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第45話:夜明けの大陸特急(第2章完結)

時速百四十キロメートル。

 かつて旅人が数ヶ月をかけて命がけで踏破していた広大な大地を、大陸横断超特急『オーロラ号』は、風の刃となって滑らかに切り裂いていた。

 最後尾に連結された、全面曲面ガラス張りのパノラマ展望デッキ。

 磨き抜かれたクリスタルガラス越しに、後方へと流れるように飛び去っていく二条の白銀のレールが、朝日に照らされて黄金の帯のように眩く輝いている。

 テーブルの上には、銀のティーポットから注がれたばかりの香り高いアールグレイティーと、オラクル産の採れたて生クリームを贅沢に添えたエルフの木苺タルト。

 心地よいレールの継ぎ目音――タタン、タタン、タタン――という規則正しく澄んだリズムが、優雅な室内楽のように車内に満ちていた。


「素晴らしい眺めですね、ハルト様」


 濃紺の副総裁制服に身を包んだアステリアが、緋色の瞳を細めて車窓の外を見つめた。

 視界いっぱいに広がるのは、見渡す限りの黄金色に輝くオラクルの広大な麦畑であった。

 かつて泥水と雑草に覆われ、絶望に沈んでいた貧民街は、いまや大陸最大の穀倉地帯へと見事な変貌を遂げていた。

 整然と区画された水路には清らかな水が流れ、巨大な風車とレンガ造りの穀物サイロが青空の下で力強く回転している。

 畑のあぜ道では、作業着を着た農夫たちが手を止め、疾走するオーロラ号に向かって麦わら帽子を大きく振っていた。

 車内の乗客たちもまた、窓に手を振って笑顔を返している。


「ほんの数ヶ月前まで、ここは絶望の荒野でした。民は飢えに震え、明日の命すら諦めていた。……それが今では、誰もが誇りを持って働き、笑顔でお腹いっぱいにパンを食べています。すべて、あなたがこの鉄路を敷いてくれたおかげです」

「私だけの力ではありませんよ、アステリア様」


 向かいの席に座るハルトは、穏やかに首を横に振った。


「ドワーフたちが頑丈なレールを鍛え、エルフたちが大地の龍脈を整え、現場の工夫たちが毎日泥まみれになって石を運んでくれた。そして、元勇者パーティの彼らでさえ、今では駅の足元をゴミ一つなく磨き上げてくれている。誰か一人の英雄の力ではなく、何千、何万という人々の誠実な労働の積み重ねが、この列車を走らせているのです」


 ハルトの言葉には、一片の驕りもなかった。

 かつてパーティで「無能な雑用係」として捨てられた青年は、今や大陸の覇者となりながらも、労働の尊さと現場の重みを誰よりも深く理解していた。


 フォォォォォォォンッ!


 鋭い汽笛とともに、オーロラ号は巨大な鉄橋へと差し掛かった。

 眼下に広がるのは、かつて旅人を呑み込み恐れられていた『死の峡谷』の断崖絶壁。

 だが、バロック工房が心血を注いで架橋したトラス鋼鉄橋の上を、列車は何の揺らぎもなく滑るように通過していく。

 窓の外の景色は、瞬く間に黒鉄山脈の力強い岩肌から、翡翠の樹海の幻想的な緑の回廊へと移り変わった。

 高架レールから放出される清浄なマナ粒子が、森の木々をエメラルド色に輝かせ、枝の間から色とりどりの精霊たちが飛び出して列車の窓を戯れるようにかすめていく。


「うにゃ〜! 食堂車も大繁盛ニャ!」


 ワゴンを押しながら、チーフ車掌のミュウが小走りで展望デッキへとやってきた。

 制帽を少し斜めに被り、フサフサの尻尾をご機嫌に揺らしている。


「オラクルの炊きたて新米おにぎりと、黒鉄山脈の燻製猪肉ステーキ、それに樹海特製ハーブティーのセットが飛ぶように売れてるニャ! 王都から来た大商人たちも『こんな贅沢で美味い旅は生まれて初めてだ』って涙を流して食べてるニャ!」

「ふふ、良かったわね、ミュウ。あなたの車内アナウンスも、とても好評のようですよ」

「えへへ、副総裁に褒められちゃったニャ!」


 平和で、温かく、生命の喜びに満ちた空間。

 分断されていた世界が一つに結ばれ、人と物と心が自由に交錯する。

 ハルトの目指した『魔導鉄道による世界変革』の第一期計画は、いま名実ともに完璧な大成功を収めていた。


 しかし。

 ハルトの視線は、展望デッキの窓のさらに向こう――東の地平線へと向けられていた。

 そこには、神聖ルクセンベルク帝国の本国、そして世界を東西に両断する巨大な未踏の海――『暗黒海峡』が横たわっている。


「……ハルト様?」


 アステリアが、青年の横顔の鋭い変化に気づき、小首をかしげた。


「何か、気になることでも?」

「ええ。第二皇子ゼノスは失脚しましたが、帝国の軍国主義派閥……第一皇子率いる本国軍が、このまま引き下がるとは思えません」


 ハルトは懐から、一通の暗号通信文を取り出した。

 王都の商業連合カルディ理事長から極秘裏に送られてきた情報であった。


「帝国中央は、我が鉄道自治区の驚異的な発展に恐れをなし、水面下で古代兵器の発掘を進めているようです。世界を二分する暗黒海峡の底……古代超文明が遺したとされる、神話の軌道要塞と『古代超特急・創世号』の遺構を」

「古代超特急……!? 神話の時代に、大陸間を一日で結んでいたという伝説の……!?」

「はい。もし帝国の強硬派があの古代技術を軍事転用し、大陸横断鉄道の破壊を目論むなら――その時は、このオーロラ号の速度と防衛力だけでは対抗できません」


 ハルトの瞳に、静かな、だが決して消えることのない闘志の炎が宿った。


「私たちは、さらに先へ進まねばならない。海を越え、大陸全土を一本のレールで繋ぐ『大陸間超高速鉄道網』――それこそが、いかなる戦争も無力化し、世界に真の恒久平和をもたらす唯一の道です」

「大陸間超高速鉄道……!」


 アステリアは息を呑み、そして深く頷いた。

 この青年の視座は、常に時代の遥か先を見据えている。

 彼と共にある限り、どんな険しい山も、どんな深い海も、必ず一本の光のレールによって切り拓かれるに違いない。


「参りましょう、ハルト様。世界の果てまで……あなたの敷くレールの行く先へ、私はどこまでも共に行きます」

「ありがとうございます、アステリア様」


 ハルトは微笑み、懐中時計の銀の蓋を開け、正確無比な時を刻む秒針を見つめた。

 そして、パチンと心地よい音を立てて蓋を閉じた。


 カチリ。


「午前十時零分。第一期大陸環状幹線、全線直通オーロラ号――完全定時運行中。異常なし」


 東の空から昇り始めた朝の太陽が、地平線を黄金色に染め上げていく。

 その光を一身に浴びながら、白銀の超特急は、次なる未踏のフロンティアへ向けて、力強い轟音とともに加速していった。


 ――追放された雑用係の物語は、いま、世界を統べる王道へと昇華する。

 鉄路は止まらない。

 遅延は、絶対に許さない。



(第2章『物流革命と勇者パーティの自滅』 ――完)

(第3章『古代超特急の覚醒と大陸決戦』へ続く)

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