第9章
昨日の今日で、俺は金髪の女騎士様――リィン・クリムゾンブレードさんに、腕を掴まれて引きずられていた。
行き先は、王都の城壁近くにあるだだっ広い訓練場だ。
「い、いや、なんで俺がこんなところに……」
「当然でしょ。あなたもギルドに登録した冒険者なら、最低限の護身術くらい覚えるべきよ。昨日のように、ただ逃げ回るだけではいつか命を落とすわ」
リィンは、昨日と同じ凛々しい表情で、しかし有無を言わせぬ迫力で言い放つ。
今日の彼女は、あの重そうな銀鎧ではなく、動きやすさを重視した服装だ。
体にフィットした黒い革の胸当てに、短いバトルスカート。
太ももには、武器を携帯するためのベルトが巻かれており、その隙間から覗く健康的な肌が、やけに目に毒だ。
「ほら、まずは訓練用の木剣を握ってみなさい」
ラックから一本の木剣を渡される。
ずしり、と腕にくる重みが、これがただの木刀ではないことを物語っていた。
俺は、野球のバットみたいに適当に握ってみる。
「……はぁ」
リィンは、盛大すぎるため息をついた。
「なってないわね。そんな握り方じゃ、一撃で弾き飛ばされるのがオチよ」
そう言うと、彼女は俺の背後に、すっと回り込んだ。
「え、ちょっ……」
「黙って。私が手取り足取り、教えてあげるわ」
リィンの細く、しかし鍛えられた指が、俺の手に重ねられる。
親指の位置、人差し指の角度……その一つ一つを、丁寧に修正していく。
彼女の吐息が、すぐ耳元で感じられた。
シャンプーだろうか、柑橘系の爽やかな香りが俺の鼻腔をくすぐる。
ヤバい。美少女にこんな密着されたら、意識が……。
そう思った瞬間、俺の背中に、とんでもなく柔らかく、そして巨大な二つの感触が、むにゅぅううううっ、と押し付けられた。
「……っ!?」
リ、リィンさんの胸が! 俺の背中に! ダイレクトに!
硬い革鎧を着ているはずなのに、それをものともしない圧倒的な弾力と質量。
背中の布一枚を隔てて、彼女の心臓の鼓動すら伝わってくるようだ。
温かい。柔らかい。デカい。
俺の思考は、完全にショートした。
「いい? 力を入れすぎず、かといって抜きすぎず……。手首のスナップを利かせて……こうよ」
彼女が俺の手を導き、木剣を振らせる。
だが、俺の意識は、背中に押し付けられた二つの天国に完全に持っていかれていた。
「……って、聞いてるの!?」
「は、はいぃっ!」
叱責されて、俺の身体がビクンと跳ねる。
すると、リィンは密着していることを意識したのか、顔を真っ赤にして、慌てたように俺からパッと離れた。
「な、なんであなたが動揺してるのよ! 集中しなさい、集中!」
……いや、あんたも顔、真っ赤ですけど!?
耳まで朱に染まっている。
そのくせ、口調だけは厳しい。
なんだこの可愛い生き物。
これが、世に言う「ツンデレ」ってやつか……!
「も、もう一度よ!」
「はい! 頑張ります!」
俺は彼女の、真っ直ぐな碧い瞳を見つめ返し、力強く頷いた。
その瞬間だった。
――ズキンッ!
俺の脳を灼く、あの忌まわしい感触。
しまった! 目が、合った……!
リィンの、厳しい光を宿していた瞳から、すうっと力が抜けていく。
カラン、と彼女の手から木剣が滑り落ちた。
「……リ、リィンさん?」
彼女は、何も言わない。
ただ、その瞳を、どこか潤んだ、とろりとした光で満たしながら、俺を見つめている。
そして、ゆっくりと俺の前に進み出ると、騎士の礼法なのか、片膝をついて恭しく頭を垂れた。
「……私の未熟な指導、大変失礼いたしました」
「へ?」
「これより、我が身も心も、すべてはあなた様のもの。何なりとお申し付けください」
口調が、別人みたいにしとやかになっている!
そして、彼女は立ち上がると、おもむろに自分の革鎧のバックルに手をかけた。
「まずは、この動きにくい衣服を脱ぎ、あなた様が『集中』しやすい格好になります」
カチリ、とバックルが外れる音が、やけに大きく訓練場に響く。
胸当てが外され、汗でしっとりと濡れた黒いインナーシャツが露わになる。
その薄い布地は、彼女の豊満な胸の形を、寸分違わず写し取っていた。
「な、な、なにしてるんですか!?」
「何か、お気に召しませんでしたか?」
彼女は小首を傾げ、今度はスカートの紐に手をかける。
その無垢で、献身的な瞳が、逆に恐ろしい。
ヤバいヤバいヤバい!
ここで女騎士様が全裸になったら、俺、絶対に捕まる!
「ダ、ダメです! それ以上脱がないで! 普通に戻ってください! 服を着て、普通に、厳しくしてくださいッ!」
俺は、もはや意味不明な命令を、必死に叫んでいた。
「……はっ!?」
俺の叫びに、リィンは我に返った。
自分が鎧を半脱ぎしていることに気づき、顔を爆発させたみたいに真っ赤にする。
「な……なななな、何をさせてるのよ、この変態! 馬鹿! 最低!」
彼女は、外した革鎧を凄い勢いで装着し直すと、俺をビシッと指さした。
「き、今日の訓練はここまでよ! あなたのせいで、調子が狂ったわ! 明日は覚悟しておきなさい!」
そう一方的にまくし立てると、彼女は逃げるように訓練場を去っていってしまった。
一人残された俺は、その場にへなへなと座り込んだ。