第11話:猫耳の案内人と最初の車掌
アルカディアとオラクルを結ぶ本線が開通してから一週間。
オラクルの東門前に突貫で設営された『オラクル仮乗降場』には、早朝から長蛇の列ができていた。
開拓者一号機が牽引する三両の木製貨車。
その荷台には、アルカディアへ向かおうとする商人や職人、そして冒険者たちがひしめき合っていた。
新鮮な野菜や薬草を求めてアルカディアへ買い付けに行きたい商人。
未開の魔境で一攫千金を狙う冒険者。
そして何より、「わずか四時間で死の荒野を渡り切る鉄の怪物」に一目乗ってみたいという好奇心旺盛な人々が、我先にと乗車券を求めていた。
「ハルト様、乗客の数が予想の三倍を超えています……! 荷物用の貨車だけでは、もう人を乗せきれません!」
駅の改札口で、アステリアが困惑と嬉しさが入り混じった悲鳴を上げていた。
手には乗車賃として支払われた銀貨の革袋がずっしりと重い。
だが、乗客たちはお互いに肩をぶつけ合い、早く乗せろと怒号を上げ、車内は混沌を極めつつあった。
「貨物輸送から旅客輸送への移行か。……想定よりもかなり早いな」
ハルトは懐中時計を見つめながら呟いた。
貨物と違って、人間には感情があり、勝手に動き回る。
定時運行を守り、車内の秩序と安全を維持するためには、運転士のハルト一人では限界があった。
乗客の安全を確認し、ドアの開閉を管理し、緊急時にブレーキを操作する専任のスタッフ――すなわち『車掌』がどうしても必要だった。
「アステリア様、少しオラクルの街へ行ってきます。適任者を探してきます」
「えっ? 適任者、ですか?」
ハルトが向かったのは、オラクルの繁華街ではなく、城壁の隅にある薄暗いスラム街の路地裏だった。
荒野の案内人たちがたむろする酒場の軒先。
そこで、一人の小柄な少女が、屈強な冒険者たちを相手に鋭い舌戦を繰り広げていた。
「だから言ったニャ! 北の峡谷は風向きが変わったから、あと半刻で毒霧が吹き溜まるニャ! ウチの指示通りに迂回しなかったアンタたちの落ち度ニャ!」
「うるせえ! クソガキが生意気な口を利くんじゃねえ! 報酬の銀貨を返せ!」
大男が少女の胸倉を掴もうと太い腕を伸ばした瞬間――。
少女の頭の上にピンと立った茶色の猫耳がピクリと跳ね、彼女の身体が影のように滑らかに沈み込んだ。
男の豪腕が空を切り、少女は軽やかに男の背後へと回り込むと、膝裏を正確に蹴り抜いた。
「ぎゃああっ!?」
「ウチは案内人のミュウニャ! 危険を察知して警告したのに無視したのはそっちニャ! 契約違反の難癖には一銅貨も払わないニャ!」
琥珀色の瞳を吊り上げ、威嚇するようにフシャーッと牙を剥く少女。
猫獣人の少女、ミュウだった。
薄汚れた革のベストを着て、足にはすり切れたブーツ。だがその身のこなし、そして何より――周囲の音や気流の変化を一瞬で察知する超感覚は、並外れたものだった。
(……見つけたぞ。天性の資質だ)
ハルトは口元を緩め、騒ぎの輪の中へと歩み出た。
腰の革袋から銀貨を三枚取り出し、地面に転がっていた大男の胸の上に放り投げる。
「これで手打ちにしてくれ。彼女の時間は、俺が買い取った」
「な、何だ貴様は……!?」
「文句があるなら、東門の前にいる『鉄の怪物』のところまで来い。相手をしてやる」
ハルトの冷徹な眼光に気圧され、男たちは毒づきながら逃げ去っていった。
路地裏に一人残されたミュウが、警戒露わにハルトを睨みつけてきた。
「……何者ニャ? ウチは同情で恵んでもらう筋合いはないニャ」
「同情じゃない。スカウトだ」
ハルトは作業手袋を脱ぎ、ミュウの目の前に差し出した。
「お前の耳と目、そして危険を嗅ぎ分ける勘の良さを見込んだ。俺の運行する列車で、『チーフ車掌』として働いてくれないか」
「……しゃしょう……? 何ニャ、その仕事は?」
「列車に乗る何百人もの乗客の命を預かり、安全を守る責任者だ。時速百キロで疾走する鉄の巨人の上で、風の音を聴き、車輪の軋みから異常を察知し、お客様を時間通りに目的地へ送り届ける、世界で最も誇り高い仕事の一つだ」
ハルトの言葉に、ミュウの猫耳がピクピクと大きく揺れた。
スラムで獣人として見下され、危険な荒野の案内人として使い捨てにされてきた彼女にとって、「何百人もの命を預かる誇り高い仕事」という言葉は、生まれて初めて触れる魂の光だった。
「……ウチなんかに、そんな大役ができるかニャ……?」
「お前だから頼んでいるんだ。待遇は保証する。温かいベッドと、一日三食の美味い飯。そして――」
ハルトは鞄から、事前に用意していた特注の品を取り出した。
深い紺色の生地で作られた、金ボタンが輝く美しい制服。
そして、前頭部に銀の動輪マークが刺繍された、小さな制帽。
「この制服を着る資格が、お前にはある」
「わぁ……っ!」
ミュウの瞳が、宝石のように丸く輝いた。
恐る恐るその制服に触れる。絹のように滑らかで、汚れ一つない本物の仕立て服。
「着るニャ! ウチ、やるニャ! その……しゃしょうってやつを、全力でやってみるニャ!」
「よし。採用だ」
三十分後。
オラクル仮乗降場のホームに、紺色の制服に身を包み、制帽をちょこんと被った猫耳のチーフ車掌が堂々と降り立った。
腰にはハルトから渡された真鍮の車掌笛と、改札鋏が誇らしげに光っている。
「これより改札を開始するニャ! 順番に並んで切符を見せるニャ! 割り込みは絶対に許さないニャ!」
ピッ――! と鋭く響き渡る笛の音。
その凛々しくも愛らしい姿に、荒くれ者の冒険者たちも思わず毒気を抜かれ、素直に列を作って切符を差し出し始めた。
「ハルト様、素晴らしい車掌さんですね!」
隣でアステリアが嬉しそうに微笑んだ。
ハルトは懐中時計の針を確認し、満足そうに頷いた。
「発車五分前。秩序ある鉄道の誕生だ。……さあ、ミュウ。出発の合図を頼む」
「了解ニャ、総裁! ――出発、進行ニャッ!」
誇らしげに響いた少女の号令とともに、世界初の旅客列車が、新たな仲間を乗せて力強く動き出した。




