4.少女、少女を受け入れる
「……ごめん、ちょっと取り乱してた」
五階にある怜莉の部屋へと向かうエレベーターの中で、背後にいるマヤが恥ずかしそうな声でそういった。
先程のあれは普段の彼女の姿とはかけ離れているのだろう。
落ち着いた今、そこで言い訳したくなっているのだと怜莉は理解した。
「仕方ないよ、そういうものだよ」
怜莉はマヤに背中を向けたまま、流れていく他の階を眺めながら言う。
口調は落ち着いていて、でもなんだか普段よりも中性的な感じになっているな、とまるで他人事のように怜莉は感じた。
マヤに怜莉が言葉を返してすぐ、エレベーターは五階に着く。
そして怜莉はマヤを後ろに連れ、自らの部屋の扉を開いて一緒に入った。
「……ごめんね、かなり散らかってるんだ」
怜莉はマヤに振り返って苦笑する。
電気をつけた部屋に多量のゴミ袋が放置されているその状況はとても他人を招くには適していない事に、怜莉は今更ながら恥ずかしい気持ちになった。
「別にいいよ。こうしてちゃんと雨風がしのげる場所に来れるとは思ってなかったら」
するとマヤはぶっきらぼうな様子で置いてあるゴミ袋を見下ろしながら答えた。
「……でもそれはそれとして、お姉さんって片付け下手?」
「ははは……まあ、ものぐさではあるかな」
対し、怜莉は再び苦笑して答えた。
自分一人ならともかく二人となるならさすがにスペースは確保しないといけないかと思いながら怜莉はとりあずゴミ袋を掴んで邪魔になりづらい台所近くの角にまとめていく。
「えっと、冷蔵庫に何か入れてたっけ……まあなかったらデリバリーでも頼めばいいか。とりあえずじゃあ飲み物……って言ってもこっちもエナドリばっかだし……」
「……ねぇ」
怜莉が冷蔵庫の中身とにらめっこをしていると、マヤが背後から声をかけてきた。
怜莉は首だけ振り向くと、彼女は言った。
「……聞かなくていいの? ボクの事情」
訝しむようなマヤの顔。
ある程度冷静になって気になったのだろう、無理もないと怜莉は思った。
今、彼女は自分達のいた世界とは別の世界に来たのに、なぜだか自分の事を知っている者がいてあまつさえそのまま家に上げているのだ。
よく考えればどうかしている、都合が良すぎると考えるのが普通だろう。
「……聞かれたいの?」
だが、怜莉はそれを踏まえた上でそう返した。
「い、いや、その……」
するとマヤは少し困ったように目を泳がせた。
「じゃあ、それでいいんじゃないかな。誰だって自分の情けない話を人に話したくはないでしょう」
怜莉はそんな彼女に軽く微笑み返し再び冷蔵庫の中に視線を戻す。
「まあ、確かにそうなんだけど……」
だが、それでもなおマヤが困っているような声が聞こえてきた。
どうにも彼女の根は真面目らしい。
怜莉はそこで口を開けず鼻から息を出し、冷蔵庫の扉を閉め軽く立ち上がり背を向けたまま言った。
「……私はね、そっちではどれだけ時間が流れているかは知らないけど……こっちで数えて七年前、デスティニーチルドレンだったんだ。エレクティアを救うために選ばれ、異能を与えられた子供達」
「えっ……!? でも、エレクティアを救ったデスティニーチルドレンは、七人じゃ……?」
「……そっか、なるほど。七人、か……それは、そうだろうね。逃げた奴なんて数に入る訳もないし当然か。私も半年ぐらいはその中にいたけど、まあ役立たずだったし納得しかないよ」
「……あっ」
そこでマヤは気づきと後悔が混じった声を出した。
対して怜莉は背中を向けたまま、その体で震える右手を隠していた。
下唇を軽く噛み、その右手を必死に左手で押さえつける。
数秒間そうして自らを抑え込んだ怜莉は、落ち着いた笑みを作ってマヤに振り向いた。
「大丈夫、あなたが気にする必要はないよ。私が何もかも捨てて戦いから逃げた臆病者なのは本当の事だし、隠したってしょうがないことだから。むしろ、嘘をついてヒーローぶったほうが辛いし」
怜莉は台所の流し台の縁に手をかけ、体重を預ける。
見た目においてはとても落ち着いた姿を演出できているだろうと怜莉は思った。
「……ごめん。考えが至らなかった」
「だからいいって。ま、これで私がなんであなたを拾ったかは分かってくれたかな」
苦笑いする怜莉。
だがマヤはなおも申し訳無さそうに俯き、そしてぎゅっと握りこぶしを作って顔を上げて言った。
「いや……それじゃあボクの気がすまない。ここでボクだけ話さないのは、フェアじゃない。だからボクも言うよ。ボクがなんでこっちの……表の地球に逃げてきたかを」
「……分かった」
怜莉はそれだけ言って静かに頷いた。
本当に彼女は真面目なんだなと怜莉は思った。
すると、間を作るように軽く息を吐いてマヤは言った。
「デスティニーチルドレンだったなら、知ってるよね。《統制郷ザナドゥ》の事は」
「っ……! うん、もちろん……」
その名前を聞いた瞬間、怜莉は一瞬呼吸が止まった。だが、それをなんとか誤魔化しゆっくりと頷く。
だが、それを悟られないようにゆっくりと間を作って言ったかのように振る舞い、怜莉は口を動かすのを続けた。
「エレクティアの住人エレクティアン達が私達をそっちの世界に呼んだ理由。エレクティアを力で支配し、やがてはこっちの地球へと侵略の魔の手を伸ばそうとしていた連中。……私以外の七人が倒したらしい、そんなどうしようもないカルト」
「ああ。《システム優生プロトコル》だの《大統制恐怖圏》だのとどうかしている思想を掲げて暴れてた奴ら、それが統制郷ザナドゥ。そいつらの残党と新たなシンパが今、また暴れ始めたんだ。ご丁寧に《ネオザナドゥ》なんて名乗ってね」
「……なるほど、それはそれは……バカバカしい話、だね」
怜莉が流し台の縁を掴む手に力が入る。
力が入りすぎ指先が赤くなる程だった。
「そして今、ネオザナドゥに対してエレクティアン達、そして新たにデスティニーチルドレンとして選ばれた子供達が戦っている。……再び下らない争いに巻き込まれているのさ、エレクティアはね」
マヤはその言葉の後に俯き、眉間に強く皺を寄せていた。
嫌悪感がありありと伝わってくる、そんな顔だった。
対して、怜莉もまた表情が陰るのを抑える事ができなかった。
「……また、あっちに行ってる子供がいるんだね。あのときの私達みたいに。向こうで一年、こっちでは夜から朝の半日にしか過ぎなかった、あの戦いがもう一度、か」
「ああ……そしてそれを支援する、えっと……別の人もね」
マヤは一瞬だけ言葉に言い淀む。
だが、怜莉にはその理由を考えるような余裕はなかった。
ただただ、過去のトラウマで取り乱しそうになるのを我慢するのに精一杯だった。
「それで、あなたは……マヤは逃げてきたんだね。それが嫌で」
「うん……なんならボクは、ちょっと特別でね……ネオザナドゥも新しいデスティニーチルドレン達も、ボクを巡って戦う事がしばしばあった。ボクには、それが……耐えられ……なかったんだ……耐えられなかったんだっ!」
マヤはそれまで落ち着いて話していたが、最後にはとても感情が乗った声になっていた。
それだけでなく、マヤは怜莉の方を必死の形相になって叫んだ。
「だって、だってそうだろう!? 確かにボクが持つエレクティアンとしての『特性』は『人形』さ! でもボクはトロフィーじゃない! モノじゃないんだよっ!」
『特性』とはエレクティアンが生まれながらにどのような能力や個性を持つかを決定づける物の事である。
エレクティアはエレクティアン達が地球を“表の地球”と呼ぶくらいには強く結びついており、地球の人々がその生活において記録してきたあらゆる事物、物語、事象などといったものをエレクティアンは『特性』として反映させているのだ。
そして、マヤにとってのその『特性』が『人形』らしい。
だが『特性』はあくまでそういう属性を持っているという事であり、そのものという事ではない。
エレクティアンはエレクティアンとして間違いなく一つの個として、命として生きているのである。
怜莉はそれを、よく知っていた。
「そもそも戦いなんてボクは大嫌いなんだ! お互いに暴力を振るう姿なんて、ましてや殺し合う姿なんて見たくもない! それなのにお前が必要だからって! 君を守らないといけないからって! 暴力を、命の奪い合いを一切ためらわない! 馬鹿げている! あんなの、馬鹿げている……!」
マヤは声を荒げ大きく手を振って悲鳴にも似た声で叫んだ。
怜莉は彼女の痛々しいまでの姿に、彼女もまたとても辛そうな顔を向けた。
「……ああ、そうだね。とっても馬鹿げているよ、それは……本当に、本当に、どうかしている」
そして、マヤの勢いとは反対に静かに、ゆっくりとそう答えた。
俯いて言う怜莉のその姿を見て、マヤは荒げていた呼吸を落ち着かせて、しかし苦しそうな顔は変わることなく、一度目を閉じてから再び怜莉を見た。
「ごめん……また取り乱した。……ともかく、ボクはそういう諸々全部が嫌になったんだ。当事者としてではなく近くでそういう事が起こっているときですら気分が悪かった。だからボクはこっちに逃げてきた。そう簡単には追って来れないであろう、この表の地球にね」
そこまで言ったマヤはとても不安そうな目を怜莉に向けていた。それもやはり仕方がない、と怜莉は思った。
マヤは嫌だ嫌だと言いながらも、逃げた自分に負い目を感じ後ろ髪を引かれる気持ちでいるのが彼女にはよく理解できた。
同時に、命が目の前で消える痛さも。
「……ありがとう。頑張って、話してくれて」
だから怜莉が口にしたのは礼であった。
自分の中の弱さを曝け出してくれた、その勇気への礼であった。
「大丈夫だよ、最初も言ったけど私はマヤを否定したりなんかしない。変わらずマヤを肯定し続ける」
怜莉は流し台の縁にかけていた手で強く体を押し出す形で前に出て、そのままマヤの所へと歩いていく。
「マヤはやりたいようにやった、それでいいんだ。逃げる事を間違いという方が……いや、逃げずに戦うというのは、きっと正しく、美徳なんだろうけど、その正しさに、綺麗さに、耐えられない人だって、いる。私は……そう、思う」
最後の言葉を口から出すのに怜莉はまあまあ苦労した。
だが目の前で不安そうにしているマヤにはそう言ってあげる相手が必要なのだと、怜莉は理解していた。
だから怜莉はそっと手をマヤの頭に伸ばす。
少し右手を上げればすぐに届く、小さな彼女の頭に。
「あ……」
頭を優しく撫でる怜莉の手に、マヤは落ち着いた表情になる。
「あなたが望むまで、ずっとここで隠れていて良いよ。食べるものだって用意してあげるし、欲しい物があるならできる範囲で買ってあげる。何も心配する必要はない。私はずっとマヤの味方でいることを誓うよ」
笑いながら言う怜莉の顔をマヤが見上げてくる。
その顔は、嬉しそうな――だが、どこか申し訳無さそうな――ぎこちない微笑みだった。
「……ありがとう、えっと……怜莉」
怜莉はその顔を見るとマヤの頭を撫でていた手を自分の腰に伸ばし、軽く冷蔵庫の方へと振り向いた。
「さて、じゃあさっそくマヤのリクエストを聞いちゃおうかな。実は今、冷蔵庫の中にロクなものがなくてね。何か食べたり飲んだりしたいもののがあるなら近くのコンビニで買ってくるよ。何が良い?」
「えっと……そう言われてもな……じゃあ、とりあえずしょっぱいものが食べたい、かな……あと、飲み物は甘くなければなんでも」
「おっけ。じゃあ買ってくるからちょっと待っててね。とりあえずはまあ、その間好きにしてていいよ。と言っても、テレビとカラーボックスにある小説ぐらいしか暇つぶしできるものないけどね」
苦笑いしながらそのまま部屋にいるマヤに背中を見せ、部屋から外に出ようとする怜莉。
「あっ、ええと、あの、怜莉……」
と、そのときマヤが何かを言おうと口を開く。
「…………いや、ありがとう怜莉。これから……よろしく」
だが、怜莉が振り向くとマヤは再び迷ったような顔を見せ、次に少し疲れたような笑みを見せて言った。
「うん……よろしく」
怜莉はそれに対し落ち着いて微笑み返し、部屋を出る。
そして誰もいないエレベーターに乗り一階のボタンを押す。直後、彼女はエレベーターが下降すると共にトン……とその額と両の掌を扉横の壁面にすがるように預けた。
『大丈夫だって、僕はいなくなったりなんかしないさ。ずっと、怜莉のそばにいるよ』
脳裏に浮かぶ、黒のインナーの上にオレンジのジャンプスーツを着た、微笑みかけてくる女性の口元。
「……嘘、つき……っ!」
壁に、強く拳を叩きつける。
「私は……本当に、愚か者だっ……!」
続けてまた彼女は己への呪詛を吐く。そしてさらにもう一度、彼女は壁を叩いた。さっきよりも、大きな音がした。




