110話 なんでも
それからの日々は、目が回るほどに忙しくなった。
主に戦争に準備だ。
友好国からの兵士を受け入れて、国境沿いの砦に戦力を集めて。
兵糧と武具を運搬して、ポーションなどのアイテムも揃えて。
そして、東側の街や村から住民を避難させていく。
表向きは、なるべく平静を装っていた。
だが、水面下ではドタバタと慌ただしい。
当然というべきか、儂に休むヒマなんてない。
毎日、会議。
会議と会議と会議……
その合間を縫うように、大量の打ち合わせと指示。
剣を振りたい。
思い切り体を動かしたい。
なんて泣き言がこぼれそうになるくらい忙しい。
とはいえ、そんな泣き言をこぼしていられないので、ひたすらにがんばった。
そうしているうちに、あっという間に時間は過ぎた。
帝国も、少しずつ動き出していた。
斥候の報告は、日を追うごとに戦争の具体性が増していく。
兵を移動させて。
こちらと同じように、補給部隊の集結させて。
街道を封鎖して。
……開戦が目の前に迫っていた。
――――――――――
しばらくして……
「ふぅ……なんとか間に合ったのう」
儂は、自室で受け取った報告書へ目を通しながら、小さく息を吐いた。
自分で考えた策……そのために必要な下準備の確認だ。
騎士の訓練と、情報を頭に叩き込んで。
罠の設置と物資の移動。
陽動に必要な手順の確認や、斥候の手配……などなど。
それらがようやく一通り、満足いくところまで完了した。
ここで終わりではない。
さらに詰めて、詰めて、詰めて……
ギリギリまで何度も見直していくことになるだろうけど、ひとまずは、最低のラインは突破した、という感じだ。
これで少しだけ息抜きができる。
完全に息を抜くわけにはいかないが……
張り詰めてばかりだと、どこかで切れてしまう。
適度な休憩は必要だ。
ここまで準備を進められたのなら、順々に休みを回してもいいだろう。
「……以上が、最後の確認事項です」
「ご苦労なのじゃ」
サリーが、今日最後の報告書を持ってきてくれた。
それに目を通した儂は、満足そうに頷く。
「うむ、完璧じゃな」
「ありがとうございます」
「感謝するぞ、サリー。お主がいてくれたからこそ、ここまで早く……そして、うまくまとめることができたのじゃ」
社交辞令などではない。
後方の段取り、秘密裏の手配、騎士団の補助、伝令の整理……サリーの働きがなければ、儂の策は半分も形にならなかっただろう。
サリーは少し目を丸くしてから、いつものように柔らかく微笑む。
「いえ、アリエル様のためですから、気にしていません」
「ふむ」
少し考える。
「……しかし、ここまでしてくれたのに、なにもなしというのも心苦しいのう」
「え?」
「なにかしてほしいことはないかのう?」
次の瞬間、サリーの目がかっと見開かれた。
「え!?」
声まで裏返る。
「そ、そそそ……それは、なんでもですか!?」
「むぅ……」
嫌な予感がした。
「なんでも、は無理じゃ。なにかお願いを聞くくらいはいいが……あくまでも現実的な範囲で、じゃぞ?」
「問題ありません! ものすごく現実的です!」
サリーの目がやたらキラキラ輝いた。
ついでに言うと、吐息が途端に荒くなる。
……儂、失言した?
――――――――――
「~♪」
サリーは、とても機嫌よさそうに鼻歌を歌っていた。
一方の儂は……
「……のう、サリー」
「なんでしょうか?」
「これ、やっぱりやめてもいいかのう……?」
「姫様ともあろうお方が、ご自身の発言を撤回されるのですか?」
「し、しかしのう……」
「姫様を抱っこしたい……とても現実的なお願いだと思いますが?」
そう……儂は、サリーに抱っこされていた。
サリーは椅子に座る。
儂は、そのサリーの膝の上に座る。
そして、後ろからぎゅっと。
ついでに、頭をなでなで。
……ものすごく恥ずかしい。
「うぅ……なんか、色々と厳しいのじゃ……」
「照れる姫様、可愛いらしいです♪ はぁはぁ、お持ち帰りしたい……い、いいですよね?」
「よくあるか! それは完全に現実的ではないわ!」
「女の子同士のお泊りなんて、日常茶飯事ですよ?」
「知らん!」
「そのあたりも、きちんと教えないとですね。ふふふ♪」
「こわっ!?」
ぎゅううう。
なでなで。
ぎゅううう。
なでなで。
サリーが儂を愛でるのを止めてくれない……
いや、まあ。
できる限りのことはするつもりだから、甘んじて受け入れているのだけど……
そろそろ羞恥心が限界突破しそうだ。
今、儂の顔はりんごのように赤く。
たぶん、耳まで染まっているだろう。
「アリエル様ぁ♪」
「なんじゃ……」
「ぎゅってしてもいいですか?」
「もうしておるではないか」
「なでなでしてもいいですか?」
「もうしておるではないか」
「では、私の膝の上でお昼寝してもいいですよ?」
「まあ……それくらいは」
正直、ちょっと眠くなっていた。
こうして抱きしめられていると、母様のことを思い返すからかもしれない。
ただ……
乳母であるサリーも、もう一人の母のようなもので。
「……少し寝るのじゃ。変なことはするでないぞ?」
「はい……おやすみなさいませ」
サリーに優しく抱きしめられながら、儂はそっと目を閉じた。




