一方、その頃――
~そして場所は変わり・華菜side~
「お姉ちゃん……お姉ちゃん、起きてよ……」
そんな言葉と共に身体が揺さぶられる。
本来なら不快感を抱くのかもしれないが、揺する力が弱いために、どこか水面を揺蕩っているように感じられて逆に心地よかった。
「もう……お姉ちゃんってばぁ」
焦れたような声。
さすがに放って置くわけにもいかないので、華菜は気怠く思いながらも重たい瞼を気合いでこじ開けた。
「あっ、起きた」
瞬間、目の前に現れる耕太。その表情は、華菜を起こせたことに対する安堵感に満ちていた。
「ううん……まだ眠いよぉ」
「ダメだよ、起きなきゃ。もう朝ごはんも出来てるよ」
「それは後で食べるからさ、もう少し寝かせてよ……」
「ダ~メッ。前も、そう言って お昼まで寝てたじゃないか」
「ええ~? そうだったっけ?」
「んもう…………」
怒ったような、呆れたような口調と声。
しかし、そんな感情を向けられても、華菜の中に芽生えたのは楽しい感情だけだった。
「そんな顔しないでさ……耕太も一緒に寝よッ!」
「うわわっ……!」
言うが早いか、華菜は耕太をベッドに押し倒した。
そして、そのまま身動きが出来ないように手足を使って抱き締める。
「や、やめてよ、お姉ちゃんッ……!」
「んん~、相変わらず耕太は暖かいねぇ」
満足気に言いながら、抱く腕に力を込める。
《彼》と別れて以来、忘れ掛けていた人肌の温もりが そこにはあった。
「お姉ちゃん、怒るよッ!」
「はいはい、起きますよ」
やり過ぎは良くない。華菜は素直に耕太を解放した。
「んもう……」
「ははは……ゴメンゴメン」
そう言いつつも、悪びれた様子のない華菜。
耕太にしても慣れたものなので、今更、本気で怒るようなことはなかった。
あれから1ヶ月――耕太と華菜は確実に心の距離を縮めていた。事実、今では本当の姉弟のようだ。
それも華菜の努力の賜物だった。
頑なに心を閉ざしていた耕太の殻を溶かそうと、華菜は常に彼の側にいた。それこそ片時も離れないほど。
そうして時を重ねていくうち、次第に耕太も華菜に対して心を開いていった。自身を蝕んでいた寂しさが、華菜の存在で拭われていくのを理解しているかのように。
結果、今では耕太も普通に笑顔を見せるまでになった。
そして、自分を変えてくれた華菜には誰よりも懐くことになったのだ。
「さっ、朝ごはん食べに行こう」
「うん、行こう行こう」
自然と差し出された手を握り返すと、華菜は耕太と一緒に部屋を出た。
と、その直後――
「……………………ッ!!」
丁度、廊下を歩いていた雅也とブツかりそうになった。
「あっ、ゴメンゴメン」
常と変わらず、軽い感じで詫びる華菜。
だが――
「……………………ッ」
そんな華菜とは対照的に、雅也は表情も鋭く華菜を睨みつけた。無言の迫力と発せられる怒気に、思わず後退ってしまう。
「…………フンッ」
見下すように鼻を鳴らすと、雅也は挨拶もなく立ち去ってしまう。その後ろ姿を、華菜は複雑な気持ちで見送るしか出来なかった。
雅也の態度の理由は分からない。しかし、この1ヶ月の間で、明らかに雅也は華菜への苛立ちを募らせているようだった。
華菜からすると思い当たる節はない。
これと言って雅也に楯突いたわけではないし、1ヶ月の間に――と言うか、出会ってから今まで喧嘩もしたことがない。こんな関係になる原因などないはずなのだが。
「……お姉ちゃん?」
右下から、耕太が気遣わし気に声を掛けてくる。
それで我に帰った華菜は、変に耕太を心配させるべきではないと気を取り直した。
「ははは……何でもないよ。さっ、朝メシ朝メシ」
努めて明るく言いながら、華菜は耕太の手を引いて食堂へと向かった。
―――*―――*―――*―――
~一方、その頃の雅也は~
苛立たしい――自身の内を満たしていく怒りの感情に、雅也は固められていく拳を抑えることが出来なかった。
理由は一目瞭然、華菜のことだ。
今まで、雅也にとって華菜は思いを同じくする同志だった。《彼》を何よりも大事に思っている者として。
それ故に心を許していたし、他の人間とは違って仲間として見ていた。
しかし、今の彼女に そこまでの価値はなかった。《彼》ではなく、耕太に心を移している華菜には。
(まあ、いいでしょう。《他人》に干渉するほど暇ではありませんしね)
そう心の中で吐き捨てると、雅也は一人で外へと出る。
そして、ゾンビを警戒しながら歩くこと10分ほど。
彼の足は薄暗い高架下で止まった。
「へへへ……」
「……………………」
そこへ、二人の柄が悪い男達が立ち塞がった。
しかし、雅也は表情を崩す事すらせず、男達の方へと自ら歩み寄っていった。
「へへへ……お変わりないようで安心しましたぜ、旦那」
親しげに話しかけてくる男。そこに敵意や害意は含まれておらず、普通に話しかけてきただけである事が伺えた。
「ご機嫌取りは必要ありません。報告だけを寄越してください」
「相変わらずだね~、旦那も。まあ、俺たちも長居するつもりはないから構わねえけどな」
そう言うと、男は地図とデジカメを取り出した。
「頼まれてた地域を捜索したが、お目当ての兄さんは居なかったな。何箇所か生活の跡が感じられる場所はあったが、手掛かりになりそうなモノは無かったよ」
「そう……ですか」
答えながらも、デジカメの中身に目を通す。
そこには、確かに人気の名残りを感じさせる写真が収められていたが、大概が逃げた後か、逃げ遅れた後だった。
「……お疲れ様でした。報酬は そこの車に入ってますから、好きに持って行きなさい」
言いながら、路肩に停めてある車を指差す。
昨日の夜中に雅也自身が用意したものだ。
「へっへっへ、悪いな」
お許しが出て車に飛びつく男達。そして、中に入っていた食料を始めとする物資を、喜びの声を上げながら持ち出していた。
(また空振りですか……)
雅也は疲れたように心の中で呟いた。
実は雅也、基地での安定した生活を手に入れて以来、こうして外部の《ならず者》に彼の捜索を依頼していた。
彼等も一応は生存者なので、基地での保護対象になる。しかし、生存者の中には安定した生活よりも、享楽的な時間を望む者達もいる。本能の赴くままに行動できる世界を、ある意味で歓迎しているのだ。
とは言え、彼等も生活必需品がなければ困窮する。
そこで、雅也は物資の供給を交換条件として《彼》の捜索を依頼したのだ。
しかし、当たり前の事だが、個人的な依頼のために基地が物資を用意してくれるわけがない。なので、雅也は基地内の不良隊員を味方に付け、物資調達時に一部を他の場所に隠しているのだ。
だが、その苦労が身を結ぶまでには至っていない。様々な場所を捜索させているが、彼の足取りを特定することは出来ずにいるのだ。
(ふう……仕方がありません、帰るとしましょう)
彼に関する情報が得られないなら、こんな所にいる意味はない。雅也は踵を返すと、来た時よりも重々しい足取りで基地へと向かった――
―――*―――*―――*―――
~その時、トニーは~
「……………………」
高架下から上がってくる雅也を、トニーは待ち構えていた。
「……………………ッ!!」
俯いて歩いていたためか、直前までトニーの存在に気付かなかったらしい。雅也は珍しく驚いた表情を浮かべていた。
「トニー……見ていたんですか?」
「ああ……」
短く、それだけを答える。
対する雅也は、笑みを顔に貼り付けてはいるものの、発せられる空気は氷のように冷たかった。
「……それで? どうするつもりです?」
「……………………」
「私を追放でもしますか? それとも、ここで処断を?」
言いながら、雅也の手が後ろ腰へと移動する。
恐らく、トニーが止めさせようとすれば、容赦なく撃ち殺すつもりなのだろう。
(雅也……)
その様子を、トニーは何とも言えない気持ちで見つめていた。
本来、雅也は此処までの事をする人間ではない。
冷静な判断力と思考力を持つ彼は、的確に敵と味方の区別が出来るし、ましてや勝ち目のない行動に賭けるタイプではないのだ。
つまり、それほどまでに余裕を失っているのだ。
《彼》という支えを失った事で……。
それは華菜も同じだった。
二人とも毅然と振舞ってはいたが、側にいたトニーには華菜も雅也も限界まで膨らんだ風船のように感じられていた。
しかし、華菜は立ち直った。耕太という別の支えを得ることで。
でも、雅也は違う。華菜よりも自身の思考や感情をコントロールすることが上手い雅也は、他に支えが必要になるまで追い詰められてはいなかったのだ。
だが、それは逆に言えば、常に限界ギリギリの状態でいるということなのである。いつ破裂しても不思議ではないのだ。
「……トニー?」
思考の波に飲まれていると、雅也が訝しげに声を掛けてきた。そんな彼に何かを言おうと思ったトニーだが、結局のところ言葉が出てくることはなかった。
「……………………」
だから、無言のままに道を開ける。
何も出来ない自分への苛立ちを押し殺しながら――




