先生がバレー部の顧問だったから
「……そうですよ」
美古は、迷いなく答える。声が揺れなかったことが、自分のことながら意外だった。
「先生がバレー部の顧問だったから、好きでもないバレー部の試合聞きに行って、バレーのことも、聞いてるうちに好きになったんです」
小城は小さく「ふぅん」と息を吐き、いちごジュースを一口吸ってから、再び問いかけてきた。
「……美古ちゃんって、もしかしてその先生のこと好きだったの?」
「うん。誰よりも愛しい人だった」
美古の返事に、小城は目を細め、少し微笑んだ。
「そっかあ。純愛だったんだね」
その言葉に少し笑ってしまう。
先生に無理やり襲われたとでも思っていたのだろうか。
中学生と教師の関係を純愛と言い切る小城の無邪気さが、何だか可笑しかった。
タイムアウトの笛が鳴り、試合が再開する。
ボールが弾む音が戻り、観客席のざわめきがまた熱を帯びた。
若くして妊娠した美古を気味悪がらない同級生と、先輩と、大好きなバレーを観る。
これ以上ない幸せのように感じた。あのまま東京にいたら、きっとこんなことはできなかった。
顔に笑みが浮かびそうになって、すぐに口角が下がった。耳元で赤子の鳴き声がしたからだ。
幸せを感じると、同時に後ろから、罪悪感が追いかけてくる。
首を吊った兄が今も、こちらをじっと見ている気がした。
:
会場外の空気はひんやりとしていた。観客が一斉に出口へ向かって押し寄せて、通路が混み合っている。目が見えない美古には危険な混雑具合だと思ったのか、小城が手を掴んで導こうとしてくれた。
美古と小城は、手にしていた空のポテトの紙箱や、飲み終えたカップをまとめてゴミ箱に入れる。
「終わっちゃったねぇ」
小城が小さく伸びをして、肩を回す。小城の表情には、まだ興奮の余韻が残っていた。
「最後、接戦だったよね」
「すんげがった! また見てみてぇって思った。誘ってくれてありがとね、美古ちゃん」
小城の笑顔に、美古は軽く頷くだけだった。
スポーツ観戦は面白い。コート上の世界から切り離されているから、横から別の世界を眺めている気持ちになる。
でも、きらきらと輝く世界を前にすると、少しの劣等感にも苛まれることがある。スポーツをやっている人たちは全力だ。中学の時も、それを眩しく思っていた。
「小城さんも…‥あの選手たちも、凄いよね」
「あたし? 何で?」
「全力で頑張れることに出会って、結果を出してる。私みたいに、何も頑張れずに生きている人間とは違う」
言いながら美古は、自分がバレー観戦を好むのは、自分には手の届かない努力の人たちの姿を近くで感じられるからだったのかもしれない、と思った。
「今から見つければいいべ?」
小城が不思議そうに、当たり前のように返してくる。
「頑張ってる人に憧れてるんなら、頑張れそうなこととか、好きなこと、今から見つければいいじゃ。そっちの方が、人生楽しいべさ」
人生。美古の胸に鈍い痛みが走った。
美古には、自分の人生がこの先も長く続いていくイメージが湧かない。すぐ傍に死が待っているという感覚がある。あちらの世界にいるはずの存在が背中に乗っているからか、少し気を緩めれば、あちらの世界に招かれるような予感がしている。
あちら側で、兄が待っている気がする。
だから、当然と言わんばかりにこれから先のことを提案してくる小城に、面食らった。
美古たちの会話を黙って聞いていた正一が、腕時計をちらりと見て口を開いた。
「俺、この後用事あるんだ。悪いけど、ここで」
人の波の合間で、正一は柔らかく笑う。
「今日は来てくれてありがとう。二人とも楽しそうでよかった」
小城は何も返さなかった。思えば彼女は、試合中ずっと、正一と目を合わせないようにしていたように思う。
美古は頷いて、「気をつけて」と言った。
正一は軽く手を振り、小走りで雑踏の中に溶けていく。
美古と小城は、彼の背中を見届けてから、ゆっくりと駅前の道を進んだ。
「……急いでるみてぇだけど、用事ってなんだべね」
隣を歩く小城がぽつりと呟く。
その声は、さっきまでの興奮の熱が冷めたかのように、明るさを失っていた。
「さあ。私、あの人のことよく知らないんだ。まだ知り合ったばかりで」
美古の言葉に小城は反応を見せず、口を閉ざしたまま歩いている。
駅の改札前でチケットを買うときになって、小城がようやく口を開いた。
「ねぇ、美古ちゃんは……目ぇ見えてねぇから、分かんねぇかもしんねぇけどさ」
「え? うん」
小城は眉を寄せ、少し声を潜める。
「あの人、なんが変だよ。骨格っつうか、顔の輪郭っつうか……うまく言えねぇけど、形がちょっと違う気ぃすんの。あたし、いつも人の絵ぇ描いてっから、体の作りって何となくわかるんだけど……。あの人、たまに別の人に見える時があってさ」
美古は思わず立ち止まりかけた。
何を言っているのだろう。意味が分からないが、小城の表情からして、冗談を言っているようには思えない。
小城は真剣な声で言った。
「あの人って、本当に人間?」
電車の到着を知らせるアナウンスが響く。
「……ごめん。変なこと言ったじゃ。忘れて」
小城はそう言い残し、切符を改札機に通して中へ入っていく。
美古はその背中を見つめたまま、少し遅れて改札を潜った。




