第17章
エリシアとの一件から、俺の心はもはやボロ雑巾のようだった。
支配する側とされる側の境界線が溶け合う、あの奇妙な感覚。
エリシアの「奴隷になってもいい」という言葉が、頭の中で何度も反響する。
もうダメだ。
俺一人じゃ、この呪われた力と、日に日に積極的になる美少女たちに太刀打ちできない。
俺は、救いを求めるように、無意識に「光の教会」の重い扉を押し開いていた。
ひんやりと澄んだ空気が、火照った思考を冷やしてくれる。
高い天井から差し込むステンドグラスの光が、床に色とりどりの模様を描き出していた。
祭壇の方に目をやると、見慣れた銀髪のシスターが、敬虔な祈りを捧げている。
セシリアだ。その清らかな姿は、まるで罪深い俺を浄化してくれるようで、少しだけ心が安らいだ。
俺が、そっと長椅子に腰を下ろすと、祈りを終えたセシリアがこちらに気づき、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
「蒼真さん! いらしていたのですね!」
「あ、ああ。ちょっと、な……」
「お顔の色が優れませんね。何か、お悩みですか?」
天使のように純粋な碧い瞳が、心配そうに俺の顔を覗き込む。
この子にだけは、俺の汚れた悩みを知られたくない。
俺は慌てて首を横に振った。
「いや、なんでもないんだ。それより、熱心に祈ってたな」
「はい! 今、神学の授業で『愛』について学んでいるのです。でも、本を読んでも、神父様のお話を聞いても、どうしても分からないことがあって……」
セシリアは、少し困ったように眉をひそめた。
その表情すら、絵画のように美しい。
「そうだわ! 蒼真さんは、神様に深く愛されている方ですものね! きっと、私よりもずっと『愛』についてお詳しいはずです!」
「いや、俺は別に……」
「教えてください、蒼真さん!」
彼女は、俺の隣にちょこんと座ると、期待に満ちた瞳でぐいっと身を乗り出してきた。
「男女の愛とは、いったいどういうものなのでしょうか?」
ド直球の質問に、俺は一瞬放心しそうになってしまった。
なんで俺が、こんな聖女様に、そんな俗っぽい話を……!
「え、えーっと……それは、その……お互いを、思いやること……とか?」
「思いやること……」
「そ、そうだ! 相手の幸せを、自分の幸せのように感じること、かな!」
我ながら、小学生の道徳の教科書みたいな答えだ。
だが、セシリアは「まあ……!」と目を輝かせ、俺の言葉を一つ一つ、心に刻むように頷いている。
「では……! では、その……本で読んだのですが、愛し合う男女は、その……体を、重ねるというのは、本当なのですか?」
ぶふぉっ! 今度こそ、俺の脳内で何かが噴出した。
なんだこの子は! 純真という名の鎧を着た、重戦車か!
「な、ななな、なんでそんなことを……!」
「だって、本にはそう書いてありました。『愛の究極の形は、魂だけでなく、肉体をも一つに結びつけることにある』と……。でも、私には、まだよく分からなくて……」
彼女は、本当に不思議そうに、小首を傾げる。
その無垢な仕草が、逆に俺の煩悩を刺激しまくる。
俺がしどろもどろになっていると、彼女は何かを確信したように、その碧い瞳で俺をじっと見つめてきた。
「……私、蒼真さんのことを考えると、胸がとても温かくなって、ドキドキするんです。いつもあなたのことを考えてしまいますし、お役に立ちたいと、心から願っています。もしかして……これが、『恋』というものなのでしょうか?」
無邪気すぎる告白。
その言葉には、エリシアのような情熱も、駆け引きも、何一つない。
ただ、水晶のように透明で、真っ直ぐな好意。
だからこそ、俺はどう反応していいのか、完全に分からなくなってしまった。
◇
結局、俺はセシリアの質問攻めから逃げるように教会を飛び出し、安宿の部屋へと逃げ帰っていた。
だが、なぜか彼女も「もっと、蒼真さんのお話が聞きたいです!」と、満面の笑みでついてきてしまった。
断れるわけがない。
狭い部屋に、二人きり。
先日のエリシアとの一件がフラッシュバックして、緊張で心臓が張り裂けそうだ。
「それにしても、今日は少し暑いですね」
そう言うと、セシリアは、なんの躊躇もなく、おもむろにシスター服の肩に手をかけた。
「え、ちょ、セシリア!? なにを……!?」
「え? ですから、少し暑いので。服を脱いでも、神様はお許しくださるかと」
「神様は許しても俺が許さん! いや、俺の理性が許さん!」
俺の悲鳴も虚しく、彼女はするりとシスター服を脱ぎ捨ててしまう。
陽光が差し込む部屋の中に、白いコットンの簡素な下着に身を包んだ、聖女の姿が晒された。
清純、という言葉をそのまま形にしたような下着。
だが、その慎ましやかな布地は、彼女のあまりにも豊満すぎる身体のラインを、隠すどころか、むしろ生々しく強調していた。
カップから溢れんばかりに盛り上がった、雪のように白い胸。
きゅっと締まったくびれ。そして、そこから緩やかな曲線を描く、柔らかな腰つき。
その、清純と官能が奇跡的なバランスで同居した姿は、どんな淫靡な格好よりも、強烈に背徳的だった。
「……よかったら、蒼真さんも脱ぎますか?」
「脱ぐか!」
俺がツッコミを入れていると、セシリアは自分の身体を、少し不安そうに見下ろした。
「あの……蒼真さん。私の体、変じゃないですか? エリシアさんのように華やかでもないですし、リィンさんのように引き締まってもいないですし……」
そんなことない。
変どころか、最高だ。男の夢とロマンのすべてが、そこに詰まっている。
だが、そんな本音を口にできるはずもない。
「い、いや、そんなこと……」
俺が言葉に詰まっていると、彼女は潤んだ瞳で、俺の答えを待っている。
その、あまりにも無防備で、健気な姿に、俺は抗えなかった。
「……とても、綺麗だ」
本心が、ぽろりと口からこぼれた。
その瞬間だった。
――ズキンッ!
脳を灼く、あの衝撃。ああ、まただ……!
セシリアの瞳から、純真な光が消え、代わりに、神聖な恍惚の光が宿る。
彼女は、下着姿のまま、ゆっくりと俺の前に進み出ると、その場にすっと膝まずいた。
そして、祈るように、うっとりと目を閉じる。
「――蒼真様のお役に立てるのなら、私のこの純潔、喜んで捧げます。さあ、あなた様の聖なる意志のままに」
その姿は、まるで自らの身を神に捧げる、聖なる生贄のようだった。
この、あまりにも歪で、狂ったシチュエーション。
汚してはいけないという理性と、目の前の聖女を貪り尽くしたいという本能が、俺の中で激しくぶつかり合う。
「違う違う違うッ! 神様も俺も、そんなこと望んでねえから!」
俺は、涙目で絶叫した。
「頼むから服を着て! 今すぐその服を着て、普通にしてくださいッ!」
俺の魂からの叫びに、セシリアの身体が、ぴくりと震える。
ゆっくりと、彼女の瞳に理性の光が戻ってきた。
「……あれ?」
俺の前に跪いていることに気づき、彼女は「きゃっ」と小さく悲鳴を上げる。
だが、その表情に恐怖の色はない。
それどころか、真っ赤になった顔を手で覆いながらも、どこか満ち足りたような、恍惚とした表情を浮かべていた。
「……すごいです、蒼真様。今、私……なんだか、とても清らかな気持ちになりました。魂が、浄化されたようです……」
ダメだ、この子、色んな意味で手遅れだ!
純真さという最強の鎧をまとった彼女の前では、俺のなけなしの理性など、赤子の手も同然だった。




