腎臓の病気で死んじゃったんだけど
小城が額縁を覗き込みながら聞いてくる。
「うん。私が中学生の時に、腎臓の病気で死んじゃったんだけど」
美古は小さく頷き、優しい祖父の姿を思い出しながら、そう答えた。
正月に青森を訪れると、祖父はいつも、笑いながらお年玉を渡してくれた。兄にも美古にも。母は、家を継がずに外の男と逃げた挙げ句に離婚したため、祖母とは仲が悪かった。でも、祖父とはよく話していたし、祖父の葬式の日には泣いていた。祖父は家を出た母にも好かれていたくらい、色んなことに理解がある、優しい人だった。
「じゃあ、美古ちゃんのおばあちゃん、美古ちゃん来る前は、ここで一人で暮らしてたんだね」
小城は部屋の中央に置かれたテーブルへと視線を移した。そこには祖母のスマホが、充電コードに繋がれたまま放置されている。
小城はしばらく、それをじっと見つめていた。しかしそのうち、興味を失ったかのように、くるりと踵を返した。
「……スマホ、ちゃんと見なくていいの?」
「やっぱいいや。なんも見えねかったし」
気の抜けた声でそう言い、飽きたように歩き出す小城。
美古はその気紛れさにふっと笑みを零し、その後を追った。
夜になるまで、小城は美古の部屋でスケッチブックを広げていた。鉛筆を走らせる音が響く。美古もその隣で、静かに編み針を動かす。
互いに言葉を交わすことはほとんどない。
けれど、同じ空気の中でそれぞれ好きなことに没頭する穏やかな時間が、美古には心地よく感じられた。
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翌日、春の香りのする教室は、何故か怪談話で持ち切りだった。
「だから、本当に出るんだってば!」
「一組のタケ、美術室で幽霊見たんだと。腰抜かしてたんだと」
「最近、そんな話ばっかりだべ。気味悪りぃなぁ」
「んだ。一人だけなら空目だべって思うけど、何人も見てるからね」
教卓の周りでひそひそと交わされる声を、不運にも一番前の席になってしまった美古は、机の上のタブレットに視線を落とし、黙ってやり過ごしていた。
最近妙な話が多いというのは、美古も感じている。校内のいたるところや、学校からの帰り道で幽霊を見たという報告が増え続けているのだ。
「美古ちゃん、幽霊の存在って感じたことある?」
突然、話の輪の中にいた女子生徒から名前を呼ばれ、美古は驚いて顔を上げた。彼女の名前は沢村。一年生の頃の掃除当番で一緒になって以来、時折こうして声をかけてくれる人物だ。
周囲の生徒たちの視線が一斉に美古の方に向けられる。中には一切話したことのない生徒も混じっていた。美古は緊張しながら、小さな声を絞り出した。
「感じたこと……ある、かも」
途端、教室の温度が一段上がったかのように沸き立った。
「どんな感じだ、教えでけ!」
「目見えねえのに分かるんだ。やっぱ、第六感ってやつだべが?」
「おーい、みんな! 美古ちゃん、霊感あるんだと!」
話に尾ひれが付き、瞬く間に教室中へ広がっていく。好奇の目に晒され、美古はたまらず顔を伏せた。
「幽霊って、どんなふうに見えるんだ?」
「えっと……近付くと、すごく嫌な感じがして。寒気も止まらなくなるような、そんな感じ……」
「美古ちゃん、霊感あるならさ、今日の放課後、みんなで校舎内探検さ行こうぜ!」
勝手に決まっていく計画に、美古の気持ちは置き去りにされる。
浮き足立つ彼女達の背後、窓際の席では、柳たちが爪を磨き、髪を指で弄りながら鼻で笑っていた。
「何だぁあれ。くだらね」
「ユーレーとか、いるわけねぇべさ。おかしな奴ら」
冷笑を浴びせられながらも、美古は断る勇気を持てないまま、放課後を迎えることになった。
夕暮れに染まった校舎は、長く伸びる影こそ不気味だったが、拍子抜けするほど何も起こらなかった。
「なんだぁ、驚かしやがって。やっぱり何にもいねぇべさ」
「タケの言うこと、嘘だったんじゃね」
先頭を歩く男子生徒が、大袈裟に肩をすくめて笑った。
半ば無理やり連れてこられた美古は、居心地の悪い思いをしていた。沢村含む、掃除版が一緒だった数名の女子生徒は顔見知りだが、それ以外の子とはほとんど喋ったことがないからだ。小城は、クラス内でやや浮いているのでこの肝試しには誘われなかった。
美古は沢村に手を引かれて、ゆっくりと後ろを付いていく。
一行は美術室を出て、一階の渡り廊下から理科室、さらには幽霊が出ると噂のあった旧館の階段へと足を運ぶ。しかし、古い木造の床がギイ、と鳴る以外、怪奇現象らしきものは一つも現れない。
「美古ちゃん、なんか感じねえの?」
「ごめん。何も……」
「え〜。やっぱ、大人数だとダメなのかな」
期待外れだったという空気が、生徒たちの間に急速に広がっていく。さっきまでの緊張感はどこへやら、彼らはすっかりリラックスして、大きな声で喋りながら廊下を闊歩し始めた。
「幽霊だなんて、やっぱりYouTubeの見すぎだべ」
口々に冗談を言い合い、互いの肩を叩き合うクラスメイトたち。美古はその輪の真ん中で、彼らの言葉に曖昧な愛想笑いを返すことしかできなかった。
みんなに連れられて、旧館のトイレに入ろうとした――その時だった。
廊下の突き当たり、光の届かない闇の中に、じっとこちらを窺う複数の目が見えた。それらは生徒たちが騒げば騒ぐほど、面白がるように、あるいは苛立つように、音もなくその距離を縮めてきている。
「……ねえ、もう帰らない?」
美古は、そっと提案した。
「そうだね。何も起こらないし、私もそろそろ帰らなきゃ」
唯一、沢村が同意してくれた。しかし、一度盛り上がった生徒たちの興味は、そう簡単には収まらないようだった。
「何言ってるんだよ、これからが本番だべ! まだトイレの花子さんとか、見てねぇし」
一人が面白がって、わざと真っ暗なトイレの戸を勢いよく蹴り開けた。乾いた音が校舎に反響し、不自然なほどの静けさが、一瞬だけ場を包み込む。
「ほら、何にもいねぇ」
男子生徒が勝ち誇ったように笑った、その直後だった。
誰もいないはずのトイレの奥から、ト、ト、ト……と、小さな子供が走るような足音が、はっきりと聞こえてきたのは。




