第3話:眠れる古代の巨躯
カラカラに干上がった水路の底。
午後になり、西へと傾いた太陽が、赤茶けた荒野に長く鋭い影を落としていた。
周囲には、鍬やツルハシを手にした数十人の領民たちが息を殺して輪を作っている。その視線の先にあるのは、地中から半分ほど掘り起こされた、異様極まりない漆黒の鉄塊だった。
「ひ、姫様……本当に大丈夫なのですか? そいつは、昔この国を滅ぼしたという古代帝国の呪われた魔導兵器では……」
「もし何かの拍子に暴走して、村が火の海にでもなったら……!」
不安と怯えに満ちた声が、あちこちから漏れ聞こえる。
魔境に隣接するこの辺境では、古代遺跡から発掘される遺物の多くが、暴走して周囲を破壊し尽くす「災厄の種」として恐れられてきた。彼らの恐怖は無理もないことだった。
「皆さん、静かにしてください!」
アステリアが凛とした声で民衆を制した。
泥のついた作業着のまま、彼女はハルトの隣に並び立ち、領民たち全員を見渡す。
「ハルト様は、私たちが生き延びるための道を敷くために来てくださった技術者です。疑う前に、まずは彼の言葉を聞いてください。……ハルト様、どうでしょうか?」
「心配いらない」
ハルトは作業用手袋を嵌め直し、巨大な鉄塊の側面に張り付いた固い泥と錆を、金属ベラで手際よく削ぎ落としながら言った。
「呪いでも兵器でもない。これは純然たる輸送機械――【魔導蒸気機関車】だ。殺傷用の主砲も、周囲を無差別に攻撃する魔力放射器もどこにもついていない。あるのは、巨大な重量物を前へ前へと引っ張るための、極めて純粋な推進機構だけだ」
ハルトが泥を払った装甲の表面から、かすかに銀色の象嵌が浮かび上がった。
古代帝国の神聖文字で刻まれた銘板――『形式名:零式汎用軌道牽引車・一号機』。
(やはりな。前世の蒸気機関車で言えば、幹線輸送用のマンモス機……D51やC62に匹敵する、全長二十メートル超の大型機だ)
ハルトは胸を熱くさせながら、脳内で【空間座標把握】のスキルを最大出力まで引き上げた。
青い透過光がハルトの視界を覆い、機関車の分厚い装甲板の内側が、骨格標本のように透けて見えてくる。
頑強な棒台枠のシャーシ。
直径一メートル七十五センチに及ぶ巨大な三対の鋳鋼製動輪。
シリンダーから動輪へと力を伝える主連棒とピストン。
そして、機関車の心臓部である車体中央のボイラー室――そこには、現代日本の科学と、この世界の超古代魔導技術が融合したような、驚異的な構造が眠っていた。
「……信じられないな。魔石を燃やすタイプじゃない。大地を流れる『龍脈』の環境魔力を直接取り込み、超高圧の過熱魔力蒸気を生み出すハイブリッド熱交換炉だ」
「龍脈を……直接? そんなことが可能なのですか?」
身を乗り出してきたアステリアに、ハルトは頷いた。
「普通、龍脈の魔力は荒れ狂う奔流だ。直接機械に流し込めば炉心が耐えきれずに爆発する。だが、この機関車のボイラーには、魔力の波長を一定の周波数に整流する『多重結界バイパス』が組み込まれている。……おそらく、古代文明が滅びた時に炉心が強制冷却され、そのまま数百年もの間、深い休眠状態に入っていたんだ」
「では、動くのですか……!?」
「理論上は動く。だが――」
ハルトは機関車の側面、巨大なボイラー管が密集する区画を指差した。
太い魔導配管の一部が、落石か何かによって押し潰され、接続部から黒ずんだ結晶質の液体が滲み出していた。
「安全装置が作動している。バイパス配管が潰れて魔力の循環が止まったため、炉心爆発を防ぐためのフェイルセーフ弁が閉鎖したままだ。これを解除しない限り、火入れはできない」
「そ、そんな……直すための部品など、この村にはありません……!」
アステリアの表情が曇る。
古代帝国の特殊合金で作られた魔導配管など、王都の一流魔導工房ですら再現不能な代物だ。
だが、ハルトの顔には焦りの色は微塵もなかった。
彼はリュックから、深層ダンジョンの過酷な現場を共に生き抜いてきた自前の工具箱を取り出した。
「専用の部品がなければ、現場にあるものでバイパスを組む。――それがインフラ屋の仕事だ」
ハルトは工具箱から、予備のミスリル製結界杭を二本取り出した。
さらに、高圧魔導ケーブルの切れ端と、耐熱性の魔導絶縁テープを素早く並べる。
「アステリア様、少し手伝ってくれ。俺が配管の圧力を逃がすバルブを緩めたら、その隙間にこの結界杭を差し込んで、魔力の逆流を防ぐアースとして固定してほしい」
「は、はい! 私にできることなら何でも命じてください!」
皇女自らが袖を捲り上げ、ハルトの指示通りに結界杭を両手でしっかりと構える。
ハルトは大型のレンチをボイラーの閉鎖弁に噛ませ、全身の体重をかけて一気に引き絞った。
キィィィィン――ッ!
耳を劈くような金属の悲鳴とともに、頑丈に固着していた弁がミリ単位で回転した。
プシューッ! と、圧縮されていた数百年分の淀んだ冷気と魔力ガスが激しく噴き出す。
「今だ、アステリア様! 杭を奥の魔導回路のバイパス接点へ!」
「はいっ……! 届け……っ!」
アステリアは吹き荒れる突風に髪を乱しながらも、一歩も退かずに結界杭を噴出口の根元へと力強く押し込んだ。
カチリ、と杭の先端が魔導回路に噛み合い、青い火花がパチパチと弾ける。
ハルトは即座に魔導ケーブルを結界杭とフレームのアース端子に巻き付け、スパナで一気に本締めを行った。
ゴォォォォォ……ッ。
次の瞬間、大地の底から響くような重厚な地鳴りが、機関車の巨大な鉄の巨躯を震わせた。
装甲の隙間から漏れ出す淡い光が、赤から青、そして清廉な白へと変化していく。
運転台の窓の奥で、埃を被っていた無数の計器類の針が、カチカチと音を立ててゼロの位置から跳ね上がった。
「あ……ああっ……! 光が……!」
見守っていた農民たちが、あまりの光景に尻餅をついた。
それは恐怖の光ではなかった。
まるで、数百年もの永き眠りから目覚めた巨人が、力強く肺いっぱいに息を吸い込んだかのような、圧倒的な生命の胎動だった。
「……よし。バイパス接続完了、圧力計正常。セーフティロックの解除を確認」
ハルトは額の汗を拭い、黒光りする機関車の装甲をポンと叩いた。
その顔には、職人としての誇り高い笑みが浮かんでいた。
「生きている。こいつはまだ、走る気満々だ」
巨躯の覚醒を見つめるアステリアの瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
ただの鉄の塊が、自分たちを絶望の底から引きずり上げてくれる「希望の神」に見えたのだ。
「ハルト様……本当に、蘇ったのですね……!」
「ああ。だが、心臓が動いただけじゃまだ走れない。次はこいつの脚――大地に《線路》を敷く」
ハルトの視線はすでに、アルカディアを取り囲む果てしない魔境の荒野、その先にある地平線へと向けられていた。




