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第12話:ドワーフの鍛冶棟梁、図面に平伏す

 旅客輸送の開始によって、鉄道の需要は爆発的な勢いで膨れ上がっていた。

 オラクルとアルカディアを往復する乗客は日を追うごとに増え、商人たちからは「もっと貨車を増やしてくれ」「専用の屋根付き客車を作ってくれ」という要望が連日殺到していた。

 だが、ここで一つの大きな壁が立ちはだかった。

 車両とレールの『量産』と『規格化』である。


 アルカディアの小さな鍛冶場だけでは、頑丈な車軸や車輪の鋳造が追いつかない。

 さらに、単線での往復運転ではダイヤが過密になり、途中で列車同士がすれ違うための『交換駅(行き違い設備)』と、線路を行き先ごとに切り替える『分岐器(ポイント)』の製作が急務となっていた。


「オラクルで最も腕の立つ鍛冶師……バロック親方の工房ですね」

 アステリアが心配そうに眉をひそめた。


「ですがハルト様、あの親方は大変な頑固者で知られています。『人間の作る鉄細工など、ドワーフの足元にも及ばん泥遊びだ』と豪語し、貴族の注文すら気に入らなければ追い返すほどの気難し屋だとか……」

「大丈夫です。本物の職人なら、本物の図面を見れば分かります」


 ハルトは脇に抱えた厚手の革製図面ケースをポンと叩き、オラクルの工業区画へと向かった。

 立ち並ぶ煙突から黒煙が立ち昇り、重厚な金属の打撃音が地鳴りのように響く一角。

 その最奥に位置する巨大な石造りの工房――『バロック鋼鉄工房』の重い鉄扉を押し開けた。


 カランカラン、と無骨な鐘が鳴る。

 工房の中は、真っ赤に燃え盛る巨大な反射炉の熱気で満ちていた。

 上半身裸で、筋肉隆々の分厚い胸板に無数の火傷の痕を刻んだ小柄な偉丈夫――白銀の長い顎髭を三つ編みに結んだドワーフの親方、バロックが、巨大な鍛造ハンマーを振り下ろしていた。


 ドガアアアアンッ! ドガアアアアンッ!


 真っ赤に熱せられた巨大な鋼材が、火花を四方八方に散らしながらみるみるうちに板状へと打ち延ばされていく。

 一撃一撃に込められた筋力と魔力は桁外れだった。間違いなく、大陸最高峰の鍛冶技術だった。


「誰だ! 今は仕事中だ、邪魔する奴は火箸でケツを焼くぞ!」

 バロックが火花を散らす真っ赤な鉄から目を離さずに怒鳴りつけた。


「初めまして、バロック親方。アルカディア鉄道の技師長、ハルト・クゼです」

「ああん? アルカディア……? ああ、あの最近街を騒がせている『鉄の馬車』の小僧か!」


 バロックはハンマーをドンと金床に置き、作業用エプロンで汗を乱暴に拭いながら、ハルトを睨みつけた。

 その双眸は、職人特有の鋭い光を放っている。


「悪いがな、小僧。俺は古代遺跡から掘り出してきた遺物のオモチャに興味はねえんだ。人間どもが『神代の奇跡だ』と騒ぎ立てているが、どうせ昔の連中が作った機械に乗っかって調子に乗っているだけだろうが! ドワーフの誇りはな、自分の腕一本で叩き上げた鉄にしか宿らねえんだよ! 帰れ!」


 にべもない拒絶。

 同行していたアステリアが思わず息を呑んだが、ハルトの表情はピクリとも動かなかった。

 彼は静かに歩み寄ると、工房の中央にあった煤けた木製の作業台の上に、持参した図面ケースの留め金を外した。


「親方。俺が作ったのは、過去の遺物じゃありません。これからの未来を創るための、新しい鉄の体系です」


 バサリッ。

 机いっぱいに広げられたのは、上質な羊皮紙に、緻密極まる青インクで引かれた無数の設計図面だった。


「……ああん? 何だこの紙切れは……へっ、どうせ人間の絵描きが描いたデタラメな――」


 吐き捨てるように図面を一瞥したバロックの言葉が、唐突に止まった。

 親方の太い眉がピクリと跳ね、三つ編みの顎髭が小刻みに震え始める。

 バロックは吸い寄せられるように机に両手を突き、図面のわずか数センチの距離まで顔を近づけた。


「な……な、何だこれは……!?」


 そこに描かれていたのは、バロックが何百年のドワーフの歴史の中でも一度も目にしたことがない、狂気すら感じるほど精緻な『鉄道専用部品の機構図』だった。


 一本の線路を二本へと滑らかに分岐させる【単開分岐器(ターンアウト・ポイント)】。

 車輪の脱線を防ぐためにミリ単位の隙間(フランジウェイ)が計算された【護輪軌(ガードレール)】と、レールの交差部を頑強に支える特殊マンガン鋼の【鼻軌条(フログ)】。

 車体の激しいローリングを吸収し、時速百キロでも脱線を許さない、板バネとコイルバネを組み合わせた多軸【ボギー台車】。

 そして、車両同士がぶつかった瞬間にカチャリと自動で噛み合い、何百トンもの牽引力に耐えうる頑強な【自動連結器(ジャニーカプラー)】――。


「ば、馬鹿な……! 何だこの滑らかな曲線は!? レールの隙間を踏み越える瞬間の衝撃を逃がすために、接合面を斜めに削り出しているのか……!? それにこのバネの積層構造……板バネの枚数を変えることで、荷重に応じた減衰率を計算しているだと!?」


 バロックの額から、大粒の汗がボタボタと図面の余白に滴り落ちた。

 長年、鉄と火に向き合い続けてきた超一流の職人だからこそ、一目で理解できてしまったのだ。

 この図面に描かれた一本一本の線、ミリ単位の公差指示、材質の選定理由のすべてが、完璧な力学の法則と合理性に基づいているという事実を。


「こ、こんな神業の設計……誰が引いたんだ!? 古代帝国の宮廷技官の秘蔵図面か!? ドワーフの失われた神話の遺産か!?」


「俺が昨晩、計算尺とコンパスで引いたものです」

 ハルトは胸ポケットから、使い込まれた計算尺を取り出して見せた。


「車輪の踏面には二十分の一の傾斜(勾配)をつけてあります。カーブを曲がる際、遠心力で外側の車輪が自然に大径部分で接地し、内外輪の回転差を自己補正するためです。……親方、あなたの工房の炉とハンマーなら、この図面通りの公差コンマ一ミリで、このポイントと台車を鍛造できますか?」


「コンマ一ミリ……だと……!?」


 バロックは図面と、ハルトの真っ直ぐな瞳を交互に見つめた。

 自分の傲慢さが、恥ずかしさで全身を焼き尽くすようだった。

 泥遊びなどと見下していた相手は、自分たちが何百年かけても到達できなかった「鉄の極限の可能性」を、軽々と紙の上に描き出していたのだ。


 ガシャンッ!

 バロックは腰に差していた自慢の鎚を床に投げ捨てると、その場に両膝をつき、ハルトに向かって深々と頭を下げた。


「参った……! 俺の完敗だ、小僧……いや、ハルト技師長!」

「親方……?」


 アステリアが驚きの声を上げる中、バロックは床に頭を擦り付けたまま、熱い涙混じりの大声を張り上げた。


「頼む! 俺に……俺たちドワーフに、この鉄を作らせてくれ! この図面の鉄を俺たちの手で叩き上げられるなら、飯も金もいらねえ! 弟子五十人、工房の設備全部、アンタの線路のために差し出す! 俺たちを……アンタの鉄道の鍛冶工として使ってくれええええっ!!」


 頑固一徹で知られたオラクル最強の鍛冶棟梁が、完全なる心服の平伏を捧げた瞬間だった。

 ハルトは穏やかに微笑み、バロックの屈強な肩を叩いた。


「顔を上げてください、バロック親方。タダ働きなんてさせませんよ。正規の賃金と、世界で一番誇らしい仕事を用意します。――さあ、俺たちの新しい鉄路を、一緒に鍛え上げましょう」


「おおおおっ! 親方、いや総裁! 死ぬ気で叩き上げてみせますぜ!!」


 工房の中に、五十人のドワーフ弟子たちの割れんばかりの歓声が木霊した。

 大陸最強の技術者集団が加わり、魔導鉄道はさらなる未踏の領域へと加速していく。


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