目、見えてるの
祖母がいつまでも目を覚まさなかったので、救急車を呼んだ。
病院からの電話で、ひどい脱水状態だと告げられる。夏場にはよくあることだという。命に別状はないと聞かされて、美古はほっと胸を撫で下ろした。
落ち着いた後、部屋に残された祖母のスマホを開いてみる。使った痕跡があり、警察との通話履歴や、テレビ局との通話履歴、美古の学校との通話履歴もあった。
この家で時々聞こえていた物音の理由が分かった。祖母が美古に隠れて、ずっと家のどこかに身を潜めていたのだろう。
昔、祖母が言っていたことを思い出す。
長い降霊も、やろうと思えばできる。でも、自分の身を削るようなもので、寿命だって縮む――そう話していた。
祖母は、それでもやろうと決めたのだ。青森に来て孤独になった美古を励ますために。死のうとしている美古と、一緒にいてやれるように。
自分は目が見えず、うまく美古を手伝えないから。だから、代わりに目が見える人を呼ぼうと。――祖父を、降霊という形で。
翌日の昼頃、家のインターホンが鳴った。
「そろそろ夏休みだべ」
ドアを開けると、画材を抱えた小城と、心配そうな沢村が立っていた。
久しぶりに見る顔だった。何度か家には来てくれていたようだが、出る気力がなく無視していたので、数ヶ月ぶりの再会になる。
「美古ちゃん、すごい痩せたね」
沢村が、美古を上から下まで見て言った。
「そう……かな」
「なんも食べてねんじゃね? なんか腹に入れねばだめだよ」
「うん……」
「中、入ってもいい? 久しぶりに遊ぼう」
小城の声に、美古は小さく頷いた。
小城も沢村も、何も聞かなかった。学校を休んでいる理由も、何があったのかも。
ただ、いつも通りの調子で、夏休みの宿題プリントを美古に差し出し、スケッチブックを広げて絵を描き始めた。
学校の話もされなかった。柳がどうなったのかも、美古が学校でどんな噂を立てられているのかも、彼女たちは話さなかった。
その次の日も、そのまた次の日も、小城と沢村は家にやってきた。
窓の外では、真夏の陽がじりじりと照りつけていて、セミの声が遠くで響いている。
学校は既に短縮授業の時期らしく、午後は小城たちが日課のように美古の家に居座るようになっていった。
「美古ちゃん、手芸のコンテスト、間に合いそう?」
「いや……手芸、もうやめちゃった」
「そっかあ。じゃあ、また来年だね」
小城はまるで当たり前のことのように、笑って言った。
来年という言葉が、美古の胸に不思議な重みをもたらす。ほんの少し前まで、自分にはそんな未来なんてないと思っていたのに。
「……小城さん、沢村さん、私ね」
「ん?」
小城は絵筆を止めずに、軽く相槌を打った。
沢村の方は、スマホを触る手を止めて美古を見た。
「私、二人に、たくさん嘘をついてる」
「嘘?」
小城も今度は手を止めて、顔を上げる。真っすぐな瞳が美古を捉えた。
「私――……目、見えてるの」
部屋に沈黙が流れた。
扇風機の羽が回る音だけが緩やかに響いている。
けれどその静寂は、そう長くは続かなかった。
「知ってるよ」
小城の声だった。その声は、いつもと変わらず穏やかだった。
責められると思っていた美古は、驚いて息を止める。
沢村には、以前から疑いを抱かれていた。しかし、何故小城まで知っているのだろう。
「美古ちゃんのこと食堂で見た時、人じゃないもんばっか寄ってきてるなって気になってたの。そんで、教室の窓ガラスが割れた日に思ったんだよ。美古ちゃん、困ってんだべなって。だから、心配で近付いたんだ」
美古は顔を伏せていたが、ゆっくりと視線を上げる。
小城は美古の背後を見ていた。
「……背中、重くない?」
「……え?」
「美古ちゃんの後ろ、ずっと赤ちゃんが乗ってる。目ぇ大きくて、ギョロギョロしてる。美古ちゃんが目ぇ見えるようになったの、その子のせいでしょ?」
美古は言葉を失った。
そういえば小城は、霊感がある、と言っていたことがあった。
小城にも、ずっと前から赤子が見えていたのだ。
「あ……赤ちゃん? え、赤ちゃん?」
沢村が、むしろそっちに驚いたように戸惑っている。
当然、沢村には見えていないらしい。
小城は落ち着いた様子で続ける。
「その子のお父さん、今も東京にいんの? 美古ちゃんだけが取り憑かれてるって、知ってるの?」
少し責めるような口調だった。きっと、小城なりに納得できないのだ。どうして母親である美古だけが、こんなに苦しまなければならないのか、と。
でも、その捉え方は違う。間違っていたのは美古なのだから。
美古は歯を噛みしめた。
一瞬、言うべきかどうか躊躇した。けれど、もう隠していられなかった。胸の中に積もった重さが、今にも零れそうで。
「……先生、死んじゃったの」
ぽつり、ぽつりと。
言葉が涙のように、溢れ落ちていく。
「私が、〝先生〟って呼んでる人、私のお兄ちゃんなの」
声が震えた。ようやくできた友達に、気持ち悪いと思われるのが怖かった。
それでも止まらなかった。溜め込んでいた腐敗物が、せきを切ったように体から抜けていく。
「お兄ちゃん、私の中学の、先生をやってた。私、実のお兄ちゃんとずっと恋仲で、お兄ちゃんとの間に、子供作っちゃって」
そこまで言って、美古は唇を噛み、俯いた。
――だから、誰にも言えなかった。
病院にも行けなかった。親にも言えなかった。怖くて恥ずかしくて、誰かに知られるのが嫌で。
結局、家で一人で産んで、隠そうとした。でも、隠しきれなかった。
小城も沢村も、何も言わなかった。
その沈黙が痛くて、美古は膝の上で指を握りしめた。
もう、ここまで言ってしまったら、一も百も同じだ。
どれだけ軽蔑されようと、誰かに全部聞いてほしかった。
美古は震える声で、自分の過去を一つずつ語り始めた。




