89話 侍女はいつも通り
アウムドラでの一件は、ひとまずの決着を見た。
王子の暴走は止まり、王は玉座へ戻り、戦争は回避された。
メイリークにも、その父にも、そして王本人にも深く感謝された。
あの後、儂らは、フィーゼルマインへ戻る際には、手厚すぎるほどの見送りを受けた。
英雄のような扱いである。
そうして帰国した後は、父上と兄様へ事の顛末を報告した。
父上も兄様も、かなり本気で褒めてくれた。
宰相殿ですら、「見事でした」と短いけれど褒めてくれた。
……まあ、その後に、「大胆なところはもう少し抑えていただきたい」と付け加えられたが、それはいつものこととして流した。
なにはともあれ。
大きな事件は一段落して、ようやく日常が戻ってきた。
「くはー……」
儂は、私室の寝台へうつ伏せになって、気の抜けた声を漏らしていた。
体中のあちらこちらが痛い。
筋肉痛と、先の戦いの疲労が溜まっていた。
日頃から鍛えているものの、オーバーワークをすればこうなる。
そして、そんな儂の疲労した体へ、ちょうどよい強さで指を入れてくる者がいた。
サリーだ。
「そこじゃ、そこそこ」
「承知いたしました、アリエル様」
「あー……こういう時のマッサージは最高じゃのう」
「あぁ……アリエル様にマッサージをしてさしあげられるなんて、最高です!」
声音は穏やか。
だが、なぜか息が荒い。
「はぁ、はぁ……アリエル様の御身はなんて柔らかい……はぁ、はぁ……」
「怖いから息を荒げないでくれ」
「はぁ、はぁ、はぁ……ふふ♪」
「これは聞こえておらぬのう……」
完全に自分の世界へ行っていた。
正直、身の危険を感じなくはない。
とはいえ、サリーの腕は本物だ。
気持ち悪い吐息はともかく……
指の入り方が絶妙で、本物のマッサージ師……いや、それ以上。
聞けば、いつか儂の体を合法的に思う存分触るために勉強していたのだとか。
……うーん、妙な方向に情熱を入れすぎている。
ただ、気持ちいいことは確か。
「くはー……」
もう一度、本気で気の抜けた声が出てしまう。
「効くのぅ」
「ありがたきお言葉です……はぁ、はぁ……」
「だから息を荒げるでない」
「うふふ♪」
「笑いもダメじゃ」
まあ、いいか。
気持ちいいのは確かだし、さすがに、これ以上変なことしないだろう。
そう思って身を任せているうちに、瞼が重くなってきた。
うとうと。
儂はその睡魔に抗うことができず、ゆっくりと目を閉じた……
――――――――――
温かな春を再現したかのような、とても穏やかで綺麗な場所。
気がつけば、儂はそんなところにいて……
「母様!」
そして、母様がいた。
あぁ、夢か。
すぐにそうわかるのだけど、でも、夢でも母様に会えるのは嬉しい。
儂は笑顔になって、たたた、と駆けていく。
「久しぶりですね、アリエル」
母様は儂の頭を優しく撫でてくれる。
「がんばっているようですね」
「うむ! 儂、色々とがんばっておるぞ!」
母様は、くすりと笑った。
「あら、今度は抱きつかないのですか?」
「む」
一瞬だけ言葉に詰まる。
「儂は成長しておるからのう」
「そうですか?」
「そうじゃ」
強がってみせたものの、本当は抱きつきたい。
わりとかなり抱きつきたい。
夢の中とはいえ、母様は母様なのだから仕方ない。
元黒騎士ではあるのだが……
半分は王女であり幼女なので、親を求める子の心が抑えられない。
けっこうな葛藤があった。
そんな儂の内心など、母様にはお見通しらしい。
「いらっしゃい」
「むう……」
「私がアリエルを抱きしめたいわ」
「そ、それは……」
「ダメですか? アリエルを抱きしめられないと、悲しいわ」
「し、仕方ないのう。母様が言うから、仕方なくじゃ」
「ええ、仕方なくですね」
抱きついた。
柔らかい。
温かい。
懐かしい。
それだけで、胸の奥に溜まっていた色々なものが少しほどけた気がした。
「いつもがんばっていて、偉いですよ」
「にへへ」
「がんばっているあなたを誇りに思います」
「ありがとうなのじゃ」
「……」
「……」
静かな時間。
でも、それも心地いい。
「ただ……少し心配でもあります」
「む?」
「アリエルは王女だから仕方ないところもありますが……でも、一人で抱え込むことが多いから」
「それは……」
「立場を気にすることのない、友達がいたらいいのに」
「友……のう」
考えてみる。
うーん、と小首をかしげた。
「むう……よくわからないのじゃ」
前世も今世も仲間はいる。
戦友はいる。
でも、たぶん、母様が言っているのはそういうことではないのだろう。
友達……
正直、よくわからない。
そして儂は、友達のことを本当はなにも知らない空っぽの人間だったのだろうか?
前世から、ずっと。
「大丈夫ですよ」
儂の不安を察したかのように、母様が優しく抱きしめてくれた。
「アリエルはとても優しい子。ちょっと不器用なだけで、すぐに友達はできますよ」
「そう、なのかのう……?」
「ええ、私が保証します。それとも、私の言葉は信じられませんか?」
「まさか! 母様が言うのなら、烏も白くなるのじゃ!」
「ふふ、それは言いすぎです」
と、周囲の景色がさらに明るくなり始めた。
ふわりと揺らいで、白が強くなっていく。
「そろそろみたいですね……」
「……母様」
寂しい。
が、ここで笑顔を見せなければ母様は安心できないだろう。
にっこりと笑う。
「またなのじゃ」
「はい、また会いましょう」
母様は、最後にもう一度だけ頭を撫でてくれた。
――――――――――
目を覚ますと、夕方に近い時間だった。
「……はて?」
寝台の上で、ぼんやり天井を見る。
なにか、とてもいい夢を見たような気がした。
とても大事なことを言われたような気もする。
ただ、どうにもこうにも内容を覚えていない。
もどかしい。
うーん、と唸っていると、すぐそばからサリーの声がした。
「今なら、アリエル様になにをしても気づかれない気が……」
「起きているわ、あほう!」
「すみません!!!」
飛び上がるように謝るサリーを見て、儂は大きなため息を吐いた。
……夢の内容は忘れたけれど、いつもの日常が戻ってきたことだけはよくわかった。




