50話 眠り姫は眠っておらぬ
夜。
そのままザッハート家で食事を共にすることになった。
もともと日帰りの予定だったけれど、伯爵家側からの強い申し出もあり、帰路は翌朝へ回すことになった。
王族相手のもてなしとしては、むしろ自然な流れなのかもしれい。
食卓に並べられた料理は豪華だった。
香草をふんだんに使った肉料理。
見た目にも鮮やかな前菜。
焼きたてのパン。
魚料理の火の通し方も見事で、城の料理人達にも劣らない腕前が感じられる。
「おぉ♪」
食べるのは好きだ。
儂は嬉しそうにしつつ、ぱくりと一口食べる。
……ん?
舌へ触れた瞬間、ほんのわずかな違和感があった。
味そのものは悪くない。
むしろ上等で、とろけるかのよう。
ただ、その美味しさの裏に隠れるようにして、微かになにかが混じっている。
「アリエル様? もしかして、お口に合いませんでしたか……?」
「……いや、美味いのじゃ。なにも問題はないぞ。儂好みでもあるしな」
「そうですか、それはよかったです」
にこりと返して、次の一口を運ぶ。
違和感は欠片も表に出さない。
笑顔の仮面を被り続けたまま。
違和感の正体は、なんとなく予想がついた。
わりとよくあること、と聞いている。
とはいえ、王族相手にこういう風にしかけてくるのは予想外でもある。
ここで吐き出して、問い詰めるのは簡単なのだけど……
せっかくなのでもう少し泳がせて、完璧な証拠を掴みたい。
なので、儂は気にせずに食べた。
ごくりと喉を鳴らした。
まったく問題ない。
もっと小さい頃に色々としていたため、『毒』の耐性はある。
――――――――――
夜も更けた。
用意された客間には、大きなベッドがある。
窓から差し込む薄い月明かりが室内を優しく照らしていた。
儂は布団へ潜り込み、静かに目を閉じた。
そして、すやすやと寝息を……立てるフリ。
呼吸を浅く整え、体の力を抜き、眠っているように見せかける。
こういう真似は前世でも何度かやったことがある。
敵地潜入の際、見張りの目を欺くにはそれなりに役立つ。
しばらくして、気配がした。
扉が、そっと開く。
足音は慎重だ。
だが、儂の耳を欺けるほどではない。
入ってきたのはセネルだ。
昼間と同じ、爽やかな美少年の顔。
……の、はずなのだが。
今はそこへ、あまり見たくない種類の笑みが浮かんでおる。
にやり、と。
どこか粘ついた、悪意のある笑み。
やれやれ……やはりそうきたか。
予想はしていたが、残念という思いがある。
セネルはゆっくりベッドへ近づいてきて、眠っている儂の顔を覗き込んだ。
見えてはいないが、気配でわかる。
「……薬、ちゃんと効いたみたいだね」
その声には、昼間のような柔らかさはなかった。
安堵と少しの高揚と、そして未熟ゆえの危うさが滲んでいる。
セネルが動く。
近づいてくる気配。
そして、吐息が口に触れるほどに近く……」
「ふんっ!」
「ぶべっ!?」
儂の拳が顔面へめり込み、セネルは見事に吹き飛んだ。
床へ転がり、無様にのたうつ。
「がっ……!? な、なぜ!?」
「やれやれ」
儂は起き上がり、ベッドから降りると、軽く首を回した。
「乙女の唇を勝手に盗もうとするとは、とんだ貴族じゃのう」
セネルは鼻を押さえたまま、目を見開いておる。
「な、なぜ起きて……!?」
「なぜ、とはどういう意味かのう?」
儂はベッドの縁へ腰掛け、不敵に笑った。
「なぜ殴った、か? それとも……なぜ起きておる、かのう?」
「そ、それは……」
「食事に盛った薬なら気づいておったぞ」
「なんだって!?」
「猛毒ならともかく、ただの睡眠薬など儂には効かぬよ」
「そんな、バカな……」
「なにをするか確認したかったのでな。寝たふりをしていただけじゃ」
セネルの顔が思い切り青ざめた。
昼間の余裕も爽やかさも、今や見る影もない。
ただ、追い詰められた少年の顔がそこにあった。
「……なぜ、このようなことをした?」
静かに問うと、セネルは苦しげに唇を噛んだ。
「襲うつもりはないさ……さすがにね」
「ほう」
「ただ、男女が一晩一緒の部屋にいた。しかも、王女と伯爵家の長男が。子供だとしても、そういう関係と見られるだろう。そうなれば、あなたは僕のものになるしかなくなる」
「そういう形で王家に取り入ろう、と?」
「仕方ないだろう!? 僕は、家のために……」
「愚か者!」
セネルの肩がびくりと震える。
「お主は、お主なりに家のことを考えておるのじゃろう。その信念自体は、決して腐ってはおらぬ……が、そのために女を傷つけてよいのか? それで、正しいことをしていると言えるのか?」
「そ、それは……」
「大事な人に胸を張れるのか?」
「……っ……」
「お主にも大事な人がいるじゃろう。その人に、儂のような幼女を手籠めにして成り上がりました、どうか褒めてください……そう言えるのか?」
「……そんな、ことは……」
セネルの顔が苦しげに歪んだ。
おそらく根っからの悪人ではないだろう。
最初から人を踏みつけることへ喜びを覚えるような者なら、もっと表情に濁りが出る。
ただ、この少年は違う。
未熟で、追い詰められ、歪んだ道を正解と思い込まされているだけだだろう。
そもそも、この事件の現況は……
「このようなこと、お主には似合わぬよ。まだ引き返せる……やめよ」
「……」
長い沈黙。
やがてセネルはがくりとうなだれた。
「……申しわけ、ありませんでした……」
その声は、昼間の朗らかなものではなくて……
ただ、年相応の弱々しい少年の声だった。
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