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第九十六話 いろいろ滴るいい庭師

 庭にある森を抜け、目的の場所についた。


 ここは庭内に建てられた、とある小屋。ここにはお屋敷で働く庭師さんが住んでいる。今日、ここに来たのは、その庭師さんに会うためだ。


 目の前に建つ小屋は木造でお世辞にも大きいとはいえない。大きかったら小屋じゃないのだが、小屋の大小を判断するのに十分な情報が足りなかった。というのもその小屋の外観は、あるもので覆い隠されていたからだ。


 そのあるものとは、植物のつる

 小屋全体にびっしりとつるが絡みついており、窓も蔓に埋まっている。あまりの埋もれっぷりに、何度もここに来たことがあるにも関わらず、窓がどこにあったのか思い出せないし、わからない。唯一、蔓が絡みついていない扉がかろうじて小屋だと教えてくれている。


 扉の横には、古めかしい造りのランタンがぶら下がっており、中で炎が揺らめいていた。

 家の前に立った僕は扉に取り付けられたノッカーを軽く叩く。ノッカーはバラの意匠が施された立派なものだ。確かバラは庭師さんが好きな花のひとつだ。


 しばらく待っていると、突如、小屋の中に現れた気配とともに、「どーぞぅ」と家へ招く声が聞こえてきた。

 その澄んだ声は水のせせらぎのように心を落ちつかせ、まるで夜を照らす月の光のようだ。美しくもよく通る声は庭の闇へと流れるように溶けていく。この美しい声を聞いたものは、もっと聞きたいと心から願い、望み、恋い焦がれることだろう。そして心弱き者は、その声を我が物にしようと争い始めるに違いない。


「はぁ、また寝ぼけてるのかな」


 聞こえてきた声に僕は思わず苦笑する。

 侯爵家の庭師さんは朝に弱い。特に起き抜けの庭師さんは低血圧のせいか更に酷いのだ。


 言っておくが、今は日も暮れた完璧な夜だ。

 しかし、庭師さん的にはこの時間が朝になる。


 どんな状態であれ、庭師さんの声を聞くたびに美しいと感じるのは紛れもない事実だ。それは寝ぼけていようが変わらない。しかし、今、聞こえたのは普段よりも魅力的で、心を揺さぶられる声だった。そしてその声は普段の庭師さんの声にはない力をまとっていた。


「入らないの? 待っていたのよ」


 再び聞こえてきた声に、僕は返事を返しながら扉のノブに手をかけた。


 小屋に入ると花の香りが僕を包んだ。

 鼻を刺激するような強い香りではなく、心を安らかにしてくれる、そんな優しい香りだ。部屋の中を見回すと、床や棚の上に色とりどりの花や観葉植物が飾られているのが目に入る。壁や天井にもドライフラワーが飾られており、まさにちょっとした植物園のような雰囲気がそこにはあった。


 壁際に窓があった形跡を見つけ、ようやく窓の場所を思い出す。すでに植物や小物などで完全に塞がれているため、二度と開かれることはないだろう。そもそもあの窓は一度でも開かれたことがあるのだろうか。少なくても僕は思い出せない。


 そんな部屋の中央には四人掛けのテーブルがポツンと置かれている。そのテーブルの中央にはロウソクの火が灯る燭台が、そしていくつもの小さな花飾りが飾られていた。数ある花飾りは手のひらに収まるほどで、それぞれが小さな花を咲かせている。そしてそれらを照らす燭台の炎はまるで太陽のように輝いていた。


 そのテーブルの一番奥の席に、一人の女性の姿があった。

 燭台の光が座っている彼女をほのかに照らしている。その女性は両肘をテーブルの上でつき、微笑む口の前で白くて細い指を組んでいる。僕と目が合った彼女は、その絡みつく細い指をゆっくりとほどき、挨拶をするかのように手を左右に振った。


「おかえりなさい。アルクくん」

「ただいま。それと、おはようございます、ウルナさん」

「ええ、おはよう」


 女性は目を細めながら笑みを浮かべ、「ふふふ」と声を漏らす。

 その笑い声さえ、ほかの者を魅了してやまないだろう。


 彼女の名前は、ウルナ。

 彼女こそ侯爵家の庭を造り、その世話を一手に引き受ける庭師さんだ。


「まずはお座りなさいな」


 座るよう促された僕は彼女から見て左側の席につく。インプは浮かんだまま、僕の後ろに立つことにしたようだ。


 ウルナさんの見た目は、人族換算で十代半ばを少し超えたくらいだろうか。実年齢は知らないが美しさの中に可愛らしさが残る容姿をしている。

 まさに、水もしたたるいい女という言葉がピッタリだった。


 腰まで流れる銀色の髪は自然と輝き、燃えるバラのような緋色の目がきらりと光る。その艶やかな銀の髪の間から、尖った耳の先端がちらりと見えた。出すぎず、隠れすぎない絶妙な見え具合だ。透き通るような肌はどこまでも白く、一度たりとも太陽に晒したことがないほどの白さだった。その肌の色とは対照的に微笑を浮かべる魅惑的みわくてきな唇は熟れた果実のように赤く、口の端からは小さくも鋭い牙が覗いていた。


 その牙が示すように、彼女は俗にいう吸血鬼である。

 魔族の中でも不死族に連なるノスフェラ族と呼ばれる種族が彼女だ。


 彼女は生まれながらの吸血鬼、いわゆる真祖という部類の吸血鬼だが、魔族として認められたノスフェラ族は真祖しかいない純血の吸血鬼一族だ。


「朝早くからすいません」

「いいのよー。使い魔のインプから話は聞いたわー。王都でいろいろあったそーねー」

「ええ、まあ」


 起きたばかりでまだ少し眠いのだろう。起きているようで実は寝ぼけている、なんてことはないだろうが、ずいぶんと眠たそうだ。話し方も眠気が混ざっているような呆け気味の話し方だった。

 僕は苦笑しながら言葉をかける。


「ウルナさん」

「はーい、なにかしら」

「そろそろ声に魔力を乗せるの、やめません?」

「あらぁ?」


 あらぁ? じゃないよ、全く。


 真祖たる吸血鬼、ノスフェラ族である彼女は声に魔力を乗せることで、他者を魅了する力を使うことができる。半分寝ぼけ気味だったせいか、先ほどから魔力のこもった声で僕と会話しているのだ。

 彼女は無意識で魔力を乗せていたようだが、この声をお屋敷の関係者以外が聞いていたら大変なことになる。翌日から侯爵家には不法侵入者が増え、お屋敷の前では侵入者同士の揉め事が増えることになっただろう。


 彼女の魅了の声は、侯爵様御一家やここで働く使用人たちには効果がないのが幸いだ。というのも彼女の素の声を何度も聞いて慣れている者には、魅了の力は効かないのだ。美人は三日で飽きるとはよく言ったものだ……ちょっと違うか。


「寝ぼけた女の子のちょっとしたお茶目なのに」

「魔力を乗せて無差別に魅了しまくるのは、お茶目でもなんでもないです」


 そう返すとウルナさんは少しばかり拗ねた様子を見せた。

 その顔を見る限り、今度こそ目が覚めたようだ。

 目覚まし代わりの一杯! とか言って血を吸われるよりはマシだが、寝ぼけた吸血鬼ほど迷惑なものはない。


 そんなウルナさんたちノスフェラ族は、毎日、血を飲まなくてもいいタイプの吸血鬼だ。普段は食事の代わりとして植物から生気をもらっている。いわゆる草食系というヤツだ……これもちょっと違うか。


 だからといって全く血がいらないというわけではない。必要に応じて血を飲むのだが好みこそあるものの、その血は動物や魔物のもので十分だそうだ。それもごく少量でいいらしい。もちろん魔族の血もウェルカムだそうだ。


 血を飲むときはその牙を相手に突き立てて飲むこともできるそうだが、そういった行為は、「お下品」だそうでほとんどはコップなどの容器を使って飲むという。また仮に牙を突き立てられ、血を吸われたとしても基本的に吸血鬼になることはないらしい。例外はあるそうだが、顔を真っ赤にして教えてくれなかった。


 また、ノスフェラ族は植物や動物に自分の生気を分け与えることで、病気を治したり、活性化したりすることが可能だという。植物を活性化させ、季節外れの花をも咲かすことが可能な吸血鬼。

 まさに生まれたときから庭師になるべくして生まれてきたと言えるだろう。


 僕が彼女を吸血鬼ノスフェラ族だと知ったのは、数年に一度ある全使用人が対象の健康診断のときだった。健康診断の方法はウルナさんに、ほんの少しの血液を提供することから始まる。

 彼女は血を飲むことで対象の健康状態を知ることができるのだ。ただ残念なことに診断ができるだけで治療はできない。さすがに植物や動物たちのようにはいかないそうだ。だがその診断能力の精度は高く、侯爵家でもその信頼は厚い。

 まさに生まれたときから血液検査をするべくして生まれてきたと言えるだろう。


 言っておくがノスフェラ族にも職業選択の自由はある。

 ただ、こういう能力もあってか、ノスフェラ族にはウルナさんと同様、庭師や医療従事者が多い。魔王様の住む城の庭師と侍医にノスフェラ族がいるのは、それだけ彼らの能力が信用され、重宝されている証だろう。


 またノスフェラ族は種族としての能力も高い。

 当然、彼女たちは純魔族同様、高位魔族にくみしている。


 彼女の強さを証明する話をしよう。

 その昔、夜も更けた頃にどこからともなく一匹の迷いドラゴンが侯爵家の庭に降ってきて暴れたことがあったらしい。そのドラゴンが着地した先は花壇の上。運が悪いことに、そこにはウルナさんお気に入りの花が植えられていたそうだ。当然、押しつぶされた花はぐちゃぐちゃである。

 それを見た彼女は怒った。にっこりと笑みを浮かべたまま怒っていた。笑みを浮かべたままの彼女は、「いごくな」とドラゴンに向けてドスの効いた魔力たっぷりの声を叩きつけたのだ。

 脅しによるものか魅了の力によるものかは不明だが、結果的に動けなくなったドラゴン。

 そのドラゴンの首に笑みを浮かべたまま、爪と牙を突き立てたウルナさんは、血を吸い尽くすと同時に、体内の水分を蒸発させる魔法をドラゴンにかけ、一瞬のうちにドラゴンを乾物に変えてしまったという。

 本気を出した彼女によって乾物になったドラゴンは、植え直した花の苗の肥料として大活躍したらしい。油かすかな?


 ドラゴンが一瞬で乾物に変わったとき、「ジュオッ」って音がしたと、当の騒動に居合わせたレイゴストさんが話してくれた。それ以降、庭に咲いている花を勝手に抜いたり、植えたりしないという不文律が使用人たちの中で生まれたのだ。

 このドラゴン退治劇をウルナさんとするたびに、彼女は顔を真っ赤にさせて、「忘れて!」と悲鳴のような声をあげながら恥ずかしがるのだった。牙を突き立てるという行為について謎は深まるばかりである。


 当時、不文律について教えてくれたレイゴストさんは、「植えてある花を料理の飾り付けに使おうなんて思うなよ。使うなら彼女に許可を得てからだ」と何度も言っていたが、何か嫌な思い出でもあったのだろうか。


 寝ぼけていたことを指摘されたウルナさんは拗ねた顔のまま、抗議の上目遣いで僕の顔を伺っている。僕よりもずいぶんと年上のお姉さんのはずなのだが、少しばかり子供っぽいところが残っているようだ。まあ、これもまた彼女の魅力のひとつだろう。彼女の着ている黒いドレスが、かろうじて大人であることを思い出させてくれる。


 実は、ウルナさんはいつも黒いドレスを着ている。

 今、着ているのは白い腕が少しだけ見えている七分袖の黒いドレスだ。だが、庭仕事をするときは必ず長袖で、足首まで隠れるような丈の長い作業用ドレスを着用し、肌を見せることは一切ない。手袋、スカーフ、帽子は当たり前。当然、それらオプションも黒である。

 しかも作業するのは夜限定。そのため彼女が庭仕事をしている時間、その姿を確認するのは至難の業だ。保護色どころの話ではない。暗殺者も真っ青の黒である。青くなった分、隠密という分野で暗殺者の負けは確定だ。お互い『黒さ』で勝負しているわけではないので意味はないが。

 彼女が黒い服ばかり着るのは、単純に黒い服が好きなだけだ。


 先ほど彼女の白い肌を、「太陽に晒したことがないほどの白さ」と評したが、もともと昼間は寝ているため、太陽に肌を晒すことはまずありえない。だからといって彼女が太陽の光に当たったとしても、やけどを負ったり、灰になったりすることはない。

 本人は陽に弱いと言ってるが、肌が赤くなるから日焼けしたくないというのが本音らしい。吸血鬼の弱点のひとつとして言われている太陽は何ら意味を成さなかった。

 太陽、涙目である。太陽ざまぁ。


 また俗に言われる吸血鬼の各種弱点も彼女には効果がない。流れる水や聖印などお笑いである。彼女は喜んで水浴びをするし(覗いたわけじゃないよ)、白の賢者様の信徒でもある。

 心臓に杭を打つ? それは種族問わず普通に死んでしまうだろう。吸血鬼限定ってわけじゃない。


 では、彼女たちノスフェラ族の弱点は何か。


 それは、「朝、昼にとても弱い」ということだ。

 ノスフェラ族は基本的に夜しか起きていられない体質だ。

 吸血鬼らしいと言えば吸血鬼らしいのだが、だからといって徹夜ができないわけじゃない。一年に数回、朝の庭で黒い服に身を包んだウルナさんに会うことがある。まあ、だいたいは小屋に帰ろうとする亡霊みたいな動きだし、半分ほど意識が飛んでいるので会話にならない。僕たちの徹夜とは比べ物にならないほど弱体化しているのだ。

 むろん陽の光を苦手とする彼女が徹夜で昼間活動しているときは、必ず曇りか雨の日だ。きっと彼女が徹夜していることを察した太陽が、恥ずかしさのあまり雲にその身を隠し、涙を流しているのだろう。己の無力さを噛み締めているのだ。

 まさに太陽、涙目である。太陽、ざまぁ(二度目)。


 そんなわけでノスフェラ族の弱点はそれだけだった。

 種族としてほかに弱点らしいものはない。


 もしかしたら、「にんにく」が弱点である可能性はあるけれど、今の魔王国にニンニクはない。エルフの国から届いたらウルナさんに見せてみよう。たぶん、「臭い」と言われて終わりだと思うけど。


 吸血鬼らしい弱点がないノスフェラ族。

 もしかしたら秘密の弱点があるかもしれない。だが、あえて言うなら弱点があろうとなかろうと魔王国内において吸血鬼の強さは一般の高位魔族の平均レベルにすぎない。むしろ夜しかまともに活動できないため、平均以下とも言えるだろう。夜しか輝けないホタルみたいなものなのだ。

 普通じゃない魔族の代表に魔王様とかがいるし、侯爵様のような貴族に多い純魔族の強さは平均以上の存在だ。



「ウルナ様。お茶でもお入れしましょうか?」


 不意にお茶を勧める声に、ウルナさんは尖らせていた唇を元に戻し、僕の後ろから一歩前に進み出たインプに目を向ける。


「ありがとう。でもお茶は結構よ」

「いつでもお申し付けください」


 インプは一礼して後ろに下がり、元の位置に戻った。


「それにしても、その子がアルクくんの使い魔として現れたときには驚いたわ。インプとはいえ、いつの間に悪魔と契約できるようになったのよ。それにその子、ゲッゲッゲって言わないのよね」


 前も大神官様が言っていたが、インプのゲッゲッゲ笑いは有名らしい。王都を出る前、インプに、「ゲッゲッゲって昔みたいに言ってみてよ」と話したら、「ご冗談を」と真面目な顔で断られたことを思い出す。


「アルクくんみたいに執事服を着て、今のようにお茶を淹れてくれようとしたり、敬語を使ったりするインプなんて初めて見たわ。最初に会ったとき、魅了しようとしたけれど効かなかったのよねぇ。私ももう年かしら」

「前もってアルク様より聞いておりましたので、気を張っていただけでございます」


 恭しく答えるインプに、ウルナさんは笑みを返す。

 彼女はいたずらのつもりだろうが、僕の使い魔を取ろうとしないでもらいたい。それに見た目は十代後半なのだから、年も何もあったものじゃない。


「あっ、そうだ。これおみやげです」


 そう言って『執事ボックス』から取り出したのは、インプから預かった透明の瓶だ。インプにはこれを用意してもらうため、わざわざリバシールから王都まで戻ってもらった。その後、インプにはウスイの屋敷にいる庭師さんに会ってもらい、僕と話ができる日を調整してもらったのだ。そして今夜、ウルナさんの目が覚めたら僕に連絡するよう頼んでおいた。


 わざわざ会う日を調整したのは、彼女が夜しか活動できない吸血鬼だからだ。庭師の彼女には、不文律に従い、王都から持ってきた食材などを庭に植える許可を得る必要があった。無許可で植えると彼女を怒らせかねないからだ。


 だが、彼女は昼間寝ている。彼女が起きている時間は僕が寝ている。普通はなかなか会えない。だからこそ、会う夜、会う時間を前もって調整する必要がある。その調整がついたのが今日という日の夜だった。


 普段は手紙やメモを使ってやりとりしているのだが、今回、わざわざ彼女と会えるよう調整したのは、話が長くなりそうだったし、ひさしぶりに会うのが楽しみだったからだ。


「まあ! これは嬉しいわ」


 瓶を大切そうに両手で抱えた彼女は、中身が何か察したようだ。


「良かったらどうぞ」

「ええ。さっそくいただくわ」


 ワイングラスを用意したウルナさんが瓶を傾けると、無色透明の液体がとくとくと音を立てながら踊るようにグラスを満たしていく。その液体を七分目ほどまで注いだ彼女は鉢に咲いていた赤いバラを一輪切り取り、グラスの中にそっと浮かべた。 続いてワイングラスを手にとった彼女は、その赤い唇をグラスにつけ、ゆっくりとその中身を口の中に注いでいった。こくこくと可愛く喉を鳴らしながら、また一口、また一口と液体が彼女の喉を流れていく。


 少し勢いがついたのだろう。

 ひとすじの水滴が彼女の口元からしたたり落ちた。それを惜しむように指ですくって舌で舐めとる彼女の顔は、グラスに浮かべた赤いバラのようにほんのりと染まっていた。だが、グラスの中に目を向けると、そこに浮かんでいたはずの赤いバラはその役目を終えたかのように枯れ果てていた。これは吸血鬼であるウルナさんに生気を吸われた植物に起きる現象だ。


 注がれた液体を飲み干し、赤いバラの生気を吸い取った彼女は恍惚とした表情を浮かべ、心の底からあふれる思いを口にするのだった。


「ぷっはー!」


 おっさんか!

 先ほどまでの艶っぽい雰囲気が台無しである。見目麗しく他者を圧倒的に魅了する美貌と声の持ち主が、「もう一杯!」と続きそうな声を上げたのだ。これが酒場だったら酒場のマスターを含め、客全員の目が点になること請け合いである。


 目の前にいる吸血鬼の彼女は、生気を吸うととても残念になるのだ。ほかにも残念なところがあるのだが、それはあとだ。

 今、残念になったそれは、『おっさん化』だった。

 思わず、「おっさんか!」とツッコまずにはいられない。


「くぅーっ。バリうまかー。やっぱ『聖水』で割った生気はたまらんけんね(たまらないわ)そいに(それに)この聖水もひと味違うとるたい。どこで見つけたと?」


 更に地も出る。

 ドラゴンが花壇を潰したときのように心底怒ったときもそうだ。


「怒ったり、聖水を飲んだりすると、なぜノスフェラ語が出るのか……」

しょんなかろうもん(しょうがないじゃない)。こればっかりはどげんもならんとよ(どうにもならないわ)


 何を言っているかわかりにくいが、これはノスフェラ族特有の言語、ノスフェラ語だ。ノスフェラ族の女性からノスフェラ語で、「好いとうと(好きだよ)」と言われた日には他種族問わず大概の男は速攻で、「落ちる」らしい。まさに魔性の種族である。


 さて、おっさん化したウルナさん本人も言っていたが彼女のおみやげにとインプに頼んでまで用意したのは聖水だった。それも白の賢者様に仕える巫女特製である。ヒミカさんの作った聖水……一応、念のため言っておくが聖水とは祝福された普通の水だ。


 吸血鬼に聖水なんて! と前世の僕なら思うかもしれないが、聖水はウルナさんの大好物である。ちなみにこの聖水を幽霊族のレイゴストさんにかけると大変なことになる。幽霊族にとって聖水は毒となるからだ。


「アルク様。残念ながらヒミカ様がご不在だったため、この聖水は大神官様にお願いしました」

「あっ、そうなの?」


 巫女の聖水ではなく、大神官様の聖水のようだ。

 何度も言うが、聖水とは(以下略)


「ちょちょちょちょちょ! いくら侯爵様の伝手つてがあったとしても巫女様とか大神官様に聖水をお願いするなんてよくできたわね。それも直接願い出たわけでもなく、使い魔のインプに頼ませるなんて。私なら怖くてできないわ」

「お二人と王都で知り合いになりまして」

「……アルクくん、何しでかしたの? 何をしちゃったの?」

「何もしてません!」


 ヒミカさんと大神官様に会った経緯を説明しつつ、僕の潔白を強く強く訴える。インプは自分の役目は終わったと思ったのか、いつの間にか姿を消していた。なぜこのタイミングで帰ったんだ! これでは僕が余計なことを言わせないよう、さっさと送り帰したみたいじゃないか。



「――ふーん。そんなことがあったのネー」


 微妙に信じてもらえてない気がする。

 インプめぇ。帰ったのはわざとだな。


「それで? 食材探しは進んでいるの?」

「順調とまではいきませんけどね。ぼちぼち集まってます」

「私も手伝いたいけど、これじゃあね」


 そう言ってグラスから枯れたバラの花をつまみ上げる。生気を失い、枯れてしまったバラの花はボロボロと崩れて散ってしまった。


 申し出はありがたいが、結局、普通の魔族同様、食材や味に関して彼女が手伝えることは何もない。そもそも彼女にとって食材とは、生気であり、血なのだ。魔族の中でも根本的に食材の意味が違うのだから仕方ない。


 それに生気そのものに味はないらしい。

 味覚音痴の魔族の一員であるウルナさんがそう言ってるので本当かどうかは判断できないが、そういうものらしい。

 じゃあ、血はどうか。


 血の味の評価でよく耳にする、「まったりとしたコク」とか「恐怖心の混ざった甘美な味わい」を感じることはないのか聞いてみたが、何を言ってるのか理解できないと首をコテンとかしげられた。


 では、血を飲むことで健康診断ができる彼女はどうやって判断してるのか。そう質問をぶつけると、感覚的なもので判断しているというあいまいな答えが返ってきた。彼女もうまく説明できないそうだ。きっと血を吸う吸血鬼以外には説明しづらいのだろう。そもそも味音痴の魔族なので血の味がわかるはずもない。


 ほかの魔族同様、味音痴の彼女たちノスフェラ族だが不思議なことに好みの生気や血があるそうだ。


 例えば彼女の場合、植物の生気なら花がお気に入りだ。

 特に、バラの花の生気がいいらしい。扉にあったノッカーの意匠がバラなのもうなずける。しかもバラはバラでも、赤いバラが一番だという。よくよく見てみれば、小屋に置いてある植物たちは赤い花が多いようだ。きっとウルナさんは赤い花が好きなのだろう。服は黒で、花は赤が好みというのは不思議なものだ。


 血の場合、動物なら賢い動物。

 魔族の血なら、男性よりも女性の血が好きらしい。

 動物にしろ魔族にしろ、若い血のほうがお好みだそうだ。

 これも感覚的なもので根拠はないとのこと。


 ざっくり言えば、お屋敷の中ではお嬢様の血が一番の好みだということだ。


 もちろんウルナさんがお嬢様の血を欲しがったことは一度もない。毎日、血を飲む必要はないし、動物の血で十分だと本人も言っている。そもそも主家の令嬢の血を自分のためによこせとはさすがに言わない。彼女にも分別と理性はあるのだ。


 だが、お嬢様の健康診断のとき、隠れて大はしゃぎしている姿を何度も目にしている。張り切っているのではなく、大はしゃぎであることに一抹の不安を覚えたものだ。だが本人としては数年に一度のボーナスみたいなものなのだろう。

 若い年齢の中には使用人仲間である僕、イーラさん、ラミさんも入っているが、お嬢様同様、「血を飲ませて!」と言われたことはない。ただ健康診断のたびに、「ごくり」と喉を鳴らしているくらいだ。

 このようにノスフェラ族は理性を失うほど血を欲する種族ではないし、血で問題を起こしたことはない。当然、これからも起きないだろう。血に関して血迷うことのない種族なのだ。そうでなければ危なくて雇っていられない。


 一応、僕たちと同じ食事を食べることは可能だそうだ。でも、「生きたまま血をもらうのが一番よね」と微笑む彼女は、生気や血を好む吸血鬼なのだ。もう吸血鬼は、踊り食いとか踊り飲みとかだけ楽しんでいればいいんじゃないかな。


「ウルナさんにお願いしたいのは、庭で食材を育てる許可とその世話なんです」

「あら? 街の外に畑を作るって聞いてるわよ」

「はい。ですが量が取れない食材や一部の食材は手近なところで育てたいんですよ。例えばこれです」

「あら、これは花の種かしら?」


 ウルナさんに見せたのは、お嬢様が初めて召喚したスノーンからもらった雪菜の種だ。アブラナ科の植物で今から植えておけば来年の春には黄色の花が咲くはずだ。


「はい。これはスノーンという雪の精霊からもらった『雪菜』の種です。お嬢様が初めて使った魔法が召喚魔法で、召喚されたスノーンから――」

「お嬢様の!? わかったわ! 私が育ててみせる!」


 僕の話を最後まで聞かずに承諾する返事がきた。お嬢様のこととなると確実に引き受けてくれると思ってはいたがこれで一安心だ。

 話が早くて助かる。


 それというのも侯爵家に仕える女性の中で、庭師のウルナさん、専属侍女のイーラさん、メイドのラミさん、騎士隊副隊長のプレスコットさんの四人は、お嬢様大好き四天王と呼ばれている。少なくても僕はそう呼んでいる。この四人のお嬢様大好きっぷりは、ほかにも存在するお嬢様が大好きな使用人たちに比べ、際立っていた。

 しかもウルナさんの場合、もともと活動する時間帯がお嬢様と真逆で滅多に会えないことから、ほかの三人よりもお嬢様を可愛がっている。もはや溺愛、いや、それ以上と言ってもいいだろう。先ほどノスフェラ族は、血に関して血迷うことはないと言ったが、ウルナさんに限り、お嬢様のことになると血迷うことがたまにある。


 例えば、お屋敷に到着した今日のお昼。

 ウルナさんが起きていて、ほかの使用人たちと一緒に玄関先でお嬢様を出迎えていたとしよう。恐らく隊長のサイロスさんよりも早く馬車の扉を開け、お嬢様に抱きついて頬ずりくらいはしていたはずだ。そしてそれを止めようとするプレスコットさんと言い争いになっていたに違いない。彼女が寝てて本当に良かった。


 またこんな話もある。

 いつだったか、お嬢様がウルナさん宛の手紙の中で、「このはな、すごくきれいなのー」と庭に咲いていた花を一輪、同封して送ったことがあった。その手紙を読んだウルナさんは、「お嬢様が喜ぶかしら」と思い、一夜にして庭一面にその花を咲かせたのだ。次の日、花を咲かせるのに生気を与えすぎた彼女は、三日ほど寝こむことになった。


 確かに綺麗な花が庭一面に咲いていたらお喜びになられるだろう。だが、お嬢様は使用人に無理をさせて喜ぶような方ではない。ウルナさんが無茶をすることがわかっていたら、心優しいお嬢様なら絶対に止めていたはずだ。

 もちろん同じ使用人として、ウルナさんの気持ちはすごく理解できる。だが、この件はお嬢様の心を読みきれなかったウルナさんの一人よがりが原因なのだ。

 これはウルナさんがお嬢様に関して血迷った一例である。


 結局、お嬢様を喜ばそうとしたものの、逆に心配をかけ、お見舞いの手紙までもらった彼女は、自分の暴走を深く反省し、それ以降無茶をすることはなくなった。


「お嬢様もご自分で育てたいとおっしゃられていましたから、ウルナさんは多少のお手伝いだけでいいと思います」

「お、お嬢様との共同作業ってことね! わかります!」


 わかりません。

 たぶん違うと思います。

 少なくてもウルナさんの考える共同作業ではありません。


「言っておきますけど、生気を注ぎすぎて『また』寝込まないようにしてくださいよ」

「わ、わかってるわよ! 私もお嬢様に心配かけたことを反省してるの。でも、その反省を踏まえ、ドラゴン一匹分の生気があれば庭中満開にすることが可能だとわかったわ。ちょっと今から一匹捕まえて来るから待ってて」

「やめてください! 全然反省してないですよね! 反省を踏まえる前に、ドラゴンがお嬢様の花を踏んだらどうするんですか!」

「そんなことをするトカゲは、見せしめに群れごとゾンビにして後悔させてやるわ」


 ウルナさんは牙を剥き出しにしながら、ギリッと奥歯を噛みしめた。せっかくの可愛い顔が台無しである。まあ、聖水飲んだ辺りからいろいろ台無しではあるけれど。


 どうしてお嬢様の周りにいる使用人はこういう方が多いのだろうか。お嬢様のことになると見境がなくなる使用人が多すぎる。イーラさんやラミさんは挙動不審になるし、プレスコットさんはお嬢様の敵だと判断したらなんでも斬りたがるのだ。僕のようにもう少し冷静でいられないものか。乱れた忠誠心は、お嬢様の品位にも関わる由々しき問題だ。


「僕は違いますぅ、なんて顔してるけどアルクくんも私たちと変わらないから」


 今日一番の冷たい目が僕に注がれている。

 なぜそんな目で見られるのかさっぱりわからない。


「言ってる意味がわかりません。それよりドラゴンゾンビを量産しないでください」

「むー」


 ドラゴンを生気タンクか何かと思ってるのだろうか。

 本日二度目となる拗ね顔だが、ドラゴンゾンビは勘弁願いたい。主に臭い的な意味で。


「まあ、わかったわ。庭内で育てたいものがあればいつでも相談して」

「よろしくお願いします」

「その代わり、雪菜はこの小屋の隣に専用の花壇を作るわよ。お屋敷から目につくところに植えるのは庭園のバランスが崩れちゃうから」

「……雪菜の世話のついでに、お嬢様が遊びに来やすいからという理由で小屋の隣を選んだわけじゃないですよね?」

「もちりょんじゃにゃい!」

「花壇で、はしゃぐお嬢様の声を聞きながら寝られる、という理由でもないですよね?」

「にゃ、にゃ、にゃにをいってりゅのかしゅら」


 お嬢様専属侍女のイーラさんには『注意事項』として、気をつけるよう言っておこう。


「……まあ、いいでしょう。ところで庭にある植物の中で、ウルナさんが気に入った生気を持つ植物とか、実とか、葉っぱとかありませんか? 面白い形をした植物とかでもいいですけど」

「食材になりそうな植物ってこと?」

「ええ。もしかしたらこの庭にもあるのでは、と思いまして」

「んー、食べられるかどうかわからないけど、変わった植物ならいくつかあるわ。面白いかどうかはわからないけど、一応見に行ってみる?」


 ここウスイにある侯爵家の庭は広い。

 闇雲に探すより庭のことを知り尽くしたウルナさんに相談して正解だった。彼女に食材の知識があるとは思っていないが、なにかしら手がかりを見つけることができれば幸いだ。


「ぜひ! お願いします」

「じゃあ、さっそく行ってみましょう」

「今からでもいいんですか?」

「お嬢様の花壇も作るし、ほかの仕事のついでにね。それにそろそろアルクくんも寝る時間でしょ」


 彼女はそう言って立ち上がると、優しい目をして微笑むのだった。



 赤い月が照らす中、ウルナさんの案内で庭を歩く。

 そよ風に草木が撫でられ、葉がこすれ合う音が庭に広がる。その草木の音に合わせるように虫の鳴き声もどこからともかく聞こえてきた。夜の庭は静かだと思っていたが、意外とそうでもないらしい。


 ウルナさんはさっそく作業用ドレスに着替えていた。長袖に丈の長いスカート、手袋、首に巻いたスカーフ、幅広の帽子といった出で立ちだ。そして全てが黒、黒、黒である。肌が見えるのはその顔だけだ。これで顔を隠すベールをすれば全身真っ黒になる。

 全身が黒一色のせいか、その白い肌が一際目立っていた。


 目的の場所に向かう途中、ウルナさんとはお嬢様の話で盛り上がる。お嬢様の食事風景がどれほど可愛らしいのか熱弁すると、早起きしてメイドの手伝いをするとまで言い出した。ウルナさんが起きている時間帯では、お嬢様の食事風景を見ることはできない。だからこそ聞かせたのだが、逆効果だったようだ。

 夕食時ならイケる! と拳を握っているがたぶん無理だと思う。いつもウルナさんが起きるのは夜の十時前後。その時間ともなると夕食も終わり、お嬢様はベッドの中で楽しい夢を見られているころだ。早起きをすればなんとかなりそうだが、あまり無理をしないようやんわりと伝えておいた。



 僕たちが向かった先はお屋敷前にある庭園ではなく、そこから少し離れた城壁沿いにある開けた場所だった。周りに生えている木も少なく、日当たりも良さそうだ。


 ウルナさんの案内で連れてこられた先には、二メートル四方の小さな花壇があった。そこには三十センチほどに育った植物が等間隔に植えられている。伸びた茎の脇には植物が倒れないよう支柱が立てられ、茎と支柱がひもで固定されていた。


「これよ。いつの間にか庭に生えてたの。たぶん鳥がどこからか種を運んできたのでしょうね。それ以来、私が増やして育てているわ」

「支柱で立ててあるんですね」

「なんだか頼りない子でね。支柱に固定してあげないと倒れちゃうの。最近まで可愛い黄色の花が咲いていたんだけど、もう落ちちゃったわね。でも、今から暑い時期にかけて赤い実ができるのよ。それがまた綺麗なの。気に入ったから少しずつ増やしているわ」


 植えられている植物に近づいてみると、言われたとおりすでに花はなく、代わりに緑色の丸い実のようなものがおじぎをするようにぶら下がっていた。

 この実はまさか――!


「こ、これ!――ト、トマトじゃないですか!」


 トマトとは緑黄色野菜の一種で、赤い実をつける多年草だ。その実は甘いものから甘酸っぱいものまで様々だが、料理に使いやすい野菜として有名だ。そのまま食べてもいいし、煮ても焼いてもうまい。まさかこんな近くにあったとは……。


「へえ、トマトっていう名前なの?」

「このトマトの実は、赤く熟したものが食材になるんです」

「え? あの実を食べるの? 色は赤くて綺麗なのに、中身は『グチョッ』としてて気持ち悪いんだけど。ほら、潰れた頭から血が出てるみたいで怖いわ」


 何言ってんだ? この吸血鬼。

 その血をすする貴方はだぁれ?


「何をおっしゃいますか。一度食べてみてくださいよ。収穫したばかりのトマトは本当に素晴らしいですから」

「え? 私が食べるの!? べ、べつに私は生気と血があればいいんだけど?」


 ウルナさんは僕から目をそらしながら遠慮がちに言った。

 育てたのはウルナさんなのだから、何も遠慮することはない。そのままじゃなくてもトマトジュースなら気に入ってくれそうだけど、飲ませたら語尾に、「ざます」とか付けてしゃべり出さないか心配だ。


「これが食べられるとは思わなかったわ」

「ウルナさん! このトマトは素晴らしい食材です! しかも知らなかったにも関わらず育てていたなんて。きっとお嬢様も喜んでくれると思います」

「……そぉれ、ほんとぅ?」


 ――あっ、しまった。

 お嬢様が喜ぶとか、禁句だった。


「ねぇ! アルクくぅん、それは本当なの? お嬢様は喜んでくれるぅ? 絶対? 絶対に? ねぇ! ちょっと聞いてるの? お嬢様が喜んでくださるなら、私、なんでもするわぁ。 ねぇ? そうでしょう?」

「あ、あの……ウルナさん? い、痛いんですけど」


 前から欲しかったトマトを目の前にして、彼女がお嬢様大好き四天王の一人だということを忘れていた。しかも目の前にいるのは、ほかの三人より溺愛以上にお嬢様を可愛がっているウルナさんだ。


 口調が変わり、トロンと目が座ったウルナさんは、普通のウルナさんではない。今のウルナさんは、お嬢様が綺麗だと言った花を、「お嬢様が喜ぶ」と思い込み、庭中に咲かせた挙げ句、三日間寝込むような血迷った行動をしでかしたウルナさんだ。


 お嬢様が喜ぶという言葉に、彼女のダメなスイッチが入ってしまったらしい。お嬢様の血では血迷わないくせに、『お嬢様を喜ばせよう』とか、『お嬢様が喜んでくださる』的な話になると血迷うのは彼女の悪い癖だ。こうなると、目的を果たす(お嬢様の喜ぶ顔を見る)まで一直線。まさに猪突猛進。

 そういえばシュリーカー族の村がある森に残してきたチョトツは元気だろうか。


 今、僕の頭はウルナさんの手によって左右からがっしりと掴まれている。そのせいで首から上はピクリとも動かない。それだけならまだしも、僕の頭を左右から押さえつける力が徐々に強くなってきている。それはまるで親の敵を潰さんとするほどの力強さだった。頭蓋骨から、ミリミリッときしむ音が聞こえてきそうだ。


「お嬢様わぁ、トマトを喜んでくれるかしらぁ? 私が育てたトマトを好きって言ってくれるかしらぁ? 私を好きって言ってくれるかしらぁ?」

「――ちょっ、ちょっと、ウルナさん!? 指が頭に食い込みそうです! 頭がつぶれちゃう! ト、トマトみたいにつぶれちゃうから」


 ぎりぎりと頭を締め付けるその力が緩まることはない。

 ウルナさんに声をかけても全く届いていないようで反応がない。まるで僕の存在を消し去ってしまったかのようだ。


「お嬢様♪ お嬢様ぁ♪ お嬢様アァ♪」


 繰り返し、「お嬢様」と連呼するその様子から完全にダメなウルナさんになっていることがうかがえる。

 もしかして黒い服ばかり着ているからか? 

 それとも太陽の下に出ないからか? 

 いずれにせよ、夜の闇に生きるノスフェラ族の彼女の心は病み気味だった。

 ……闇だけに。


 完全に病んでいる彼女をなんとか正気に戻さねば危ない。主に僕の頭が危ない。目の前のウルナさんは別の意味で危ない。


「ウルナさん! 大丈夫です(たぶん)。トマトは子供が好きな野菜の中で、常に上位に並ぶ人気野菜です(前世調べ)。お嬢様もトマトを気に入ってくれると思います!(そうであって欲しい)」

「きゃー。お嬢様が私のことを気に入ってくださるだなんて」


 (あっ、両手が離れた)


 ようやく彼女の拘束から開放されたようだ。

 それにしても……何をどう勘違いしたら、今の答えにたどり着くのだろうか。その答えは次元を越えないと出てこない気がする。

 頭から出てはならない、「味噌的な何か」が耳からしたたっているのではと、ついつい彼女の尖った耳を覗いてしまう。


 本人の勘違いとはいえ、正気に返ったウルナさんは、「やだ、もう♪」と言いながら、恥ずかしそうに両手で自分の頬を押さえながら身悶えていた。


 (ふう、やれやれ)


 そう思ったのも束の間、僕の受難はまだ終わっていなかった。


 彼女は照れ隠しのつもりなのか、「もう、アルクくんったら♪」と言いながら僕の頭めがけて平手打ちを繰り出してきたのだ。きっと今の彼女としては、軽く小突く程度のつもりだったと思う。だが現実は違っていた。


 しゃがんで避けた僕の頭上を、彼女の腕が勢いよく通過していく。揃えた指先には鋭い爪が光っていた。確か、あの爪はドラゴンの鱗も貫くとレイゴストさんが言ってた気がする。あと数秒遅かったら、僕の頭はどうなっていただろうか。答えは、「ボォッ」という空間をえぐるような風切音から察して欲しい。


「アルクくん。私、あの赤い月のように立派なトマトを育ててみせるわ! そしてお嬢様に好きって言ってもらうの!」


 空振りに終わったことを気にする様子もなく、赤く光る月を見上げながら、胸の前で両拳を固く握りしめ、月に誓う彼女は美しかった。声で魔族すら魅了する彼女のことだ。その誓う声もまた人を惹きつける。先ほどまでの病み具合を見ていなければ、十人が十人、そう思うに違いない。

 彼女の病み具合をずっと見ていた、見てしまった僕はようやく正気に戻ったかと、ホッとするだけでそれ以上の感情は浮かんでこない。


 お嬢様に好きって言って欲しいのは、育てたトマトに対してなのか、ウルナさん本人に対してなのかは、あえて聞かないことにした。聞かなくてもなんとなくわかる。

 リバシール滞在時、お嬢様に、「わーい! アルクん、大好き!」って言われたことは内緒にしておく。僕はまだ死にたくない。特に今はまずい。


 こんなスイッチが入るウルナさんだが、お嬢様を前にすると至って優しい、花が大好きな普通の庭師さんだ。お嬢様を目の前にしてスイッチが入ることなど絶対にない。

 お花好きのお嬢様もそんなウルナさんのことをお花の先生として慕っているし、大好きなはずだ。花が好きな者同志、通じるものが必ずあるはず。いつか機会があればお嬢様も声に出して、「大好き」と言ってくれるだろう、たぶん、きっと、恐らく。


 お嬢様がいないとき限定でスイッチが入ってしまう禁断症状さえなければウルナさんも立派な庭師だというのに、実に残念である。僕の周りには、残念な知り合いしかいないのだろうか。残念なことに今のところ高確率で残念さんが集まっているのが残念だ。残念の掴み取りができるくらい集まっている。もちろん掴めるものは残念なものしかない。


「ところでトマトがあるのって、ここだけですか?」

「ほかにもあるわよ。まだ花壇には植えてないけど、ここと同じくらい育った苗が用意できるわ。違う場所にも植えようと思って用意しておいたの」

「それはすごい! よかったらいくつか譲ってください!」

「いいわよ」


 緑色の小さなトマトを見る限り、あと二、三ヶ月で収穫できるようになるだろう。ウルナさんに水は少なめが好ましいこと、真っ赤になったら収穫するよう頼んでおく。色づいてきたら実割れ対策のため、直接、日光と雨が当たらないよう屋根をつけることもお願いしておいた。この世界に透明ビニールなんてないので薄い布で代用すればいいだろう。

 それを聞いた彼女が、「私と同じで陽に弱いのね」と妙なところで喜んでいたが、何度も言うようにウルナさんはトマトではない。


「それにしてもいろいろと詳しいわね。前世のことは聞いたけど、アルクくんは前世で庭師でもしてたの?」

「違いますよ。ただの……学生でした」

「学生っていうと、お嬢様のような貴族が通う学園の生徒みたいなものかしら」

「似たようなものですね」

「へえ、アルクくんってもしかして前世じゃ貴族だった?」

「いいえ。ただの平民ですよ。平民でも学べるそういう世界でしたから」

「だから食材の育て方にも詳しいのね」


 いえ、違います。

 前世の学校で食材の育て方に詳しいのは基本的に農業高校とか農業大学に通う一部の学生たちだけです。


 食材の育て方を知っているのは、白の賢者様にもらった知識のおかげ。このことは侯爵様御一家にも言えない白の賢者様との約束だ。ただし、ヨヨさんたち妖精族の一部や大神官様に漏らすなど、向こう(邪神の野郎)はろくに約束守ってないけど。


「そんなところです。ところでほかにも変わった植物があるんですよね」

「ふふふ。案内するわよ。お嬢様のためにも食材だといいわね」



 そうやって回りに回った夜の庭。

 その後、三箇所回った場所全てから毒のない食材が見つかった。

 見つけることができたのは、ビーツ、ルバーブ、ラディッシュだ。


 ビーツは、糖分が豊富で甘く、スープや蒸し焼きに合う野菜。シチューやボルシチに使われることで有名な食材だ。

 ルバーブは茎の部分を食用にする多年草の一種。酸味が強いため砂糖と合わせてジャムにしたり、甘く煮て生クリームと合わせてルバーブフールというデザートにしたりするのが比較的有名だろうか。

 ラディッシュは、ハツカダイコンとも言われるダイコンの仲間だ。サラダなどの生食のほか、酢の物にも合う。丸い形がなんとも可愛らしい食材なので、きっとお嬢様が喜……おっと、今、口にするのはやめておこう。


 どれもこれも赤い色の食材ばかりなのは気のせいではない。

 ウルナさんが好きな花や植物の色は赤だ。だからこそ、それらの食材は処分されず、庭の片隅で育てられていたのだろう。

 もしかしたら、赤くないけど毒のない食材が存在していたかもしれないが、それらはすでに雑草として処分されているはずだ。今回、見つけた食材との出会いはある意味、運命なのだ。食材かどうかもわからない処分された植物を気にしても仕方ない。


 ドラゴのせいで急成長したコキアは、ウルナさんの小屋の隣に植えることになった。秋になると紅葉して真っ赤になると話をしたら、ぜひ近くに植えたいと申し出てくれたのだ。ウルナさんの赤色至上主義にも困ったものだ。

 お嬢様に赤い服を着せたらどうなるのか考えただけでも恐ろしい。


 見つけた食材は数が増え次第、郊外の畑で育てることにし、苗のうちはウルナさんに面倒をみてもらうことにした。特にトマトは使い道が多いので早いうちに増やしてもらうようお願いしておく。


 またラディッシュは育て方も簡単だし、早いと文字通り二十日はつかほどで収穫できるため、容易に大量生産が可能な食材だ。これは郊外の畑で栽培することにし、世話はゴブリンたちに任せようと思う。



 ウルナさんからお嬢様宛の手紙を預かった僕は、眠い目をこすりながら部屋に戻った。雪菜の種を花壇に植える方法が書いてあるとのこと。

 お花好きのお嬢様は、恐らく明日にでも雪菜の種を蒔きたいとおっしゃるはずだ。


 種が蒔かれたあとの花壇はウルナさんに任せておけばいい。

 彼女なら雑草一本たりとも見逃さずにお嬢様の花壇を世話してくれる。お嬢様のことだからご自分で雑草を抜きたがるだろうけど、そこはお嬢様のことをよくわかっているウルナさんのこと。きっとほんの少し雑草を残しておいてくれるはずだ。

 そういった意味を含めて、任せておける方なのだ。血迷わなければ、という前提で。


 明日は新しい河童族の村を見に行ってから、ソーサさんたちの引っ越しを手伝う予定だ。


 僕は大きなあくびをしてから、ベッドへと倒れこむ。

 どうやら僕も疲れていたようだ。

 目を閉じると、そのまま眠りの世界へと吸い込まれた。



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