第61話:虚無の巨神、出現
地響きが、大地そのものを裂くような轟音へと変貌していった。
アルカディア大平原の北端、帝国軍十万の本陣後方に位置する緩やかな丘陵地帯が、突如として赤黒いマグマを吹き上げるように陥没を始めたのである。
巻き上がる黒煙。大気を震わせる異様な重低音。
それは自然の火山活動などでは断じてなかった。数千年前、旧文明が世界の覇権を争い、星の龍脈を狂わせた果てに封印された禁断の決戦兵器――『虚無の巨神』が、現世へと這い出そうとする産声であった。
「……ハルト様、あれは……!」
古代超特急『創世号』の操縦室で、アステリアが息を呑み、息苦しそうに自らの胸元を抑えた。
彼女の美しい緋色の瞳が、平原を覆い尽くす不浄な魔力光を映して揺れている。
「龍脈を喰らい、星の命を腐食させる古代の忌み名を持つ兵器です。初代皇帝の遺訓でも、決して触れてはならぬと厳封されていたはず……! ヴァルハイト兄上は、帝国そのものを滅ぼす気なのですか!」
「大地を貪るだけの前時代的な破壊装置だ」
ハルト・クゼは、手元のダイヤグラム盤から一瞬たりとも視線を逸らさずに言った。
白手袋を嵌めた指先が、計器類の魔導クリスタルを滑らかに叩き、各編成のステータスを確認していく。
「どれほど巨大であろうと、定時に運行される我が鉄道網を阻む障害物であることに変わりはない。……現在時刻、十三時三十六分。敵の召喚完了まで、およそ三分。想定の範囲内だ」
ドズゥゥゥゥゥゥゥンッッ!!
天を衝く黒煙を突き破り、その異形が姿を現した。
全高百メートルを超える黒曜石の巨躯。その全身には、無数の赤黒い魔導回路が血管のように脈打ち、中心部にある巨大な魔力核からは、周囲の空気を歪めるほどの重力波が放たれていた。
四本の歪な腕を持ち、頭部には眼球の代わりに深紅に輝く単眼のレンズが埋め込まれている。
その足元には、数千人の魔導士たちを生贄のように配置し、専用の指揮戦車の上で狂気じみた笑みを浮かべる男がいた。
帝国第一皇子、ヴァルハイト・フォン・アルカディアである。
「ははははは! 見よ、これぞ我が手中に収めた神の威容だ!」
拡声魔導器を通じて、ヴァルハイトの濁った哄笑が大平原全域へと木霊した。
「下民どもが鉄の筒を走らせて浮かれておるようだが、所詮は虫ケラの悪あがきに過ぎん! 創世号とやらも、我が巨神の熱線の前には鉄屑と化すのだ! 撃て! あの忌々しい鉄路ごと、すべてを塵芥に帰せ!!」
ゴオオオオオオオオッ!
虚無の巨神の単眼が、不吉な紅蓮の光を収束させ始めた。
平原の草木が熱波によって一瞬で黒焦げとなり、大気が陽炎のように揺らめく。
巨神の狙いは、アルカディア平原の中央を貫く銀の主幹線レール。そして、そこに停車している三編成の魔導列車であった。
「――来るぞ!」
待機線に控えていた重装甲列車『鉄槌号』の艦橋で、ドワーフの重鎮バランが叫んだ。
「結界装甲最大出力! 踏ん張れ野郎ども、絶対にレールを踏み外すんじゃねえぞ!」
「対空装甲列車『迎撃号』、防空障壁展開!」
エルフの技師長セレスティアも即座に呼応し、迎撃号の多層魔法陣を空へと展開した。
ビィィィィィィィッッ!!
巨神の単眼から放たれたのは、直径十メートルに達する極太の暗黒熱線だった。
光線が平原の地面を掠めただけで、深さ数メートルのガラス化した大穴が穿たれ、爆風と土煙が天を覆う。
その直撃コース上には、敷設されたばかりの複線レールが存在していた。
「させるかよッ!!」
叫んだのは、保線区の作業着に身を包み、レールの継ぎ目で最後のボルトを締め上げていた男――元勇者、アーノルド・フォン・レオンハルトであった。
手にした魔導レンチを地面に突き立て、かつての聖剣の加護ではなく、自らの肉体と魂に刻み込んだ『鉄道員』としての意地を込めて魔力を叩き込む。
「この線路はなァ! 俺たちが泥水すすって、一本一本繋いできた血と汗の結晶なんだよ! お前らのような略奪者に、傷一つつけさせてたまるかァァッ!」
アーノルドの叫びに呼応するように、周囲に展開していた数百人の元帝国兵や保線作業員たちが、一斉に魔導転圧機と保線用防護バリアを一斉起動した。
バシィィィィィンッ!
直撃こそセレスティアの迎撃号が張った偏向障壁で逸らされたものの、熱線の余波が平原の土を猛烈に吹き飛ばす。
アーノルドは飛来する小石と熱風に皮膚を焼かれながらも、一歩も引かずに叫んだ。
「枕木、異常なし! 軌条の歪み、許容誤差範囲内! 列車を通せェッ!」
その声は、無線を通じて創世号のコックピットへと届いていた。
「……よく耐えてくれた、アーノルド」
ハルトの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
狂気の兵器を前にしても、線路を守る者たちの信念は微動だにしなかった。その確信が、ハルトの確信を鉄よりも堅固なものへと昇華させる。
「アステリア様、全システム同調の準備を」
「はい、ハルト様! 創世号の古代魔導炉、バイパス回路を完全開放しました。出力、定格の百八十パーセントまで上昇可能です!」
アステリアの白く細い手が、コンソールのキースイッチを次々と反転させていく。
彼女の全身から溢れ出る澄んだ魔力が、創世号の白銀のボディを青白いプラズマの光球へと包み込んでいった。
平原の彼方では、巨神が次なる熱線の装填を開始していた。
一度目の余波を耐え凌がれたことに怒り狂ったヴァルハイトが、指揮戦車の上で喚き散らしている。
「ええい、無駄な抵抗を! 今度こそ消し飛ばせ! レールごと、あの薄汚い裏切り者どもを焼き尽くしてしまえ!」
巨神の巨体が軋み、胸部の魔力核が第二段階の励起状態に入る。
放たれようとしているエネルギーは、先ほどの一撃の三倍以上。直撃を受ければ、結界ごと平原の一角が消滅する破壊力だった。
だが、ハルト・クゼの瞳に焦りの色は欠片もない。
「十三時三十八分。敵の充填完了まで、あと六十秒」
ハルトは静かに懐中時計を閉じ、胸ポケットへと滑り込ませた。
そして、全車両の乗務員に向けて、静音マイクを通じて通告した。
「全車掌、各機関士へ通達。――これより、アルカディア鉄道史上初となる『三編成複合・直列同期連結作戦』を敢行する」
ハルトの声が、大平原に響き渡る。
「力押ししか能のない古代兵器に、定時運行と規格統一がもたらす『真の科学の力』を教えてやろう」




