10.少女達、後悔する
二人部屋に残されたマヤと流海は、気まずい沈黙に包まれていた。
マヤの知っている流海は、とても快活でバカみたいに明るい女だった。
少なくともエレクティアで会った彼女はそうだったと、マヤは記憶している。
だが、今の流海にそんな気配は一切感じられない。
ただ、暗い顔で両手を膝の上につきながら俯いているだけである。
「……怜莉とは、仲が良かったの?」
「え……?」
それゆえだろうか。
マヤは流海に質問していた。
普段ならそういった質問はしないように心がけていた彼女だったのだが、なぜだかつい聞いてしまったのだ。
「ああ、いやごめん。答えたくなかったら、別に……」
「……いや、大丈夫。……うん、そうだね、良かったよ。あのときのアタシ達は、親友だった。……親友だと、思ってたよ。勝手に」
流海は、顔を上げて遠い目で語りだす。
きっとその先には、幼い頃の日々が映っているのだろう。
「アタシ達はさ、家が近くて、いわゆる幼馴染だったんだ。でも昔の怜莉ってすっごい引っ込み思案で、怖がりで、泣き虫で、その癖寂しがり屋で。公園に来てるのに遊ばないでベンチで一人本を読んでるような、そんな子だった」
「あの怜莉が……」
マヤは驚く。
確かに怜莉は自ら顔を作っていると言っていた。
きっと、自分に向ける顔も作り物なのだろうとしっかりと分かっていた。
でも、それでも彼女の口から語られる怜莉の姿はいまいちピンと来なかったのだ。
「アタシはそんな怜莉が気になってしつこく絡んでさ。何回も追い返されたけど、そんなのお構いなしに繰り返しちゃって。まったくガキ過ぎるよね。でも、そのおかげで怜莉もいつの間にかアタシと話してくれるようになって、小学校からはだいたい一緒にいるようになって……」
そこで、流海の言葉が僅かに止まる。
数秒間、そうして押し黙っているのを、マヤはただ静かに待つ。
「だいたい私がいつも強引に怜莉を連れ回してて、あのときも、そう……私達がエレクティアに飛ばされた、あの日……海の見える別荘にみんなで行くなんて絶対楽しいからって無理に一緒について来て貰って……夜もみんなで肝試しだって、外に連れ出して」
ようやく出てきた流海の言葉。
彼女が重い口をなんとか頑張って動かしているのが、見ていてもよく分かった。
「最初はびっくりしたけど、でも、私はニケと出会って、怜莉はセレーネと出会った。それでお互い、いい感じに仲良くやって、大変だったけど……楽しいって、そう思ってた」
自らの左腕に巻かれているひし形のブレスレット、ランチャーギアを撫でながら言う流海。
人とエレクティアンの絆を結ぶそのアイテムを、マヤは怜莉の家で見たことがなかった。
でもそれを口にすることはなかったし、考えないようにもしていた。それで平和だったから。
「怜莉は本当にセレーネに懐いてたし、セレーネもかなり怜莉の事を可愛がってた。本当に仲良し姉妹って感じだった。だからこそ……アタシ達は、遅れちゃいけなかったんだ。あの日、あの時。セレーネが怜莉を庇って死んだ……あの痛いぐらいに降ってた、雨の夜に」
「何が……あったの。怜莉とその、セレーネっていうエレクティアンに」
ゆっくりと重い言葉を紡ぎながら、マヤは聞く。
救われたエレクティアでは語り継がれずに消えたエレクティアンについて。
だが、流海は静かに首を振った。
「軽々しくは言えないよ、アタシみたいな奴からは。言えるのは怜莉がセレーネと本当に絆が深かった事。そして、セレーネがいなくなった後、新たなバディを探す気力なんて一切なくなるほどに、塞ぎ込んでた事、そんな遠巻きから見てたら誰でも分かる事だけ」
ランチャーギアを持つデスティニーチルドレンがバディとできるエレクティアンは一人に限らない。人とエレクティアン、それぞれの絆が深ければバディの契約を結ぶ事ができるのである。
実際、それで複数のバディと契約しているデスティニーチルドレンもいることをマヤは知っていた。
だが、やはり怜莉はその権利を使う事はなかったと流海は言っている。
今までの彼女を見ていたら、それは当然だろうと、マヤは思った。
「怜莉の心の傷の深さを、苦しみをちゃんと理解してあげられないで、きっと立ち直ってくれるなんて無責任に信じて、楽観的に見て、ちゃんと寄り添えないで、助けてあげられなかった、そんな、勝手に親友面してた、バカな、アタシ、には……」
言葉の最後から、流海の言葉は震えていた。
目には涙が浮かび、膝上のぎゅっと握られていた手は震えていた。
「それで結局、怜莉は壊れちゃった……私達から離れて、エレクティアから帰ってきた後も、しばらく家から出てこなくなっちゃった」
「引きこもってた……? あの、怜莉が……?」
再び、マヤは驚く。
同時に、自分は思った以上に怜莉の外側しか見ていなかった事を思い知らされる。
「うん、あの小学四年の夏から小学五年生の終わりまでの一年半まるまる。それで、六年からはどこかに転校しちゃったの。そしてあの夏から七年間、今日までアタシは彼女と一回も会ってなかった。……まったくこんなアタシが友達だなんて、自惚れが過ぎるよね」
「流海……」
自嘲気味に笑う流海。
とても辛そうに笑う彼女に、マヤはなんと声をかけてやればいいか分からなかった。
「……それにしても、怜莉、本当に変わっちゃったな。あんなに冷たく歪んじゃうなんて、やっぱり、アタシがもっと――」
しかし、流海がそんなことをこぼした瞬間、マヤは今までの同情が、これまで感じたことのない感情がに反転し湧いてくるのを感じた。
胸がムカムカする。
頭がぐるぐるする。
味わったことのない怒りが彼女の口を動かす。
「――本当に思慮が浅いんだね流海は。あの怜莉を見て歪んだなんて言うとかさ」
「……え?」
今度は流海が驚愕の顔を浮かべた。
一方、マヤは止まらない。止まれない。
「本当に怜莉が他人の事をなんとも思ってないクズになったとでも思ってるのかい? ハッ! それはそれは本当に友達思いだね。昔の友達の姿ばっかり追いかけて今の彼女の事を何も理解しようとしていない。ただ目の前の冷たさだけ見てショックを受けて悲劇のヒロインごっこか何かかなプリンセス?」
こんなに口が回ったことなど、今までマヤの人生ではなかった。
彼女は今まで、ずっと誰かに使われ、それを我慢するという生き方をしていた。
目の前の相手が傷つかなければいい、争いにならなければそれに越したことはないと、そう思って生きていた。
「もし怜莉がそんなクズになってたとしたらボクの事を拾ってくれてるわけないだろう? ちょっと考えれば分かるだろう? 考えが至らなさ過ぎるんだよ君は。向こうで先輩風吹かせてたときはそれも愛嬌扱いだったけどこと今回に関しては最低最悪だね!」
地球に来ても、それは変わっていなかったはずだった。
怜莉とお互い踏み込まれたくない部分には触らず見えている事からも目を逸らしながら過ごす。それが悪かったとは思っていないし、だからこそ自分達はやってこられた。それでいいと思っていた。
だが、先程の流海の言葉で今までのそのすべてを否定された、そんな気がマヤはしたのだ。
「怜莉はね凄く優しかったよ! ボクが一番欲しかった言葉をくれて受け入れてくれてそれで彼女は……!」
と、そこまでまくし立てて、やっとマヤはハッっとした。
唖然としている流海を見てあまりにも熱くなって我を失っていた事に気づいたのである。
「……ごめん、ボクとした事が熱くなり過ぎた。ちょっとボクも頭を冷やしてくる」
マヤはそう言って部屋を出る。
そして、怜莉が向かったトイレに彼女も歩き出した。
「……まったく、我ながらよくあんな偉そうな事が言えたものだね。ボクだって、本当の怜莉っていうのを見たことなんてない癖にさ」
とても苦々しい顔でマヤは自らに言う。
自分は自分を救ってくれた怜莉の事を何も知らない。それを改めて突きつけられ、今までは特に気にしていなかったそれが、マヤの心をかき乱していた。
「……あ」
と、そんなとき、ちょうどトイレの入口で、マヤは怜莉と出くわした。
怜莉の顔に先程の部屋の中のような毒気は一切なかった。だが、同時に今までの気丈さも感じられなかった。
今の彼女は、まるで死人が歩いているようにすら見えるほどに生気が感じられなかった。
「怜莉……」
「……ごめんね、マヤ。幻滅しちゃったかな」
だが、そんな怜莉から出たのは、謝罪の言葉だった。
「え……?」
マヤは言葉を失った。
先程まであんなに荒ぶっていた彼女が、今はマヤに優しく苦笑しながら穏やかな口調で言っているのだから。
「あんなに粗暴な姿を見たら、仕方ないよね。本当に、ごめん……でもやっぱり、ああしないとあの二人は、踏み込んできちゃいそうだったからさ……それと、もう一つ。私じゃ、やっぱり、マヤの事、守ってあげられないと思う」
「守って……え……?」
なんとか微笑みながらも、顔には昏さが満ちている怜莉の言葉に、マヤは困惑する。
だが、怜莉はそんなマヤの様子にも気づかず続ける。
「さっき襲われたとき、私は何もできなかっただろう? 私は、戦う力がないから……何も、できないから……だから、きっと、流海達の側にいたほうがきっと、安全だよ。帰らなくていいとは思うけど、でも、今は……とりあえずっていうか……とにかく、さ……」
笑みがもはやあからさまに無理をしているのが分かる声と顔で言う怜莉。
よく見れば、彼女の目元は赤く腫れ、かつ大きなクマができていた。そして、前髪や顔の横から垂れる髪の毛先から水滴が垂れている。同じようにブレザーの襟も濡れている。
それはトイレの手洗い場で乱暴に顔を洗ったということを意味していた。
そこでやっとマヤはやっと気付いた。
マヤが起きると必ず先に起きていた怜莉。でもそれは、ただマヤより早起きしていたわけではなかったのだと。
ずっと、眠れていなかったのだと。
エレクティアンであるマヤが横にいて、まともに眠れているわけがなかったのだ。
これまでも何度もあったであろう過去のフラッシュバックに苛まれる夜が、自分が来てからはより味わっていたのだろう。
いつもそれを彼女は化粧で隠し、何気ない素振りで、日々を過ごしていた。
それが彼女の処世術の一つだったのだと、マヤは気付いた。気付いてしまったのだ。
「……怜莉」
「ん? 何かな、マヤ」
「…………」
マヤは悩む。
その言葉を口にして良いのか、悩む。
だが、そんなマヤの逡巡をハリボテの笑顔で待っている怜莉を見て、マヤは決意を固めた。
「……一回、二人っきりで話したい。無理……かな、ごめん」
なんとか言葉を振り絞ったものの、やはり最後に自信のない言葉がついてしまい、ままならなさをマヤは感じる。結局弱さは克服できないのだと叩きつけられる。
一方で、怜莉はその言葉に一瞬驚くように目を見開いた。
だが、すぐさままた笑顔を作って応える。
「……いいよ。じゃあ帰ろうか、私の部屋に」
怜莉はそう言うと、カラオケ店の出口に向かって歩き始める。
マヤもそれについていく。彼女が“私達の部屋”ではなく“私の部屋”と言ったことに傷つきながらも、黙って。
だが、途中にある先程まで自分達のいる部屋にさしかかると、マヤは小走りで怜莉の先に出た。
先にある部屋に、怜莉とは話させたくない相手がいたからせめて自分が対応しないとという、そういう気持ちから出た行動である。
「ごめん流海、私達帰るから。会計よろしく」
「え、えっ!?」
マヤがもう怜莉と話させたくなかった相手――流海はあからさまに困惑し立ち上がる。
怜莉もまたマヤがそんな積極性を見せた事に驚いたが、今は面倒事に対処する元気がなくなっているのかそのまま無言で去ろうと歩いていく。当然マヤも、その隣についていく。
「ま、待って!」
と、そのとき、流海が部屋から出てきて二人を呼び止めた。
必死さが分かる声と速さだった。マヤは心の中で舌打ちをした。
「怜莉……一つだけ、聞かせて。本当に、セレーネの事はもう、なんとも思ってないの?」
「………………さぁね」
長い沈黙の後、怜莉は答える。
僅かにマヤとは反対側の方に首を動かし、長い髪に隠れマヤからは顔が見えず、流海からは口元ぐらいしか見えない。そんな角度で。
「でも……もしセレーネが今、生きてたとしても……こんな醜くなった私はもう、守って貰えないだろうね」
そして、そう言い残して去っていった。
「……あ、ああ……あ……」
彼女の残した言葉に、震える流海の声が聞こえる。
振り向くとそこには瞳には涙が滲み、今にも倒れてしまいそうな気配が見て取れる彼女がいた。
「……行こう、マヤ」
「うん……」
怜莉の言葉を受け、流海を残しマヤも歩き出す。
「……ごめんね、レイちゃん……私、本当に……最低、最悪だ……」
流海が後ろで小さな声で言っていた後悔の言葉は、マヤにしか聞こえていなかったようだった。
+ + +
怜莉は戻った部屋のベッドに腰掛けていた。
部屋に電気はついておらず、カーテンも閉めていない窓から入る月明かりが、ほのかに部屋を照らしていた。
――もう疲れた。楽になりたい。でもこれが最後だろうし、あとちょっとだけ頑張らないと。
怜莉は横に座るマヤを見ながら、そんな事を思っていた。
「……それで、話って?」
怜莉は優しくマヤに聞く。
何を聞きたいのか、それはもう分かっているつもりだった。
でも、しっかりと彼女の言葉で言うのを聞いてあげたかった。結局無理だったのなら、それはそれで楽だし、と。
「う、うん………じゃあ……教えてよ。その……セレーネっていう、怜莉の、『バディ』の事」
「……だよね、やっぱり気になるよね……セレーネの事」
怜莉はマヤから目線を逸らし、黒の靴下越しに自分の足の指先に視線を送る。
「……ちょっとだけ、待ってね。……すぅ……はぁ……」
マヤに断りを入れてから、少しだけ呼吸を落ち着ける。
少しだけそうして時間をかけて気持ちを整え、怜莉は話し始める。
この七年間、ずっと胸の奥に閉じ込め、封じきれていなかった過去の事を。




