第16章
翌日の夕方。
俺たちは、昨日とは違う、王都の郊外にある人気のない練習場に来ていた。
ざあざあと音を立てて風が草原を撫で、傾きかけた太陽が、世界を茜色に染め上げている。
昨日の一件以来、俺とエリシアの間には、なんとも言えない気まずくて、それでいて妙に甘い空気が漂っていた。
「……やっぱり、ダメね。全然、魔力が安定しないわ」
エリシアは、ぜぇぜぇと肩で息をしながら、地面にへたり込んだ。
彼女の額には玉の汗が浮かび、白いブラウスが肌に張り付いて、その豊満な胸のラインをくっきりと描き出している。
「もう、やめにしないか? 無理してもしょうがないだろ」
「……嫌」
彼女は、子供のように小さく首を横に振った。
「あなたに見てもらってると、なんだか……安心するから。もうちょっとだけ、付き合って」
そう言って、潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
そんな顔をされたら、断れるわけがない。
俺が黙って頷くと、彼女は嬉しそうに微笑んで立ち上がった。
「ねえ、私の魔法が安定しない理由、分かる?」
「え? いや、俺は魔法なんて……」
「私の魔力が、あなたに反応して、勝手に昂ぶっちゃうからよ」
エリシアは、悪戯っぽく舌をぺろりと出した。
「だから、もっと近くに来て、私の魔力に慣れてくれないかしら?」
彼女は、まるで恋人を誘うように、甘い声で俺を手招きする。
その仕草一つ一つが、俺の心臓をうるさく鳴らした。
俺は、まるで磁石に引かれる砂鉄のように、ふらふらと彼女の隣へと歩み寄る。
「じゃあ……いくわよ」
エリシアは、すぅっと息を吸い込むと、魔法の詠唱を始めた。
その声は、昨日よりもずっと熱っぽく、情熱的に響く。
彼女の周りの空気が揺らめき、膨大な魔力がその小さな身体に収束していくのが、肌で感じられた。
「――燃え盛る恋心の焔よ、我が主の呼び声に応え、その御心に届きたまえ!」
なんだその、やけに情熱的な詠唱は!?
彼女の足元から迸った炎は、制御を失って暴れ馬のように荒れ狂う。
「きゃっ!」
「危ない!」
俺は、とっさに彼女の身体を抱き寄せ、炎から庇った。
俺の腕の中で、エリシアの身体が小さく震えている。
「ご、ごめんなさい……また……」
「気にするな」
俺が彼女から身体を離そうとした、その時だった。
「待って」
エリシアが、俺の服の裾を、きゅっと掴んだ。
「……お願い。私の手を握って、魔力の流れを感じてみてほしいの。そうすれば、きっと……」
彼女は、俺の手を取ると、おもむろに、自らの豊満な胸へと導いた。
むにゅっ、と。
俺の右の手のひらに、信じられないほど柔らかく、温かく、そして巨大な二つの膨らみが押し付けられる。
「……っ!?」
思考が、停止する。
手のひらから伝わる、生命力に満ちた弾力と、トクン、トクン、という彼女の心臓の鼓動。
「……ここから、私の魔力は湧いてくるの」
耳元で、誘惑的に囁かれる。
甘い吐息が、俺の理性を焼き切っていく。
ダメだ。これ以上は。
俺の中の何かが、本当に壊れてしまう。
「エリシア、もう……」
「嫌」
彼女は、俺の胸に顔をうずめ、懇願するように言った。
「私、あなたに全てを委ねたい」
その潤んだ瞳が、夕陽を反射してキラキラと輝きながら、真っ直ぐに俺を射抜く。
ああ、もう、限界だ。
――ズキンッ!
脳を貫く、あの感触。だが、今回はどこか違う。
意識が完全に持っていかれるような感覚ではなく、頭の一部だけが、じんわりと痺れるような、鈍い衝撃。
エリシアの瞳が、一瞬だけ、淡いピンク色の光を宿した。
彼女は、ゆっくりと俺から身体を離すと、その場にすっと膝まずく。
「蒼真様。私を、お使いください」
その声は、どこまでも澄んでいて、その瞳には、はっきりとした理性の光が宿っていた。
いつもの、恍惚とした虚ろな表情ではない。
「え……?」
俺が困惑していると、エリシアは俺の手を握ったまま、こう続けた。
「待って、止めないで。……これは、私の意志よ。私の意志で、あなたに従いたいの」
自分の、意志……?
どういうことだ?
これも、能力の影響なのか? それとも……。
「立てよ、エリシア。そんなことしなくていい」
「いいえ」
彼女は、きっぱりと首を横に振った。
その瞳は、驚くほど真剣だった。
「もう、私にも分からないの。何があなたの能力の影響で、何が私の本当の気持ちなのか。境界線が、ぐちゃぐちゃに溶けて、もうどうでもよくなっちゃった」
彼女はゆっくりと立ち上がると、俺の胸に、そっと手を当てた。
「でも、一つだけ確かなことがあるわ」
夕陽に照らされた彼女の顔は、これまで見たどんな表情よりも美しく、そして儚げだった。
「あなたのためなら、私……」
彼女は、一度言葉を切り、そして、決意を込めて、こう告げた。
「――奴隷になっても、いい」
その衝撃的な告白は、心地よい風の音と共に、茜色の空へと溶けていった。
俺は、彼女にかけるべき言葉を、何一つ見つけられないまま、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
支配と愛情の境界線は、もう、完全に見えなくなっていた。




