あなたでいいです
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週末ごとにサチの家へ通い、口寄せを学び始めてから一月ほどが経った。柔らかな風が、美古のいる古い家屋に雨の匂いを運んでくる。
平日の放課後、いつものように正一と兄の行方を探すために遅くまで出かけて帰ってきたその日。玄関の引き戸が、乱暴な音を立てて開いた。
「ごめんください。こちら、古瀬さんのお宅ですか?」
出迎えた美古の前に立っていたのは、大きなカメラや録音機材を抱えた数人の男たちだった。首から派手な身分証を下げた、三十代半ばほどのスーツ姿の男が、美古を見るなり眩しそうに目を細める。名刺を見るに、地方のテレビ局の人間らしかった。
もう夜だというのに、よく働くものである。
「……祖母なら、ここにはいません」
美古がそう告げた瞬間、男たちの間に分かりやすく動揺が走った。
「いないってどういうことだよ。この枠どうすんだよ」
「お前、ちゃんとアポ取ったんだろうな?」
「いや、一週間前に電話した時は、確かに取材を許可してくれたんですけどねえ……この時間帯でいいって……」
ディレクターらしき男と、若いスタッフが顔を突き合わせて揉め始める。
その言い合いをぼんやりと聞きながら、美古は不可解に思って眉を寄せた。
――まただ。また皆、祖母と連絡がついていると言い出す。
険悪な空気が狭い玄関口に滞留する中、ふと、美古を見下ろしていたディレクターの目が、ぎらりと不穏に光った。
「あー、じゃあ、あなたでいいです」
「……は?」
思わず、間の抜けた声を返してしまった。男は靴を脱ぎ捨てるようにして強引に上がり込み、美古との距離を詰めてくる。
「お孫さんですよね? だったら、有名なイタコの口寄せ、やるふりしてくれませんか? やらせだろうが何だろうが、番組が成り立てばそれでいいんです。なんかこう、それっぽい数珠とか持って、いい感じに口寄せするふりして、テレビに映ってくれませんか。視聴者だってお婆さんより、若い子のほうが食いつきがいいでしょうし」
「ちょ、子供巻き込むのはよくないんじゃないっすか?」
後ろのカメラマンが宥めるように口を挟むが、男は聞く耳を持たない。
「いいだろいいだろ。女子高生のイタコ、きっと話題になるぞ。よく見るとこの子、顔も可愛いし」
男はそう言って、品定めをするように美古の顔を覗き込んだ。そして、美古の目を隠すように伸びていた長い前髪に、躊躇なく指を伸ばしてくる。顔を露わにしようと、男の手が前髪を強引にかき分けた。
その無遠慮な指先と、尊大な態度に、ぞっと鳥肌が立つのを感じた。不愉快さに身を引こうとした、その刹那。
背中に張り付いている赤子の気配が、獰猛な意思を持ってぐにりと蠢いた。
ひゅ、と玄関の空気が凍りつく。
「うわっ……!」
男が、弾かれたように美古から手を離した。彼は、自分の指先を恐る恐る見つめながら、顔を青くさせて数歩後ずさる。
「どうした?」
後ろのスタッフが不審そうに尋ねる。
「……今、急に寒くならなかったか?」
「何言ってんだ。夜だから寒いのは当然だろ」
男は自分の腕をさすりながら、なおも怪訝そうに美古を見つめている。
美古は、自分の背中で再び大人しくなった赤子の存在を意識しながら、冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
乱れた前髪を押さえながら、暗い居間の奥を見やる。
祖母が消えてから、この家には一銭の収入もない。正一との探索にも、サチの家へ通うのにも、交通費はかさむ一方だった。
(もし、テレビに出ておいたら……おばあちゃんが戻ってきた時、お客さんが増えるかもしれない。そうしたら、おばあちゃんも喜ぶし、お金だって……)
「……あの」
美古は、まだ腕を擦っているディレクターの男をまっすぐに見据えた。
「それなら、私、やります」
「え? ああ……やってくれますか!」
男の顔に、さっきまでの恐怖を忘れたような、浅薄な笑みが戻る。
美古は、テレビ局の機材が次々と家の中に運び込まれていくのを、半ば諦めるような気持ちで見守った。
男たちを招き入れたのは、かつて祖母が数多の依頼人と対峙してきた、薄暗い和室である。
畳に染み付いた古い線香の匂いが、テレビ局の持ち込んだ無機質な機材の熱に炙られて、妙に生々しく鼻を突く。美古は部屋の中央に座り、祖母が使っていた古びた数珠を両手に絡めた。
「それじゃ、本番行きます。三、二、一……」
カメラの赤いランプが点灯し、レンズが美古の顔を映す。先ほどのディレクターの男は、部屋の隅で腕を組み、「適当にそれっぽく頼むよ」とでも言いたげな、退屈そうな顔でこちらを見ていた。
目の前で正座する男が、祖父の誕生日を口にする。
美古は瞼を閉じ、サチの屋敷で叩き込まれた呼吸を意識した。意識が、暗闇の中へ深く、深く沈んでいく。
やるふりをすればいいだけだと言われているのに、一度形式を整えると、一気に他の人間の意識が降りてくる。
美古の身体が硬直する。喉の奥が勝手に震え、自分のものではない、ひどく掠れた老人の声が、唇の隙間から漏れ出した。
「畑の、裏の、倉庫にしまってあった、金」
美古の口から吐き出される言葉は、もう美古のものではなかった。脳裏に、土に埋もれた古い桐箱の映像が、鮮明に浮かび上がる。
「あの金は、どうなった。ちゃんと、あいつに返したのか」
最後の一言を吐き捨てた瞬間、美古は激しく咳き込み、目を見開いた。額からは滝のような冷汗が流れ落ち、心臓が早鐘を打っている。
「オッケー、カーット! 今の、すごく雰囲気出てましたよ!」
「凄いな。声まで全然違うように聞こえたよ。おばあちゃんの真似かい?」
「後で簡単に取材させてください。台本はこっちで作るんで」
機材の撤収が始まり、部屋に日常の雑音が戻ってくる。
しかし、撮影を終えた後も、目の前で祖父の命日を伝えてきた男だけは、畳の上にへたり込んだまま身動き一つしなかった。その顔は完全に血の気が失せ、まるで死人のように真っ白になっている。
「おい、どうした? お前、顔ヤバいぞ」
不審に思ったディレクターが彼の肩を揺さぶるが、男はがたがたと唇を震わせ、美古を凝視するだけだった。
「……俺が、実家の金を盗んだということは」
男の声は、掠れて消え入りそうだった。
「……俺が、親から盗んだ金を倉庫にしまっておいて、卒業と同時に上京したということは……あの世に逝った祖父しか、知りません……」
室内の空気が凍りついた。
撤収作業をしていたスタッフの手がピタリと止まり、全員の視線が、男から美古へと向けられる。
洒落にならないような空気が流れ、誰もが、黙り込んでしまった。




