第九話
——風の感覚が身体の周りを走る。ふと上を見ると、地面まであと数メートルも無かった。……能力を使えば回避はできる。でも、まだ頭が痛い。こんな状態じゃ能力の発動なんてできない。……せっかく出られたのに。
「お、居た居た。」
不意に聞き慣れた声が聞こえた。はっとしてそちらを見やると……。
「帰りが遅いと思えば、空から帰宅かよ。」
……浮遊感が途切れる。気づくと、私は蓮兄に支えられて、空中で止まっていた。
「……迎えに、来てくれたんだ。」
「まぁな。咲希達が『連絡がない』だの『心配だ』だのって大騒ぎするわ、夕暮れになっても帰ってくる気配がないわで、さすがに。」
そう言って苦笑いを浮かべる。……心配、かけちゃったのか。あとで、みんなに謝らなくちゃ。……そんなことを考えていると、不意に蓮兄の表情が真剣になる。
「……怪我してないか?」
「ううん、大丈夫。」
そう言っても、まだ蓮兄の表情は険しい。
「能力の負荷とかも?」
そう聞かれた途端、思わず目を逸らす。……やっぱりバレてたらしい。さっきからズキズキと痛んで、正直話すのも辛かった。私の反応を見て、半分呆れたようにため息をつく蓮兄。
「あのなぁ、ちゃんと辛いときは言えって。」
「……だって、もう十分心配してもらったのに。」
——これ以上、迷惑かけたくないよ。
その一言は口にできなかった。言ってしまうと、きっと蓮兄が怒るから。
私が言い淀んでいると、不意に蓮兄の指がコツンと額に当たる。
「相っ変わらず頑固だな。」
呆れたように笑いながら、そう言った。
「……心配はする。でも、それは俺がしたくてやってることだ。マナが全部悪いわけじゃない。」
「……蓮兄」
……いつも通りの、ちょっと気だるげな笑み。でも、今日は、その瞳の奥に鋭い雰囲気がした。
地面に降りると、私を抱えたまま歩き出す。
「れ、蓮兄?私、歩けるよ?」
「ん〜……もう降ろすの面倒だしこのままでいいだろ。」
「いや、抱える方が手間でしょ!?」
さっきまでの雰囲気はどこへやら、軽口を叩く蓮兄。私も思わず、頭の痛みを忘れて突っ込む。
「こ、こんな姿見られたくないよ……!」
「なんでだよ。別に不自然でもないだろ。」
「他の人が気にしなくても、私が嫌なの!」
「ワガママだなぁ、マナは……。」
——我儘じゃない。そう言い返したいところだったけど、また頭の痛みを感じて黙る。急に私が黙ったのに気づいたのか、蓮兄も少し静かになる。
「まだ、頭痛いか?」
「……うん。」
そっと私の顔を覗き込むその表情は、何処か不安そうだった。……結局、また心配させちゃったな。ここまで心配してくれているのに、それを素直に受け止められない自分が、少し情けなく感じた。
すると、何を思ったのか、急に頭を撫でてくる。優しい手つきで、何度も、何度も。
「……急に、何?」
「辛そうな顔してるから。」
私の頭を撫でる手と同じくらい、優しい表情を浮かべてこちらを見る。その顔を見ていると、心なしか痛みが和らいだ。それと同時に、どっと疲れが押し寄せてくる。……そりゃそうか。酸欠でフラついてたのに、無理矢理身体を動かし続けたわけだし。思わず苦笑いが漏れる。
眠気に耐えきれなくなって、蓮兄の胸に頭を預ける。
「……蓮兄。」
「ん?」
「ありがとう。」
私の言葉を聞いて、少し驚いた表情を浮かべた後……。
「どういたしまして。」と、少し照れくさそうに笑った。
——カラッ
駅まで後少しというところで、不意に私の背中から音がした。……そうだ。持って帰ってきた遺品、政府の人に渡して、家族のもとに帰してもらわなきゃ。
「マナ、リュックの中から音したけど、何入れてるんだ?」
「……異界から持って帰ってきたもの。多分、怪異に襲われた人達の持ち物だと思う。」
「……遺品、残ってたんだな。」
「うん。後で家族の人にちゃんと返してもらわなきゃ。」
「そういうところも変わらないな……。」
そう言う蓮兄の顔はどこか悲しそうだった。……私、昔からこんなことしてたっけ。あんまりよく覚えてないけど。
駅舎に入ると、ここに来た時、声をかけてくれた駅員さんの姿が見えた。
「……おや、また会いましたね。」
「はい。」
「そちらの方は、お兄さんですか?」
「え、あ。」
……兄、と言えるのだろうか。まぁ、確かに長い付き合いではあるけど。返事に困っていると、蓮兄がそちらの方を見やって……。
「マナと知り合いですか?」
「ええ。駅で見かけて少しだけお話したので。」
「ああ、なるほど。」
人当たりのいい笑みを浮かべて話す蓮兄。……でも、その目は笑っていない。慎重に相手を観察している。
「……何か、あったんですか。」
「何がです?」
「いえ、抱きかかえられているので。ひょっとして何か怪我でもされたのかと。」
「ああ、大丈夫ですよ。ただ遊び疲れてる様子だったんで、つい。」
「そうでしたか。お気を付けて」
蓮兄の言葉に合点がいったのか、表情を崩して見送ってくれた。
「……蓮兄?駅員さんに何か気になることでもあったの?」
「ん〜?いや?ただ見ず知らずの相手がマナのこと知ってるから、ちょっと不思議だっただけ。」
「そう?」
……本当に、それだけなのかな。一抹の不安を抱えて、蓮兄の顔を見る。目にはもう、さっきのような冷えた色は浮かんでいなかった。
「ねぇ、シェアハウスに戻るまでこのまま?」
「ダメか?」
「……うん。もういいや。」
キョトンとした顔をした蓮兄を見て、抵抗をやめる。もう、これ以上何か言っても聞いてくれなさそうだ。……それに、今の私には蓮兄が見せた、あの冷たい目が気掛かりだった。……あの目に滲んでいたのは、警戒だけじゃなかった気がする。




