表示させる。
小城は画面を覗き込み、しばらく見つめた後、確信を得たように頷いた。
「やっぱり。この人、多分死ぬ前にうちの宿坊に来てる。見た目がちょっと派手で、変な荷物抱えてたから、覚えてるよ」
美古の心臓が大きく跳ねた。
小城は真剣な目つきで続ける。
「宿泊者のリストに名前が残ってれば、命日がいつ頃か分かるかもしれない。……行こう、美古ちゃん」
そう言って小城は立ち上がり、美古の手を取った。
「え、え、今から行くのっ?」
沢村が戸惑ったように立ち上がる。
机の上に、絵の具もスケッチブックも残したままだ。
美古たちは三人で、山道へと向かって歩き出した。
夏の陽射しが強く、汗が背中を伝う。道の端に小さな風車が並び、軽やかな回転音がした。薄く硫黄を含む匂いが風に乗って鼻腔を撫で、灰白色の岩盤と白砂、ところどころから立ち上る湯けむりが見える。
さらに歩いていくと正面に大きな門が見え、その先に宿坊の屋根瓦が影を落としている。建物は美古が想像していたよりも近代的で、回廊が本堂と繋がり、白砂を敷いた広い敷地を囲むように建っている。
美古と沢村は、小城に案内されるままに、靴を脱いでスリッパに履き替え、玄関に上がった。畳敷きのロビーには薄暗い照明と共に、香り高い線香の残り香が漂い、障子越しの外光が淡く差し込んでいる。
小城に案内された部屋に入る。窓の外には荒涼とした山肌と、宇曽利山湖の端が見えた。
畳の上に腰を下ろしてから、出ていった小城をしばらく待った。美古は、ずっと膝の上に置いた両手を見つめていた。
しばらくして、廊下の向こうからスリッパの音が近付いてくる。
走ってきたらしい小城は、手に一枚の紙を握っていた。頬が少し紅潮し、息が上がっている。
「やっぱり、いたよ」
小城は紙を掲げ、満足そうに微笑んだ。
「宿泊者リスト、見せてもらった。――七月三十日、一人で一泊してる」
名簿に書かれているのは、兄の名前だ。美古は息を呑んだ。
兄が、この地で去年まで生きていた。身体の内側から熱が込み上げ、ドクン、ドクンと心臓の音がやけに大きく響く。
「泊まった後……どこに行ったかとか、分からないよね」
震える声で問うと、小城は眉を寄せて首を横に振った。
「そこまでは、さすがに。でも、もし赤ちゃんの遺体を持ってきてたなら、行くところに心当たりはあるよ」
その言葉に、美古は反射的に身を乗り出した。
「どこ?」
小城は、手にした紙を静かに折り畳む。その表情は、どこか思案げだった。
「……美古ちゃん。行くのは明日にして、今日は休まない?」
「……何で」
「美古ちゃん、すごくやつれてるもん。前に言ったっきゃね、今度、うち泊まってもいいよって」
「でも……」
「精進料理、余り物になっちゃうかもだけど、持ってくるよ。今夜は、ゆっくり休んでけ」
小城はそう言って微笑んだ。
小城なりに、ずっと食事を取っていない美古を心配してくれているのかもしれなかった。
沈黙が流れる中、ぐうぅ~……と、誰かの腹が鳴る音がした。
振り向けば、正座して待っている沢村が、恥ずかしそうに俯いていた。
ご飯も食べずに山登りしたのだから、沢村も疲れているだろう。
美古は仕方なく、この宿坊で一泊することにした。
夕刻になると、宿坊の鐘が鳴った。
食堂に案内され、精進料理を食べる。湯気を立てる味噌汁、胡麻豆腐、山菜の煮物、漬物、そして木皿に盛られた麦ご飯などである。
肉も魚も使っていないらしい。食欲のない美古にとっては食べやすくて助かった。
薄味の出汁が体に沁みる。食べるうちに、ほんの少しずつ生きる気力が戻ってくる気がした。
食事を終えると、三人で宿坊の風呂へ向かった。白く濁った湯が木の湯船いっぱいに満ちている。
「ここの湯、あんま長く入っちゃだめだよ」
「うん……分かった」
美古は小城の忠告を受け入れ、湯の中に体を浸す。体の奥の疲れが、ゆっくりと抜けていくような心地がした。




