116話 帝国の将
儂は声を張り上げて、味方をさらに後退させた。
砦まで。
そして、その砦を抜けて、さらに奥まで。
帝国は、一度、罠にかけられている。
最初は警戒していたが、本気の撤退とわかり、本格的な追撃に入る。
それに、砦を抜けることができるのなら、それはそれでいい、とも考えたのだろう。
ただ……
大体、追撃戦などの重要な局面では、追いかける獲物ばかり見るようになって視野が狭くなるものだ。
将クラスとなると、そうはいかないものの、末端の兵士となればそれは難しい。
命令を与えられた猟犬のごとく、ひたすらに敵を追いかける。
……なので、儂が途中で馬から降りて離脱して砦に潜んでいたことにも気づかず、そのまま駆け抜けていった。
撤退は本気。
ただ、同時に陽動の意味も兼ねていて……
いや、この場合は目眩ましか?
途中で儂が離脱して、砦に潜むための囮でもあった。
そして……
「敵は?」
「はっ、現在、追撃を続けています。敵将になにかあったのか、指揮系統に乱れを確認しています」
「ふむ……それは間違いないのか? 先のような失態を繰り返したとなると、さすがに笑えないぞ」
「おそらくは、間違いないかと。罠の可能性を疑いましたが、敵は撤退を続けるだけ。誘いをかけるにしては、あまりに時間をかけすぎています。もちろん、周囲への警戒も怠っていません」
「ならいい。そのまま追撃して、殲滅せよ。敵は全て……」
「そうはさせぬよ」
姿を見せる。
対峙するのは、敵将らしき人物と、彼が率いる兵士十数名。
ふむ。
精鋭揃いのようだが……まあ、問題はないな。
「貴様……いったい、どこから……?」
「さて、のう」
「……いや、待て。この撤退は……そうか、囮か。貴様をここに残して、私に迫るためにわざわざ……」
正解。
初手で罠を披露して、敵に打撃を与える。
それはうまくいったものの、しかし、それだけで大きな戦力差を覆すことはできない。
倍以上の数で来られたら、そこでもう、ほぼほぼ終わりだ。
厳しい雪原地帯で、強固な砦を持ち、年単位で凌ぐことができる食料がある……なんていう条件ならどうにかなる可能性はある。
ただ、今回の戦場ではそのような条件はないので、まともに勝負をしたら負けが確定する。
なので。
敵将をピンポイントで狙うことにした。
降参したように見せかけて死角から突撃して。
撤退したと見せかけて罠を仕掛けて。
それらは全て、このための布石。
動揺を与えて、わずかなりとも正常な判断ができなくようにする。
そして……
思い描いた通りに戦場が動いて、儂は今、敵将の懐に潜り込むことができた。
「……そうか、貴様が噂の戦乙女か」
馬上から見下ろすその顔に、侮りはない。
自身がハメられたことに気づいて、さらに気を引き締めている様子だ。
「まさか、このような策を仕掛けてくるとはな……さすがに驚いた」
「素直に褒めてくれるのは嬉しいのう」
「だが、もう次の手はないようだな? たった一人で、我々を相手にできるとでも?」
「できぬな」
儂は、あっさりと認めた。
練度の低い兵士なら、何十人いても相手にする自信はあるが……
将を守る兵士なだけあって、見ただけで相当に鍛えられていることがわかる。
こやつらを相手にして……
さらに、敵将とも戦うとなると、さすがに歩が悪い。
やってやれないことはないかもしれないが、絶対、とは言えない。
それは策ではなくて、ただの賭けだ。
そんな博打を戦場で打つことはない。
「それとも、体を張って部下を逃がしたのか?」
「逃がす?」
儂は、くすりと笑う。
「まあ、逃がしておるな」
「なに?」
「……が、それは戦からではなくて、巻き込まれないためじゃ」
「なにを……」
儂は、くるっと指先を回して、そこに小さな火を灯した。
魔法は苦手だ。
ただ、さすがに灯火を点けることくらいはできる。
敵将が笑う。
「その灯火で我らと戦うとでも?」
「うむ」
儂も、にやりと返す。
「そのとおりじゃ」
指先の火を、物陰へ隠しておいた導火線へ落とした。
じゅっ、という音。
次の瞬間、砦の内部を、細く長い火が走り始めた。
「な!?」
敵将の顔色が変わる。
「ばかな……ここは、なにもないはずでは!?」
「思い込みじゃな」
儂は、愉快そうに笑う。
「罠を見切った。だから、そこは安全……普通はそう思うじゃろう? でも、残念。外れじゃよ」
この砦には、たっぷりと火薬を運び込んでおいた。
それだけではない。
炎に反応して、さらに炎を生む設置型魔法陣も随所へ仕込んである。
つまり、ここは砦ではなくて、特大の炎と爆発を生む火薬庫なのだ。
「貴様、心中するつもりか!?」
「まさか。死ぬのはお主らだけじゃよ」
儂の後ろには、あらかじめ掘られた深い穴がある。
そこへ飛び込み、
「儂は、ちゃんと生きて帰るのじゃ」
蓋をするように、同じく置いてあった盾をかぶる。
……直後。
ゴゥッ!!! と、砦が爆発した。




