5.少女、処世術を教える
スマートフォンから鳴り響くアラーム音は一秒も鳴り響かないうちに、怜莉の手によって止められた。
「んんー……」
ベッドの方から眠たげな声がする。
そこにはタオルケットを被っていたマヤの姿があった。
タオルケットから出ている彼女の体は刺繍レースの白い下着姿であり、着ていたゴシックドレスとレースリボンは綺麗に近くの床に折りたたまれている。
一方で、そんな彼女の姿を眺めつつも立ち上がる怜莉は学校指定の青いジャージ姿だった。
また彼女がそれまで寝ていたところには冬用の羽毛布団が敷かれており、他にも枕代わりにしたリュック、そして体の上にかけていた冬用の厚手の薄茶色のダッフルコートがあった。
「怜莉……?」
「ああ、ごめん起こしちゃったね」
瞼を重たそうにしながらも上体を起こすマヤに怜莉は言う。
「まだ朝の六時だし眠たかったらもっと寝てていいよ。昨日コンビニで買った梅おにぎりとお茶は私の勉強机の上に置いてあるから好きに食べて」
「いや、大丈夫……それよりも、怜莉は大丈夫だったの?」
「え?」
「いや、だって……やっぱりボクがベッドを貰ってそっちが床っていうのは、申し訳ないし、眠りづらかっただろうからさ……」
床にある怜莉の仮の寝床と彼女を見比べながらマヤは言った。
だが怜莉は柔らかい表情で顔を静かに横に振る。
「いや、問題ないよ。それに昨日も言ったでしょう? 私の方があなたを床で寝かせるのに耐えられないって。……まあでも、こうやってお互い気を使うのも確かに面倒だし、明日には週末だから家具屋にでも言って布団でも買おうか。幸い、貯蓄はあるしね」
怜莉はそう言うと服と一緒に段ボールが沢山押し込んであるクローゼットから下着を取り出す。
その際、クローゼットの奥にある古いクッキー缶が目に止まったが、彼女はそれを近くにあった変えのタオルケットで雑に覆ってすぐに取り出した下着片手に脱衣所に向かった。
そしてジャージを脱ぎ、黒の下着姿で彼女は脱衣所にある洗面台の鏡を見る。
脱衣所の電気に照らされた彼女の目の下には、しっかりとクマができていた。
「……あっちは暗かったし、バレてないよね」
ぬるい風が草木を優しく揺らす心地よい晴れ空の下で、今日も怜莉は変わらず他の生徒達と比べて浮いている。
誰も遠巻きに視線を送るだけで彼女に近づこうとしないが、彼女はそんな生徒達にいつものように微笑みかけてやる。
寝起きにくっきりとあったクマは見事にファウンデーションによって隠されている。
これなら先日のように八重にもバレないだろうと怜莉は自負していた。
「あっ……!」
と、そんなとき、怜莉の背中に誰かがぶつかって声を上げた。
怜莉が振り向くと、そこには自分よりも頭一つ小さい後輩の少女がいた。
「す、すいません……!」
少女は本当に申し訳無さそうに頭を下げてくる。人見知りな子なのだろうと怜莉は思った。
そんな彼女に、怜莉はニッコリと笑いかけた。
「いいえ、大丈夫ですよ。よそ見ぐらい誰にでもありますし、起きたばかりの朝なら尚更です。でも、ネクタイはもうちょっとしっかりとした方がいいかもしれませんね。うちは自由な校風とは言え、厳しい先生もいますから」
怜莉は柔らかな笑顔でそう言いながら目の前の後輩の緩んだネクタイをしっかりと結び直してあげる。
すると、その後輩は顔を赤くし「あっ、ありがとうございますっ!」と慌ただしく言って走って去っていった。
朝のそんな一幕に、周囲の後輩達はより盛り上がりを強くする。
一方、怜莉はと言うと心の中で複雑な気持ちになっていた。
――同じ年上としての顔でも、やはりマヤに向けた顔とは別の顔が出ている。これはいつもの顔だから変じゃないけど、でも、彼女の前だと……。
直後、彼女の頭にノイズのチラつきのように姿が浮かぶ。
マヤと会ってから頭から離れなくなった、あのオレンジのジャンプスーツの姿を。
「……本当に、情けないな子供だなぁ……私は」
怜莉は自分にしか聞こえないほどの小声で呟き、そのまま校舎に入っていった。
彼女の細かな異変に気づく者は、その場には誰もいなかった。
+ + +
翌日の土曜日。
怜莉はマヤを連れて街のショッピングセンターの二階に来ていた。
彼女は袖のない濃紺のワンピースの下に襟で首を隠す白いシャツという私服姿で、一方でマヤは変わらず紫のゴシックドレスである。
彼女の手元のスマートフォンには家具屋からの注文の確認メールが表示されていた。
「配送の関係で届くのは月曜らしいけど、安いベッドがあって良かったね。ただまだ捨てきれてないゴミ袋はどこに置いたものか……」
「まあ値段相応な感じではあったけどね。ボクが寝るやつだし気にしないけど」
「にしても、エレクティアから来たのに結構こっちの物とか金銭感覚に詳しくて驚いたよ。まさか私が教えられる側になるとは……」
怜莉達は先程まで主目的の家具屋に行っていたのだが、そこで家具を眺める際に怜莉が雑に買おうとするのをマヤが窘めるという流れになっていたのだ。
てっきりマヤにはこちらの常識はないと思っていた怜莉だったので、逆に彼女から注意される流れはもしかしたら情けない姿を見せてしまったかも、と心配になるぐらいだった。
「別に変なことじゃないよ。ボク達エレクティアン――もといエレクティアがこの表の地球で情報社会が構築された事をキッカケに生まれたのは怜莉も知っているだろう? こちらで蓄積された情報が反映、連環される訳だしボク達エレクティアンは多かれ少なかれこちらの事はある程度知っているのさ」
「ああ、そういえばそんな話だっったね……。可能性世界の拡散がなんたらとか、ESP能力が時空間にどうこうとか、集合的無意識が云々とか……インパクトがあったワードが連呼されてたから無駄に覚えているけど、当時十歳だった私に理屈部分はちんぷんかんぷんだったよ」
恥ずかしげに笑いながら言う怜莉。
それに対しマヤは軽く首を横に振る。
「仕方ないよ。エレクティアの成り立ちは大分ややこしい話だしね。それにボクだって人の事は言えない。知識としては持っていても、実際にこっちにあるものを目にすることで学んだり考えを改めたりする事は多いし。というか、これから行く先はまだボクは必要性を感じないし」
マヤが訝しい視線を向ける。
その先には、ショッピングセンターの中に並ぶ店の一つとして、洋服店があった。
「おや、先日だってその可愛い服を脱いで下着で寝る事になったでしょう? こっちで生活するに際して、服は必須だよ。これはさっきも言ったじゃない」
怜莉は家具を購入した後のさらなる目的として、マヤの服を買いに来ていたのだ。
だがマヤは怜莉のその説明を聞いてもなお難しい顔をしていた。
「そうだね。でもボクの服はボクが持ってるエレクティアンとしてのエネルギーを使えばいつでも新品同様にできる。わざわざ服を変える必要なんてないよ」
「うーん、ちょっと勘違いしてるねマヤは」
怜莉は軽く顎に指を当てながら言った。
「勘違い? どういうこと?」
マヤはそんな怜莉の言葉に不思議そうな顔で聞く。
「いい、私達がこれから服を買いに行くのは何も普段を清潔に過ごすためだけじゃない。もちろんそれもあるけれど……それ以上に、マヤが『こっちに溶け込み隠れる』ために必要なんだよ」
「溶け込み、隠れる……?」
より分からないと言った顔で自分より高い位置にある怜莉の顔を覗き込むマヤ。
怜莉はそんなマヤに立ち止まってピッと手首だけ動かし指を差してみた。その指先にマヤが目線を向けると、そこには立ち並ぶ店の一つとして家電量販店があった。
「例えばあそこの店員、みんな同じ制服を着ている。あれでみんな同じ店の店員っていうのが分かるよね」
「そんなの当たり前じゃないか。確認する必要すらない」
マヤは不機嫌そうな顔をして言う。
きっとバカにされているように感じたのだろう。
だが、そんな彼女に怜莉は僅かに微笑みを見せる。
「そうだね、当たり前だ。じゃあここで聞いてみよう。その“店員”という情報以上に、彼ら彼女らが“何者であるか”を、マヤは汲み取れるかい?」
「何者で、あるか? 確かに、それは……」
マヤは言葉に詰まってしまう。
確かに、彼女が目にする者達はあくまで“家電量販店の店員”以上でも以下でもなかった。
怜莉はそんなマヤに対し、微笑みをシニカルなものにして見せる。
「他にないでしょう? 人間の社会において見た目は対象の認識において非常に大きな意味を持つ。所属、趣味嗜好、時には恐怖という感情すら……そういった自分が『所属したい属性』を操れるのが服だ。そして……私達のような卑怯者は、とりわけ意識しないといけない」
そう言う怜莉の顔は余計にシニカルになり、言葉には自虐的な嗤いが混じっていた。
「私達は戦いから逃げ出した。その本性を私達は隠さないといけない。こいつは卑怯者だと気づかれちゃいけない。だって、世界に弱者の居場所はないからね」
「弱者の居場所はない……か」
表情を変えずに俯く怜莉にマヤもまた瞼を軽く下ろす。
「そう。私達は自分で逃げを選んだけど、その根っこは臆病者だから他人からの目には結局弱い。だから弱点になる本性は隠さないといけない。じゃないと、私達はいつまでも追い立てられる。間違いを正そうとしてくる。なのに、その服はさすがに目立ちすぎるからね」
苦笑してマヤの服を見ながら怜莉は言った。
マヤは彼女の言葉と視線を受けて、ゴシックドレスのスカートを掴み軽く持ち上げる。
「……なるほど、確かにね。ボクのこの格好は、生まれたときから持っていたボクの『特性』によって与えられたものだ。ボクはそれを疑問にも思っていなかったけど……ボクは自分の役割から逃げた。だったら、もうボクはボクである必要すら、ないのか……」
そう言って少し俯いたマヤ。そこから彼女は顔を上げ、寂しげな笑みを怜莉に向けた。
「分かったよ。つまりボクはこっちでは“ただの少女であれ”という事なんだね。それはそれで気が楽だな。前は結構煩わしい立場にいたから、その他大勢になれるのはむしろ歓迎だ」
マヤの言葉に、怜莉は微笑み、しかし暗さがある表情で頷いた。
「ええ。そうと割り切れば楽なものだよ。自分を作る、っていうのは」
「自分を……作る……」
反芻するマヤ。
怜悧は彼女に今度はニッコリ笑いかけた。
「うん。まだしっくり来ないかもだけど、いずれ分かるよ。弱者なりの楽な生き方、っていうのをね。じゃあ、その一歩としてさっそく見て回ろうよ」
怜莉はそう言うとマヤの手を引いて再び洋服店に歩き始める。
マヤも引かれるままに彼女について行き、大して距離もなかったためすぐにショッピングセンター内では比較的大きめな洋服店に辿り着いた。
「では“未だ何者かである”マヤさん。新しい自分を作るために、服を探そうか」
「ふふっ、なんだいその言い回し。分かったよ、じゃあせいぜい“ボクを有象無象にしてくれる”お手頃な服でも探すさ。少なくともさっきの家具屋の事を考えるに、金銭感覚に関してはボクが考えたほうがマシっぽいしね」
悪戯な笑みで言った怜莉に対しマヤもまた悪戯な笑みで返した。




