もう一つの戦い-1
一日中変わらない蛍光灯の光。
黒い二つの三つ編みを揺らしながら少女がモップでオペ室の掃除をしていた。一体自分はいつまでこのような事をしなければいけないのかと呆れた溜息が漏れ、背を丸くした。そんな時に限って嫌なものがくるのだ。すぐさま姿勢を正し掃除に勤しむ。
「早くここ片付けといてくださいね。」
天使のように愛らしく微笑み可愛らしい声の持ち主の名前はジゼル・ベルーラ。
弱い19歳で研究者としてエクソリクシ計画に参画している。ミリョウが研究所を去ってからやってきた新顔のようで自信に満ち溢れた美貌で周りの男どもを骨抜きにしてゆくが、その反面同性の研究者には反感を買っていた。現に今少女の目の前には山積みとなったオペ用のシーツがどっさり落とされた。
「さきにこれよろしく。」
言葉と同時に投げ捨てられた汚れたゴム手袋が少女の真っ白な白衣に赤い斑点をつける。少女はオドオドと弱い返事をして床に落ちたシーツを貨車に積みなおし部屋を出ていった。そんな少女を見送るジゼルの部屋には舌打ちが響く。
廊下をトボトボと歩く少女はランドリー室に誰もいないのを入念に確認して深呼吸を1つ。そしてシーツにありったけの憎しみを押し当てた。
「あんっっの女…ヒトが下手に出てりゃ調子に乗りやがって…」
怒りの形相でシーツ相手に連続でパンチを繰り出すその様はさっきまでのオドオドとした姿からは想像できないものだ。
「ここではそういうのやめなさい。」
聞こえてくる声に少女は覚えがあった。
振り向いた先には胸まである真っ直ぐな黒髪を揺らしながら、大量のシーツを持つニコニコと笑うミリョウがいた。
「ミンキュ?あんたの気持ちあたしだってよーーーくよーーーーくわかるから。ね?」
笑顔のままシーツを床にたたきつけるその姿にミンキュは何も言えず、ただただ首を縦に振り続けるしかなかった。
コロッツィオ達と離れてからもう2ヶ月半。研究所への潜入はなかなか思うように進まず、今月になりようやく潜入が叶ったのだ。ミリョウはアルーネ。ミンキュはマリーと偽りの名前と姿を変えて潜り込むことに成功した。研究棟ではミリョウはもちろんのこと、ミンキュも名前と姿は知れ渡っていたが、全くバレなかったのは、ミリョウによる完璧な変装と演技指導の賜物だ。ミンキュのくすんだ桃色の髪は赤みのある黒髪にかわり、黒い淵の大きなまん丸眼鏡は顔の印象を変える。ミリョウは印象的なツイストスパイラルパーマをストレートに変え、腰まであった髪を胸まで切り、前髪まで作っている。ド派手ハレンチで誰でもウェルカムな見た目が180度変わり難攻不落な鉄壁女史になっている。
所属はミンキュがイティラ博士率いる魔力液開発チーム。ミリョウはカール博士率いる遺伝子分析チーム。
イティラは黒ルラの血筋で小柄の男性だ。男らしい黒く短く真っ直ぐな髪は可愛らしい顔をカバーしているつもりだろうが、どうしてもルラ特性の可愛らしさが抜けない優しそうな男性だった。
逆にカールはマキナの血が強いのかスラリとしているのに程よく筋肉もついた男らしい体格の持ち主で、少し釣り上がった一重の瞳と無精髭は女性の心をくすぐる。
もちろんイティラとカールはミリョウの仲間で、入所後はお手伝いという名目で研究所の施設調査ができるように手配してくれる予定だった。
それなのに入所して早々ミンキュはジゼルに睨まれ雑用という名の陰湿な嫌がらせを受ける羽目になり、ミリョウはシュナに気に入られ用事もないのに呼び出されまくることとなったのだ。
ジゼルはその美貌を武器にシュナを含めたエクソリクシル研究の要人たちを虜にし権力を手に入れている。そんな彼女に反抗でもすればすぐに首が飛ぶのはわかっている。シュナに関しては更にタチが悪くミンキュとミリョウの事を知っているのだから態度を180度変えて接しなければ最悪正体がバレてしまう。そうなれば最悪エクソリクシの実験材料にされる可能性もある。ミリョウもミンキュもただただひたすらに耐えるしかなかった。
イティラ達と話す機会が持てたのは潜入してから5日経った日の夜だった。集まったのはカールの研究室。カールの研究室は以前から本人が何重にも鍵をかけているため並大抵のことがなければ入ることができない。
扉が開かれ広がる景色は想像していた無機質な研究室とは全く違い、メルヘンなソファーにピンクと白の可愛らしいクッション。当たりには沢山の花が飾られていた。それは男らしく女性を虜にするカールが誰にもあかさない本当の自分。イティラもミリョウも長い付き合いなのか動じている様には見えなかったが、初対面のミンキュは現実に追いつけずにいた。
「あなたがあの無月のコード卯月ね〜。こんなに可愛い子なんて知らなかったわ〜!本名はなんて言うの??」
「み…ミンキュ…
「え?ミンキュ??!可愛い〜!!!ミンキュちゃんって呼ばせて〜!!」
ラブリーなものでもみるような視線と顔に似合わないおねい言葉に呆気にとられるミンキュの前に差し伸べられた手のひら。少しの戸惑いはあったものの握手をすると、ブンブンと凄い勢いで上下した。
「あたしはカール・ベルスカよ。シャルって呼んでね!あ。でも普段はカール博士でよろしく!」
「へ…?シャル??」
「相手にしなくていい。お前は少しは黙ることはできないのか?!」
「なによ!自己紹介しただけじゃない!イッティーこそまずは自己紹介じゃないの?」
「自己紹介なら入館日に終えている。それに変な呼び方はするな!」
「あんなの形式的なものでしょ!」
「形式的なものでいいんだ!!」
睨み合う2人についていくことができないミンキュ。カールの本性にも驚いたが、イティラの本性にも驚いた。あんなにも気が弱そうで今にも泣き出しそうな顔をしているのに、平然と冷たい言葉と視線を送るとは思いもしなかった。
「はいはい。シャルもイティラも落ち着いて。」
いつも通りのやりとりにミリョウは、懐かしそうに笑って2人の間に入った。まだふくれっ面だが2人は落ち着いて椅子に座ってくれた。
「エクソリクシ製造の全工程に関してまず教えてもらえる?」
重要なことだ。ただの雑用研究員にはエクソリクシの説明などこれっぽちもされなかったのだ。当たり前だろう。自分が担当する仕事はただの雑用かもしれないが、もしその行動が悪事に加担しているとわかればヒトはどうするだろう?良心から湧き出る正義感からこの場を立ち去る者が必ず出てくるだろう。そして世間に事実を公表する可能性もある。それだけは避けたいだろうから全ての工程を縦割りに細かく分断し、全体をぼかすのだ。疑うことを知らない個は言われた仕事をするだけの歯車と化す。
もしバレたとしても生命の火を消す恐れがあれば個は従うしかないのだ。
悪の兵器は容易く完成する。
そんな中全容を知るのは限られた人間だけ。そのためにカールとイティラはここにいる。
「それじゃ私から大体の流れを説明します。まずは3日間朝昼晩ホルモン剤を注入します。意識がなくなったことを確認したら次は前頭葉の切除で思考力を低下させ、1週間寝かします。すると皮膚がボロボロ取れてくるので、そのタイミングで私の作った魔力液に5日から10日漬け込みます。するとだんだんと魔力液が固まり、大きな蛹室ができます。それを確認したら培養液を投入して更に1週間寝かせれば、後は勝手に完成してでてきます。」
まるで料理の下ごしらえをするかのようにイティラが言葉をつらつらと並べてくれたおかげで、知識のないミンキュもすぐに理解できた。
「エクソリクシの要ははじめに打つホルモン剤?……まさかとは思うけどエクジソン?」
イティラとカールの同時に頷く姿を見てミリョウの眉間が寄る。信じられない様子だった。
ミンキュはなぜそこまでミリョウを困惑させているのかわからなかった。すると今度はカールが優しい口調で語ってくれる。
「虫って脱皮するわよね?そして芋虫から蛹になって蝶になるのはわかる??」
「もちろん。」
「それを可能にしているのがエクジソン」
「…なんとなく…わかったけど…虫のホルモンをヒトに打って機能するの???」
「いい目のつけどころねミンキュちゃん!実はね…すっごく似たようなホルモンを受け取れる仕組みがあたし達の中にはあるの。」
「あれが作用したっての…?」
「その通り…。信じられないわよね。でもしちゃったのよ…。」
ミリョウは信じられないでいた。確かにエクジソンと酷似したホルモン受容体はヒトも持っている。けれども全く異質なものを受け入れるなんて考えられなかった。
理解できないミリョウにイティラが回答する。
「あの女です。」
「え?」
「シャザンヌ皇太子妃がエクジソンに手を加えて可能にしました…。」
「ちょっと待って待って…全然理解できない…」
「ミリョウちゃんが理解できないのはわかるわ。あたし達だって全然理解できてないんだもの…」
「しかしあの女はやり遂げ、エクソリクシが完成しています…。」
「…イティラの言う通りね。今はメカニズムよりも製造工程だわ。そこはどうなっているのかわかる?」
「機密ラボで製造されています…。部屋は虹彩認識ですね…」
「誰が出入りしてるのかわかる?」
「シャザンヌ妃、シュナ。そして、ジゼル、ユーズィスですね。」
「ユーズィス?あのMっ気のカールの後輩?」
「Mっ気があるかどうか知らないけど…ホルモン剤投入の担当になっちゃったから、何かとやりとりが増えたみたいなの〜。」
「なんであの子がこっち側にいないの?」
「配置替えになってからあたしのチームから抜けちゃって…。それに今じゃどこからどう見てもジゼルのワンちゃんよ…。お母さん悲しい…」
「いつからユーズィスの母親になったんだ…。それよりもミリョウさん…ユーズィスにまで手を…」
「え?まぁ気まぐれで。」
当たり前のように会話をするミリョウに落ち込むイティラ。イティラも理解はしていたのだがやはり事実を突きつけられると落ち込む。落ち込むイティラにカールが耳元で囁く。
「体の欲求を手っ取り早く満たすためにやっていることよ…手を出されていないということは、大事にされてる証拠じゃない。ガンバ!イッティー!」
「お…おう。」
「それじゃ、ユーズィスは無しね…ってことはジゼルとシュナのどちらかで認証は突破できるってことかしらね。」
「そうですが、少し厄介なんです…」
「どういうこと?」
「シャザンヌ妃は一人で出入りしているところは見るんですが、ジゼルとシュナは一人で入っているところは見たことがないんですよ…。もちろんユーズィスはこの2人と一緒にしか入ってません。」
「それってジゼルかシュナのどちらかでしか認証できないってこと?」
「そうかもしれません。」
「でもそんなの認証してるとこ見ればすぐわかるんじゃないの??」
「そう思うでしょ〜?でも無理なの!ラボは二重扉になってて内側に認証機があるのよ〜。ガラス張りでもないから一緒に入り込んでしか見えないのよ〜。」
「厄介じゃない…」
どちらが鍵なのかわからない以上、探るしかなかった。1番探りやすいのはユーズィスだろう。けれども先ほどもあったようにユーズィスはジゼルの犬だ。何かあればすぐにジゼルの耳に入ってしまう…。ではどうするか?
ジゼルとシュナに直接接触するのが良いだろうと思われた。シュナに接近するのは危険であった。どれだけミリョウのことを気に入っていると言えど、研究についてはあまり語らなかったからだ。こちらから動けば疑われてしまう。どう考えてもジゼルに的を絞るのが良かったが、きっかけがないのだ。
「きっかけが無いことも…無いんです…」
イティラの意味深な言葉にミリョウもミンキュも興味津々。1人死刑を宣告されたかのように顔を青ざめるカールを除いて。
「ジゼルは大の男好きということはもうご存知かと思います。ただ彼女が唯一落とせてない奴がいます。」
「イッティー!!!!だめー!!!」
「カールです。」
そうなのだ。傍目から見れば男らしいカールは女性陣から注目の的となっており、それはジゼルも例外では無かった。
しかし女性に興味をあまり持たないカールはジゼルからの猛烈なアタックをことごとくスルーしていたのだ。それはそれでジゼルのやる気を上げてしまいカールは困り果てている状態であった。
「ちょうど良いじゃ無い!シャル頼める?」
「ミリョウちゃんの頼みでも嫌なものは嫌よ!一応女の子もいける口だけどあの子だけは絶対に嫌よ!!」
「シャル〜お願いよ〜。」
「ダメったらダメよ!嫌な予感しかしないんだから〜!!!」
あまりの拒否っぷりに困り果てたミリョウはため息を一つ。そしてカールの耳元で囁くと、カールは渋々引き受けてくれた。
計画はこうだ、カールはジゼルに近づき、ホルモン剤の遺伝子配置について興味があり、製造過程を見たいと懇願しラボへ潜入する。そして誰が認証をしているのか確かめるのだ。
時計の針はもう10時を指していた。
2人はカールの研究室の扉から真っ暗な廊下へとでた。
「ドクターはカール博士に何を言ったんですか?」
「シャルの名誉にかけてそれは内緒よ。」
「それより最近葉月から連絡はあるの?」
「…ない…」
「まぁ無理もないか…」
葉月はミンキュやミリョウと違い、ソーサーの通信機はつけていない。ソーサーの通信も無限ではないということだ。少しでも負荷を減らすためチェズと特殊な通信方法を持つ葉月は通信機をつけていなかった。しかしそのせいでミンキュ達との連絡は研究棟に来てからは途絶えてしまっている。
チェズ達との更新も必要最低限で葉月のことを聞くこともできていない。ミンキュは仲間の無事を祈ることしかできなかった。




