113話 開戦
一月が経ち……
しかし、帝国は動くことはなく。
もしかして杞憂だったか?
そんな願いにも似た、楽観的なことを思うようになった頃。
東の国境の砦に異変が起きた。
「ふぅ……今日も特になにもなさそうだな」
高台に立つ見張りの兵士が退屈した様子で言う。
それを相方の兵士がたしなめた。
「おい、気を抜くんじゃない。これから日が落ちて暗くなる。その時が狙われるかもしれないし……そもそも、いつ開戦してもおかしくないんだぞ」
戦争の準備が進み、時間が経ち……
末端の兵士にも事情は伝えられていた。
ただ、予想していた一月が過ぎても帝国が攻めてくる気配はない。
今日も国境は静かなまま。
杞憂ではないか?
考えすぎだったのでは?
なにかの間違い、あるいは偽情報を掴まされたのでは?
そう考える者も多少ではあるものの出てきて、わずかに緊張が緩んでいた。
「なんだよ、お前。なんか、開戦してほしいみたいな言い方じゃないか」
「そんなわけないだろ。しなければしないでいいに決まっている。ただ、気を抜くのはよくないと……」
「でも、仕方ないだろ? 予想の一月が過ぎてもなにもないんだ。このままずっと、毎日、緊張してろっていうのか?」
「それは……」
「ちゃんと見張りはするさ。ただ、いくらか警戒度は落としてもいいんじゃないか?」
なにもないから気を抜いてもいい。
ここにアリエルがいたのなら、喝! と怒られそうなものだけど……
とはいえ、こればかりは仕方ない。
兵士が言うように、ずっと緊張を保つことは不可能だ。
どこかで気を抜かなければ潰れてしまう。
ただ……
それは今ではなくて。
そして、こうなる時を狙われていた。
そのことに兵士達が気づくのは……すぐである。
「ん?」
片方の兵士が、国境の先……
帝国方面の彼方を見て、不意に目を細くにした。
「どうしたんだ?」
「いや、なにか光ったような……」
「夕陽が反射したんじゃないか?」
「いや。そういう自然的なものじゃなくて、もっとこう、人工的なものに感じたんだけど……」
兵士はさらに目を凝らして、先を見た。
……見えてきたのは、黒の鎧に身を包んだ兵士。
一人ではなくて、数え切れないほど……
地平線を埋めるほどに。
それらを率いる将らしき兵士は、馬に乗り。
そして、帝国の旗を掲げていた。
先の光は夕陽が反射したもの。
ただし、それは……帝国兵士の鎧に、というものだ。
「「!?」」
見張りの兵士達は同時に顔を青くして、急いで警鐘を鳴らした。
そして、全力で叫ぶ。
「て、敵だ! 帝国が……帝国が攻めてきたぞ!!!」
――――――――――
ついに帝国が動いた。
三十万の兵を動かして、フィーゼルマインの東の国境の砦に迫る。
ただ、そのまま突撃するほど阿呆ではない。
数の差はあれど、攻めるよりも守る方が有利。
真正面から突撃すれば、負けはしないものの、それなりの被害が出るだろう。
故に、策を練る。
現地を確認して、最適と思われる形にシフトする。
すぐに攻めることはなく、手前に陣を強いて睨み合う。
その帝国の陣地では……
「今回こそ手柄を立ててやるぜ!」
「フィーゼルマイン、だっけ? そんな小国なんて楽勝だろ」
「女や子供を置いて、逃げ惑うの兵士達の姿が目に見えるな」
そんな軽口を叩く兵士達がいた。
それも仕方ない。
彼らは連戦連勝で……
そして、それを成し遂げるだけの力を持っているのだから。
軽口を叩いているが、それは圧倒的な自信に裏付けされたもの。
伊達に、何度も戦争が繰り返される中、生き残り、戦い続けてきただけはある。
ただ、それを諌める声があった。
「侮るな」
「「「っ!?」」」
ひときわ低く、静かに。
そして、よく通る声が響いた。
一瞬で空気が引き締まる。
「こ、これは、レオンハルト様!?」
最初の先端を開く任を与えられた、帝国軍の将……レオンハルト。
女性なら、ついつい視線を奪われてしまうような美丈夫だ。
しかし、顔がいいだけではなくて、しっかりと体は鍛えられている。
目つきは鋭く、強い芯が宿り、確かな意思を持つことを実感させてくれた。
派手さではないが、確かな実績と殺気で兵を従わせる類の男だ。
豪奢な鎧を好まず、実戦仕様の重厚な鎧を淡々と纏う。
「戦場では、油断した者から死ぬぞ」
彼は兵士達を見回す。
「今回の戦、最初の戦死者の名誉を与えてやろうか?」
「し、失礼いたしました!」
兵士達が慌てて背筋を伸ばす。
「陣は敷いたな? ならば、斥候を出せ。まずは敵の出方をうかがい、情報を集める」
慎重だった。
帝国ほどの大国で、しかもこれだけの兵力差があれば、普通はもっと大雑把になる。
ただ、レオンハルトに油断の二文字はないらしい。
堅実に、確実に。
決して油断することなく攻めることで、これまで、数多もの勝利を掴んできた。
強敵である。
「はっ、ただちに!」
兵士達が慌ただしく動いた。
命令された通りに、すぐに斥候を出して……
そして、しばらくして。
「レオンハルト様、その……」
斥候からの報告を受けた兵士が、戸惑いを見せていた。
珍しい反応だ。
大抵の兵士は、さきほどのように油断するか、あるいは、戦の雰囲気に呑まれて凶暴になる。
迷い、という反応はなかなか見れない。
「どうした?」
「斥候からの報告では……砦が開門されて、白旗が確認された……と」




