第13話:第二期延伸工事――死の峡谷を越えて
バロック率いるドワーフ鍛冶集団が仲間に加わったことで、アルカディア鉄道の生産能力は異次元の領域へと跳ね上がった。
オラクルの鍛冶工房では、昼夜を問わず巨大な炉の火が燃え盛り、ドワーフたちの気迫のこもった槌音が響き渡っていた。
ハルトの図面通りに削り出された美しいマンガン鋼の分岐器。
板バネと軸受が精密に組み合わされた最新鋭のボギー台車。
そして、何十トンもの衝撃に耐えうる頑強な自動連結器が、まるで魔法のように次々とラインオフしていった。
「総裁! 頼まれていたトラス橋梁の鋼材ピース、全二百四十ブロックの鍛造が完了したぜ!」
煤まみれのバロックが、自慢げに巨大な鉄骨を叩いて豪快に笑った。
三角形を無数に組み合わせた幾何学模様のトラス構造材。
軽量でありながら、巨大な重量を極限まで分散させる現代土木の粋を集めた橋桁ピースだ。
「完璧な仕上がりです、バロック親方。寸法公差もコンマ零五ミリ以内に収まっている。素晴らしい腕前です」
「へへっ、当たり前よ! ドワーフの魂を舐めてもらっちゃ困るぜ!」
ハルトが次なる一手として打ち出したのは、アルカディア鉄道の『第二期延伸計画』だった。
目指す先は、アルカディア領の南方六十キロにそびえ立つ『黒鉄山脈』。
そこには、良質な鉄鉱石と純度の高いミスリル鉱脈が手付かずのまま眠っていた。
この鉱山地帯とアルカディアを直結する鉱山支線を開通させれば、鉄道の敷設に必要な鉄とミスリルを自給自足できるようになり、鉄道網の拡大速度は十倍以上に加速する。
だが、そのルートの途上には、古来より誰も越えられなかった「絶対の死線」が存在していた。
大陸の地殻変動によって引き裂かれた底なしの大亀裂――『断絶の峡谷』。
川幅ならぬ谷幅、実に三百メートル。
谷底には息を吸うだけで肺が溶ける猛毒の紫煙が淀み、上空の気流は乱れ、迂回路は存在しない。
さらに最悪なのは、その断崖絶壁に巣食う空の支配者――体長十メートルを超える狂暴な翼竜、『暴風飛竜』の巨大な営巣地だった。
「ワイバーンは気流に乗って時速百キロで急降下し、獲物を一撃で八つ裂きにします……」
アステリアが険しい表情で峡谷を見下ろした。
その頭上、遥か高空を旋回する十数匹の巨大な黒い影。
翼を羽ばたかせるたびに、カマイタチのような突風が吹き荒れ、近寄る者すべてを威嚇している。
いかに屈強なドワーフといえども、無防備な架橋工事中に上空から奇襲を受ければ、ひとたまりもなく谷底へと叩き落とされてしまう。
「まともに戦って巣を全滅させようとすれば、何個連隊の軍隊が必要か分かりません。ですが、ハルト様……本当に橋を架けられるのですか?」
「戦う必要はありません。相手の『タイムテーブル』の隙間を縫えばいいんです」
ハルトは傍らに控えていたミュウに視線を向けた。
猫耳をピンと立て、遠眼鏡を構えていたチーフ車掌が、待ってましたとばかりに尻尾をピコピコと振った。
「ミュウ、観測データは揃ったか?」
「バッチリニャ、総裁!」
ミュウは野帳をハルトに差し出し、誇らしげに胸を張った。
「過去三日間の観測の結果、あいつらの行動パターンが完全に割れたニャ! ワイバーンどもは、毎日午前十一時十五分になると、海からの上昇気流に乗って一斉に南の海へ魚を獲りに出かけるニャ! そして腹を満たして巣に戻ってくるのは、決まって十二時十分ニャ!」
「……五十五分間」
ハルトの瞳に、鋭利な光が宿った。
「ワイバーンが空を留守にする空白の時間帯は、午前十一時十五分から十二時十分までの、わずか五十五分間だ。……この五十五分の間に、三百メートルの橋桁を一気に押し出し、対岸へ着地させて結界レールを通す」
「ご、五十五分で三百メートルの巨大鉄橋を架けるだと!? 正気か総裁!」
さしものバロックも目を剥いた。
普通なら足場を組み、何ヶ月もかけて組み上げる大事業だ。
「通常の工法なら不可能です。だからこそ、新工法――『前送り押し出し架橋工法』を使います」
ハルトは峡谷の手前に敷かれたレールを指差した。
あらかじめ地上で、ドワーフたちが組み立てておいた全長三百メートルの巨大なトラス橋桁。
その橋桁の最後尾には、開拓者一号機が力強く連結されていた。
「橋桁の先端に軽量の仮設ノーズを取り付け、後方から機関車の圧倒的な推進力で、レールの上を滑らせるように一気に谷の向こうへ押し出します。対岸の受け台にノーズが届いた瞬間、俺がミスリル杭を打ち込み、橋桁の上にレールを結界とともに定着させる」
「機関車で……橋を押すのか!?」
「ええ。一秒の狂いも許されない、極限の定時運行作戦です。……全員、持ち場につけ!」
午前十一時十四分。
峡谷の断崖から、数十匹のワイバーンが一斉に翼を広げ、南の空へと飛び立っていった。
空が、ぽっかりと静まり返る。
「十一時十五分、ジャストニャ!」
ミュウの鋭い笛の音が鳴り響いた。
「作戦開始! 開拓者一号機、前進微速!」
ハルトの号令とともに、機関車の加減弁が開かれた。
ゴオオオオオッ! と猛烈な蒸気が噴き上がり、重量何百トンもの巨大な鋼鉄の橋桁が、車輪に乗ってギシギシと音を立てながら峡谷の虚空へと押し出されていく。
百メートル……百五十メートル……二百メートル!
宙に浮いた橋桁の先端が、猛烈な谷風に煽られてミシミシと悲鳴を上げる。
だが、ハルトの計算通り、ドワーフたちの狂いなき溶接とトラス構造が、凄まじい曲げ応力に耐え抜いていた。
「押せっ! 止まるな! 機関車を信じろ!」
バロックが叫び、ドワーフたちが祈るように見守る。
そして――十一時五十八分。
ガコォォォンッ!!
心地よい轟音とともに、橋桁の先端ノーズが対岸の岩盤に据え付けられた頑強な受け台へと、寸分の狂いもなく噛み合った。
「着地成功ニャッ!」
「【魔導軌道敷設】、発動!」
ハルトが橋桁を駆け抜け、対岸の地面にミスリル杭を深々と打ち込んだ。
閃光が奔流となって橋を渡り、二本の銀条が鉄橋の床板の上に眩く実体化した。
ジュウウウウウッ! と聖なる結界の光が橋全体を包み込み、谷底から吹き上がっていた猛毒の紫煙が、一瞬にして純白の霧へと浄化されて消え去った。
その瞬間――空が暗転した。
異変を察知し、予定より早く戻ってきたワイバーンの群れが、怒り狂った咆哮とともに急降下してきたのだ。
「ギィヤアアアアアアッ!」
鋭利な鉤爪が、ハルトたちの頭上へと迫る。
だが――。
バチチチチチッ!!
レールから展開された強固な魔力結界が、青い稲妻を放ってワイバーンを真正面から弾き飛ばした。
翼を焦がされたワイバーンたちが悲鳴を上げ、二度と橋に近づけずに高空へと逃げ惑っていく。
「十一時五十九分五十秒。――全行程、定時完了」
ハルトが懐中時計をパチンと閉めた。
谷の向こうとこちらが、一本の銀の架け橋によって固く結ばれた。
ドワーフたちの割れんばかりの歓声が、死の峡谷を越えて、どこまでも澄み渡る青空へと響き渡っていった。




