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第46話:帝国中央の暗雲

神聖ルクセンベルク帝国の帝都――白亜の巨城ルクセンベルク宮殿の最深部、重厚な赤絨毯が敷き詰められた最高軍事統帥会議室。

 豪奢なシャンデリアの冷たい灯火の下、円卓を囲む帝国陸海軍の将星たち、そして主戦派の門閥貴族たちが息を潜めて、玉座の脇に直立する長身の男を見上げていた。

 漆黒の将官軍服に身を包み、胸元に無数の黄金の戦功勲章を佩用したその男――帝国第一皇子にして、帝国中央軍総司令官、ヴァルハイト・フォン・ルクセンベルク。

 失脚した第二皇子ゼノスのような温室育ちの貴族趣味とは根本から異なり、十代半ばより北方や東方の過酷な極寒国境戦線を歴戦し、敵対部隊を焦土作戦で徹底的に殲滅してきた「鉄血の覇王」である。

 その引き締まった顎髭と、鋼のように冷徹な灰色の瞳には、一切の妥協も躊躇も存在しなかった。


「……ゼノスの無能ぶりには反吐が出る」


 ヴァルハイトの氷のように平坦な一言が、静まり返った会議室に響き渡った。

 その低音の響きだけで、歴戦の将軍たちの背筋がピシリと凍りつく。


「たかが五百騎の装甲騎兵を動かした挙句、辺境の泥棒列車一両に十四分五十秒で返り討ちに遭い、全員が線路工事の土工に成り下がっただと? 帝国の三百年におよぶ不敗の軍事的権威を、泥水の中に叩き落とした万死に値する大失態だ。あのような腑抜けを離宮への謹慎処分などで済ませた父帝の温情も、生温くて吐き気がする」


 円卓を囲む軍首脳部が、一斉に唾を飲み込んだ。

 ヴァルハイトが激怒しているのは、ゼノスの無様な敗北そのものだけではない。

 病床にある皇帝フリードリヒ四世が発した親書によって、『アルカディア鉄道特別自治区』の完全独立と治外法権が公式に承認されてしまったこと――帝国による全大陸覇権統一という軍部の悲願に、巨大な風穴を開けられたことであった。


「殿下、しかしながら……現実は極めて深刻でございます」

 円卓の端で、老齢の軍務尚書が青白い顔で羊皮紙の束を震わせながら口を開いた。

「アルカディア鉄道の物流ネットワークは、いまや帝都の中央市場の息の根を完全に握っております。オラクルから運ばれる安価で良質な小麦、黒鉄山脈の超高純度鉄鉱石、エルフの樹海から届く万能治癒薬草……これらすべてが、あの鉄道の定時運行によって供給されているのです。もし我が軍が強引に軍事行動を起こし、鉄道の運行を停止されれば、帝都の百万人を超える民衆は三日で飢餓に陥り、軍需工廠の炉は燃料切れで冷え切ります。経済の血流を完全に握られている以上、迂闊な刺激は国家の自滅を招きかねません……」

「だからこそ、だ」


 ヴァルハイトは机の上に両手をつき、軍務尚書を射抜くように睨みつけた。

 その瞳に宿る威圧感は、猛獣が獲物の喉笛を狙うかのようであった。


「我が帝国の喉元に、他国の刃が突きつけられているのだぞ。あのハルト・クゼという平民技師が一言『運行停止』を宣言すれば、帝国十万の軍勢が武器を持たずして餓死するのだ。そのような致命的な首輪を他人に嵌められたまま、国家の主権を語るなど笑止千万! 自らの生命線を他人の慈悲に委ねる国など、もはや独立国家ではない!」


 ダンッ! とヴァルハイトの黒革の手袋が、重厚な円卓の中央に叩きつけられた。

 大理石の灰皿が跳ね上がり、将軍たちがびくりと肩を震わせる。


「あの鉄道は、奪うのではない。我が帝国の完全なる軍事統制下に置き、全大陸征服のための『絶対的兵站幹線』へと作り変えるのだ。オラクルからアルカディアに至る鉄路を強制接収し、あの魔導装甲列車とレールガンの技術を我が軍の主力兵器として量産配備する。そうすれば、長年睨み合ってきた東方の強大国すら、わずか一刻の電撃戦で蹂躙できる」


 ヴァルハイトの冷酷な言葉に、主戦派の若手将校たちの瞳がギラリと濁った欲望に光った。

 力こそが正義。

 近代インフラがもたらす豊かさを、軍事力による覇道のための踏み台として利用する――それが帝国軍国派の導き出した結論であった。


「ですが殿下、現地の防衛力は侮れません。密偵からの最新報告によりますと、アルカディア駅の周囲には強固な複合結界が張られ、装甲列車『鉄槌号』に搭載された百二十ミリレールガンの有効射程は二十キロメートルにおよびます。さらに、かつて帝国最強のSランクパーティ『白銀の流星』を率いていた勇者アーノルドや聖女エレナが、アルカディアへ潜入したものの瞬時に拘束され……現在では作業着を着て、駅の便所掃除や床磨きに従事させられているとの情報もございます」

「……ふん、笑わせる」


 ヴァルハイトは嘲笑を漏らし、机の上の報告書を一瞥した。


「勇者などという看板を掲げた三流の道化師どもが、モップを握って更生させられているだと? 身の程知らずの寄生虫にはお似合いの末路だ。だが、あのハルトという男……ただの平民技術者にしては、反逆者を殺さず労働力として組み込むなど、冷徹な統率力を持っているようだな。ますます生かしておくわけにはいかん」


 ヴァルハイトは背後の壁を覆っていた巨大な大陸全図のビロードの垂れ幕を、鋭い手つきで引き払った。

 現れたのは、大陸中央から東方へと広がる広大な海――『暗黒海峡』の極秘海図であった。


「奴らがどれほど強力な列車を持っていようと、鉄道とは所詮『敷かれたレールの上しか走れぬ』不自由な乗り物に過ぎん。レールを分断し、空から急襲すれば、四百トンの装甲列車とてただの巨大な鉄の棺桶だ」

「空から……? まさか殿下……!」

「そうだ。帝立魔導工廠が過去十年の歳月と国家予算の三分の一を投じて建造を進めてきた、我が帝国の至宝――『超弩級空挺魔導戦艦隊』、全三十隻の就役が完了した」


 会議室がざわめいた。

 全長百二十メートル、浮遊魔石機関によって雲上を航行し、重力爆弾と魔導火炎放射器を搭載した空飛ぶ要塞群。

 地上のいかなる騎兵も、歩兵も、そして線路の上しか走れない列車であっても、上空数百メートルからの飽和爆撃に対抗する術など存在しない。


「さらに――我が帝国調査隊は、暗黒海峡の底に眠る古代超文明の遺跡の暗号解析に成功した。神話の時代に大陸を焼き尽くしたとされる古代禁呪兵器群の封印を解くのも、もはや時間の問題だ」


 ヴァルハイトの灰色の瞳に、昏い狂気の炎が宿った。


「ハルト・クゼ……追放された荷物持ちの分際で、世界の王にでもなったつもりでおるようだが、所詮は地べたを這いずる虫けらに過ぎん。空からの業火で貴様の自慢のレールを焼き払い、我が軍靴の下でその傲慢な首を踏み躙ってくれる」


 冷徹なる宣告とともに、ヴァルハイトは軍帽を深く被り直した。

 会議室の外、帝都の巨大軍港からは、三十隻の浮遊戦艦が黒煙を吹き上げて浮上を開始する地鳴りが響いていた。

 独立の喜びに沸くアルカディア鉄道特別自治区の頭上に、帝国の真の巨獣が、圧倒的な暴力の嵐を伴って刻一刻と迫りつつあった。

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