第18話:深層で彷徨う白銀の流星
地下四十七階層、崩落した巨大な玄武岩に囲まれた名もなき空洞。
天井からは冷たい泥水が滴り落ち、空気中には腐敗した魔獣の死骸の臭気と、湿ったカビの悪臭が重苦しく淀んでいた。
その薄暗い岩陰に、三つの哀れな影が身を寄せ合って震えていた。
かつてギルドから『大陸最強の希望』『無敗の流星』と讃えられた勇者パーティ『白銀の流星』――その無残極まりない現在の姿だった。
「う……うぅ……寒い……痛いわ……」
聖女エレナは、かつて眩い純白だったはずの豪奢な神官服の残骸を抱え込み、泥水が溜まった冷たい地面に小さく丸まっていた。
自慢だった黄金の髪はヘドロと血糊で固まり、かつて陶器のように白かった頬は煤と涙で黒ずんでいる。
右足首は毒が回りきって丸太のように青黒く腫れ上がり、骨が軋むような激痛のあまり、歯の根がガチガチと音を立てて鳴っていた。
神聖魔力は完全に底をつき、傷口に塗る軟膏どころか、ひび割れた唇を潤す水滴一つ残っていない。
「ガイル……火を……火を熾してよ……凍え死んじゃうわ……」
「む、無理です……私の魔導杖は、さっきの奇襲から逃げる途中でへし折られました……。魔力も……一滴も残っていません……」
大魔導士ガイルは、岩壁に頭をもたれかけ、焦点の合わない濁った目で天井を見上げていた。
眼鏡のレンズは両方とも砕け散り、宮廷魔導士のローブはボロ雑巾のように引き裂かれている。
手元に転がっているのは、途中で命からがら仕留めた魔獣の生肉の切れ端。火を起こせないため、生臭い血の滴る生肉を、吐き気と戦いながら胃袋に流し込むしかなかった。
「クソッ……クソッ……! 何でこの俺が、こんな惨めな目に遭わなきゃならないんだ……!」
アーノルドは、刃こぼれだらけになった国宝の聖剣を杖代わりに握りしめ、血走った目で暗闇を睨みつけていた。
白銀の鎧は胸当ての留め金が吹き飛び、左腕は脱臼したまま力なくぶら下がっている。
四十九階層のボス部屋前で情けなく敗走してから、丸三日。
彼らは迷宮の奥深くを、逃げ惑うドブネズミのように彷徨い続けていた。
ハルトが残してくれた正確無比な脱出ルート図を踏みにじって破棄した彼らは、迷宮の立体トラップに翻弄され、地上へ向かっているつもりで、逆に危険な最深部の袋小路へと迷い込んでいたのだ。
「おい……見ろ、あそこだ!」
ガイルが震える指で、前方の岩壁の裂け目を指差した。
そこには、分厚い鉄の扉で閉ざされた小さな石造りの小部屋があった。
かつてハルトが、深層攻略の合間に徹夜で岩盤を掘り抜き、緊急時の避難場所として自作した『第一非常退避所』だった。
「た、助かった……! セーフハウスだ!」
アーノルドたちが這うようにして扉を開け、中へと転がり込んだ。
部屋の中は、外界の猛烈な熱気や魔獣の気配が遮断され、驚くほど静まり返っていた。
だが、中を見渡した彼らの視界に飛び込んできたのは、救いではなく、胸を抉るような残酷な『現実』だった。
棚の上には、かつてハルトが几帳面に薬草ごとに分類していたはずのポーションの空き瓶が散乱し、保存食の木箱は彼ら自身が過去に食い散らかした残骸で空っぽだった。
そして、壁の黒板には、見慣れたハルトの几帳面な筆跡で、白いチョークの文字が残されていた。
『非常用魔力杭の点検は毎朝四時。水汲み場へ向かう際は、右壁の魔力バイパスに沿って進むこと。足元の踏み石に三ミリの沈み込みが見られた場合は、トラップ誤作動の恐れあり、即座に交換すること――ハルト』
「ハルト……ハルト、ハルト、ハルトォォォッ!!」
アーノルドは狂乱し、壁の黒板を聖剣の柄で滅茶苦茶に叩き壊した。
チョークの破片が飛び散り、黒板が真っ二つに割れる。
「どこまでも偉そうに指図しやがって! 全部あいつのせいだ! あいつが俺たちを置いて逃げたから、こんなことになったんだ!」
「いい加減にしなさいよ、アーノルド!!」
突然、エレナが金切り声を上げて叫んだ。
床に座り込み、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、アーノルドを激しく睨みつけている。
「ハルトを追い出したのは貴方じゃない! 『無能な雑用係』だと罵って、ギルドの除名通知を投げつけたのは貴方でしょ!? あいつが毎日、私たちが寝ている間にこの部屋を掃除して、ポーションを補充して、安全な道を点検してくれていたから、私たちは無傷で戦えていたんじゃない!」
「な、何だとエレナ……貴様、俺に逆らうのか!?」
「逆らうわよ! もううんざりよ! 足が痛いのも、お腹が空いたのも、泥水を飲むのも……もう耐えられないわ!」
エレナは顔を両手で覆い、子供のように大声を上げて泣きじゃくった。
「ハルト……お願いだから戻ってきてよぉ……! 悪かったわ、私が間違っていたわ……! もう二度と荷物持ちなんて馬鹿にしたりしないから……私の傷を治して、温かいハーブティーを淹れてよぉ……!」
だが、粉々に砕け散った黒板のチョークの粉が、冷たく舞い散るだけだった。
ガイルが力なく乾いた笑い声を上げた。
「無駄ですよ、エレナ。あいつはもう、二度と戻ってきませんよ。……私たちは、あいつの敷いた完璧なレールの上で踊らされていた、ただの寄生虫だったんです。寄生虫が宿主を追い出せば、干からびて死ぬのは当然でしょう……」
「黙れ……黙れえええっ!!」
アーノルドの絶叫が、冷たい石の部屋に虚しく木霊した。
外からは、血の匂いを嗅ぎつけた無数の魔獣たちの爪が、セーフハウスの扉をガリガリと引っ掻く不気味な音が近づいていた。




