きっとすごくいい作品になる
朝の光が、刺すような眩しさで学校を照らしていた。
何とか始業に間に合い、下駄箱から靴を出そうとしたその時、こちらに歩いてくる沢村の姿が目に入った。
ふと、視線がぶつかる。
沢村は一瞬だけ、複雑そうに目を細めたが、すぐに目を逸らした。そのまま、美古など存在しないかのように、足早で人混みの中へと消えていく。
しばらく固まっていた美古は、他の生徒が後ろから歩いてきた音ではっとして、上履きに履き替えた。
沢村はこれまで、朝、美古と会ったら必ず挨拶をしてくれていた。美古にわざわざ挨拶をしてくれる子なんて、沢村しかいない。それがなくなってしまった。そう思うと、遅れて痛みが襲ってきた。
午後の家庭科の授業では、相変わらず生徒たちのうるさい話し声が充満していた。
先週行われた席替えによって、美古の隣には小城が座っている。小城は退屈そうに布に針を通しながら、隣の美古に世間話のように問いかけてくる。
「美古ちゃん、沢村さんと喧嘩でもした?」
美古は、刺しかけていた針を止めた。
「昨日、肝試しで何かあったんでしょ。男子の奴ら、だからやめとけって言ったべさ……」
こちらの沈黙を肯定と受け取ったらしい小城が、呆れたように溜め息を吐く。
昨日小城は、肝試しだ学校探索だと言って盛り上がっているクラスメイトたちを冷めた目で見ていた。冷やかしで見に行くものではないと、美古が行くことにも反対姿勢だったのだ。
「で、沢村さんと何あったの?」
「ちょっと、気味悪がられちゃって」
「気味悪がる? 美古ちゃんを?」
こくりと頷くと、小城は「ふーん」と自分から聞いておいて興味なさげな相槌を打つ。
美古は、それ以上の言及を避けるように、手元の布地へと視線を落とした。
美古が視えるという事実は、小城も知らない。言ったら、小城も沢村のように、美古を軽蔑するだろう。小城との関係性が壊れるのが恐ろしかった。
美古は、授業課題である巾着袋をさっさと仕上げ、今はその余った時間で、別の制作物に取り組んでいる。布をつなぎ合わせ、ドールハウスを作ろうとしている。これがなかなか難しく、何度も失敗している。
「ちょっと気持ち分かるかも」
小城が次に放った言葉に、美古は、視線だけでそちらを見た。
「最初、あたしも美古ちゃんのこと怖かったよ」
「……え」
「だって――」
「あら、何を作ってるの?」
小城が何か言い出すよりも早く、いつの間にか背後に立っていた手芸の先生が、柔らかく目を細めて美古の手元を覗き込んできた。
栗色のふわふわした髪から、お菓子みたいな甘い香りが漂う。
「……これは、コンテスト用に……」
美古が消え入りそうな声で答えると、先生の表情が、春の陽だまりのように柔らかく綻んだ。
「参加してくれる気になったんだね。嬉しい。一応案内はしたけど、実際参加してくれる子はなかなかいないから」
「先生が期待するような結果は、残せないと思うんですけど……」
「結果なんて残せなくていいよ。完成させること、それ自体が重要なんだから。完成できたらこの世界に作品が増える。美古さんの作品も、先生楽しみにしてるから」
先生は、美古が縫い進めている布を愛おしそうに見つめ、一言、優しく付け加えた。
「きっとすごくいい作品になる」
美古は小さく頷き、返事の代わりに、糸を一針、また一針と、丁寧に布へと沈めていった。
最近の美古は、初心者なりに、本を買ったり動画を見たりして、空いた時間で手芸の練習している。
何かしていないと、兄や母、祖母、背中に乗っている赤子のことを考えてしまって深く落ち込む。思考がずるずると暗闇に沈まないように、手元だけは動かしておきたい。そういう意味でも、手芸は、美古にとって特別な行為へと変わっていた。
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平日の放課後は、正一と一緒に兄の目撃情報を探し、週末は、電車に乗って町まで出かける日々が続いた。
朝、駅のホームに差し込む眩しい光を背に、お金を入れて切符を買う。
三時間かけて向かったサチの家は、相変わらずゴミの山と線香、古い煙草の匂いに満ちていた。毎週片付けているのに、なかなか掃除が終わらない。
美古は到着するなりまず、この一週間で増えたゴミを指定ごみ袋に突っ込んだ。
「あ、こら、そこは触るんじゃないよ。大事なものが混ざってるんだから」
「ゴミにしか見えませんが……」
「あぁん!? あんたは本当に、ばあちゃんに似て口うるさいねえ」
サチは文句を垂れながらも、美古が手際よく居住空間を広げていくのをどこか楽しげに眺めていた。床が見え、風が通るようになった頃、ようやく本題の修行が始まる。
サチが教える口寄せの指導は容赦ない。
「いいかい。あんたの口寄せは、開きっぱなしのザルなんだよ。入ってくるものを選別せず、ただ呼び寄せてる。だから、向こうからこっちへ来放題だ」
美古は部屋の真ん中に座らされ、目を瞑らされる。目を瞑ったところで、赤子が目を開いていれば景色が見えるので、集中することはかなり難しい。
「目を閉じて、自分の内側にある扉の取っ手を探しな。あんたが中途半端に呼び出したせいで、その扉は今、建付けが悪くなって閉まらなくなってる」
集中しようとしても、背中でくすぶる赤子の重みや、家の外の音が、ノイズのように入り込んでくる。
「雑音を聞くんじゃないよ……そう。そこだ」
サチは、美古の手を掴み、その指先に感覚を教え込んだ。
「あんた、手芸が好きなんだろ? だったら同じことだよ。針を通すように、自分の意識を細く、鋭く研ぎ澄ませて、その裂け目を閉じていくんだ。これを、口寄せが終わったら必ずやらないといけない」
糸を沈める時と同じ、慎重な力加減。焦れば糸は切れ、緩めれば隙間は埋まらない。
修行が終わる頃、美古の額にはじっとりと汗が浮かび、精神的な疲労で指一本動かせないほどになっていた。しかし、サチの指導を受けるたびに、視界の端でうごめいていた悪いものの輪郭が、以前よりも薄くなっていることに気付く。
「今日はここまでだ。ほら、約束の家事をやりな。晩飯はあんたが作るんだよ。あたしは台所に立つのは御免だからね」
美古は、サチに言われた通り、まだ散らかった台所で夕食の準備に取り掛かる。米を炊き、包丁で野菜を切り、味噌汁を作り、魚を焼く。
サチはその後ろで、我慢していたらしい煙草に火をつけた。紫煙の向こうで、美古の背中をじっと見つめてくる。
「この短期間でかなり上達してるよ。センスはあるね。さすが、あの人の孫だ。口寄せ巫女、継げばいいんじゃないかい」
美古は答えなかった。
祖母が後継者を求めているのは分かる。でも、肝心の祖母が戻ってこないことには、どうにもできない。
それに――自分がどこまでこの人生を続けていくのかを、美古は決めきれていなかった。
安易に継げると言えるほど、先の未来が見えていないのである。




