第27話:王都を揺るがす敗報
神聖ルクセンベルク帝国の帝都、その中心にそびえ立つ白亜の巨城――ルクセンベルク宮殿。
天を突く尖塔群と純金で彩られたアーチが連なる豪奢な大広間では、本日も豪奢な絹をまとった貴族たちが集い、優雅に葡萄酒のグラスを傾けながら談笑に興じていた。
磨き抜かれた大理石の床には一枚の巨大な白虎の毛皮が敷き詰められ、天窓からは陽光がシャンデリアのクリスタルを照らして虹色のプリズムを散らしている。
その最奥、一段高い玉座の脇に置かれた豪奢な安楽椅子に深く腰掛けていたのは、帝国の第二皇子――ゼノス・フォン・ルクセンベルクであった。
薄い金髪を完璧に撫でつけ、切れ長の冷酷な瞳を持つゼノスは、二十代半ばにして帝国の軍部と利権の一部を牛耳る野心家である。
彼の周囲には、甘い汁を吸おうと群がる取り巻きの貴族や商人たちが、卑屈な笑みを浮かべながら侍っていた。
「殿下、そろそろ例の『吉報』が届く頃合いではございませんかな?」
肥え太った腹を揺らしながら話しかけてきたのは、帝都の商業利権に食い込む貴族の一人、ヴァルツ伯爵である。
ゼノスは鼻で笑い、磨き抜かれたグラスのワインを一口喉へと流し込んだ。芳醇な葡萄の香りが鼻腔をくすぐるが、その表情には他者を見下す冷え切った傲慢さだけが張り付いている。
「ふん……吉報などと改まるほどのことでもない。辺境の貧民街オラクルに巣食っていたネズミどもを、我が配下の精鋭部隊が踏み潰すだけの話だ。愚鈍な皇女アステリアがなにやら珍奇な玩具を作って小銭を稼いでいたようだが、あれは帝国の威光と朕の権力のもとで管理されてこそ価値が生まれる」
「まったくもって仰る通り! 殿下の直属部隊、ブラント准将が率いる装甲騎兵一個大隊――総勢五百騎の重装甲騎兵といえば、小規模な要塞都市すら一刻で陥落させる我が帝国の誇る刃。辺境の警備兵など、騎馬の蹄の音を聞いただけで武器を放り出して降伏したに違いありません」
「ははは! 今頃は、あの得体の知れない鉄の箱車と敷設された鉄の棒を我が軍が完全に制圧し、アステリア皇女は鎖に繋がれて帝都へと護送されている最中でしょうな!」
広間に集った貴族たちから、下卑た追従の笑い声が一斉に湧き上がる。
彼らにとって、帝都から遥か西に位置する辺境など、文明の光も届かぬ未開の泥沼に過ぎない。そこで起きた新技術の噂など、中央の強大な軍事力の前には児戯に等しいと、誰もが信じて疑っていなかった。
ゼノス自身もまた、その甘美な優越感に浸っていた。
アステリアを屈服させ、あの『魔導鉄道』とやらを己の私財に変えれば、第一皇子を失脚させて次期皇帝の座を確実に手中に収めることができる。すべては己の描いた完璧な盤上遊戯の通りに進んでいるはずだった。
――その時である。
バァァァァァンッ!!
静謐と優雅さに満ちていた宮殿の大広間に、耳をつんざくような激しい破裂音が響き渡った。
重厚な彫刻が施された樫の木の両開き扉が、勢いよく左右に跳ね飛ばされたのだ。
談笑していた貴族たちが一瞬で言葉を失い、ぎょっとして視線を入り口へと向ける。
「な、なんだ!? 無礼者め! 殿下の御前であるぞ!」
「衛兵は何をしている! 出会え、出会え!」
ヴァルツ伯爵が甲高い声を上げて怒鳴り散らすが、扉の向こうから飛び込んできた人影の異様さに、その場にいた全員の喉が凍りついた。
現れたのは、帝室直属の伝令兵だった。
だが、その姿はあまりにも無残だった。
帝国の誇る漆黒のマントは泥と油にまみれてボロボロに引き裂かれ、鉄の兜はどこかへ吹き飛んで乱れた髪が汗と血で額にへばりついている。呼吸は激しく乱れ、白目を剥きかけた瞳は恐怖で焦点が定まっていない。
伝令兵は、大理石の床に足をもつれさせ、膝から激しく滑り込むようにしてゼノスの足元へと転がり落ちた。
「で、殿下……! 殿下ぁぁぁぁっ!!」
「……見苦しいぞ」
ゼノスは眉をひそめ、冷徹な視線で足元の伝令兵を見下ろした。
その声には、平穏を乱されたことへの不快感が露骨に滲み出ている。
「貴様、何のつもりだ。ブラント准将からの占領完了報告か? だとしても、礼儀作法すら弁えぬ下賎な振る舞いは万死に値するぞ」
「ち、違います……! しゅ、終報であります! 西方辺境領オラクルに進駐した……ブラント准将率いる、帝国装甲騎兵大隊の報告でありますッ!」
「……終報だと?」
ゼノスは不審そうに目を細めた。
装甲騎兵大隊が出撃してからまだ数日。現地へ到着して作戦を展開したばかりのはずだ。占領の報告なら『勝報』と言うはずである。なぜ『終報』などという、部隊の消滅を意味する忌まわしい単語を使うのか。
取り巻きの貴族たちも、伝令兵のただならぬ形相に息を呑み、静まり返る。
「言え。何があった。アステリアは捕縛したのか? 鉄道とやらは確保したのだろうな?」
「ほ、崩壊……全滅でありますッ!!」
伝令兵の絶叫が、宮殿の天井高くまで反響した。
「……は?」
ゼノスの口から、間の抜けた声が漏れた。
全滅? 何を言っている?
周囲の貴族たちも、耳を疑ったように顔を見合わせている。
「おい、冗談はよせ。貴様、熱病にでも冒されているのか? ブラントの部隊は、魔導装甲をまとった歴戦の騎兵五百だぞ。辺境の反乱分子など、歩兵数千がいようと正面から踏み潰せる戦力だ。それが全滅だと……? オラクルに他国の正規軍でも伏せられていたというのか!?」
「いいえ! 他国の軍勢など影も形もございません! 敵は……敵は、たった一両の、鉄の塊……! 『鉄槌号』と称する魔導列車一両のみでありますッ!!」
「……鉄の列車、一両……?」
あまりの信じがたさに、ゼノスの眉間がピクリと痙攣した。
一両の乗り物に、重装甲騎兵五百が全滅させられた? 御伽噺のドラゴンと戦ったとでも言うつもりか。
「ふざけるなッ! 線路の上しか走れぬ箱車に、縦横無尽に荒野を駆ける騎兵が負けるはずがなかろう! 騎動戦で包囲し、魔法弓で遠隔から蜂の巣にすれば終わる話だ!」
「そ、それが通用しないのでありますッ!! 報告によりますと……その装甲列車は、時速百二十キロを超える神速で荒野を疾走し、大隊の包囲陣を一瞬で突破! さらに搭載されていた未知の超巨大魔導兵器……『魔導レールガン』の電磁砲撃を受け、我が軍の本陣ごとブラント准将の指揮所が一撃で吹き飛ばされましたッ!」
「ひ、一撃……!? 第三階梯の複合防御障壁を展開していたはずだぞ!?」
軍務に詳しい貴族が悲鳴のように叫ぶ。
「障壁ごと、背後の小山ごと粉砕されたとのことです! さらに側面に配備された無数の自動機銃から、毎分千発を超える魔力弾の豪雨が降り注ぎ……突撃を敢行した騎兵隊は、接敵することすら叶わず、馬ごと薙ぎ払われ……」
「馬鹿な……馬鹿なッ! 損害は!? どれほどの損害が出たのだ!?」
ゼノスが立ち上がり、伝令兵の襟首を掴み上げて怒鳴りつける。
伝令兵は、唇を血が出るほど噛み締めながら、震える声で告げた。
「……そ、それが……死傷者は、軽傷者を除き……ゼロであります」
「……な、んだと?」
ゼノスの手が止まった。
全滅と言っておきながら、死傷者がゼロ? 何を言っているのか、もはや完全に理解の範疇を超えていた。
「どういうことだ! 全滅したのではないのか!? 死んでいないなら、我が軍の五百名の兵たちは今どこで何をしているッ!?」
「は、はい……! 敵の指揮官……追放された元勇者パーティの雑用係、ハルトと名乗る男の宣告により……我が軍は、戦闘開始からわずか十四分五十秒で完全に武装解除され、全員がその場で捕虜となりました……!」
「十四分……五十秒……!?」
「そして……! 捕虜となった准将閣下をはじめとする将兵五百名は現在……全員が作業着を着せられ、辺境の大地で……『つるはし』と『スコップ』を握らされ、猛烈な勢いで線路の敷設工事に従事させられているとのことですッ!!」
広間に集っていた貴族たちの喉が、ことごとく凍りついた。豪奢なシャンデリアのクリスタルが微かに擦れ合う音すら消え失せ、張り詰めた沈黙が大広間を圧殺していた。
帝国の誇るエリート重装甲騎兵五百名が、たった十四分で無力化され、今や敵の土地で土木作業員として線路を敷いている――。
あまりの荒唐無稽さに、失笑すら起きない。それはもはや、恐怖を通り越して奇怪な悪夢の領域だった。
「……しかも……」
伝令兵が、消え入りそうな声で付け加えた。
「捕虜たちの士気は……極めて高いとのことです……」
「は……? 士気が、高い……?」
「はい……支給される『白米』と『豚汁』なる辺境の炊き出し飯が美味すぎる上に、働いた分だけ『有給休暇』と『時間外手当』が銀貨で支給されるため……誰一人として脱走を試みず、むしろ『帝都の宿舎より飯が旨いし寝床が暖かい』『皇帝陛下よりハルト総裁の方がよっぽど人間を大切にしてくれる』と口々に叫び、自発的に残業を志願して線路を延ばしていると……!!」
ガシャァァァァンッ!!
ゼノスの手からワイングラスが滑り落ち、純白の大理石に真っ赤な染みを作った。
ゼノスの端正な顔は、怒りと屈辱、そして根源的な理解不能への恐怖によって、土気色に歪み切っていた。
「な、なんだそれは……! 何なんだそのデタラメはぁぁぁぁぁぁっ!!」
ゼノスの絶叫が、宮殿の豪奢な空間を切り裂く。
かつて自分が「無能な荷物持ち」「無能の烙印を押されてパーティを追放されたゴミ」と報告を受け、侮っていた男。
その男が今や、帝国の精鋭部隊を赤子の手をひねるように一蹴し、あまつさえ帝国軍人を己のインフラ拡張のための労働力として手懐けている。
鉄道という未知の怪物は、帝国の軍事力すらも呑み込み、己の血肉へと変えながら急速に巨大化していた。
「ハルト……! 貴様、一体何者なんだ……ッ!?」
冷たい汗が、ゼノスの背筋を伝い落ちる。
王都の権力者たちが築き上げてきた傲慢な秩序が、いま、鉄の轟音とともに音を立てて崩れ去ろうとしていた。




