第59話:十万の大軍 vs 一本の鉄路
午後一時零分。
アルカディア大平原――見渡す限りの広大な草原の地平線を、漆黒の鉄の波が完全に埋め尽くしていた。
帝国中央総軍、総兵力十万。
地鳴りのように大地を揺るがす八万の重装歩兵の軍靴、一万の重装甲騎兵の荒い鼻息、五百台の重魔導戦車の無限軌道が巻き上げる猛烈な土埃。
そして隊列の中央、雲海に頭部を突き刺さんばかりにそびえ立つ、五十メートルの黒い悪夢――『虚無の巨神』。
巨神の単眼が怪しく赤く明滅し、一歩足を踏み出すたびに、大地がマグニチュード五の地震に見舞われたかのように波打っていた。
その十万の大軍の前方に広がっていたのは、緑の草原を美しく幾何学模様に切り裂く、何条もの銀色の鉄路であった。
本線、待避線、外郭環状線、立体交差高架橋――ハルトが数ヶ月の歳月をかけて敷き詰めた、アルカディア鉄道の巨大な「鉄路の網」である。
「……ふん、笑止千万な玩具の道よ」
巨神の足元、黄金の装甲指揮車の上に仁王立ちした第一皇子ヴァルハイトが、冷酷な嘲笑を浮かべて軍刀を抜いた。
「二本の鉄の棒が何本あろうと、十万の軍靴と巨神の足元で踏み潰せばただの屑鉄だ。全軍、突撃せよ! アルカディアの街を完全に包囲し、一人残らず踏み躙れ!」
ヴォォォォォォォォンッ!!
突撃の進軍ラッパが十万の将兵に轟き渡った。
先鋒の魔導戦車五百台が一斉に黒煙を噴き上げ、主砲を構えて前進を開始する。
だが、その瞬間――。
フォォォォォォォォォォォンッ!!
平原の東の丘陵から、地平線を切り裂く重厚な鋼鉄の汽笛が鳴り響いた。
作戦開始時刻、十三時零分零秒。
時計の針が重なったまさにその瞬間、銀のレールの上を、時速百二十キロの神速で疾走してきたのは、漆黒の要塞――『重装甲列車・鉄槌号』であった!
「野郎ども、ハルト総裁のダイヤグラム通りにぶちかませぇぇっ!!」
先頭車両の天蓋から上半身を乗り出したバロック親方が、巨大なハンマーを振り下ろした。
ギィィィィィィン……ドパァァァァンッ!!
主砲の百二十ミリ電磁レールガンが火を噴いた。
音速の三倍で放たれた超硬度ミスリル徹甲弾が、突進してくる敵魔導戦車隊の先頭車両を正面から貫通し、背後の燃料弾薬庫ごと大爆発させた。
ドガアアアアアンッ!!
吹き飛ぶ戦車の砲塔。さらに鉄槌号側面に配備された十基の四十ミリ魔導機関砲が、毎分千発の濃密な弾幕を平原に撒き散らし、先頭の戦車部隊を一瞬で鉄屑の山へと変えた。
「ぎゃあああっ!」「横からだ! 側面に鉄の化け物が突っ込んできたぞ!」
「撃て、撃ち返せ!」
帝国軍の戦車隊が慌てて砲塔を旋回させようとしたが、遅すぎた。
時速百二十キロ。
鉄槌号は立ち止まることなく、敵の射程を瞬く間にすり抜け、複線レールの立体交差を滑らかに駆け上がって高台へと退避していった。
「ち、ちくしょう、消えやがった! どこへ行った!?」
「上だ! 頭上を見ろ!」
混乱する帝国軍の右翼に、今度は外郭高架線を走行する鈍銀の列車――『迎撃号』が姿を現した。
「チーフ車掌ミュウ、掃射ダイヤグラム開始ニャ!」
ズガガガガガガガガガッッッ!!
十六門の八十八ミリ高射機関砲が水平射撃へと切り替えられ、密集していた八万の重装歩兵の隊列へ向けて、容赦ない炸裂弾の豪雨を叩き込んだ。
歩兵陣地の盾襖が一瞬で粉々に吹き飛ばされ、兵士たちが悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「ひるむな! 戦車隊、線路を分断しろ! 奴らの退路を断つためにレールを破壊せよ!」
ヴァルハイトが激怒して怒鳴り散らした。
だが、その命令すら、ハルトの運行計画の前には無意味であった。
平原の要所に設置された信号所と転轍機。
そこでは、煤まみれの作業着を着たアーノルド、ガイル、エレナが、激しい銃砲火の吹き荒れる中、命がけでレバーを握りしめていた。
「第二分岐点、レバー前転! 鉄槌号を本線から待避線へ誘導!」
「ガイル、ボルト締め完了したぞ! エレナ、次のポイントの転轍合図を出せ!」
「了解よ! 第三信号、青! 迎撃号、そのまま突っ切って!」
ガチャン、ガチャン、ガチャン――!
三人の決死のポイント切り替えにより、鉄槌号と迎撃号は、まるで生き物のようにレールの上を縦横無尽にスイッチバックし、敵の包囲網を嘲笑うかのように神出鬼没の機動を繰り返した。
帝国軍が砲撃を集中させようとすれば、すでに列車は別の線路へ退避している。
戦車が線路を塞ごうとすれば、立体交差の上から砲撃が降り注ぐ。
十万の大軍は、ハルトが張り巡らせた「鉄路の迷宮」の中で完全に身動きを奪われ、味方同士で押し合いへし合いの大渋滞を起こして自滅を始めていた。
「お、おい! 後ろの部隊、押すな! 崖から落ちるぞ!」
「前が詰まっている! 進軍できない!」
将軍たちの悲鳴が無線を埋め尽くす。
十万の軍勢が、たった二両の列車によって、手も足も出ない泥沼の機能停止へと追い込まれていた。
「おのれ……おのれ、虫けらどもがぁぁぁぁっ!!」
ヴァルハイトの形相が、屈辱と怒りで鬼のように歪んだ。
近代インフラの機動力と規律を前に、己の誇る大軍がいかに無力であるかを見せつけられた男は、ついに最後の狂気の引き金を引いた。
「巨神よ! すべてのレールごと、アルカディアを焼き尽くせ! 『古代重力熱線砲』、最大出力照射ぁぁぁぁっ!!」
ゴオオオオオオオオオッ!!
虚無の巨神の胸元が、禍々しい紫色の光を帯びて膨れ上がった。
山をも蒸発させる終末の熱線が、アルカディアの街へ向けて放たれようとしていた――その時であった。




