3.少女、逃げた少女と出会う
翌日もまた、怜莉は後輩達の羨望の眼差しを受けながら校舎への道を歩いていく。
彼女の姿に関わる事関わらない事どちらも等しくうるさく騒ぐ後輩達に向けて変わらず遠くから微笑む事を忘れずに。
彼女の笑顔にミーハーな後輩達の中には声を上げる者もいる。
節操のないその姿に怜莉は内心呆れつつも表情は変えずに校舎の中に入り、上履きに靴を履き替える。
「やっほー怜莉、おはよー」
と、ちょうど履き替えるために屈んでいたタイミングで後ろから明るく軽い声が飛んでくる。
友人の一人である八重だった。
「ああ、おはよう八重。玄関で会うのは珍しいわね」
「そうだねー。まあでも私じゃなくて怜莉はいつもより早いからじゃない?」
振り返った怜莉に青いジャージ姿の八重が返す。
八重は陸上部の活動での優れた成績を認められたスポーツ特待生である。
なので彼女は朝練で毎日早めに登校し、それなりに体を動かしてから学校に戻っている。
普段はその八重が校舎に戻る時間よりも少し遅れて怜莉は校門を潜っていた。
「あーまあね……今日はちょっと早く目が覚めちゃって。朝、特にすることもなかったから」
「……ふーむ……むむむ」
軽く笑って言った怜莉に対し、八重は訝しみながら顔を近づける。
怜莉はその顔に思わず少しだけ体を引く。
「……な、何?」
「いーや……別にっ」
すると八重はニカっと笑って怜莉の横を通り過ぎ自分の上履きをささっと履いて廊下を歩いてく。
「ただ、しっかり睡眠は取ったほうがいいかなって。体に悪いよー?」
そして数歩小走りで進んだかと思うと振り返り、目元に指を差してイタズラな笑みで言い、去っていた。
怜莉はそこでそっと指で自分の目元を撫でた。ねっとりとした感触がした。
「……余計なお世話。しっかり寝れるなら、最初からやってる」
軽く俯き先程とは違う、拗ねたような口調で呟く怜莉。
しかしその間も僅かで、彼女はすぐさま靴を履き替え校舎の廊下を踏み、そのまま教室がある三階へと歩みを進めていった。いつも通りの日常を送るために。
「……遅くなっちゃった」
日も沈み赤く焼けた空から星が顔を見せだす闇色の青へと変わり出す、そんな狭間の時間帯。
怜莉はスマートフォンで時間を確認しながら誰も居ないマンション前で呟いた。
いつもならもっと早く帰宅できているはずだったが、その日は学校で教師から頼まれ事をされてしまい、外面を取り繕っている彼女としては断るわけにもいかないなと受けていると運悪く次々と後輩や先輩に捕まりこうして今に至っている。
「はぁ……ま、点数稼ぎもたまには必要だよね」
落ち着き小さな声でため息をつきながら言う怜莉。
表情もどこか元気がない。
マンション前の街灯は壊れているのか、他の物は点灯しているのに彼女のいる場所だけ光がなかったのもその気分に雰囲気を加えて重くさせていた。
とは言え別に歩みを止めるわけでもなく、彼女はそのままマンション玄関の扉を開こうとする。
そんなときだった。
ガシャン! と近くから激しく、しかし軽い音がしたのだ。
それは大量の空き缶が潰され散らばる音とビンが衝撃を受けたときの音が混じったものだった。
ああそういえば明日は金曜日だからカンとビンを捨てる日だったな、まだ忘れてたな、なんてことを考えながら怜莉は音がした方向を――マンションの住人が使っているゴミ置き場の方へと目を向ける。
すると、そこには先程までいるはずのなかった人影があった。
「いつつ……」
その人影はハスキーな、だが可愛げのある声で呟いていた。
カーブミラーと街灯の間にあるゴミ捨て場の下にいたのは、少女だった。
だいたい十五歳に行くか行かないかぐらいだろうか、それぐらいの可愛らしくも綺麗な顔立ちで髪色は銀、前髪が切り揃えられている、いわゆる姫カットであり長さは肩をくすぐるぐらい、後頭部には紫のレースリボンが結ばれており、目の色は赤。服装はフリルが多めでリボンと同じ紫のゴシックドレス、身長は低めで女子にしては高めの怜莉と比べると頭二つ分くらい小さい。
そんなまるで人形のような少女が、街灯に照らされたゴミ置き場で頭をさすってカンとビンの入ったゴミ袋の上で尻もちをつく姿をカーブミラーに映していた。
なんでこんなところにこんな子が? いつの間に? そんな当然の疑問を怜莉は抱きつつも、思わず少女の元に近づき、声をかけようとした。
「……えっと、あなた大丈――」
「――ここが《表の地球》……思ったより、暖かいな……」
その瞬間、怜悧の体が、心が、凍りついた。
「………………………………は?」
表の地球。
妙なその言い回しに、怜莉は聞き覚えがあった。
「え……あ……ああっ……」
それは、かつてよく聞いていた単語だった。
それは、恐怖を呼び起こさせる呼び名だった。
それは、目を背けていた過去を再び見せる文言だった。
「ハッ……ハッ……! ハァ……! ハァ……!」
怜莉は一瞬にして呼吸が荒くなってしまう。
体中の筋肉がこわばり、動けなくなってしまう。
かろうじて動かせる左手で自らの胸元をぎゅっと握り、そしてその左手首を右手で自らでも痛みを感じる程に握る。
大きく口を開けて必死に酸素を取り入れようと呼吸を行う。
目を見開き、視線が離せなくなった眼前の少女に瞬きできなくなる。
一方で相手の少女もそこで怜莉の存在に気づいたのか、驚いた表情を見せ、すぐさま立ち上がって目を泳がせながらしどろもどろな様子で口を開き始める。
「……あっ。えっとその、ボクは……えーと……」
どうにか説明を考えようと目を泳がせている少女の姿。
だが、怜莉はすでに、ある一つの答えが頭の中で導き出されていた。
あとは、それを確かめるだけだ。
「…………あなた」
そして、怜莉は聞く。
聞いてしまう。
己にとってのトラウマと繋がる、そのワードを。
「え? えっと……」
「あなた……エレクティアン、なの?」
怜莉にとって最悪の答え合わせ、それが目の前の少女がエレクティアンだという事だった。
かつて彼女が訪れ、そして逃げた異世界エレクティアに住む者達の総称。
怜莉達デスティニーチルドレンにおいて、切っても切り離せない存在。
そんな命が、今、なぜか怜莉の住む街に、彼女の住むマンションの前に現れていた。
――ああ、なんで、なんで。
なんで私は、逃げたのに、もう関わりたくないって思って逃げたのに、またこうして、出会ってしまったの。なんで私は、結局私は、あの世界からは、“あの出来事”からは逃げられないのか――
「――………………………………あ、う、ああっ……」
怜莉の心が震え、パニックになっていたそのときだった。
なんと、目の前の少女もまた、目を大きく見開き顔を蒼白とさせたのだ。
「ど、うして……? どう、して……こっちに、知ってる人、が……? 嫌……ボク、せっかく、こっちに逃げてきたのに、そんな、嘘、嘘……」
目の前の少女は胸元に上げた手をわなわなと震わせていた。
その手や顔からは冷や汗が流れ落ち、呼吸も静かだがだいぶ荒くなっているのが分かった。
そこで、怜莉は気づく。
自分の前にいる彼女も、何かから“逃げてきた”のだと。
耐えられない何かに背中を向け、耳を塞ぎ、走り出してしまったのだと。
それに気づいた瞬間、怜莉はすぅ……と落ち着いていった。
先程まで自分を支配していた恐怖が、寒気が、苦痛が穏やかになっていった。
胸を突き破りそうなほどに鼓動を打っていた心臓は落ち着きを取り戻して来て、自らの手首を握りつぶしてしまいそうな力も抜けていった。
『――怖がりだね、怜莉は。大丈夫、僕が君を守るから』
代わりに湧いてきたのは、ずっと忘れていたある女性の優しい言葉、そして頼もしい姿。
直後、怜莉の心には今までとはまったく違う、ある想いが生まれていた。
「すぅー……はぁー……。………………ふぅ」
怜莉は静かに瞳を閉じ、とても小さく深呼吸する。
静まってきたとは言っても未だ震え、かつ硬直している体をなんとか自らの支配下に戻す。
そして一瞬ぎゅっと唇を噛み、歯を離すと共にゆっくりと目を開くと、相手を怖がらせないために強張り過ぎない程度に誠意のある表情を作って自らの内に湧いた気持ちを口にした。
「あなたも、逃げてきたんだね」
「……え?」
怜莉の言葉に、当然ながら目の前の少女は別種の驚きを見せる。そんな彼女に、怜莉はゆっくりと伝える。
「大丈夫……。私はあなたを、責めない。私は……あなたを肯定する」
「こ、肯定……? ボク、を……?」
自らの事をボクと言いながら少女はとても驚いた顔をしていた。
怜莉は表情を僅かに穏やかな笑みに移して相手を安心させるようにと言う。
「うん……あなたが何から逃げて来たかは分からない。でも、私も昔、逃げたから……だから、私とあなたは多分、一緒。同じく辛い事から逃げるのを選んだんだと思う。だから、私はあなたを許す。あなたのした事は間違ってないと、言う。私はあなたの選択を、否定しない」
ゆっくりと、小さな声で伝える怜莉。
すると目の前の少女は、恐る恐るといった様子で、怜莉の目を見る。
「いいのかい……ボクは、とても大切な事から逃げたんだよ……? ボクは、とても重い荷を背負っていたのに、それから、逃げたんだよ……?」
「……いいよ。だって、私だって世界がかかった戦いから逃げたんだから。でも今こうして世界は平和にある。そんな私だからこそ言える。私は……あなたの味方」
「あ……あ……ああああっ……!」
目の前の少女は怜莉のその言葉を受け、赤い瞳から涙を流す。
そして光の当たっていた街灯の下から、街灯の光の外にいる怜莉の下へと走りしがみついた。
怜莉はそんな彼女を優しく抱く。
「うああ……! ああああ……!」
怜莉の胸元で声を上げ泣く少女。
怜莉はそんな少女の頭を優しく撫でて、聞いた。
「……私は怜莉。深紅羽怜莉。あなたの名前は?」
「……マヤ。ボクは……マヤだ」
震えた小声で頭を埋めながら言うマヤ。
怜莉はそんなマヤの頭を彼女が落ち着くまで撫で続けた。
――私は、本当に、馬鹿だなぁ……。
気づかれないほどに小さく手を震わせて、そんなことを思いながら。




