第4話:銀のレールと魔力転換炉
翌朝。
東の地平線から昇る朝日が、アルカディア領の赤茶けた荒野を紫金色に染め上げていた。
水路の底から引き揚げられた漆黒の魔導蒸気機関車――『零式一号機』は、村の中央にある開けた広場へと据え付けられていた。
一晩かけて領民総出で磨き上げられたその巨躯は、かつての泥と錆をすっかり落とし、朝露に濡れて鈍い鋼の輝きを放っている。
「ハルト様、朝食をお持ちしました。……干し肉と固焼きのパンしかありませんが」
銀髪を三つ編みに結び直し、相変わらず粗末な麻の作業着姿のアステリアが、木皿を抱えて歩み寄ってきた。
皿の上にあるのは、指で割るのも一苦労しそうな黒パンと、塩辛い干し肉の切れ端。これが領主である彼女の「最高のもてなし」だった。
「いただきます。十分ですよ、アステリア様」
「申し訳ありません……。せめて新鮮な野菜や果物でもあれば良いのですが、この土地では育たず、商人たちも運んでくれませんから……」
恥ずかしそうに伏し目がちになるアステリアに、ハルトはパンをちぎって口に運びながら笑った。
「すぐにお腹いっぱい、美味いものが食べられるようになりますよ。――俺がこれから敷く、この道があれば」
「道……ですか?」
ハルトは立ち上がり、腰の革袋から一本のミスリル杭を取り出した。
そして、機関車の前頭部、鋭利な排障器が向けられた先の地面へと歩み出る。
荒野の果て、魔境の瘴気が壁のように立ち塞がる東の彼方を見据え、ハルトは深く息を吸い込んだ。
「【魔導軌道敷設】、起動」
ハルトが地面にミスリル杭を突き刺した瞬間、彼の手のひらから眩い銀白色の光が溢れ出した。
その光は大地を伝い、地中深くを流れる膨大なエネルギー――『龍脈』へと瞬時に接続された。
ドクンッ! と、大地の鼓動がハルトの全身を駆け抜ける。
ハルトの瞳が淡い青色に輝き、脳内にアルカディア全域、そしてその遥か先まで続く地脈の奔流が、完全な等高線図となって立体展開された。
(龍脈の深度、地下三メートル。流速、毎秒四十リッター相当。地盤の強度は……花崗岩質、基礎工事にはうってつけだ。軌間は標準軌、千四百三十五ミリメートルに設定)
「顕現せよ――銀の轍」
ハルトが強く念じると、地面に突き刺さったミスリル杭を起点として、二本の眩い光の筋が、荒野の地表を這うように前方へと真っ直ぐに伸びていった。
光の筋は、地中の土砂や鉱物を瞬時に再結晶化させ、冷たく硬質な二本の「実体化されたレール」となって大地に根を下ろしていく。
「な……何ですか、これは……!?」
パンを落としそうになりながら、アステリアが息を呑んだ。
村人たちも家々から飛び出し、信じられないものを見る目で大地を見つめている。
幅約一・四メートル。寸分の狂いもなく平行に伸びる二本の銀の線条。
だが、驚くべきはそれだけではなかった。
レールが伸びていく先、地面を這っていた赤黒い魔境の『瘴気』が、銀の線条に触れた瞬間――まるで聖水に触れた油煙のように、ジュウジュウと音を立てて純白の蒸気へと浄化され、霧散していったのだ。
「瘴気が……消えている!? あの、触れるだけで人間を蝕む死の霧が……!?」
「レールに流れているのは、大地本来の清浄な龍脈のエネルギーだ」
ハルトは振り向き、驚愕するアステリアと領民たちに説明した。
「瘴気とは、龍脈の流れが滞り、腐敗して溜まった澱みに過ぎない。このレールは、大地に直接『バイパス血管』を通しているようなものだ。レールが敷かれた場所の周囲十メートル以内は、常に強力な浄化結界が自動展開される。……つまり、魔獣はこのレールの上には一歩も足を踏み入れることができない」
「魔獣が、入ってこれない……? そんな、馬車隊を何百と全滅させてきた魔境の荒野に……絶対に安全な道ができるというのですか!?」
老いた農夫バランが、震える手でレールに触れた。
ひんやりとした滑らかな鉄の感触。そして、手のひらから伝わってくる温かな大地の魔力。
それは、何百年もの間、魔物の恐怖と飢餓に怯え続けてきた彼らにとって、神の奇跡そのものだった。
「ただし、レールを敷いただけでは駄目だ。アステリア様、村の男たちを貸してください」
「えっ? はい、もちろんです! 何を作れば良いのですか?」
「【道床】と【枕木】だ」
ハルトは地面に図面を描きながら、矢継ぎ早に指示を出した。
「レールは敷設しただけでは、何十トンもある機関車が通過した時の衝撃で沈み込んで歪んでしまう。川原から角の尖った硬い割栗石を集めてレールの下に敷き詰める。そして、頑丈な硬木を切り出して等間隔に並べ、レールを固定するんだ。石の噛み合わせが列車の振動を吸収し、百年耐えうる強靭な軌道を作る」
「分かりました! 皆さん、聞こえましたね! 石集めと木材の加工です! 私たち自身の手で、この道を完成させるのです!」
「「「おおおおおっ!!」」」
昨日まで絶望に沈んでいた村人たちの目に、猛烈な情熱の炎が灯っていた。
誰もが我先にとカゴとツルハシを手に取り、荒野へと駆け出していく。
アステリアも自ら作業着の袖を捲り上げ、大石を両手で抱えて運び始めた。
ハルトはその熱気を感じながら、機関車の運転台へと乗り込んだ。
煤けた真鍮のバルブを一つずつ点検し、昨夜バイパス修理を施した魔力転換炉の圧力計を確認する。
炉心にはすでに、敷設されたレールを通じて地中の龍脈から無尽蔵の魔力が吸い上げられ、青い炎となって静かに渦巻いていた。
圧力計の針が、中央の安全領域を指してピタリと安定している。
「ボイラー蒸気圧、規定値到達。ブレーキ配管の気密性、良好。軌道延長、目標の一キロメートルまであと少し」
ハルトは運転席の窓から顔を出し、汗水流して石を敷き詰めるアステリアと領民たちの姿を見つめた。
前世で、徹夜の保線作業に明け暮れた仲間たちの顔が重なる。
安全とは、誰かの祈りではなく、現場の流した汗の結晶だ。
太陽が高く昇りきった正午。
荒野の真ん中に、美しく整地された砂利の上に、光り輝く一キロメートルの銀のレールが一直線に完成した。
「ハルト様……! 敷き終わりました! 一キロ先まで、すべて石と木で固定しました!」
息を切らし、泥と埃で顔を真っ黒にしたアステリアが、運転台のハルトを見上げて満面の笑みを咲かせた。
「お疲れ様でした、アステリア様。素晴らしい道床だ。これなら何百トン通ってもビクともしない」
ハルトはスロットルレバーを握りしめ、運転台の真鍮の鎖――汽笛弁へと手を伸ばした。
「準備は整った。――これより、『開拓者一号機』、試運転を開始する」




