第19話:破られたダイヤグラムの報い
迷宮都市オラクルの冒険者ギルド本部。
午後三時のギルドロビーは、依頼を終えた多くの冒険者たちで賑わっていた。
酒を酌み交わす屈強な戦士たち、報酬の金貨を数える魔法使い、そして掲示板の前で新しい依頼書を探す若者たち。
だが、その喧騒は、ギルドの重いオーク材の扉が軋んだ音を立てて開いた瞬間、ピタリと止まった。
ギィィィィ……。
白日の光の中に現れたのは、もはや人間と呼べるかどうかも怪しい、泥と血にまみれた三つの異様な影だった。
「ひっ……!? な、何だあいつらは……迷宮のゾンビか!?」
「いや、待て……あのボロボロの鎧の紋章、まさか……!」
ロビー中の冒険者たちが、息を呑んで後ずさりした。
先頭を這うように歩いてきたのは、左腕をだらりと垂らし、折れ曲がった聖剣を杖にして足を引きずる金髪の大男――勇者アーノルドだった。
その白銀の鎧は砕け散り、泥と魔獣の汚物まみれで、耐えがたい悪臭を放っている。
その後ろでは、髪を振り乱して虚ろな目を宙に彷徨わせる聖女エレナと、壁に手をついて血を吐きながら咳き込む大魔導士ガイルが、辛うじてついてきていた。
四十九階層のボス前で敗走してから、実に十日。
仲間内で傷口の肉を擦り合わせ、魔獣の死骸の生肉を貪り、泥水を啜りながら、地獄の迷宮を這うようにして地上へと逃げ戻ってきたのだ。
「お……おい! ギルド員ども!」
アーノルドが血走った目でカウンターへと縋り付いた。
乾いてひび割れた唇から、掠れた怒号が漏れ出る。
「早く……早く上級回復薬を持ってこい! 一番高い特等室と、最高級の肉料理を用意しろ! 俺を誰だと思っている! 選ばれし『聖剣の勇者』、Sランク冒険者のアーノルド様だぞ!!」
だが、カウンターの受付嬢たちは、恐れおののくどころか、凍りついたような侮蔑の眼差しをアーノルドに向けていた。
「……アーノルド様ですね。ご無事で何よりです」
ベテランの受付嬢が、事務的に冷たく一枚の書類を差し出した。
「大変申し上げにくいのですが、貴方方の『白銀の流星』パーティに対し、ギルド本部理事会より【Sランク資格の無期限剥奪】および【活動停止処分】が下されました」
「は……? な……何を言っているんだ……?」
アーノルドの頭が真っ白になった。
「資格剥奪だと!? ふざけるな! この俺が、なぜそんな処分を受けなければならないんだ!」
「理由は明白です」
受付嬢は冷酷な声で告げた。
「ダンジョン内での専任補給員――ハルト・クゼ氏に対する不当な契約破棄および深層での置き去り行為。さらに、ハルト氏が去った直後、迷宮の安全管理を怠り、後続の冒険者パーティ三組を危険に晒した重大な過失責任です」
「な……っ!?」
「ハルト氏がギルドに提出していた『迷宮深層運行ダイヤグラム』は、ギルド本部でも極めて高く評価されていた至宝でした。それを貴方方が勝手に破棄したことで、第四十五階層以降の安全航路は完全に崩壊しました。……もはや貴方に、勇者を名乗る資格はありません」
「そ、そんな……嘘でしょ……!?」
エレナがその場にへたり込み、絶望のあまり頭を抱えて叫んだ。
「嘘だ! あいつはただの無能な荷物持ちだ! あいつがいなくたって、俺の聖剣があれば――!」
アーノルドが腰の聖剣を誇示しようと抜いた瞬間――。
ポキンッ。
乾いた音を立てて、国宝と讃えられた聖剣の刀身が、根元から真っ二つに折れ落ちた。
ハルトの適切な研磨と魔力コーティングを失ったまま、強引に使い続けた代償だった。
無惨に床に転がる鉄くずを見つめ、アーノルドの喉からヒュウヒュウと情けない空気が漏れ出た。
「あ……あああ……俺の聖剣が……」
「おい、見ろよあいつ。ハルトさんを追い出した天罰だな」
「ハルトさんがいたから勝ててただけの腰抜けだったってわけか」
「みっともねえな、あれが元Sランクだってよ。威張り散らしていたツケが回ってきたんだ」
ロビー中の冒険者たちから、嘲笑と冷笑の嵐が浴びせられる。
かつてアーノルドに媚びへつらい、機嫌を伺っていた商人たちも、汚物を見るような目で顔を背けていた。
その時だった。
ガイルが震える指で、ギルド中央の巨大な掲示板を指差した。
「アーノルド様……あ、あれを……見てください……」
「ああん……? もう俺を構うな――」
アーノルドが顔を上げた瞬間、その瞳が信じられないものを見たように見開かれた。
掲示板の一等地に張り出されていたのは、王都から届いたばかりの『大陸日報』の特大特報号外だった。
『【奇跡の文明開化】死の荒野を四時間で走破! 東の最果てアルカディアに《魔導鉄道》開通!』
『立役者は元冒険者の天才技術者、ハルト・クゼ最高技師長!』
『アステリア皇女殿下、ハルト氏へ生涯の信頼を誓う――大陸最大の経済特区へと急成長!』
一面を飾っていたのは、巨大な魔導写真だった。
光り輝く最新鋭のアルカディア中央駅のホーム。
紺色の凛々しい鉄道制服に身を包み、堂々と胸を張って微笑むハルト。
そしてその隣で、頬を染め、愛おしそうにハルトの腕に寄り添う、息を呑むほど美しい銀髪の皇女アステリアの姿が、鮮明に焼き付けられていた。
「ハ……ルト……? あいつが……最高、技師長……? あの、アステリア皇女の……!?」
アーノルドの全身から、血の気が完全に引いていった。
自分たちが泥水を啜り、聖剣を折り、全てを失って地に堕ちていたその間に。
自分たちが「無能」と切り捨てた男は、大陸を揺るがす大英雄となり、美しき皇女と共に世界の頂点へと成り上がっていたのだ。
「ぎゃあああああああああああっ!!」
アーノルドは血を吐きながら頭を抱え、床を転げ回って絶叫した。
嫉妬と後悔、そして取り返しのつかない絶望の激痛が、彼の魂を永遠に焼き尽くしていった。




