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56話 ダンジョンの罠

 ダンジョンの空気は、地上とはまるで違っていた。


 湿っているのに、どこか乾いた冷たさがある。

 岩肌は暗く、壁の隙間からは淡い燐光のようなものが滲み、足音は変に反響して、静寂さえ不気味に膨らませる。


 フォルティア姉妹は、その中を慎重に進んでいた。


 もう何体の魔物を倒したかわからない。

 狼型、虫型、粘液の塊のようなもの、妙に人の手足を思わせる細長い影。

 できたばかりのダンジョンとはいえ、やはり地上の魔物とは性質が違う。

 生まれたばかりの悪意が、壁そのものへ染み込んでいるような場所だった。


 五層を抜けたあたりで、ミレナが剣を払って息を吐く。


「今、どれくらいかな?」

「五層ですね」


 リゼットが周囲を見回しながら答える。


「新しいダンジョンなら、深くてもこのあたりで終わる可能性が高いです」

「だよね! 運がよければ、ここで終わりかも!」

「数十層まである可能性もありますよ」

「そこは夢を見せてよ」

「現実を見るのが私の役目です」


 姉妹は短く笑う。

 その笑いは軽かったが、そこに無理が混じっていることは互いにわかっていた。


 どうしても焦ってしまう。

 冷静でいることができない。


 村を守る。

 これ以上被害が出る前になんとかしたい。

 そしてなにより、アリエルに「できませんでした」と報告する前に終わらせたい。


 その思いが二人を前へ押していた。

 だが同時に、別の痛みもあった。


「……最後に、すごい悪いことをしちゃったね」


 ミレナがぽつりと言う。

 前を歩いていたリゼットの足が、ほんの一瞬だけ止まった。


「……そうですね」

「故郷のためだから、勝手に来たのは後悔してないよ?」

「私もです」

「でも……姫様に迷惑かけちゃったなあ」

「そのための辞職届でしょう」

「そうなんだけどさ」


 ミレナは苦笑した。

 苦笑したが、その顔は明るくなかった。


「姫様って、わりと気にしそうだし。ずーん、って暗い顔になってないといいんだけど」

「そのようなことは……いえ、もしかしたらあるかもしれませんね。優しい方ですから」

「呆れられちゃったかなー? それとも、怒られるかなー?」

「きっと怒るでしょうし、呆れもするでしょう。ですが、それ以上に……」

「心配するよね」

「……はい」


 しんとした沈黙が落ちる。


 故郷のために独断専行したことは後悔していない。

 しかし、アリエルとの縁がこれで切れるかもしれないと思うと、胸の奥が重くなる。


「もう姫様と一緒にいられないの、きついかも……」


 ミレナが、珍しく笑わずに言った。


「……そうですね」


 リゼットも否定しない。

 だが、引き返すわけにはいかなかった。

 全ては故郷のために。


 と、その時。

 奥の闇から、がり、と硬いものを擦る音がした。


「来ます」


 直後、壁の隙間から大きな甲殻の塊が這い出てきた。

 虫型の魔物だ。

 脚の一本一本が鉤爪めいており、顎には錆びた鎌のような突起がついている。


「はっ!」


 ミレナが先に踏み込む。

 軽快な動きで左前脚を斬り落とし、そのまま横へ回る。

 そこへリゼットが真正面から斬撃を叩き込み、硬い甲殻の継ぎ目を割る。


 悲鳴じみた音を上げて魔物が崩れ落ちた。


「楽勝!」

「まだです!」


 リゼットの声と同時に、今度は天井から二体、床の裂け目から一体。

 三体が姉妹を睨みつける。


 だが、二人は慌てない。

 この程度なら、もう何度も捌いてきた。


「右は任せて!」

「左を抑えます!」


 連携は美しく、そこへ迷いはない。


 ミレナが跳ぶように間合いを詰めて、相手の注意を逸らす。

 そこへ、リゼットが最短で致命へ届く軌道を選び、剣を払う。

 互いに互いの動きを知り尽くしておるからこそ成り立つ呼吸だった。


 ほどなくして魔物達は沈黙する。


「ふぅ……やっぱり、姫様の言う通りちょっと型にはまりすぎてたかもね、私達」

「ええ。少し改善してみたのですが、これほどまでにやりやすいとは……」

「姫様のおかげだね」

「ええ。ですから、この最後の任務だけは成し遂げましょう」




――――――――――




 リゼットとミレナはさらに攻略を進めて……

 やがて、二人の前に大きな石扉が現れた。


 七層の最深部。

 そこにある重厚な扉の表面には、蜘蛛の巣のような紋様が浮かんでいた。


「ここ、だよね?」

「おそらくは。ダンジョンにはだいたい守護個体……いわゆるボスがいて、その奥に核があると言われています。この先が正念場でしょう」

「じゃあ、ここを突破すれば村は助かるね!」

「そうですが、油断しないでくださいね?」

「もちろん!」


 言いながらも、ミレナの声には期待が混じっていた。


 ここまで来た。

 あと少し……そう思いたくもなる。


「いくよ?」

「はい」


 二人は頷き合い、石扉を押し開けた。


 中は、巨大な地下空間だった。

 天井は高く、空気は湿り、足元には黒い水たまりのようなものが点在している。

 中央には、家ほどもあろうかという巨大な蜘蛛の魔物が鎮座していた。

 八本の脚は槍のように鋭く、腹部は不気味に膨らみ、赤黒い複眼がぎらりと光る。


「でか……」

「来ます!」


 次の瞬間、蜘蛛が動いた。


 脚が槍のように突き出される。

 ミレナは横へ転がって避けて、リゼットはその脚を剣で受け流すよ。


「近づきすぎないでください!」

「わかってる!」


 さらに蜘蛛は腹を持ち上げ、糸を吐き出した。

 白く粘ついた線が、弧を描いて飛来した。


「散開!」


 リゼットの合図で、二人は左右へ分かれた。


 糸が床へ落ちる。

 石へべたりと張りつき、嫌な粘りを見せた。


「当たったらまずいね、これ」

「ええ。足を止められます」


 思っていたよりも厄介そうな敵だ。

 ただ、焦りは押し込める。


 蜘蛛は八本の足を自在に使い、床を高速で駆け抜けて、そのまま壁に登り、さらに天井に張り付いた。

 その際、空いた足を何度も突き出してくる。

 距離が開くと糸を飛ばして、絡め取ろうと企んでくる。


 姉妹は隙を見て反撃するものの……


「かった!?」

「まるで鉄ですね……!」


 蜘蛛の甲殻は鎧のようで、簡単に貫くことはできない。

 その上、相手は槍のような足を八本も持つ。


 高機動。

 そして、無数の攻撃。

 その一撃一撃が致命傷になりえて……

 さらに、糸という搦手。


 かなりの強敵だ。

 次第に姉妹は追い込まれていくが……

 しかし、諦めることはない。

 闘志も衰えていない。


 確かに蜘蛛は強い。

 しかし、もっと強い相手を知っている。

 アリエルと比べたら、蜘蛛は蟻のようなもの。

 こんな相手に負けるわけにはいかない。


「いっくよーーー!!!」


 ミレナは、まずは脚の一本を狙う。

 蜘蛛の突きをいなして、タイミングを合わせて関節へ斬撃を重ねる。


「いきます!!!」


 そこへリゼットの追撃。

 一本。

 さらにもう一本。


「「せえええええのっ!!」」


 三本目は姉妹で協力して断つ。


 加えて、リゼットの突きが腹部の下へ走り、糸を噴き出す器官らしき箇所を傷つける。

 次の瞬間、吐き出された糸は勢いを失い、床へだらりと垂れた。


「ナイス、お姉ちゃん!」

「このまま押し切りますよ!」

「うん、これなら勝てる!」


 リゼットとミレナは勝利を確信する。


 蜘蛛は強敵だ。

 しかし、半分近くの足を奪い、糸を生成する器官も潰した。

 戦力は半減以下。

 勝てないわけがない。


 ……そう思ってしまったことが油断だった。


 天井から別の糸が飛んできた。


「えっ……!?」

「くっ……!?」


 反応が遅れてしまい、白い粘糸が二人へ絡みつく。

 腕へ、脚へ、胴へ。

 一瞬で動きを奪われて、石床へ縫い止められてしまう。


「な、なんで!? あいつのは潰したはずなのに……!」

「いえ、これは……まさか、二体いた!?」


 リゼットはもがきつつ、どうにか視線を上げた。


 もう一体。

 天井の陰に張りついて、気配を殺していた蜘蛛がゆっくりと脚を広げていた。


 完全に見落としていた。


 絶対に失敗できないという焦り。

 必ず成し遂げてみせるという焦り。

 それが視界を狭くして、もう一匹、潜んでいたことに気づけなかった。


「あー……これ、姫様に知られたら絶対に怒られて、とことんしごかれるやつだ……あはは」

「笑い事ではありません……! これくらい、なんとか……!」


 リゼットは糸を引き剥がそうと力を込めるが、無理だった。

 粘着が強すぎるため、単純な腕力でどうにかなるものではない。

 剣、あるいは火などが必要だ。

 両手足は拘束されて動けない。


 そして、一匹目も体勢を立て直しつつある。

 前後から挟まれてしまい、逃げ場はない。

 糸から逃れる術もない。


 ……詰みだ。


 巨大な影が迫る。

 二体目の蜘蛛が高く脚を持ち上げ、今にも二人を貫かんとする


 瞬間。


 ザンッ!


 鋭い斬撃が飛び、蜘蛛の脚を大きく弾いた。


「ギィィィッ!?」


 魔物が悲鳴を上げてのけぞる。


「え……!?」

「なに、が……」


 暗いボス部屋の入口。

 そこへ立っていたのは、小さな影だった。


 奇妙な仮面をつけている。

 だが、それ以外は、見れば見るほど見慣れた幼女の姿だ。


「姫様!?」

「どうしてここに!?」

「わ、儂は姫ではない!」


 小柄な影は、妙に胸を張って言った。


「その……通りすがりの正義の味方、正義仮面じゃ!」



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