62話 レイスという名の小動物
アウムドラ王国。
フィーゼルマインの隣国の一つであり、さらに北方に位置する国だ。
友好国というほど近くはないが、かといって今すぐ剣を向け合う敵対国でもない。
ただ、油断していい相手でもない。
国土の半分近くが雪に覆われる寒冷地で、土地は痩せて、豊かとは言い難い。
国力だけを見れば、フィーゼルマインよりも一段落ちる。
故に、これまで表立って大きな動きは少なかった。
しかし、敵対していないということは、これからも敵対しないと同義ではない。
こうして暗殺者を使い、儂のことを探っていたのだとすれば、もしかしたら、という可能性が出てくるかもしれない。
「……これは、儂一人で抱えてよい問題ではないのう」
「そうですね。陛下へ報告すべきかと」
「ひぃん……」
床の端で縮こまっていたリルが、情けない声を漏らす。
「僕、終わった……」
ぐす、と鼻をすすった。
まだ誰にもなにもされていないのに、すでに拷問台へ乗せられた未来でも見えているかのような反応だ。
「お、王様に報告されたら……僕、ぜったい怖い人達に連れていかれて、地下の暗い部屋で爪とか剥がされるとかで拷問されて、そ、そのまま……」
「妄想の解像度が無駄に高いのう」
「だって、ありそうですぅ……!」
ない、と言い切れないところが困る。
だからこそ迷う。
明らかに厄介な情報。
だが同時に、目の前のこのリルという少女が、どうにも根っからの悪人には見えない。
今のところ誰かへ害を与えた証拠はない。
少なくとも儂の目の前では、ただ城下町に潜んで情報を集めていただけ。
もちろん、それだけで見逃していい問題ではない。
ただ、父上へありのまま突き出せば、よくて厳しい取り調べ。
悪ければ本当に拷問されるだろう。
……ちと、情をかけすぎかもしれぬが。
「ひとまず、父上への報告は一度保留じゃ」
「よろしいのですか?」
「うむ、先に兄様へ相談する」
「セイファート様ですか」
「兄様なら頭も回るからのう。こういう時の立ち回りは、儂よりも圧倒的にうまい」
父上のところに直行するには重いし、黙って抱え込むには危なすぎる。
なら、その中間へ一度置くべきだろう。
それから、サリーに命じて兄様に足を運んでもらった。
「突然、申しわけないのですじゃ」
「いいよ。それよりも、緊急の相談って聞いたけど……」
兄様はいつもの穏やかな顔で入ってきたが、部屋の空気と、床へ縮こまっている黒ずくめの少女を見て目を細めた。
「……これは驚いたな。相談というのは、彼女のことかな?」
「うむ」
儂はだいたいの事情を説明した。
一通り聞き終えた兄様は、珍しくすぐには言葉を返さなかった。
ただ、リルをじっと見ている。
やがて、ぽつりと呟く。
「……まさか、アリエルがレイスを捕まえるなんて。つくづく、キミには驚かされてばかりだね」
「レイス?」
「その子の二つ名だよ。誰も捕まえられない暗殺者。だから幽霊……レイスって呼ばれているんだ。痕跡も残さないし、標的の近くへいつの間にか現れて、気づいた時にはもう消えている。諜報活動にとても優れた暗殺者で、今まで、一度も捕まったことがないらしいよ」
「ほう」
儂は改めてリルを見る。
そんなリルは、「ひぃ、二つ名まで知られてる……」と縮こまっていた。
「本当にこの子が?」
「見えないだろうけど、たぶん本物だよ。資料を見たことがあるからね」
「捕まったことがないのに詳細な資料が?」
「そこは不思議なところでね。けっこう見つかることは多い。でも、逃げ足がものすごく、捕まえることはできない。っていう感じだね。だから、資料は多いけど、一度も捕まったことがない」
「なるほど」
「ただ、妙な噂もある……実は誰も殺していない正義の味方なんじゃないか、とね」
「なんじゃお主、正義の味方なのか? いいヤツではないか」
儂が素直にそう言うと、リルがびくっと肩を震わせた。
「ぼ、僕のこと、こ、怖くないんですか?」
「むしろ可愛らしいのう」
「ほわっ」
反応が小動物めいているせいか、ついつい反射的に頭を撫でてしまう。
細くて柔らかな髪だ。
そのままなでなでしていると、気づけば、リルはされるがままになっておった。
「うむ、本当に小動物らしいのう」
「え、えへへ、気持ちいいですぅ……じゃなくて! い、今のは違うんですぅ! ちょっと気が抜けていただけというか、今日はあまり寝てないからついというか……か、懐柔なんてされていませんからね!?」
あたふたと慌てるリル。
忙しい子だ。
兄様はその様子を見て少し笑った後、すぐに表情を引き締めた。
「でも、なるほどね。アリエルがすぐ父上へ上げるのを迷う気持ちはわかるよ」
「うむ。普通に突き出せば拷問は避けられぬだろう。じゃが……このような性格なので、ちと扱いに迷っておるのですじゃ。とはいえ、情報としては大きすぎる故、放置はできない……そこで、兄様の知恵を借りたいのですじゃ」
「……」
兄様は黙って考え込んだ。
しばらくの沈黙。
その間、これで自分の運命が決まると、リルは顔を青くして縮こまる。
やがて、兄様が小さく息を吐いた。
「……そうだね。そういうことなら、こういうのはどうだろう?」




