第九十七話 河に生きる童たち
今日は侯爵領に戻って初めての朝だ。
「おはようなのー!」
朝の挨拶をしながらいつものように駆け寄ってこられたお嬢様は、僕に登り始めると見る見るうちに肩まで登りきった。そのまま肩の上で立ち上がったお嬢様とそれを支える僕は、二人揃って、「大」の字のポーズを決める。うん、お嬢様に旅の疲れはなく、昨晩もよく眠ることができたようでなによりだ。
毒のない食材のおかげか、お嬢様の力も魔力も日々強くなっておられるようで、今や僕に登る途中で力尽きることはない。先ほどのように僕の肩の上に立つことができるようになったお嬢様は、自分の遥か上の高さから見る景色にご満悦だ。バランス感覚も優れているようで、執事(見習い)である僕もお嬢様の将来が楽しみで仕方ない。
「ティリアのアルク登りもずいぶんと余裕になったな」
お嬢様に今日のご予定を説明し終わったころ、侯爵様ご夫妻とセイバスさんが部屋におみえになられた。僕の背中をつたってスルスルッと降りたお嬢様は、「父さま、母さま、おはようなのー」と元気よく挨拶を返す。
笑顔のお嬢様は嬉しそうに侯爵様の元へ駆け寄り、両手を広げて飛びつかれた。いつもは真っ先に奥様のもとに向かうため、すっかり油断していた侯爵様は、全体重のかかった頭突き(助走付き)という名の愛情をそのお腹で受け止めておられた。
お嬢様にとっては飛びつきながらの熱い抱擁である。たまたま頭が先に当たっただけで悪気はない。ちょっと表現できないような鈍い音がしたくらいだ。
だが、まあ、はっきり言うとあれは痛い。
みぞおち付近に一直線。確実に悶絶コースだ。
セイバスさんは無表情のまま、侯爵様と侯爵様に抱きつくお嬢様を横目でちらちらと交互に見比べ、気にしていた。だが特に何も言わない。「大丈夫ですか?」などと問えば、真相を知ったお嬢様が悲しむとわかっているのだ。
まともにお腹に入ったためか完全に動きが止まった侯爵様。
サァーっと効果音付きで顔色が悪くなったものの、お嬢様に心配をかけまいと耐えるその姿はご立派であった。「父さま?」というお嬢様の心配気味な声に対し、笑顔で、「……おはよう、ティリア。今日も……すごく、すごく元気だ」と真っ青な笑顔で答えておられる。三秒ほど返事が遅れたのはギリギリセーフだと思う。
お嬢様に深い愛情を注ぐ侯爵様。その我慢強さはまさに感動ものだ! さすがは侯爵家当主、ヘルムト=ミストファング侯爵である。
残念ながらこの惨劇に気づいていないのは、奥様とお嬢様のみ。使用人は全員気づいている。だが、お嬢様は奥様に抱っこされて幸せそうだし、奥様はお嬢様を抱っこできて幸せそうだ。侯爵様はお腹を抱えて眉間にしわを寄せている。
おいたわしや、侯爵様。
お嬢様と奥様をはじめ、残ろうとするセイバスさんら僕たち使用人を先に食堂へと向かわせた侯爵様は、その後、しばらく食堂にお見えになられなかった。
――場所は侯爵様ご家族がようやく揃った食堂に移る。
今日も朝から侯爵様御一家の目の前には、焼きたてのパンを始め、スープ、サラダ、オムレツなど、見た目も美しく、美味しそうな料理が並んでいる。毒のない食材に変えてからもレイゴスト料理長ら料理人さんの努力と技術によって魔族らしい見た目の美しい料理は健在だ。
最近は朝食に卵を使った料理が出されることが多くなった。見た目や色が美しい卵料理は、味のわからない侯爵ご夫妻にも人気のメニューだ。
食事が始まると、食堂にはお嬢様の笑顔の花が咲く。特にオムレツを口に運ぶたびにお嬢様の目は輝いていた。オムレツに使ったバターの香りがそうさせるのだろう。最近のお嬢様はバターがお気に入りだ。バターのおかげでいつもより少しだけ多くパンを食べられるようになった。
一口大に切ったふわふわのパンと、そのパンにも負けないほどふわふわのオムレツを交互に食べるお嬢様は、それらの柔らかさをゆっくりと噛みしめておられる。それをコクンと飲み込んだあと、絞りたてのリンゴジュースが入ったコップを両手に持ち、「んぐんぐ」と喉を潤す。その食欲は少しずつではあるが、日に日に増しているようだ。
そんなお嬢様に奥様は優しい眼差しを向けるのだった。
いつもより食欲がないご様子の侯爵様を除き、今日の朝食も満足いただけたようだ。侯爵様の食欲は……昼までには戻るだろう、たぶん。
朝食も終わり、お嬢様を先頭に僕とイーラさんは庭に出る。
ちょうどそこへヨヨさんがふわふわと飛んでやってきた。その姿は風に乗るように実に軽やかだ。
「おはよう、ティリアちゃん、イーラ、アルクん」
「ヨヨちゃん、おはようなのー」
スカートをつまみ、膝を折って挨拶するお嬢様とヨヨさんがお辞儀する光景も見慣れたものだ。
「そうそう。ティリアちゃん。リアルルのハーブ園に行く日だけど、いつ頃がいいかしら」
ヨヨさん曰く、正式な招待状をもらう前にこちらから都合の良い日を伝えておいたほうがいいとのこと。
リアルルさんのハーブ園にはお嬢様だけでなくシュリーカー族のシュリーとエルフのニーナさんとヨヨさん、それに僕も誘われている。全員の都合もあるし、早いうちに予定を決めといたほうがいいだろう。
そうなるとシュリーとニーナさんを侯爵領に呼んでからのほうがいい。今週はこちらもごたごたしてるし、彼らが来てからも数日置いたほうがいいはずだ。となると、今から一週間後くらいが妥当だろうか。
「お嬢様。シュリーちゃんが来てから一緒に行かれたほうがよろしいかと。一週間もあれば彼女たちも落ち着くことでしょう」
そっとお嬢様に耳打ちする。
お嬢様のスケジュールは完璧に把握しているが、執事たるもの、お嬢様の答えを尊重しつつ、助言をすることも仕事である。ヨヨさんもわかっているようで、先ほどお嬢様に尋ねながらもこっそりと僕に目配せしていた。
お嬢様は少し考える素振りを見せたあと、「そうするのー」と元気いっぱいの返事をされる。
「じゃあ、あとでリアルルに伝えておくわね」
リアルルさんとの繋ぎはヨヨさんにお願いしておく。
僕も今日中にシュリーカー族の村に立ち寄り、シュリーに予定を伝えておこう。ついでにジュロウさんと引っ越しの段取りを決めておくか。ウスイの北にある森に、新しい村を作るためのグループを迎えに行く約束をしているしね。そういえば、シイタケ探索グループも来るんだっけ。
ハーブ園に行く予定が決まったお嬢様は、イーラさんに袖をまくってもらい、小さな手をきゅっと握りしめた。
「はい。大丈夫ですよ。お嬢様」とにこやかに微笑むイーラさん。
「今日もがんばってお世話するのー」
今日のお嬢様は朝から『おしごと』が忙しい。
お嬢様の『おしごと』は、大好きなお花のお世話から始まる。
まずは、王都から持ってきた鉢植えの並べ替えだ。
並べ替えたあとは、日課となっている水やりが続く。
さらに今日は、雪菜の種を蒔くことになっている。
食事が終わられたお嬢様に雪菜の種を植えるか確認したところ、二つ返事で、「ゆきにゃんの花を育てるのー」と張り切っておられた。
お嬢様に庭師のウルナさんから預かった紙を渡し、代読――しようとしてイーラさんにその役目を奪われた。
「お嬢様のお手紙を読むのは私の役目よ」
「ぐぬぬ」
いつもお嬢様にご本を読んであげているんだから、たまには譲ってくれてもいいと思う。だが、イーラさんの目が、「お姉ちゃんに譲りなさい、お姉ちゃんに譲りなさい」と物語っている。その物語は弱肉強食が支配する修羅の物語だ。
もはやうなずくしか道はない。
「二人ともティリアちゃんのことになると相変わらずねぇ……ああ、ふわっとしていい匂い」
お嬢様の頭の上で腹ばいになって寝転がるヨヨさんがため息をついた。お嬢様の髪を撫でつつ、その髪に顔を埋めながらだ。僕に言わせれば、ヨヨさんも相変わらずである。ある意味、僕らには真似できない特等席でいつもごろごろしてるのに何を言ってるのだろうか、この妖精は。
種の撒き方を覚えようとしているお嬢様は、手紙を代読するイーラさんの説明に何度もうなずいておられる。どうやらウルナさんの手紙に変なことは書かれていないようだ。まあ、書いてあってもイーラさんが読み飛ばすだろうから問題はないか。最後に、「お嬢様のお越しをお待ちしております」と書かれてあった。
……まさかと思うけど起きてないだろうな、ウルナさん。
一応、イーラさんに『昨晩、ウルナさんのスイッチが入ったこと』を伝えておく。イーラさんにお嬢様を任せておけば、ウルナさんよりは大丈夫だ。ウルナさんに任せても別に何かあるわけじゃないのだが、今は昼なので寝ぼけて何をしでかすかわからない。
あとのことをイーラさんに任せ、僕はお嬢様に外出する許可をいただいた。屋敷を出る際、ご自分のジョウロを持ったまま元気よく手を振ってお見送りしてくれるお嬢様とイーラさんに手を振り返し、僕は新しい河童族の村へと向かうのだった。
街の西地区にある北門前は、多くの荷馬車が行き交っており活気づいていた。だが、その中に魔族以外の姿はない。王都でも他種族を見ることが少ない魔王国らしい光景だ。だが、毒のない食材が増えることによって多種族が行き来するようになれば、この光景もいつの日か変わることがあるだろう。
「おお! アルクくんじゃないッスか」
門を出ようとしたところで、たまたますれ違ったゴブさんから声をかけられた。彼に昨日のお礼を伝えたあと、畑の進捗具合と河童族の村が完成したという最終報告を受ける。昨日の時点で今日には完成すると聞いてはいたが順調に終わったようだ。
「有言実行だね。さすがはゴブさん」
「当然ッス。言ったことを忘れることはよくあるッスが、ゴブリン嘘つかないッス」
ダメじゃん。
嘘ついても覚えてないだけじゃないの?
せっかくなので預かった指輪を返そうとしたが、「ズッ友じゃないッスか」と涙目で鼻をすすりながら言われたので返せなかった。これでゴブリンキングより強いというのだから困ったものだ。殺ゴブリン許可証とか正直、遠慮したかったが泣かれても困るのだ。指輪そのものは軽いのに、効力と気持ちが異常なほど重たい指輪とか、もしかしたら新手の嫌がらせじゃないだろうか。
とりあえずここで時間を食うわけにもいかない。畑が完成したら見に行くことを伝え、テキトーに慰めて笑顔に戻ったゴブさんと別れた。チョロゴブである。
「ゴブリンって、やっぱり弱いのね」
「まあ、メンタル的に……」
道の往来で泣きだすとはいえ、彼はあれでもゴブリンのトップ、ゴブリン使いの荒いブラックなゴブリンカイザーだ。だが、ゴブさんのせいで、妖精にまでゴブリン=弱いという認識が再確認されてしまった。これも自業自得、全てはゴブさんが悪い。
ヨヨさんが僕の頭に飛び乗るのを確認したあと、駆け足で街を出た。
今から河童族の村に向かうのだが、その前に寄る場所がある。
その場所とは、ウスイの街から北に十五分ほど進んだ先にある森だ。その名もなき森は、シュリーカー族が引っ越してくる予定の森。王都北東の森より若干狭いが、彼らが暮らしていくには十分な広さがあった。またこの森は薬となる植物などが採れるため、それらを採取する街の薬師がちょくちょく訪れている。そのため街から森まで続く道が整備されていた。森の中にも馬車がなんとか通れるほどの道が続く。
またこの森から西に少し離れた場所には、『モフォグ大森林』が広がっている。
森の入り口に着いたあと、とりあえずここに『執事ゲート』を繋げるための設定をしておく。森の奥にあるシュリーカー村の予定地まで行きたいが、先に河童族の引っ越しを終わらせてからだ。
「えっ、もう行くの? 森に入らずに?」
「あとでまた来ますから」
「せっかくいい感じの森なのに」
妖精の言う、「いい感じ」ってどんな感じなんだろうか。
「今は先を急ぎますよ」
「ぶぅ」
往生際の悪いヨヨさんを頭に乗せ、僕たちは先を急いだ。
まずは森から出たあと、街道を外れ、レインウォーター川へと向かう。川に着いたあと、そのまま川沿いにある小道を上流に向かって走る。この小道は整備されていないため、どうしても体にかかる負担は大きくなるし、バランスも悪い。まあ、僕は執事なので転ぶことはないが。
しばらくそのまま走り、最初に見えてきた支流に沿って西へと進路を変更した。河童族の村はこの支流沿いにある。
「だあー! もうイヤ!」
「ど、どうされましたか?」
「走るの禁止! 馬車を見習って! もしくは歩きながら走って!」
頭の上の妖精が無茶なことを言い出した。
どうも頭の上にいると走っているときの振動がキツイらしい。確かに道が悪いし、体も揺れるからロデオみたいな状態だ。それはわかるのだが、僕もできるだけ早く村に着きたい。
「そこまでおっしゃるならご自分で飛ぶのはどうでしょうか」
「むー。……じゃあ、そうする」
残念だが歩きながら走るのは僕には無理だ。
だが、セイバスさんなら可能だろう。ウスイの街に来る前、走る侯爵様が歩くセイバスさんに追いつけなかったのをこの目で見ている。さすがは執事長。いつか僕もあんな執事になりたいものだ。
結局、ヨヨさんには自分の羽で飛んでもらうことになった。もうそろそろ着くはずなので少しの間頑張ってもらおう。走る速さを落とせばついてこられるはずだ。
ところがだ。
彼女は平気な顔でついてきた。しまいには僕が全速力で走ったにも関わらず、平気な顔でついてくる。しかも彼女は真っ直ぐ飛んでいないのだ。「あれは何かしら?」、「この花、綺麗よね」と縦横無尽、四方八方と寄り道の限りを尽くして僕についてきた。しかも羽音のひとつも立てないという異常っぷりだ。
気が付くと音も立てずに真後ろで飛んでいるのだ。
わかるだろうかこの気持ち。
よくよく考えてみれば、妖精族は甘党であること以外、僕は彼女たちの生態や能力をほとんど知らなかった。かろうじて知っているのは、妖精界経由で旅をしたり、姿や気配を消したり、妖精の歌と呼ばれる呪歌を使えるたりすることくらいだ。『妖精族入門冊子』にも能力のことはほとんど書かれていなかった。
「その速さがあれば、頭の上に乗ってもらって護衛する必要はないですよね」
「やーよ。か弱い妖精に何を言うのかしら」
「か、か弱い? ……で、本音は?」
「飛ぶと疲れるから今後ともヨロシク」
馬車を見習えと言ってた理由がなんとなくわかった。
どうやら僕=護衛=乗り物という扱いのようだ。
彼女は軽いから別に構わないけど、その扱いが腑に落ちない。
ヨヨさんと競争をするようにしばらく進むと、見えてきたのが新しい河童族の村だ。そのヨヨさんは村に着いた途端、僕の頭の上でくつろぎ始めている。
村が完成しているためかすでにゴブリンたちの姿はない。
到着した新しい河童族の村は、王都近くにあった河童族の村と同じような造りになっている。村の中心を川が流れ、村全体の形状は上から見るとドーナツのようだ。川に沿って建てられた家屋を中心に、その周りには畑となる土地があり、更にその外側に草原と森が広がっている。これは住み慣れない土地でも同じような環境をというソーサさんの願いでもあった。
今を思えば、レインウォーター川が街の中心を流れているウスイの街とよく似た形状だ。
この村はミノタウロス族やシュリーカー族の村とは違い、ウスイの街から離れた場所にある。街から村まで僕が走って四十分ほどの距離だ。
だが決して交通の便が悪い場所ではない。少なくても河童族にとっては問題ない。それはレインウォーター川に通じる支流があるおかげで、川が街道の代わりとなるからだ。
泳ぎが得意な河童族なら比較的早く、そして楽にウスイの街と行き来できる。行きは川の流れに乗って速く進めるし、帰りも川の流れに逆らって泳ぐくらい河童族なら苦ではない。彼らなら歩くより速いはずだ。
いつか仰向けのソーサさんがキュウリをかじりながら街まで流れてくる日も近いだろう。……衛兵さんに伝えておいたほうがいいだろうか。怪しい者として捕縛されそうだし。
川幅は六メートルほどで、水深もそれなりに深く、水量も豊富だ。透明度は高く、川面を覗くと驚いた様子で逃げるいくつもの魚影を捉えることができた。これは前の村の中央を流れる川よりもだいぶ大きかった。流れは緩やかでソーサさんの末娘ウリンちゃんも泳げるだろう。そもそも河童族であるウリンちゃんは溺れることがあるのだろうか。
川沿いに建てられた新しい家は実に風情があった。
どの家にも川にせり出した川床が作られ、直接、川の中へ入れるようになっている。まさに河童族にぴったりな家の造りだ。前もって河童族に希望を聞いておいて良かったと思う。僕たちだけでは思いつかない造りだった。
村の東側、最も中央に近い場所にほかの家よりも大きく、部屋数の多い家が一軒あった。ここは村長であるソーサさんの家だ。村の長であるし、子供も三人いるということで広い用意された。これは侯爵様の配慮だと聞いている。
家の数は両岸に十五軒ずつ、合計で三十軒。もともと河童族の村はここほど大きくなかったので、ミノタウロス族の村と同様、半分ほどの家が余るはずだ。空いた家についてはソーサさんと相談することにしよう。
さてと。河童族のみんなを呼びに行くとするか。
「「「ふぁっー!」」」
『執事ゲート』をくぐったカタロー、キリ、ウリンの三兄妹は新しい村に着くなり、揃って大きな声をあげた。ほかの村人たちも同じような反応だったが、子供たちの感情表現は大人と違って実に素直だ。
そんな大人たちも先走った数名がすでに川へと飛び込み、「水うめぇ!」と叫んでいる。その上流で河童族の一人が底砂撒き散らしているけど、いいのだろうか?
「みなさんも好きな家にどうぞ。家が決まった方から教えてください」
そう伝えると思い思いに好きな家を覗いていく河童族たち。造りは一緒だが、家の場所を川の西岸にするか東岸にするかで悩んでいる姿をちらほら見かけた。河童族にしかわからないこだわりがあるのだろう。中には夫婦で、「西よ!」、「東だ!」とケンカをしている姿もある。結果は、奥様に軍配が上がったようだ。うん、知ってた。
そこへソーサさんがやってくる。
「アルクの旦那。素晴らしい村を作っていただき感謝の言葉もございませんといいつつ誠にありがとうございます、と侯爵様にお伝えください。畑にする土地も広いですし、まさに恐悦至極にございます。今日、えっ? しごく(いい村)にGO! THE・今ッス」
「はいはい、あなた。せっかくだからお家を見せていただきますよ」
「相変わらずソーさんのうざったさは健在なのね」
ヨヨさんはそう言うが、うざったいというよりも意味がわからないと言ったほうが正しいと思う。いつにも増して何言ってるのかわからないソーサさんを奥さんのサラさんが腕を掴んで村長宅の中へと連れてった。僕とヨヨさん、そしてカタローたちも苦笑しながらそれに続く。もう緊張とか関係なく言葉がおかしいよね、ここの村長。
「うおぉ、部屋の数すげぇ!」
「「きゃあ、お部屋いっぱい!」」
村長宅に入ったカタローたち子供らの第一声がこれだ。
カタローも僕と同じ十歳。そろそろ自分の部屋が欲しい年頃だ。まだ早いと思うが、キリちゃんとウリンちゃんの部屋もちゃんとある。まあ、部屋の大きさは三畳ほどの小さな部屋だけど個人部屋としては十分だろう。
「俺にも夢にまでみたスモー部屋が……」
「うおーい、ここは自分の部屋! スモー部屋じゃない!」
「アルク! この礼はお前をヨコヅナにすることで返すぜ!」
「いや、ならないから! 綱取り目指してないから」
「まさか、行司のほうか!?」
「スモーから離れろ!」
スモーのことさえ考えなければ、カタローは話し方も態度も真面目な子なのだ。しかし、種族の血が騒ぐのかスモーから離れられそうもない。カタロー本人は部屋がもらえて喜んでいるからいいんだけど、弟子を取りそうで心配だ。
ソーサさん一家の荷物を降ろしたあと、今一度、ほかの家の様子を見るため外に出る。まだどの家にしようか悩んでいる家族もいるが、ほとんどは住む家が決まったようだ。
住む家が決まった河童族の家に、『執事ボックス』から荷物を出して置いていく。そのとき初めて知ったのだが、実は河童族も思っていた以上に力が強かった。細腕にも関わらず重い荷物をひょいひょいと運んでいくのだ。これもスモーのおかげだと皆、口を揃えて言うのだが、カタロー同様、彼らのスモー好きにも困ったものだ。
荷物を出していると、僕の目の前を不自然な動きをするタンスが通って行った。しかもタンスだけではない。何事かと周りを見ると、不自然な動きをする家具があちこちに見られた。それらは当然、河童族の連中が運んでいる。
「はい! そこ! タンスを抱えながらすり足の稽古をしない! そことそこ! 家具を抱えて屈伸しない! ちょっと待った! 床の強度を確かめるのに、四股を踏まないように! まてい! 家の柱はてっぽうに使わないで! さすがに折れる」
ちなみに、てっぽうとはスモーの稽古方法のひとつ。突っ張りを柱に向かって繰り返す稽古だ。
彼らがあまりにも稽古熱心すぎて作業が進まないため、「たいがいにせんと……全員、断髪式しちゃろうか」とつぶやいたら、みんな頭を押さえながら真面目に荷物を運びだした。なんとなく河童族の扱いがわかった瞬間である。
こんな調子ではあったが、結果的に引っ越し作業は順調に進み、昼前には全ての引っ越し作業が終了した。彼らもやればできるのだ。
引っ越しが終わった河童族たちだが、さっそくスモーの練習に取りかかるかと思いきや、休むことなくクワを手に畑を耕しだした。持ってきた苗を一日でも早く畑に植えたいそうだ。厳密に言えば、「早くキュウリが食べたい」らしい。
前の村より土地が広いため、時間がかかると思っていたが、引っ越しの終わった河童族が続々と集まってきたおかげで、あれよあれよという間に畑ができあがっていく。体力の少ない老河童や子どもたちが、耕された畑にキュウリ、ズッキーニ、かぼちゃ、メロン、スイカの苗を植えていく。どうやら上手く役割分担がされているようだ。苗の半分以上がキュウリのようだが、そこはキュウリ大好き河童族なので納得の比率である。
僕も執事魔法を使い、畑仕事を手伝った。『執事食器棚』で畝などを整えながら、アルティコ伯爵家の池から取れた肥料代わりの土を混ぜ込んでいく。土が柔らかいのは川に近いからだろうか。土質も野菜を育てるのに悪くないようだ。
「今から順調に育てば、二、三ヶ月後には収穫だ。キュウリは早いと来月には収穫できるぞ。土地は広いし、土もいい。これならたくさん収穫できるだろう」
手伝っていると笑顔の男から声をかけられた。
確かに河童族が育てているウリ科の野菜はこの時期に植えるのがちょうどいい。むしろ少し遅いくらいだ。
「野菜ができたら、侯爵様に感謝の印として納めにいくからな」
「それは楽しみです。瑞々しい野菜を待ってますよ」
「おう! まかせといてくれ」
きりがついたところで残りの作業を彼らに任せ、僕はソーサさんの自宅へと戻った。今日は彼らの引っ越し作業のためだけに来たのではない。
彼ら河童族たちにあるお願いをしにきたのだ。
まずは村長であるソーサさんに相談だ。
村長宅に戻ったあと、書類仕事をしていたソーサさんに声をかける。そしてまず一つ目の相談を持ちかけた。
「なるほど……私たちが育てた野菜ですか?」
「はい。もちろん門外不出のキュウリについては、これまで通りでかまいません。ですが、カボチャ、スイカ、メロンなどの食材を『妖精の祝祭』のために卸して欲しいのです」
「鎌はありますけど、かまいませんよ。村で消費する以上の野菜を作り、それをヨヨさんやアルクの旦那が率いる隊商が買い取ってくれる、ということでよろしいですか?」
「ええ、おっしゃるとおりです」
「収穫量によっては出せないこともありますが?」
「もちろん不作の際は河童族優先でかまいません。その代わり、豊作の際はお値打ちな価格で卸していただきたいですね。もちろん不作のとき、代わりの食材をこちらから提供することも可能です」
「どう転んでも河童族が魔力不足になることはない、と。……ふむ、よろしいでしょう」
「ありがとうございます」
僕はソーサさんとガッチリと握手。
ヨヨさんはソーサさんの人差し指を握って握手とした。
買い取り価格はその都度相談とする。
魔族にも食材を扱う商人は存在している。
料理に興味がなく、味音痴の魔族でもだ。
だが、僕たち『妖精の祝祭』のような商売をしている者はいない。
僕たちは自ら食材を育て、シュリーカー族やミノタウロス族、河童族などの生産者たちと直接取引を行い、販売するつもりだ。
更に、食材専門の商売、特に他種族も食べることができる毒のない食材の販売は、魔族が誰も目をつけなかった分野である。だからこそ毒のない食材の取り扱いに関しては独占が約束されていた。
ただし、食材だけ売っていても魔族は味がわからないため意味がない。そこで販売する食材と合わせて見た目も美しい料理のレシピも広めるつもりだ。
これらの事業が軌道に乗ったところで、利に聡い連中が真似することは計算のうち。もともと料理文化を広めるためでもあるし、真似されることに問題はない。
それに真似しようとしても、毒のない食材を育てている生産者の囲い込みは今のところ順調だ。少なくてもシュリーカー族、ミノタウロス族、河童族は侯爵領の住民となった。これからもっと増えるだろうし、増やすつもりだ。更に言えば、僕が見つけた食材は、侯爵様がお嬢様のために用意した畑でしか作っていないし、僕が許可した種族にしか作らせない。
それに加えて、毒のない食材の情報を集めるよう商業ギルドにも依頼済みだ。毒のない食材の情報に関して、僕たちに勝てる商人はいないだろう。あくまで僕たちが先駆者なのだ。もちろん僕たちの真似をして毒のない食材を探そうとする者もいるだろうが、探索に投資をするより、僕たち『妖精の祝祭』から買ったほうが安くすむ。僕たちのさじ加減で市場をコントロールすることも可能だろう。
小売り兼卸売業。
これぞまさに『妖精の祝祭』が目指すべき目標だ。
いずれは多店舗展開をしていきたい。
そうすればお嬢様が魔王国のどこに行っても、毒のない食材が手に入るのだ。
(……くっくっく)
お嬢様の、「美味しいのー!」という可愛らしい歓声が、魔王国中に響く日も近い。そうだ! 見た目が綺麗なだけで毒のある食材など滅ぼしてしまえばいい。そうすれば僕たちが育てた食材しか手に入らなくなる。
待っててください、お嬢様。お嬢様を泣かす毒の食材など、僕が命をかけて駆逐してみせますとも。ファーッハッハッハ!
「アルクの旦那はたまにおかしな顔をしますな」
ソーサさんから意味不明な言葉が飛んできたが気にしない。
「あっ、お菓子で思い出した。息子さんや娘さんが気に入ってるお菓子が必要なら私に言ってね。ガリガリしてるのが良かったら角砂糖とかもあるわよ。砂糖は王都でも売りに出される妖精族の特産品なんだから」
『おかしい』から『お菓子』を思い出すとはおかしな妖精だ。
さすがは甘党妖精。砂糖のアピールを忘れない。
「あの『結構うめぇ』は、ヨヨさんら妖精族が作ったものでしたか」
「ソーサさん。『べっこう飴』ですってば」
「アルクんが渡したべっこう飴やコンペイトウは侯爵様の料理長の作品だけど、王都とかで売る物は妖精族が作るつもりよ」
「それは初耳ですね、ヨヨさん」
「そりゃ、まだ言ってないもの。そもそも売る前に、仲間のみんなが全部食べちゃいそうなのが悩みの種よ。商品化までの道のりは遠いわ」
よくもまぁ、そんな状態で商品化を決めたものだ。
すでに作り方はわかっているのだから、商品化までの道のりっていうのは少し意味が違う。製造過程において甘党妖精の魔の手からどれだけの商品が逃れられるかどうかにかかっている。だが、それが一番の問題だろう。目を閉じると、砂糖菓子を作ってる妖精が製造ラインを流れる商品を次々とつまみ食いする光景が浮かんでくる。
ドワーフが酒場の主人をするような無謀な製造計画である。
「商売舐めてるんですか」僕は呆れながらつぶやく。
「そう、舐めちゃうのよ」
「「……」」
砂糖を主食とする妖精族のお菓子か。
つまみ食いと味見さえ我慢できれば、きっと素晴らしい砂糖菓子ができるだろう。砂糖をかじり、花蜜をすする妖精が砂糖菓子の魅力に勝てるかどうかが、商売の成否を握っているのだ。ほかの種族に依頼したほうが早いと思うが、口には出さないでおく。
「野菜作りも商売も甘いものじゃありませんな」とソーサさん。
「砂糖菓子は甘いのよ」
「「……」」
さっきからヨヨさんとの話が続かない。
言葉のキャッチボールをしようと球を投げたら、球を隠された挙げ句、矢が飛んでくる。返すことなどできやしない。たぶん競技が違うのだろう。向こうはアーチェリーか何かだ。
「ま、まあ、砂糖菓子の件はまた今度ということで」
「そ、そうね」
「そ、そうですな」
さて、まずソーサさんにお願いしたのが、先ほどのとおり『妖精の祝祭』で売る食材を卸してもらうことだった。これは無事に合意にいたることができた。細かく契約を結ばないのは、彼らに配慮した結果だ。価格を決めないのも同様である。入植間もない状態で彼らの生活を縛っても意味はない。逃げられても困るし。
真似をする商人はまだ現れないと思うが、万が一を考え、僕たち以外に食材を売らないようお願いしておく。
だが話はこれで終わりではない。
お願いごとはもう一つあった。
むしろこちらが本命だ。
「アルク! とれたぞ! この川すげぇYO! 魚がいっぱいだYO。カゴいっぱいだけじゃないYO いーっぱいだYO!」
興奮しているのはわかるが、カタローのソーサさん化が止まらない。今からキミの将来が心配になってきたYO。次世代の村を担うことを考えると、二代続けてうざったいのは勘弁、勘弁、ご勘弁。念のため、注意しといたほうがいいのかYO!
ヨヨさんに同意を求めたが、彼女は無言のまま首を振る。関わり合いたくないという顔だ。
それでいいのか、YOYOさんYO!
……まさかと思うがソーサさんみたいなうざったい喋り方って伝染するのか?
おっと、今はカタローの成果を見ることにしよう。
ソーサさんの家に戻ってすぐ、カタローにはこの川でどんな魚がとれるか調べてもらっていた。カタローが持つお盆には緑色の葉っぱが敷き詰められ、そこに魚たちが山盛りになっている。見たところ王都近くの川にいたニジマスやアユがこの川にもいるようだ。
(ん? これ、どこかで見たことが)
「アルク! 葉っぱなんて見てないでこの大量の魚を見てみろYO! 大量ゆえに大漁だぜ! さぁ、遠慮せず俺を褒めてみYO!」
むふーと得意気な顔をするカタローだが、確かになかなかの大漁だ。数は全部で三十匹以上か。その中にはお盆からはみ出るほどの大物もいる。六十センチはあるニジマスだ。これらをカタローはたった一人、手掴みで捕まえてくるのだから大したものだ。
だがそれよりも気になることがある。
お盆に敷き詰められた緑色の植物だ。それを手に取り、観察する。
少し太めの柔らかい茎に新緑を思わせる鮮やかな葉っぱたち。口に入れて何度か噛んでいるとピリッとした辛みが口に広がった。独特の香味も覚えがある。
「これ、クレソンか……」
「それも食材なの? アルクん?」
「ええ、これは――」
「おっ、何をくれるんだ? ご褒美か?」
ご褒美……じゃなかったクレソンは、オランダガラシとも呼ばれるアブラナ科の多年草。繁殖力は旺盛で生長も早い。水辺で繁殖し、種子から出たばかりの芽はスプラウトという名前でも有名だった。栄養価も高く、サラダ、炒め物、和え物など多種多様の料理に使える野菜なのだ。鉄分、カルシウム、ミネラルもたっぷりで、まさに栄養の塊である。
「カタロー、キミはすごい! 大量の魚もすごいがこの植物も食べられる野菜なんだよ!」
「お、おう? おう! 俺はすげぇぜ! もっと褒めろ」
「そんなカタローには、お礼としてコンペイトウをプレゼント!」
「おおぉ! 前にももらったけどガリガリしてていいよな、これ。ありがとう! アルク。なんなら妹たちの分もくれていいぞ」
ごく自然に妹たちの分も交渉するあたり、なかなかしっかりしている。将来はいい村長になるだろう。妹想いの優しいお兄さんの要望に応えて、キリちゃんとウリンちゃんの分も渡してやると屈託のない笑顔で礼を言われた。
「ありがとう。この葉っぱだけど村から少し上流に行った場所に、もじゃっと生えてるからたくさん採れるぞ」
「おっ、それはいい情報をありがとう」
『もじゃっ』がどれくらいの量なのかさっぱりわからない。
あとでクレソンの様子を見に川に寄ろうっと。
「それでアルクの旦那。もうひとつのお話というのは、この魚を……えー、なんと言いましたかな?」
「養殖です」
「そうそう。その養殖とやらを我々に任せたいと」
ソーサさんに頼んだもう一つの話とは、この川に住む魚を養殖して定期的に提供してもらえないかというお願いだった。魚影が濃いのはカタローの言葉のとおりだが、日々、安定した量を手に入れようとすると、さすがに手掴みだけでは限りがある。そこで最も安定して川魚を手に入れることができる方法が養殖だった。
「どうでしょうか? 河童族の皆さんなら可能だと思うのですが」
「残って無い念、念は無いねん、残念無念。せっかくのお話ですが、私たちには養殖の知識がありませんな」
「養殖の設備や方法は僕が教えられますけど」
「アルクの旦那が? いや、いろいろ詳しいアルクの旦那なら可能でしょう。そうなると専属の者を選ぶ必要がありますな。しかし、広くなった畑の世話もある。……うーむ」
ソーサさんの反応を見る限りどうも色よい返事は聞けそうもない。無理かなと諦めようとしたそのとき、ソーサさんのほうからある提案が出された。
「……アルク殿、ひとつ提案があるのですが」
「なんでしょうか?」
「魚を増やす、いわゆる養殖を行うのは河童族でなく、ほかの種族でもよろしいのでは?」
「と、いいますと?」
「今から我々がヨー殖のことを覚えようとしても時間がかかります。で、あれば魚のYO殖をしている種族を招く、もしくはそこから買うという方法もありますな。YOU! 職あるYO! と声かけYO! カタローYO! こうやって使うと綺麗だYO!」
カタローの言葉遣いがおかしくなってきたのは、やっぱりソーサさんのせいか。カタローは、「とーちゃん、すげぇ」と言わんばかりのキラキラした眼差しを向けている。駄目だ、カタロー。いくらとーちゃんのことが好きでも彼の真似をしちゃいけません。早く話を変えないと、カタローがソーサ面に落ちてしまう。
「やっぱり親子ね」とヨヨさんが言った。
ま、まだ間に合うと思います。
彼は完全に落ちていません。
それにしても川魚を養殖している種族がいたとは驚きだ。
これまでの経験上、魔王国の海や川はどこも魚影が濃かった。魚影が濃かった理由は、魔族の中では魚=リヴァイアサンということもあり、ほかの魚に見向きもせず誰もとらなかったからだろう。
安定した漁獲を常に必要としないのなら養殖のようにわざわざ育てる必要はない。それこそ海や川でとってくればいいのだ。
だからこそウシドンや野菜と違って、魚を育てて増やすという概念は魔王国にはないと思っていた。
しかし、実際には川魚の養殖をしている種族がいたのだ。
この件に関して、もう少し詳しい話を聞いておきたい。
養殖しているのは毒のある魚かもしれないし、ただ単に愛玩用として飼っているだけかもしれない。ちゃんとしたノウハウを持っているのであれば、ぜひともその腕が欲しいところだ。
……カタロー、キミがソーサ面に落ちないことを信じているぞ。何もできない僕を許してくれ。今は養殖をする種族のほうが優先事項なのだ。
「まさか魚を養殖している種族がいるとは驚きました。その種族にお知り合いでもいらっしゃるのですか?」
「ちょっと待って下さい。実はうちのサラの友人なので……おーい、サラ」
「はーい」
家の奥からキリちゃんとウリンちゃんを連れて、ソーサさんの奥さんであるサラさんがやってきた。カタローは先ほどあげたコンペイトウを、「アルクからだ」とさっそく二人に渡している。僕の名前なんて出さなくてもいいのに、いいヤツだな、本当に。
「まあ、アルクさん。いつもありがとうございます」
「「カタロー兄ちゃんもアルクのお兄ちゃんもありがとー」」
サラさんの言葉に続き、カタローの妹たちからもお礼を言われた。うんうん。 二人とも素直で可愛いね。なによりお父さんと違って普通に話せるのがなにより可愛い。
その間、ソーサさんはサラさんにこれまでの経緯を説明中だ。しばらく待っていると、話の終わった二人が僕の前へとやってくる。
「話はうかがいました。確かに養殖なら彼女が一番でしょう」
「彼女? その方はお一人なんですか?」
どうやら魚の養殖をしているのはその女性一人だけのようだ。もちろんその女性の種族が養殖のノウハウを持ってる可能性はある。
「はい。ソーサから聞いていると思いますが、私たちは結婚を機に故郷を出て、仲間とともにあの村を作りました。彼女はその離れた故郷に住んでいます。ただ少々変わった方でして……。それになにぶん内気な性格なので、誘ったとしても来てくれるかどうか」
サラさんの話によると、その方はソーサさんたちの故郷の村に一人でふらりと現れ、一緒に暮らすようになった。最初は河童族に大好物の魚を捕まえてもらってたそうだが、そのうち自分で食べる用にと魚の養殖を始めたという。養殖のノウハウはもともと持っているようであったとサラさんは言う。
どうやらかなりの魚好きらしい。
養殖した魚は自分用で、商売用とか愛玩用に飼ってるとかではないようだ。食用なのは間違いないが、どんな魚なのか、毒がある魚なのかまではわからない。上位魔族ならほとんどの毒を無効化してしまうのだ。……フォメット族の僕とヒミカさんを除いて。
「結果はどうであれ、一度、その方に声をかけてもらうことはできますか。もちろん引っ越しや養殖に必要な費用はこちらで出します」
「わかりました。返事が来たらすぐに知らせます」
「ちなみにその方の種族は……」
「なにぶん訳ありの様子でしたので、本人からお聞きいただいたほうがいいかと思います」
「いえ。本来は魔族にその種族を聞くなど失礼な話です。こちらこそ不躾なことをお聞きしました。お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします」
「いいえ、こんなに立派な村を用意してくださったんですもの。こちらもその恩に報いたいのです。アルクさんの可愛いお嬢様のためにもね」
「お! そうだ、アルク。この魚、お嬢様に渡してくれよ」
「……ありがとうカタロー。ちゃんと渡しておくよ」
川魚は小骨が多いけど、お嬢様は喜んで召し上がっておられた。きっとカタローが捕まえたこの魚も喜んでくれるだろう。
それはさておき、お嬢様に近づこうとするカタローを今ここで……いや、これはプレゼントではなく、ただ食材を渡すだけにすぎない。あくまでカタローに他意はないはずだ。彼とは同い年とはいえ、大人の対応を見せねばなるまい。いや、まてよ――ここで甘い顔をしないほうが、後腐れがない――
「顔が怖いわー! この残念執事!」
ベチッという音とともに頭に衝撃が走る!
何事かと振り向けば、そこには六十センチはありそうなニジマスを抱えるヨヨさんの姿があった。ヨヨさんの倍はあろうかという大物である。思っていたよりヨヨさんは力持ちのようだ。
しかし、生魚で叩くとはなんとも生々しいツッコミじゃないか。それにそのニジマスはカタローが捕まえてきたものだ。カタロー、食べ物で遊ぶそこの罰当たりな妖精に何か言ってやりなさい。
「アルクはたまにおかしな顔をするよな」
くっ。
ソーサさんに続き、カタローお前もか。
とりあえず河童族の村でやるべきことは済んだ。
ソーサさんに聞けば、前の村は自由にして欲しいとのこと。カタローもいろいろと思うことがあるようだが、以前、約束したようにたまに連れてってやることで納得しているようだ。誰も住まなくなった村は朽ちるのも早い。何かに使えればいいのだが、今のところ思いつくことはなかった。
「それでは僕たちはこれで失礼します。何かありましたらウスイにある侯爵様のお屋敷までご連絡ください」
「アルクの旦那。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
「アルク! またな!」
「カタローも頑張れよ!」
ソーサさんの家族をはじめ、河童族の皆に別れの挨拶をしたあと、僕はカタローが言っていた川の上流へと向かった。
そこは村から数十メートルも離れていない場所だった。
教えてもらった川辺一帯には、カタロー言ってたとおりクレソンがこれでもかと広がっている。なるほど、確かに『もじゃっ』だ。川に沿って延々と、まるでクレソン畑にいるかのようだ。これなら多少、多めに収穫してもなくなることはないだろう。
村の中に生えていなかったのは、ゴブリンたちが家を作るときに抜いたのかもしれない。この様子だと、そのうち村の中にも広がりそうだ。
根ごと抜いた大量のクレソンを抱えつつ、『執事ゲート』を開き、ウスイの郊外にある畑へと移動する。畑を耕し、加工場を建築しているゴブリンたちへの挨拶もそこそこに、畑のすぐそばを流れるレインウォーター川の川辺にクレソンを植えておく。根さえあればどんどん増えるので植え方が雑でもかまわないだろう。
前世の話だが、クレソンは増えすぎて困る外来種扱いで、場所によっては定期的に駆除されていたはず。毒のない食材が普通に川辺に生えている前世は、今の魔王国と比べるとずいぶん恵まれていたんだなとしみじみ思う。
畑が完成したらクレソンの世話もゴブリンたちにお願いしよう。今、作っている畑の脇に用意した水路で育ててもらえばいい。それに世話といってもほとんど何もしなくてもいいはずだ。
「それにしても甘い食材はないのかしら」
「砂糖や花蜜以上に甘い食材というのも、あまりありませんよ」
「あまり? あるにはあるの?」
「ええ。例えば、ステビアやアマミコウスイボクっていうハーブですけど。リアルルさん持ってるかな」
「たぶん、ないわね。持ってたら教えてくれるもの」
「この世界にあるといいですね」
「ちょっと燃えてきたわ!」
「見つけたら妖精の女王様に献上しますよ」
「ふふ。よい心がけじゃのぅ、アルクん」
「はいはい。あるかどうかわかりませんから女王様にはまだ言わないでくださいよ。ぬか喜びさせても悪いですし」
「わかってるわよ」
一通り、クレソンを植え終わった僕は、シュリーカー族が引っ越す予定の名もなき森へと『執事ゲート』を繋げる。
「やっとあの森へ戻るのね。楽しみだわ」
「ずいぶんとあの森を気にするんですね。寄ったときも、いい感じの森って言ってましたし」
「ふふーん。妖精のカンってやつね」
「妖精の完ですか」
「終わらせないで!」
こんな他愛もない話をしながら僕たちは『執事ゲート』をくぐった。




