85話 愚か者の理想論
王子は、怒りに顔を歪めていた。
年は二十代半ばほどだろう。
顔立ちは整っていて、王族らしい威厳も、本来なら備えていたのだろう。
しかし今のその顔は、焦りと苛立ちとで強張っていた。
視線はまず王へ、次いでメイリークへ。
そして、その奥に立つ儂へと流れる。
「メイリーク……そうか、この僕を裏切ったな!?」
「……殿下……」
メイリークは、静かに王子を見返した。
その目には怒りより、むしろ深い悲しみがあった。
「先に国を裏切ったのは、殿下……ジーニアス様、あなたです」
王子……ジーニアスの顔が歪む。
が、すぐに言い返す。
「僕は悪くなどない! このままではアウムドラは駄目になる。ゆっくりと衰退して、滅びていくだけだ。そうなる前に改革が必要なんだ!」
改革……か。
「たとえ血が流れようとも、一時、国が荒れたとしても……それは必要な犠牲だ。仕方のないこと……些事をいちいち気にしたら、なにもできない。一歩も前に進めない!」
「……ふざけたことをぬかすでない」
静かに言ったつもりだったけど、思った以上に声へ熱が乗っていたらしい。
その場にいる全員が……
ジーニアスを含めて、儂を見る。
「貴様は……」
「フィーゼルマインの第三王女、アリエルじゃ」
「そうか。貴様が、あの……」
ジーニアスは鼻で笑う。
「メイリーク、やはり裏切り者はキミの方じゃないか。他国の……しかも王族を勝手に招き入れるなんて。裏切り者はどちらか、明白だな!」
「いや、それはお主じゃろうに」
「……」
ぴたり、とジーニアスが固まる。
「王を監禁しての王位簒奪……王子だろうがなんじゃろうが、大逆罪じゃぞ? というか……犠牲が必要と言ったな?」
王子を睨みつける。
「必要な犠牲だ、と。仕方ないことだ、と。なかなかどうして……本気か?」
「当たり前だ。無論、ないに越したことはないが、綺麗事で世界は回らない……大事の前の小事だから、これは仕方のないことなんだよ」
その瞬間、頭の中でなにかが切れた。
「なら、お主が一番に死んでみせよ」
場の空気が凍りついた。
「なっ……!?」
「犠牲が必要じゃというのなら、まずは、自身が一番にその身を捧げてみせよ」
「ば、バカを言うな!? 王族である僕が、そのようなことができるわけないだろう!」
「できる、できないではなくて、覚悟がないのじゃろう?」
「うっ……」
「他人に犠牲を強いておいて、いざ自分になると逃げる……お主に覚悟なんてものはないよ。単に、夢に夢見る、現実が見えていない愚か者じゃ」
「なん、だと……!?」
「そもそも……犠牲の上に成り立つものなど、怨嗟を繰り返すだけで平和にはならぬ。いずれまた、どこかで恨みが芽吹いて争いとなる。憎しみという名の呪いが撒き散らされる。それの繰り返しじゃ」
前世で見た。
何度も見た。
誰かを切り捨てて築いた勝利が、どれほど長く呪いを残すか。
その結果、どれだけの悲しみをもたらすか。
「絶対に、じゃ」
「なにを、知ったような口を……! 子供のくせに!」
「子供でもわかるようなことじゃよ」
「ぐっ……!?」
ジーニアスの顔が怒りと羞恥で赤くなる。
「それなのに、為政者が犠牲が当たり前と言うとは……」
胸の奥から怒りがせり上がる。
「愚か者が!!!」
最後は、ほとんど怒鳴りつけた。
ジーニアスは、ぐぐぐ、と顔を歪める。
反論したいのだろうけど、できない。
自分の言葉の薄さを、心のどこかで理解しているからだろう。
あるいは、それをたった今、理解したか。
それでも……
引けないのだろうな。
その予想は正しく、ジーニアスは完全に開き直った顔で叫んだ。
「こいつらを殺せ!」
その場に残っていた王子派の兵士達が、一斉に剣を構える。
やれやれ。
結局、最後はそれか。
儂は剣を抜き、口元へ不敵な笑みを浮かべた。
「よかろう……ならば、その愚かさごと叩き斬る!」




