誰に渡せばいいの
何事もなかったように日々が過ぎていく。
三年生の教室へ行って、正一がいないか聞いてみても、上級生からは「そんな生徒はいない」と言われた。
美古は、また一人で聞き込みをするようになった。
一人で弘前市に行くようになった。
一人で口寄せをするようになった。
祖母がいなくなって、元からずっと一人だったはずなのに、正一がいなくなってから、ぽっかりと何かが消えてしまったような感覚がした。
いつの間にか、隣に正一がいることが当たり前になっていたのだ。
兄はいなくなった。
祖母はいなくなった。
正一も、いなくなった。
「……誰に渡せばいいの」
作りかけのショルダーバッグを見つめながら、美古は一人、自嘲した。
もう会えないかもしれないと思いながら、滑稽にも、彼へのプレゼントを作り続けている。
そんな、日差しが一段と強くなってきたある日の放課後。
帰りの支度をして教室を出ようとした時、教室の後ろで柳たちのグループが話をしているのが聞こえた。柳は、夏が近づくごとにもっと化粧が派手になったように見える。彼女のツンとした香水の匂いは、教室の隅まで漂っていた。
「体育祭のチーム分けどうする?」
一人の女子がそう切り出すと、もう一人が思い出したように言葉を重ねた。
「そういや、沢村ちゃんがうちらのチーム入りたいって言ってんだけど」
「え~。沢村ぁ?」
他の女子二人の声に、柳があからさまに嫌そうな反応を示した。その露骨な声に、他の二人が面白がるように身を乗り出す。
「何その反応。沢村嫌なの? あんた、ちょっと前まで仲良くしてたべさ」
「ちょっと話すくらいで、別に仲良いってわけじゃねえし。あんま合わないんだよね。あいつ、誰にでもいい顔すんじゃん」
帰ろうとしていた美古は、ぴたりと足を止めた。
柳は長い爪でスマホをいじりながら話し始める。
「男子の前で急に声高くして、いい子ぶってるべさ。あたし、そういうのほんとに無理。うちらのチームさ入ってきたって、どうせ仕事サボって男子と喋ってまるに決まってら。なんか、みんなに好かれようとしてんのが見え見えっていうか」
周りの女子たちも、柳の言葉に、待ってましたと言わんばかりに同調した。
「分かる~。この前もさ、うちらが話してた時に急に入ってきて、頼んでもねぇのにそれ手伝おうか? とか言ってきてさ。親切の押し売りだよ」
「そういや、こないだの学級委員の時だってさ、誰もやりたがってねぇからって、わざとらしく私やろうか? とか言い出したよね」
「いい子ちゃんだと思われたいんでしょ~てか、男子にいい顔しすぎじゃない? みっともね」
教室の片隅で、悪意の混じった言葉が響き渡る。
学校という場所は残酷だ。あんなに優しくて誰とでも仲良くできて、比較的クラスの中心の方にいたはずの沢村ですら、一歩間違えればこうして陰口の標的にされてしまう。
沢村は、男女分け隔てなく接するというだけで、男子だけにいい顔をしているわけではない。それこそ、美古のようなはぐれ者にも優しく話しかけてくれた人だ。性別や属性で態度を変えないというだけである。
美古は胸が締め付けられるような不快感を覚えながら、それ以上彼女たちの声を聞かないよう、鞄の紐をキツく握りしめて教室の扉を開いた。
開いた瞬間、固まった。
すぐ正面に、沢村が立っていたからである。今、教室に入ろうとしていたのだろう。
その顔は、今にも崩れそうなほどに歪んでいる。大きく見開かれた瞳には涙がたっぷりと溜まり、今にも零れ落ちそうだった。
(聞いていたんだ……)
美古は息を呑んだまま、動けなくなった。
今の今まで、教室の中で繰り広げられていた悪口の嵐を、沢村はすぐそこで、全て耳にしていたのだ。沢村は、美古と違って柳たちと特別仲が悪いわけではない。味方だと思っていたクラスメイトから浴びせられる悪口は、彼女に相当なダメージを与えただろう。
かけるべき言葉が見つからなかった。
初めて自分なんかに挨拶をしてくれた、沢村の笑顔が頭をよぎった。あれほどの温かさを持つ人が、悪意を向けられ、こうして目の前で泣いている。
美古はしばらく黙って立ち尽くしていたが、やがて、鞄の紐をぎゅっと握りしめた。
一度開けた扉を、沢村を外に残したまま、静かに閉める。
そして、ゆっくりと振り返り、杖を握り直して、教室の奥へとズカズカと歩き出した。心臓がうるさいほどに鐘を打っている。
(私なら、元から孤立してる。これ以上嫌われたって、痛くも痒くもない)
沢村はきっと、気を使って溜め込むタイプだ。彼女たちに反論などできない。だったら。
柳たちの机の前まで進み出ると、柳がようやく美古の存在に気付いたように、不審そうに視線を上げる。
美古は、真っ直ぐに彼女たちを見据えた。
「……男子に、媚び売ってる、んじゃないと思う」
声が震えた。
柳の取り巻きたちの視線も、一斉に美古に集まった。
怖い。目の前に屯する、自分と同い年であるはずの女子生徒たちが、自分よりも大きく見える。
それでも、美古は勇気を振り絞って続けた。
「沢村さんは、すごく気を使う人だから、誰もやりたがらない仕事を、いつも代わりに引き受けてくれていただけで。みんなが嫌がるから、自分の時間を削ってやってくれてる、のに。それを……裏でそんな風に言うなんて、おかしいと思う」
柳たちは、普段大人しい美古が急に話しかけてきたことに驚いたようだった。しかしそれも一瞬のことで、柳がその場に張り詰めた静寂を破り、最初に笑い声をあげた。
「はぁ? 何? 何喋ってるか全然聞こえねぇんだけど」
柳の声をきっかけに、周りの二人もおかしそうにぎゃははと笑い出す。冷ややかな嘲笑が教室の壁に反響した。
「がたがた震えすぎ。急に何の話してるわけ?」
「まじキモ。うちらが話してんの盗み聞きしといて文句言われてもさぁ。嫌なら聞かなきゃいいべ、って話だよな?」
美古の決死の反論を嘲笑うように、容赦のない言葉が重なる。柳は小馬鹿にしたように目を細め、髪をかき上げながら美古を足元から睨みつけた。
「テレビさ出て調子に乗ってんじゃねぇよ」
美古は、怖くて何も言えなくなってしまった。せっかく振り絞った言葉は、彼女たちの分厚い悪意の壁に跳ね返され、教室の床へと虚しく落ちていく。




