67話 弱さの形
短剣が閃いて……
リルをかばい……
刃が儂の肩を裂く。
「姫様っ!?」
リルの悲鳴が響いた。
だが、なにも問題はない。
「ええい、うっとうしい!」
儂は舌打ち混じりに吐き捨てると、そのまま盗賊の懐へ踏み込んだ。
剣の柄をその喉元へ叩き込む。
盗賊の目が見開かれて、空気の抜けるような音が漏れる。
続けざまに膝を払う。
崩れたところへ、今度は剣の峰で側頭部を打ち抜いた。
鈍い音が響く。
男はその場へ崩れ落ちて、二度と動かなくなった。
よし。
今度こそ、完全制圧じゃ!
「だ、大丈夫ですか!?」
リルが、半ば這うようにしてこちらへ近づいてきた。
「ぼ、僕のせいで……!」
「ん?」
儂は自分の肩口を見た。
血が流れていて、少しだけ痛む。
でも、それだけ。
致命傷からは程遠いし、骨も筋も問題ないだろう。
「ただのかすり傷じゃ」
「で、でも……!」
「これくらいの怪我なんて当たり前じゃからな」
実際、その通りだ。
というか、前世ではもっと酷い目に遭っていた。
矢が腿を貫いたこともある。
脇腹を深々と裂かれたこともある。
肋を折ったまま戦ったことだって一度や二度ではない。
「もっと酷い怪我をしたこともあるし、これくらい慣れたものじゃ」
「うぅ……」
そう言ったのだけど、リルの顔色はますます悪くなった。
目の焦点が合わず、呼吸も浅い。
唇が震えて、肩が小刻みに揺れている。
「リル?」
「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
壊れたように、そればかりを繰り返す。
そこへ、騒ぎを聞きつけたフォルティア姉妹が駆け寄ってきた。
「アリエル様!?」
「ちょ、怪我してるし!?」
「儂は問題ない。しかし、リルが……」
「うわ!? リルちゃん、大丈夫!?」
ミレナが膝をつき、顔を覗き込む。
でも、リルは「ごめんなさい」を繰り返すばかりで、こちらを見ようともしなかった。
少し迷い、決める。
「ていっ」
儂は、リルの首筋へ手刀を落とした。
くたり、と細い体から力が抜ける。
「アリエル様!?」
「ちょ、なにを!?」
「こういう時はもう、強引にでも休ませた方がよい。ヘタをしたら心が壊れそうなのでな」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
「姫様、大胆すぎる……」
「ほれ、帰るぞ」
言いながら、儂は気絶したリルを抱き上げた。
……軽いな。
鍛えてはいるが、やはり年若い少女の体だった。
「ああ、そうそう」
ふと思い出して、背後を振り返る。
「そこの盗賊達は焼いておけ」
「焼く、ですか?」
「うむ。放っておけば魔物の餌になり、別の厄介を呼ぶ。全て始末してから戻れ」
「「はい!」」
姉妹が揃って応じた。
――――――――――
……リルは夢を見ていた。
初めての任務の夢だ。。
暗い路地。
冷たい石畳。
雨上がりの夜で、空気は湿っており、靴底がぬるりと滑るようだった。
標的は、ただの男だった。
悪人だと教えられていた。
組織へ逆らった者を売り、仲間を陥れ、金と保身のためなら誰でも踏みつけるような男だと。
だから殺していい。
いや、殺すべきだ。
……そう教えられた。
だから、リルは殺した。
屋根から降り、音もなく背後へ回り、喉を裂いた。
相手は振り返る間もなく崩れ落ちた。
任務達成。
本来なら、それで終わり。
帰還して、報告して、次の任務を請ける。
その繰り返し。
……そうなるはずだったのだけど。
「おとう……さん?」
か細い声がして振り向くと、小さな子供がいた。
六歳くらいの小さな女の子。
道の後ろからこちらを見ている。
目の前で父親が倒れたことも、地面へ血が広がっていくことも、意味まではわかっていない様子だ。
ただ、恐怖だけははっきり伝わっていた。
「お父さん……?」
子供は一歩踏み出して、そこから慌てて倒れた男へ駆け寄る。
「ねえ、どうしたの……? 起きて、起きてよ……!」
必死に揺するけど、もう動かない。
当たり前だ。
男はもう死んでいるのだから。
子供の手が血で汚れる。
それでようやく理解したらしく、顔がくしゃりと歪む。
涙が溢れる。
そして、その涙で濡れた顔のまま、子供はリルを見上げた。
「……ゆるさない」
その声は小さいが、刃より深く心に刺さった。
「お前なんか……ゆるさない!」
憎しみだった。
悲しみだった。
言葉にもならぬ幼い呪いだった。
その瞬間、リルは初めて、自分がなにをしたのかを理解した。
任務ではない。
成果でもない。
成功でもない。
自分は、一人を殺して、一人の子供から世界を奪ったのだ。
足がすくんだ。
息が詰まった。
吐きそうだった。
そこからどう逃げたのか、よく覚えていない。
ただ、その子供の目だけが今でも焼きついて離れてくれない。
思い出す度に心を縛り、魂を震え上がらせる。
……以来、リルは人を殺せなくなった。
刃は持てる。
近づくことも、潜むことも、逃げることもできる。
ただ、最後の一線だけが、どうしても越えられない。
組織の仲間達は呆れた。
欠陥品。
落ちこぼれ。
使えない失敗作。
幸い、潜入と諜報だけは群を抜いていたから、完全には切り捨てられなかった。
しかし、必要とされているわけではなくて、ただの情け。
居場所なんてない。
誰も隣へ来ない。
誰も背を預けない。
リルもまた、誰かへ寄りかかることを覚えなかった。
だって、自分は壊れているのだ。
暗殺者なのに殺せない。
優しいのではなく、ただ怖がっているだけの半端者。
殺したことに……どうしようもない罪に怯えているだけの小心者。
なら、どうすればよかったのか?
あの時、殺さなければよかったのか。
命令を拒めばよかったのか。
それとも、子供に見られても何も感じないくらい、もっと壊れてしまえばよかったのか。
あるいは……子供も殺せばよかったのか。
答えはない。
どこにもない。
夢の中で、リルはただ立ち尽くしていた。
――――――――――
「っ……!?」
リルは、跳ね起きるようにして目を覚ました。
「起きたか」
「……姫様……」
よく見れば、ここはアリエルの部屋だった。
なぜこんなところに?
思い返して……
それから、すぐに自分のやらかしの記憶に辿り着いた。
リルは慌てて体を起こそうとしたが、アリエルが軽く手を上げた。
「よい。無理に起き上がるでない」
「ひ、姫様……」
声がひどく掠れていた。
アリエルは椅子へ腰掛けたまま、静かにこちらを見ている。
責めるでもなく問い詰めるでもなく、ただ待っている視線だった。
だから、ぽつりぽつりと、リルは話した。
本当は、一度だけ人を殺したことがあること。
それを子供に見られたこと。
それ以来、刃を振り下ろせなくなったこと。
組織で失望され、居場所をなくしたこと。
「だから、僕は……臆病者なだけで、優れてなんかいません。姫様は前に優しさだって言ってくれたけど……でも、本当は違うんです。ただ、怖いだけで……情けなくて、どうしようもなくて……自分の罪からも逃げているだけで……」
「……以前も言ったが」
アリエルは静かに返す。
「儂はそうは思わぬ」
「でも……」
「まあ……価値観はそれぞれなのだろうな。お主が弱いというのなら弱いのじゃろう」
「はい……」
胸が沈む。
やはり、自分は弱いのだ。
ただ、アリエルの言葉はそこで終わらない。
「なら、その弱さを儂にも背負わせてくれぬか?」




