13.少女達の閉じた安らぎ
ガタンゴトンと、電車の緩慢でありふれた揺れが体を揺らす。
車内はほとんど人がおらず、窓から見える外は田畑や緑が広がる田舎の光景そのものである。
怜莉は、そんな電車の座席に座っていた。
彼女の横には、怜莉の肩に頭を預けてうたた寝をしているマヤの姿があった。
「……ふふ。可愛い寝顔だなぁ」
怜莉はマヤを起こしてしまわない程度に小さな声で呟く。
そう言う彼女はとてもリラックスした表情をしていた。
二人は今、東京から外れた西側へと当てもなく彷徨い続けていた。
あの日、二人ですべてから逃げようと誓ってから二日が過ぎた。
彼女らはそうと決めると、いくつかの私服と替えの下着、ついでに寒くなったとき用の上着や折りたたみ傘をカバンに詰め、あとは財布とスマートフォンだけ持って飛び出した。
どこかへ行こうという目標は決めず、ただ街を歩き、目についたバスに乗って、何も考えず電車を乗り回した。
そうしていくうちにいつしか二人は東京を出て、じゃあもし野宿するとなったとしたら温かい方がいいよね、ならとりあえずこのまま西に行こうか暖かそうだし、ならあの電車は良さそうだ、といった具合にとりあえず西に向かう電車を乗り継いでいる。
その程度の本当に無軌道な逃避行生活を送っていた。
今、自分達がどこにいるのかすらも二人はよく分かっていない。
たどり着く駅の名前はまったく馴染みがないし、そこからさらに勘で電車やバスを乗り継ぐものだから、まともな経路も何もあったものではなかった。
それでも、怜莉もマヤも、今はとてもすがすがしく、楽な気持ちだった。
傷を舐め合う相手がいれば、それでいい。他の物は重いから、何もいらない。
彼女らは、そうして完結してしまっていた。
「くぅ……すぅ……」
「……くすっ」
怜莉は横にいる寝息を立てるマヤの頬を人差し指でつつく。
ぷにぷにとした白肌が、指を軽く弾いてくる。
それがなんだか面白くて、怜莉はニコニコとしていた。
「……んんん。怜莉ぃ……」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
マヤがうたた寝から目を覚ます。
周囲を軽く見回して、重たそうな瞼を指でほぐす。
「えーっと……今、どこらへん?」
「んー、分かんないや。マヤが気持ちよさそうに寝てて可愛かったから、アナウンスとか聞いてないもん」
「そっか。じゃあ次もテキトーな駅で降りればいいか」
「だね」
二人は穏やかに笑い合いながら電車に揺られる。
それからしばらくして、二人は本当に特に何も考えずに数駅先の駅で降りた。
理由はホームの看板が目に止まったから。その程度である。
そして駅を降りると、さらに人は少なかったのだがちょうど駅前のバス停にバスが来ていたので、それに乗った。どこへ行くバスかも確認しておらず、ただバスに揺られたい、それだけだった。
彼女らはバスの最後尾の座席に乗る。
座席全部を見渡せるその席からは、殆ど客が乗っておらずローカルな路線なのが見てすぐ分かった。
「……昔、まんまこんな感じの映画を見たなぁ」
十分近くバスが走っている中で、怜莉がふと言った。
「映画?」
「そう。ちょうどエレクティアに飛ばされる直前、あの夏休みの頭くらいだったかな。父さんが映画好きでね、たまにDVDとかブルーレイとか見せてもらってたんだ。それでその映画にちょうど、こんな感じでバスで逃げていくオチのやつがあったの」
「どんな話だったの? それ」
「んー、それこそいろいろと大変になる前に見たやつだし小学生のときの記憶だから細かいとこはあやふやなんだけどさ、最後はすっごくよく覚えてるの。映画の最後で主人公が望まぬ相手と結婚させられそうになってるヒロインの結婚式に乱入して、大暴れして連れ出すんだ」
「ああ、『卒業』かな。有名だよねそのシーン。こっちの人々がよく話題にするからか、エレクティアンのボクでも知識としては知ってるよ」
「うん。でもね、私にとってはそこより先が印象に強いんだ」
怜莉はバスの扉の方に視線を向ける。
ちょうどバスが停車し、乗っていた客が降りているところだった。
「二人はしがらみから逃げるために、近くに停まっていたバスに駆け込んで私達みたいに最後尾に座るの。自分達を縛ってたモノから逃げれて、二人は笑い合う。でもね、その後二人はどんどんと不安そうな顔になっていくんだ。それが、ずっーと映って、それで終わるの」
「……勢いで行動したけど、冷静になったら自分達には未来がないって思っちゃったのかな。なんていうか……思ったより暗いオチだね」
マヤは目線を下げ少しトーンダウンした様子で言った。
怜莉も「そうだね……」と静かに返す。
直後、客を降ろしたバスは発車し再び動き出す。
だが怜莉は続けて、暗い面持ちのマヤの方を向き笑って首をゆっくりと横に振った。
「でもね、今思うと、あれってバッドエンドじゃないんじゃないかって、むしろハッピーエンドなんじゃないかなって、私は思うんだ」
「……それは、どうして?」
ゆっくりと聞き返すマヤ。
怜莉は少し遠い目になって、バスの天井の方に目を向けて語りだす。
「さっき言ったように映画の大筋は忘れちゃったけどさ、でも、主人公が凄く辛そうだったって印象はよく覚えてるの。……やりたいこと、何もできなくて、流されるまま生きてて、モヤモヤしてた……確かそんな感じだったはず」
ところどころ記憶を掘り起こすように、ゆっくりと語る怜莉。
彼女の言葉に、マヤはしっかりと耳を傾けている。
「でも、そんな主人公が最後に自分のやりたいように動けて想いを果たせたってのは、それは凄く、幸せなんじゃないかなって、今なら私、そう思えるんだ」
怜莉はそこで再びマヤの方を向き、そっと彼女が膝に置いていた手に自分の手を重ねる。
「確かに未来はお先真っ暗かもしれない。でもさ、隣に、そんな自分に一瞬の感情でもついて来てもいいって人がいてくれるんだから、それだけで、彼は今までの人生で一番自由になれてたんじゃないかなって……私は、今ならそう、思えるんだ」
「……怜莉」
怜莉はマヤの目を見て、マヤもまた怜莉の目を見つめ返す。
どこかまだ不安げなマヤに、怜莉はニッコリと笑った。
「大丈夫だよマヤ、私は後悔なんてしてないから。だって、七年ぶりなんだよ? 私がこうして誰かに素の自分を出せてるのは。出してもいいって、思えたのは」
怜莉の笑顔は、今までマヤに見せたどんな顔よりも柔らかく、落ち着いて、安らぎに満ちていた。
そのまま怜莉は、マヤの手をそっと包み込むように握る。
「未来で言ったら、それこそ私達だってどうしようもないよ。終わってるよ。好転する要素なんてなーんにもない。だって問題の解決から逃げてるんだもの、そりゃそうだよ。でもね、マヤは許してくれた。一緒に逃げようってマヤが言ってくれて、私はすっごく、救われたんだよ」
怜莉はそこで、微笑みは維持しつつも僅かに表情を暗くする。
「本当はね、最初の頃、私、自分に呆れてたんだ。一度大きな失敗をして、罪を犯したのに、またセレーネの真似事をしてる自分にさ。本当に、諦めが悪い、学習しない馬鹿な子供だなって。でもね、それで私はこうして、マヤと一緒になれた。マヤに救って貰えた」
顔を上げた怜莉は既に暗さはなく、とても落ち着いた微笑みに戻っていた。
「だからね、こんな罪だらけで、救いようのない女でも、ちょっとぐらいならできることがあったんだって。私はそう思えることができた。だから、ね……」
一旦言葉を区切ると、そっとマヤの手を上げて、満面の笑みで怜莉は言った。
「ありがとう、マヤ。私を……ちゃんと見てくれて」
心からの、怜莉のお礼だった。
すると、彼女の言葉を受けたマヤの目からつつっと、涙がこぼれ落ちてくる。
表情は辛そうにしているが、でも、決して負の辛さじゃない、むしろ、正の方向に辛い、そういった顔に、彼女はなっていた。
「それを、言ったら……ボクの、ボクの方こそ、怜莉に救って、もらったんだよ……。怜莉が、ボクを、ボク、を……ボクとして、見て、逃げたの、肯定してくれたから……初めて、ボクを見てくれたのが、怜莉、だった、から……!」
マヤは泣いてうまく喋れなくなっていたが、それでも怜莉に気持ちを伝えようと、途切れ途切れの小声で言葉をなんとか紡いでいく。
怜莉は、それを黙って、決して握った手を離さずに聞いていた。
「ボク……生まれた、とき……から……エレクティアンだから、こんな、最初から、意識、あったけど……でも、ずっと、ずっと……みんな、ボクの事、尽きないエネルギーってしか、見て、なくて……!ボク、も、そう見られるの、当たり前、だった、けど……!」
「うん、うん」
ただ頷くだけの怜莉。
でも、マヤにとっては、それがありがたかった。
「でも、本当は、嫌だった……! ボク、は、ボクなのに、誰も、ボクなんて、見てなくて……ボク、人の、争い、やだ、だから……そういうの、言うのも、怖くて……人に気持ち、伝えるの、本当に、本当に、怖くて……期待、裏切りそうなの、怖くて……辛くて……!」
「うん……」
「我慢して、て……でも、そしたらみんな、ボクで、喧嘩するように、なって……争うの、始めて……ネオザナドゥとか、デスティニーチルドレンとか、話、どんどん大きくなって……ボク、もう、もう、耐えられなくなって……でも、誰も助け、くれなくて、それで、限界で……!」
「……うん。大丈夫、私は、ここにいるよ」
マヤの言葉は、もう聞き取るのがやっとぐらいに涙声と混ざっていた。
でも、怜莉にはちゃんと彼女の言葉が届いていた。
だから、一言そう伝えた。
自分は決して離れない。それを、彼女に伝えた。
「そんなとき……怜莉と、会えて……ボクが辛くしてるの、分かって、貰えたの……見て、貰えたの……始めて、で……だから……」
マヤの言葉は、先程の怜莉の言葉からだんだんと落ち着き始めていた。
涙声も静まってきて、流れる涙も量を減らしていった。そして、言う。怜莉に向けて、満面の笑みで。
「ありがとう、怜莉。ボクを……初めて見つけてくれて」
彼女のその言葉で、二人はコツンとおでこを合わせる。
手は互いに指を絡め合わせる、そんな程度で。
いつしか乗客がいなくなっていたバスの中で、二人は落ち着くまで、そうしていた。




