第10話:勇者アーノルドの苛立ち
「おいガイル! 前方の安全確認はどうした! 罠はないんだろうな!?」
「だ、大丈夫なはずです! 私の探知魔法には何の魔力反応も……ぎゃあああっ!?」
ドガアアアアンッ! という鼓膜を破るような大爆音とともに、足元の石畳が猛烈な勢いで跳ね上がった。
巧妙に偽装されていた火炎地雷トラップが炸裂し、ガイルの痩せ細った身体が木の葉のように吹き飛んで、硬い玄武岩の壁に叩きつけられる。
「ごほっ……! がはっ……! う、腕の骨が……!」
「何をもたもたしているガイル! 早く立て!」
地下四十九階層、フロアボス部屋へと続く一本道。
アーノルドたちは、今や這うような鈍足でしか進むことができなくなっていた。
かつてハルトがいた頃は、彼が【空間座標把握】のスキルで床下のわずかな魔力ラインや重力センサーを完全に看破し、あらかじめ安全な踏み石だけに青いチョークで印をつけてくれていた。
彼らはただ、その印の上を鼻歌まじりに踏んで進むだけで、どんな極悪なトラップ回廊も無傷で通過できていたのだ。
だが、その案内人を失った今、この通路は一歩足を踏み外せば即死する地獄のトラップ地帯と化していた。
「アーノルド様……もう限界です……! 引き返しましょう!」
エレナが泥と涙でぐしゃぐしゃになった顔で、悲鳴のように叫んだ。
彼女の右足首は、先ほど踏み抜いた毒針トラップによって丸太のように紫色に腫れ上がり、激痛で一歩も体重をかけることができない。
「馬鹿を言え! ここまで来て引き返せるか!」
アーノルドは血走った目で怒鳴り返した。
彼自身も、左肩に毒矢を受け、純白だったはずの豪奢なマントはボロ雑巾のように引き裂かれ、自慢の金髪は焦げてチリチリになっていた。
だが、ここで引き返せば、中央のギルドに「荷物持ちを追放した途端にボロボロになって逃げ帰ってきた無能」と笑い者にされてしまう。
自尊心と名誉欲の塊であるアーノルドにとって、それだけは死んでも耐えられない屈辱だった。
「目の前に四十九階層のボス部屋があるんだぞ! あの扉を開けて、俺の聖剣でボスを一刀両断すれば、すべて解決するんだ!」
「無理です……! 勝てるわけがありません!」
壁に寄りかかり、血を吐きながらガイルが叫んだ。
「アーノルド様、貴方は本当に気づいていなかったのですか!? これまでのボス戦で、なぜ貴方の放つ聖剣技が一度も空振りせずに命中していたのかを!」
「何だと……!?」
「ハルトですよ! あいつが後ろで秒読みをしていたでしょう! 『敵のブレス装填まであと五秒、三、二、一、今だ右へ踏み込んで首の装甲の隙間を斬れ!』って! あいつがボスの行動パターンと魔力の流れを完璧に計算して、一秒の狂いもなく指示を出していたから、貴方は無傷で必殺技を叩き込めていただけなんです!」
ガイルの悲痛な叫びが、冷たい洞窟に反響した。
薄々感づいていた真実。だが、認めたくなかった残酷な現実。
自分たちが「天才」だったのではない。
卓越した技術者が、完璧にお膳立てした舞台の上で、ただ台本通りに剣を振っていただけのピエロだったのだ。
「う……嘘だ……! そんなはずがあるか! 俺は神に選ばれし聖剣の勇者だぞ!」
アーノルドは現実を否定するように首を激しく横に振った。
その時だった。
ズズズズズ……ッ! という重苦しい地鳴りとともに、前方の巨大なボス部屋の鉄扉が、ゆっくりと内側から開き始めた。
隙間から漏れ出してくるのは、息をするだけで魂が凍りつくような圧倒的な殺気と、死の波動――四十九階層の守護者、『冥府の漆黒竜』の気配だった。
グルルルルル……ッ!
漆黒の闇の中で、巨大な二つの赤い瞳が爛々と輝いた瞬間、アーノルドの膝がガクガクと音を立てて震え出した。
汗で聖剣の柄が滑る。
タイミングを教えてくれるカウントダウンの声は、もうどこからも聞こえてこない。
いつ黒竜がブレスを放つのか。どこへ跳べば安全なのか。
頭の中が真っ白になり、足が石畳に縫い付けられたように動かない。
「グオオオオオオオオオッ!!」
黒竜の咆哮とともに、黒い業火のブレスが通路を焼き尽くした。
アーノルドの白銀の盾が、熱線を受けて一瞬で真っ赤に溶け落ちる。
「ひ……っ、ひいいいいっ!?」
アーノルドは情けない悲鳴を上げて尻餅をついた。
「て、撤退だ! 退却うううううっ!!」
聖剣を地面に引きずりながら、アーノルドは仲間を顧みることもなく、来た道を無我夢中で逆走し始めた。
だが、振り返った彼らの視界に映ったのは、真の絶望だった。
ハルトの結界が消え去った後方の通路には、血の匂いに引き寄せられた無数の魔獣の群れが、ぎっしりと壁を作って待ち構えていたのだ。
「い、行き止まり……!? 嘘でしょ……助けてえええっ!」
エレナが絶望のあまりその場にへたり込み、涙と鼻水で顔を汚して叫んだ。
「ハルト……! おいハルト! どこにいるんだ!」
アーノルドは狂ったように暗闇に向かって叫び続けた。
「戻ってこい! 今すぐ戻ってきて俺たちを助けろ! 土下座して泣いて詫びるなら、また荷物持ちとして使ってやるから! 俺をここから助け出せええええっ!!」
だが、その傲慢な絶叫に応える者は誰もいなかった。
彼が踏みにじった手書きの運行計画表の切れ端が、冷たい泥の中に汚れたまま、虚しく散らばっているだけだった。
――その頃。
オラクルの街から東へと延びる、光り輝く銀のレールの上を。
開拓者一号機は、山のような良質な小麦粉や生活物資を満載し、力強い汽笛を茜色の空に響かせながら、アルカディアへと向かって疾走していた。
ガタン――ゴトン、ガタン――ゴトン。
規則正しい心地よいリズムが、夕暮れの荒野を優しく包み込む。
「ハルト様、見てください! 村の皆が、駅で待っています!」
アステリアがキャブの窓から身を乗り出し、満面の笑みで大きく手を振った。
前方に見えてきたアルカディアの集落。
駅のホームには、村中の人々が提灯を灯して集まり、涙を流しながら手を振り返していた。
夕餉の煙が立ち昇り、子供たちの歓声が風に乗って聞こえてくる。
「定時到着です、アステリア様。今夜は、村の全員でお腹いっぱい温かいパンを食べましょう」
「はいっ……! ハルト様!」
沈みゆく夕陽に照らされた銀のレールの上で、彼らは一秒の狂いもなく、確かな幸福と繁栄への道を走り続けていた。




