第九十五話 ミノタウロスの村と牧場の香り
畑の予定地からしばらく東に進むと、まず見えてきたのは牧場だった。そのすぐそばにもミノタウロス族が住む予定の村が見える。なるほど確かに畑予定地から近い。直線距離で1キロメートルといったところか。
牧場にはすでに柵が設置され、十分な広さが確保されていた。王都にあったミノスさんの牧場の倍はあるだろう。牧場には牛舎など必要な設備が用意してされており、いつでもウシドンを迎えられるようになっていた。
柵を飛び越え、牧場の中に入ると全速力で走ってきた僕を爽やかな風が癒やしてくれた。風はそのまま生い茂る青草を揺らし、触れ合った草同士がさわさわという音を鳴らしていく。
村も牧場のすぐ隣なので毎日の移動や管理もしやすそうだ。
そういえば牧場に生えている草はウシドンの餌になるのだろうか。詳しいことはミノスさんたちに聞くことにして、念のため自分も確かめてみる。
雑草を数本抜いて葉や根を観察してみると、どうやらここに生えているのはホソムギというイネ科の植物だとわかった。ホソムギは牧草に適した植物だ。これだけ成長しているってことは、もともとこの場所に自生していたのだろう。この辺りに生えているのは、ほとんどがこのホソムギのようだ。
「ん? あれは……」
生い茂る雑草を見回している最中、ホソムギが自生している場所とは別の所で見覚えのある葉っぱが目に入った。その独特の形をした葉っぱに近づき、数枚の葉を手に取る。それを軽く揉み、柔らかくなったところで鼻を近づけた。
鼻孔に感じたのは透き通るような清涼感。草独特の青臭さではなく、心を落ち着かせてくれる、そんな素晴らしい香りだった。
(うん、この独特の香り。間違いない)
これはヨモギだ。
餅草とも呼ばれ、草餅やおひたしにする以外にも肉の臭み消しにも使われる。生葉は止血、干して煎じたものは腹痛などの薬草として使えるキク科の多年草だ。葉の裏側に生える毛はお灸に使うモグサとなる。ヨモギはハーブの仲間でお茶にも使われることがある。
よく見ればニシヨモギと呼ばれる苦味の少ない種類も混ざっており、これまたあちこちに繁茂している。
前世の話になるが、僕は『ヨモギ餅(草餅)』が大好物だった。今も思い出すだけでよだれがあふれてくる。僕はつぶあん派だったが、当時、つぶあん派とこしあん派で血みどろの争いが起きていた。今もその戦いは続いているのだろうか。
当時は、つぶあん派でなければ人にあらず、と勇んでいた僕も今となっては立派な魔族である。なんとも子供っぽいことをしていたと、思い出すだけで顔が熱くなる。まあ、今は子供っぽさが許される十歳の子供なので、つぶあん派として布教活動をしても恥ずかしくない。
せっかく材料となる物が目の前にあるんだ。
これはぜひともヨモギ餅を作らねば!
そうと決まれば実行あるのみ。
さっそくヨモギの葉を摘めるだけ摘んでおく。そこら中に生えているので、すぐに無くならないと思うがヨモギも牧草になるのだ。ウシドンに奪われる前に確保しておかねばなるまい。つぶあんかこしあんかで争ってる場合じゃない。
つぶあんの材料であるアズキはエルフの国から手に入る。この世界にもち米があるといいが、なければ米粉で代用しよう。
ヨモギは餅だけでなくパン生地に混ぜればヨモギパンにもなる。好き嫌いはあるだろうが、これもなかなか美味しいのだ。きっとお嬢様も喜んでくださるだろう。
ゴボウ同様、偶然による発見だったが侯爵領での食材探しという意味では、幸先の良い滑り出しだ。この調子なら侯爵領でもたくさんの食材を見つけることができるだろう。
ヨモギをたっぷりと摘んだあと、それを袋に入れ『執事ボックス』へと収納する。ヨモギの匂いがついた手を『執事井戸』の水で洗い流した。一仕事終えた僕は軽く背筋を伸ばしたあと、牧場の隣にあるミノタウロス族の村へと向かった。
「おおー。こりゃすごい」
村は明日中に完成だと聞いていたが、家自体はすでに出来上がっていた。いつでも引っ越し可能だと、ゴブさんが言っていたこともうなずける。村に切りだされた木の香りが残る中、今もあちこちでゴブリンが作業をしている。その多くが最後の仕上げや片付けをしているようだ。
各々の家の出入り口は体の大きいミノタウロス族が使いやすいよう、大きめの扉が取り付けられていた。
せっかくなので近くの家に入ってみる。中はミノスさんの自宅に比べ、一回り大きい間取りで作られているようだ。部屋数も食事もできる広めの台所と寝室と一部屋多い。台所など水回りの設備も充実している。天井も高く設計されており、快適だ。ほかの家の間取りも全て同じだが、そこは我慢してもらうしかない。
外に出た僕は、『執事ゲート』用のマークを村の出入り口付近に設定しておいた。これも村に来た目的のひとつだ。こうしておかないと、また走ることになる。
「これでよし、と」
『執事ゲート』のマークを設定し終わり、息をついたそのときだ。
どこからともなく声が聞こえてきた。
僕はその声に耳をすます。
「どうするッスか」
「面倒くさいッスねぇ」
「やらないと親分に怒られるッス」
「仕方ないッス。キングたちは親分に呼ばれて全員いなくなったッス」
「そうそう。仕方ないッス」
「じゃあ、休憩ッスか」
声の持ち主は村に残って作業をしているゴブリンのようだ。声のする方へ近づくと、井戸の前にゴブリンたちの姿が見えた。どうやら井戸を掘る作業をしていたようだ。
「みんな、どうかしたの?」
「ん? どこから入ってきたッスか」
「子供がこんなとこきたら危ないッス」
「坊や。ここはまだ工事中ッス」
なるほど。
ゴブさんが指輪をくれた理由がわかった。
お屋敷の使用人たちならともかく、顔見知りのいないここでは、僕はただの子供にすぎない。
「僕はアルク。ゴブさんからこの指輪を預かってます」
「ゲェッ! そ、それは! 死刑執行人の指輪じゃないッスか!?」
あー……。
何か嫌な単語が聞こえてきた。
死刑執行人って聞こえたけど……間違いじゃないよなぁ。
「これは増え続けるゴブリン族たちの犯罪を戒めるため、数代前のカイザー自ら魔王様に直訴して得たという殺ゴブリン許可証ッス! これによりゴブリン族が起こした犯罪はゴブリン族の中で裁くことが許されたッス。別名、死刑執行人の指輪ッス! この指輪を持った者はどのような理由であれ、ゴブリン族を殺しても罪に問われることがないというものッス。しかし、これはゴブリン族を率いる親分とゴブリンキングたちタブルオーファイブの面々しか持っていないはずッス。その指輪をなぜ坊やが! ……い、いや、なぜ貴方様が持っているッスか!?」
「せ、説明ありがとう」
よりにもよって殺ゴブリン許可証か。
ゴブさん……てっきり友人の証明とか印籠的なものだと思っていたよ。
ところでダブルオーファイブってゴブレンジャーのこと?
いろいろ混ざってるな、あのキングたち。
そもそもオーってなんだ、オーって。
――あっ。もしかしてキングって意味のオーか。
じゃあ、ダブルはなんだ、ダブルは!
あいつら五人いるぞ。
「ゴブリアーノさんからもらったんだけど。あと僕のことはアルクでいいよ」
「お、親分から!? ア、アルクさんは親分とどういうご関係で?」
「僕は侯爵様に仕える執事だよ。ゴブさんには、ズッ友ッスって言われたッス」
「「「……ごくり」」」
友人。その言葉を聞いたゴブリンたちが息を呑んだ。
……ゴブさーん、キミの友情、重いよー。重すぎるよー?
ゴブリンたちの肌はすでに緑色から青に変わっている。なにげなく頭を掻こうとして手を動かしたら、彼らはびくっと体を震わせた。反射的に頭をかばうようにしたゴブリンは、怯えた様子でこちらの様子を伺っている。
うーん。完全に怖がらせてしまったようだ。これじゃあ侯爵家に仕える使用人って紹介したほうがよかったじゃないか。
僕を見る彼らの目が一様に、「やべぇのが来た」と言っている。どう考えても今の状況は、ゴブさんが殺し屋の友達を送ってきたようにしか見えないよね、これ。
「お話を聞きたいんですが――」
「サボろうとしてすいませんッス!」
「命ばかりはお助けをッス!」
いきなり謝られた。しかも命乞い付きだ。
重いのは友情だけじゃなかった。
雰囲気までもがすっかり重くなっている。
「いやいや、僕もそんな物騒なものだと知りませんでした。元よりそんなつもりありませんから安心してください」
「……本当ッスか?」
「本当ッスよ。大丈夫ッスよ。問題ないッスよ、超オッケーッスよ」
必死に弁解したおかげで、ゴブリンたちは少しだけ安心してくれたようだ。緊張がほぐれ、ホッと息をつくゴブリンたち。
「何が合ったか、聞かせてくれるかな」
「――なるほどねぇ。巨大な岩石が邪魔している、と」
「そうなんッス。ボリボリ。この井戸だけ、たまたま岩にぶち当たったッス。岩の下に水があるのは確実ッス。ボリッ。でも岩石を割ろうとしたキングが親分に呼ばれていなくなったんで困ってるッス。ボリボリ」
……おう。
ゴボウをかじりながらゴブリンたちが教えてくれた内容は、僕とも無関係ではなかった。今日、僕とゴブさんが畑を作ろうとしなければ、井戸を掘ってる途中のキングたちが呼ばれることはなかったからだ。
「ゴボウ最高ッス」
「木の根っ子より柔らかいッス」
「かじるときの音がいいッス」
「うんうん。良かった。良かったねぇ」
なぜだろう。だんだん彼らが不憫に思えてきた。
誰か、ゴブリンを見たら食べ物を恵んでやってはくれないだろうか。
木の根も食べると聞いているが、まさか生のゴボウを喜んでくれるとは思わなかった。
それはそうと井戸の近くには、一メートルほどの長さがある鉄杭が数本と巨大なハンマーが置いてあった。ハンマーの先端は僕の頭二つ分はあるような巨大なものだ。
どうやら岩に杭を打ち込んで割るつもりだったようだ。
掘られた井戸を覗いてみると、中は思っているよりも広かった。ゴブリンキングの巨体でもハンマーを振るうくらいの広さは十分ある。ほとんど完成しているようで、あとは岩をなんとかするだけのようだ。
僕が手伝ってもいいんだけど、どうしよう。
ミノスさんたちが住む村だし、せっかくだから少し手伝ってもらうとするか。
「ちょっと待っててくれるかな? 岩を割れそうな知り合いを連れてくるよ。それまで休憩してて」
「わかったッス」
「この死刑執行人さん、優しいッス」
「……末期の情けじゃないッスよね?」
「違うから! 休むのも仕事だから!」
いくら三交代制とはいえ、さすがにきつかったらしい。
これからゴブさんのことをブラックカイザーと呼ぶことにしよう。
……なんかますます格好良い名前になってきた。
ゴブさんのくせに。
ゴブリンたちに休憩を告げた僕は、『執事ゲート』をくぐり、王都近くにあるミノスさんの自宅へと急ぐ。『執事ゲート』を抜けると、ちょうど牧場から帰ってくるミノスさん夫婦の姿が見えた。いいタイミングだ。
「ミノスさーん! ミノリさーん!」
「おお! アルクどん。今日も元気そうだべな」
「いつも主人がお世話になってるだ」
手を振るミノスさんと軽く頭を下げて挨拶してくるミノリさんに、僕も笑顔で手を振り、頭を下げる。ミノリさんは侯爵領へ行くことに消極的なミノスさんに発破をかけ、夫である彼をいつも支えている、よくできた奥さんだった。ドドンッ、キュッ、ボーンは今日も健在だ。
「ミノスさんたちの村がほぼ完成したんで報告しに来ました」
「ん? 村は一緒に作る予定じゃなかっただべか?」
「それがほとんど完成しているんですよ」
「……さすがに早すぎだべ」
「ええ。僕もびっくりしています。ただ、その村のことでミノスさんのお力を拝借したくて」
「ん? おらの?」
ミノスさんに井戸のことを話すと、彼は二つ返事でうなずいてくれた。
「わかっただ。すぐにいくだよ」
「アルクちゃん、引っ越し予定の皆も新しい村を見せてやってもいいだべか?」とミノリさん。
「もちろんです。良かったら引っ越しも今日中にやってしまいましょう」
確か五十名ほどいる一族の中で、侯爵領に来るのはその半数だと聞いている。ミノリさんの誘いに集まってきたミノタウロス族に自己紹介を済ませ、彼らを連れて『執事ゲート』をくぐる。
侯爵領へ引っ越しを希望しているミノタウロスは、お年配の方は少なくミノスさんたちのような比較的若い方がほとんどだった。
さて、ゲートを出て新しい村を見たミノタウロス族の反応は様々だ。驚く者、呆ける者、感動する者、笑う者、さらには泣き出した者までいる。
ミノスさんも、ブフーブフーと興奮しているし、ミノリさんは、「まぁまぁまぁまぁ」と嬉しそうに連呼しつつ、さっそく家の中を覗いていた。彼らの反応を見る限り、ずいぶんと気に入ってくれたようだ。
「執事殿。す、すまんけんど、もう一度さっきのゲートを開いてもらえんだべか。ほかのもんも一度連れてきたいだ」
そう話しかけてきたのは、見ただけでご年配だとわかるミノタウロスの男性だ。老ミノタウロスは僕が『執事ゲート』を開いた途端、駆け込むようにして入っていった。それを見送ったあと、ゲートをそのままにしてミノスさんに声をかける。
「ミノスさん、気に入ってもらえました?」
「気に入るもなにもこんただ立派な村さ、こさえてもらってええだべか。それに牧場も思っていたよりかなり広いべ」
「気になるところがあれば直すよう言っておきますよ」
「十分だべ。あとはおらたちで頑張るだよ」
「侯爵様もお嬢様もウシドンを楽しみにしてますからね。あとバターや生クリームもね」
「おらたちに任せて欲しいだ!」
そう言ってミノスさんは厚い胸をどんと叩いた。
ウシドンの肉もさることながら乳から作るバターや生クリームは格別だ。特に生クリームはヨヨさんが大絶賛している食材である。近いうちに妖精族との取引に生クリームの名が上がることは間違いないだろう。
この村には肉の保存や生クリームを作るのに必要な大型の氷室も用意されている。実はこの氷室、作るのはもっと先になるはずだった。
以前、ウシドンの価値が魔王国で認められたら必ず氷室が必要になるでしょう、と侯爵様にお話ししたことがあった。確かミノスさんからもらったウシドンの肉に、侯爵様が金貨二枚もの値段をつけ、ミノスさんを驚かせていたころだったか。
今回、その氷室が完成しているということは、侯爵様もウシドンの価値が上がるとお考えなのだ。通商貿易局局長のお眼鏡に適った以上、規模の拡大は確実となる。
もしかすると侯爵様は、ワイバーンの肉を出荷している龍族との取引も考えておられるのかもしれない。
とりあえず氷室にはフラム子爵から提供された八十センチほどの箱型アイテムボックスを設置しておいた。このアイテムボックスは、食べごろまで熟成が進んだ肉を中に入れ、保管してもらうためのものだ。それに保管だけではない。出荷する際も温度変化等によって肉が傷まないよう、このアイテムボックスごと移動させるつもりだ。こうすればいつでもどこでも美味しいウシドンの肉が食べられる。恐らくこの大きさのアイテムボックスならウシドン十頭分の肉くらい余裕で入るはずだ。
「ということなんでよろしくお願いします」
「……恐ろしいものを預かってしまっただ」
「まあ、ただでもらったものなんで気軽に使ってください」
「アルクさの金銭感覚が怖いだよ。アイテムボックスなんて金貨何百枚にもなるべ。何かあったらどうするべ。しかも誰もいない氷室に置きっぱなしとか、怖い話だべよ」
「大丈夫です。そう簡単には壊れませんし、見た目はただの木箱です。仮に盗まれても侯爵家を敵に回すとどうなるか、犯罪者に教える良い機会になるだけです。それにミノスさんたちミノタウロス一族を信じていますから」
「もちろんだべよ。おらたちにそんただ悪いことをするもんなどいねえべ。安心して欲しいだよ」
「だからこそ預けるんです」
「なら預かるだよ。ところで……侯爵様を敵に回した犯罪者に何を教えるつもりだべか?」
「幸せな死に方についてとか、生まれたことを後悔するお話とかでしょうか」
「……侯爵様の敵になるもんに同情しそうだべ。まあ、盗もうとするようなヤツがいたらタダじゃおかないだ」
筋肉隆々の腕を掲げながら、鼻から荒い息を出すミノスさん。
僕としてはその太い腕で殴られる泥棒に同情したくなる。殴られた拍子に首とかもげるんじゃないだろうか。
「そうだ、アルクさ。ひとつ相談があるだ」
ミノスさんの願いというのは、ウシドンの革を使った商品の販売先についてだった。ミノスさんのようにミノタウロス族の多くがウシドンの世話に従事するなか、彼らの中には革細工師が何名かいる。そのうちの数名がここ侯爵領に来てくれることになっているそうで、ウシドンの革を使った商品を売りに出したいそうだ。
「なるほど。では『妖精の祝祭』のお店で取り扱いましょうか。詳しい話は店長のニーナさんに伝えておきます」
「ニーナさというと、あの痛いエルフのねーちゃんだべな」
「そうですよ。彼女自身は痛くないんですけどね。味覚と調味料が劇的に痛いレベルなのは否定しません」
「……あのときはきつかっただよ」
「すごかったですもんね。目と鼻が特に」
ミノスさんの家で起きた激辛事件を思い出す。
あれはニーナさんがウシドンステーキにかけた激辛ソースが発端だった。エルフ族が作る激辛ソースはまさに兵器レベル。彼女がそれを平気な顔で食べている中、僕とミノスさんは部屋中に広がった刺激物のせいで尋常ではないほどの激痛を味わったのだ。
「じゃあ、革製品についてはよろしく頼むだよ。ところでアルクさ。そろそろ井戸に向かうべ」
「あっ、はい。案内しますね」
ほかのミノタウロス族の皆には思い思いに村を見てもらい、今から住みたい家を選んでもらう。どの家も同じ造りだが、やはり自分たちで選ぶのと割り振られるのとでは深まる愛着に差が出るからだ。だからこそ、あえてこちらで割り振ることはしない。
ミノスさんを井戸に案内したとき、ゴブリンたちはすでに休憩から戻ってきていた。言われる前に戻ってくるとは、なんとも勤勉なゴブリンたちだ。ブラックカイザーにはもったいない。
「アルクさん、この方ッスか」
「はい。ミノタウロスのミノスさんです」
「ミノスだべ。ゴブリンの皆さんには、こんただ素晴らしい村ばこさえてもらって、感謝の言葉もねえだべ」
「気に入ってくれたみたいで何よりッス」
「キングが使えないッスから、力を貸して欲しいッス」
「キングより強そうッス。頼りになるッス」
ゴブリンの言葉が辛辣だ。
キングの立場がない。
力を貸して欲しいというゴブリンの言葉に、ミノスさんは用意してあったハンマーを片手でひょいっと持ち上げる。持ち上げたハンマーを軽々と回すミノスさんに、ゴブリンから感嘆の声が上がった。さすがは力自慢のミノタウロス族。生まれたときから中位魔族だけのことはある。
さっそく井戸に潜ったミノスさんは、両手で構えたハンマーを使って岩に鉄杭を打ち込んでいく。ガキン、ガキンという甲高い音を響かせるたび、鉄杭はまるで土に打ち込まれていくように岩の中へと吸い込まれていった。
何度目の打ち込みだっただろうか。
ハンマーを打ち込んだ瞬間、バゴンッと鈍い音が井戸の中でこだました。それは岩にヒビが入った音に間違いない。その証拠に岩に入ったヒビの隙間からは、徐々に水が染み出してきている。別の鉄杭を打ち込んだミノスさんは、その鉄杭を横から何度も叩き、その隙間を広げていった。そのたびに染み出す水の勢いは増えていく。
そうしているうちにミノスさんが、持っているハンマーを大きく後ろへと振りかぶった。その体勢のまま、まるで力を体内に溜めるかのように大きく息を吸いはじめる。ハンマーを持つミノスさんの腕の筋肉が盛り上がり、今にも弾けそうだ。
次の瞬間、ミノスさんはこれを最後と言わんばかりに持ってるハンマーを鉄杭へと叩きつけた。鉄杭目がけて振り下ろされたハンマーが一際大きな音を響かせ、飛び散った火花が井戸の中で花を咲かす。その衝撃に岩は大きく裂け、隙間から滲み出す程度だった水は、これまでとは全く違う勢いであふれ始めた。
「おぉ! 水が出たッス!」
「ミノス! よくやっただ!」
「さすがッス」
「ミノタウロス族の星だべ!」
「キングなんていらなかったッス」
「キング(笑)ッスね」
どんどん溜まっていく水に、作業を見守っていた者たちから歓声が上がる。その声はゴブリンだけじゃなく、いつの間にか見学していたミノタウロスたちからも上がっている。鉄杭を回収したミノスさんが井戸から出てくると、その声はより一層大きくなった。賞賛する声に慣れていないのか、ミノスさんは照れた様子で頭を掻いていた。
そんなミノスさんに近づき、優しくタオルをかけたのはミノリさんだ。彼女の目は夫である彼を誇らしげに見つめていた。仲睦まじいことでなによりだ。その二人の様子を周りの皆も温かい目で見守っている。
キングの評価はあえて言うまい。
「おいら、この村が完成したら結婚するッス」
「おい! やめるッス!」
二人のいちゃいちゃ空気に当てられたのか一人のゴブリンが言ってはならないことをつぶやいた。仲間のゴブリンが慌てて止めたが、すでに遅い。
今となっては彼が無事に結婚できるよう祈るだけだ。
なむなむ。
あっ、これは弔いの言葉だったっけ?
「うおお! こ、ここが新しい村だべか」
「なんと。これはすごい」
彼が成仏できるよう祈っていると、繋いだままにしていた『執事ゲート』の方から声が聞こえてきた。どうやら先ほど再設置したゲートをくぐった老ミノタウロスが、新たに二十名ほどのミノタウロスたちを連れて戻ってきたようだ。ただその面々のほとんどがご年配の方のように見える。
僕はゲートを解除しながらミノスさんに尋ねた。
「あの方たちは?」
「……王都の牧場に残るって言ってた者たちだべ」
答えたミノスさんは少し困った顔をしている。
新しくやってきた面々は村に用意された家や牧場を見て、感激しているようだ。すると先ほどの老ミノタウロスがこちらへとやってくる。
「執事殿。一族のためにこんただ素晴らしい村を用意してくださってありがとうございますだ」
「いえいえ。侯爵様も皆さんに期待されてのことです」
「ところでお願いがあるのですが」
「なんでしょうか」
「王都に残ると言っていた者もここで働かせてもらうことはできないでしょうか」
「失礼ですが、貴方は?」
「おらのおとうだべ」
そう答えたのはミノスさんだった。
「ミノスの父、タウロスと申しますだ」
「おとう。急にどうしただべ。昨日まで、おらはいかねぇ! 王都の牧場を守るって言い張っていたべ」
「ばかいうでねぇ。こんただ立派な牧場さ見せられて王都の牧場もないだ!」
「なに勝手なこと言ってるだ! おとうが残るっていうから王都の牧場を任せたんだべ」
「王都の牧場は、牧草地にすればいいべ。たまに戻れば問題ないだ!」
「なに今更言ってるだ! 最初から来るって言えばあの牧場を売ることだってできたはずだべ」
立派な角を振りかざしながらミノスさんとその父タウロスさんの口論は続く。
「えーと、こちらとしてはどっちでもかまわないですよ。家もたくさんありますし」
「アルクさは少し黙ってて欲しいだ」
「執事殿は少し黙ってて欲しいだ」
「アッ、ハイ」
(うーん。困った)
できれば今日中に引っ越しを済ませたいなぁと思っていたが、すんなりとはいかないようだ。
二人の様子をしばらく見守っていると、突然、二人は額を突き合わせ、互いに頭突きを繰り出し始めた。どちらも引くことのない真剣勝負だ……たぶん。
牛はケンカするときに頭突きをし合うが、それはミノタウロス族も同じらしい。
頭同士がぶつかるたびににぶい音が辺りに響く。
よく見ると二人とも涙目だ。我慢せず、不毛な頭突き合いはやめたらどうだろうと心からそう思う。
「あんた! お義父さ! 二人ともいい加減にするだよ!」
争う二人が何度目かの頭突きを繰り出そうとした瞬間、それを当たる手前で止めたのはミノリさんだった。ドドンッとした部分が、二人を止めた勢いでぷるんと揺れる。二人の角をそれぞれ片手で握って止めてみせたミノリさんはお怒りのご様子だ。
……大の男のぶつかり合いを片手で止めたミノリさんって、もしかして二人より強いんじゃないか? ミノスさんに発破かけたときも結構な迫力だったし。
「二人ともアルクちゃんを困らせてどうするべ」
「「んだどモー」」
「んだどモーじゃねえべ! あんた! お義父さが来たいってならそれでいいべ。王都の牧場はお義父さの言うとおり、牧草地にすれば問題ねえ。それに、お義父さ! 息子に迷惑かけてどうするべ! 一緒にここで働きたいって思うなら素直にそう言うだ!」
「「そうは言うけどモー……」」
「――まだ何か文句あるだべか?」
最終通告と言わんばかりのミノリさんの言葉と同時に、ミノリさんが握る二人の角から、「めきょっ」という音が聞こえてきた。あの音、聞こえたらダメな音じゃないだろうか。
「「いえ、ありません!」」同時にうなずく二人の親子。
「アルクちゃん、悪いんだどもお義父さたちもここで働かせてはもらえないだべか」
「イエス、マム!」
よし。これから何かあったときはミノリさんに相談しよう。
はい、決定。
僕の頭の中でミノタウロス族の序列が入れ替わった瞬間である。
「じゃあ、申し訳ないんですけど皆さんの住む家が決まったら、さっそく引っ越し準備を進めてもらってもいいですか?」
「アルクさ、引っ越しならいつでもかまわねえべ」
「そうなんです? じゃあ荷物はご家族ごとに僕が運びますから。ミノスさんとタウロスさんはウシドンたちをお願いしますね」
「アルクさ、わかっただ」
「執事殿、任されよ」
ミノリさんのおかげでようやく落ち着いた二人の目は若干潤んでいたが、僕はそれを見ないフリで過ごした。こっそりと二人の角に『執事救急箱』からパワーアップした『執事診療所』をかけておく。ヒビ程度であれば数日で治すことができるだろう。
急遽始まったミノタウロス族の引っ越しは、数日かかるとおもいきや、数時間で全てが終わった。
これも事前準備がずいぶんと進んでいたおかげだろう。
各家の家具などは片っ端から『執事ボックス』へと放り込んだ。荷物の数が少なかったこともあるが、ある程度まとめておいてくれたおかげで、思いの外運び出しはスムーズに終わった。
また引越し先に荷物を運び入れるのも早かった。これはミノタウロス族の若い衆が力を合わせてくれたおかげだ。彼らの力があれば、魔王国初の引っ越し屋さんになれるのではないだろうか。
荷物を運ぶついでに村の住人全員と話をしたが、特に問題のある方はいなかった。どちらかといえば皆のんびりとした性格だ。たまにミノス親子のようなケンカもあるそうだが、それもまたご愛嬌というものだろう。
ウシドンたちはミノスさんが一声かけると、一列になって『執事ゲート』をくぐっていった。列を乱すことなく割り込みもない、それはもう従順なものだ。ウシドンを手懐けるミノスさんの腕前は驚嘆に値する。ウシドンテイマーとしてメシが食えそうだ。
並んでいるウシドンの中に、以前、モロヘイヤで死にかけたウシドンの子供がいた。その子は僕に近寄ってくると、可愛い声で、「んもっ」と鳴く。どうやら僕のことを覚えているようだ。そんなに愛想よくされたら、僕はあのウシドンを食べることができないだろう。
もしそれを見越して愛想をふりまいているのだとすれば、あの子は立派なウシドンになるに違いない。いつか大きくなって僕の前に現れ、「計画どおり」とニヤついた笑みを見せてくれることを今から楽しみにしておこう。
王都の牧場はタウロスさんの提案どおり、牧草地として活用することが決まった。と言っても基本的には放置でいいそうだ。今ある家は一部を残し、解体するらしい。そのために独身の若い衆が数人、作業の期間だけ王都の牧場に残ることになった。
引っ越しの最中、王都の牧場に牧草の種を蒔いていたタウロスさんから、その種をわけてもらった。タウロスさんたちは名前を知らなかったようだが、運が良いことにその種はクローバーとチモシーという植物のものだった。クローバーはシロツメクサ、チモシーはオオアワガエリとも呼び、牧草に適した植物だ。これならいつでも輪栽式農業を始めることができるだろう。
念のため侯爵領の牧場に生えていた草、ホソムギのことも聞いておいたが、問題なくウシドンの餌として使えると太鼓判を押された。
王都の牧場からは、モロヘイヤの苗も持っていく。
ウシドンの世話ができなくなったお年寄りや小さな子が世話をすると申し出てくれたのだ。いくつか食べ方のレシピを紹介し、彼らに栽培を任せることにした。
全ての引っ越しが終わった頃、太陽は沈みかけ、外はすでに薄暗くなりつつあった。王都から引っ越してきて、埋まった家は三十一軒。なんと十九軒も余ってしまったのだ。どうやら家を作りすぎてしまったようだ。
だが、ミノスさんに相談すると心配いらないという答えが返ってきた。
なんでもウシドン牧場の働き手を増やす予定だそうで、知り合いのミノタウロス族らに入植しないか打診しているらしい。すでに良い返事が来ているらしく、余った家が埋まるのも早いだろうとのこと。新しく来てくれる方の面接は、ミノスさんがリーダーとなって面倒を見るそうだ。ミノリさんもうなずいているので大丈夫だろう。
引っ越しの宴に参加しないかと誘ってくれたミノスさんたちだったが、僕はそれを丁重に断り、帰路についた。帰る間際、命の水を一壺置いていくのを忘れない。宴なら酒が一番の贈り物だ。どうやら残って作業をしていたゴブリンたちも誘われたらしく、なかなか賑やかな宴になりそうだった。
たぶん、今夜はキングへの愚痴が広まることだろう。
屋敷に戻る途中、『執事ゲート』を使って河童族の村に寄る。
迎えてくれたソーサさんに引っ越しの準備について話をすると、いつでも問題ないとの返事をもらった。すでに引っ越しの準備は終わっているそうで、村中、いまかいまかと皿を磨いて待ちかねているらしい。新しい畑に植える苗も大量に用意してあるそうで、そのほとんどがキュウリだった。まあ、河童族なので仕方ない。
新しい河童族の村はウスイの街の北方向にあり、レインウォーター川の数ある支流の中でも、比較的穏やかな流れの支流沿いに用意されている。彼らには野菜の栽培だけでなく、もうひとつ別のお願いをするつもりだったのだが、その話は明日することにした。
明日、完成した河童族の村に寄ったあとで迎えに行くことを約束し、僕はウスイの街のお屋敷へと戻るのだった。
屋敷に戻った僕はレイゴストさんの手伝いをしながら、夕食に見つけたばかりのゴボウを使った料理を出せないか相談する。
その結果。
完成したのは、ゴボウとキノコのつみれスープ。
白くて柔らかい新ごぼうは、しっかりとアク抜きをし、軽く茹でたあとキノコと一緒に細かく刻む。それをすりつぶした白身魚と混ぜ、お団子状に。最後に軽く湯通ししたあと、スープに入れて煮込めば完成だ。
ほかにも旅の疲れがとれるようにと、お嬢様お気に入りのメニューが食卓を飾った。生クリームたっぷりのプリンは侯爵家定番のデザートになりそうだ。
ひさしぶりに侯爵領のお屋敷で食べる夕食だ。
ここ最近聞くことが増えた、「美味しいのー」という嬉しそうなお嬢様の声に、侯爵御夫妻や僕たち使用人たちの顔にも笑顔が浮かぶ。初めてその声を聞くメイドたちも、お嬢様の笑顔にとろけそうになっていた。いや、とろけていたと言っても過言ではない。
フォークに刺したゴボウ入り白身魚のつみれを、「まん丸でかわーいーの」と頬張るお嬢様の笑顔は、世界中の白身魚を献上したくなるほどだった。お嬢様のためなら白身魚の殲滅も辞さない覚悟である。
そんなお嬢様も旅の疲れが出たのだろう。
楽しかった夕食が一段落すると、お嬢様はいつもより少し早くおねむタイムに突入された。
妖精界に戻るというヨヨさんを見送った僕は、自分の部屋へと戻り、時魔法の呪文書を開いて時間を潰す。
それからどれほど時間が経っただろうか。
時刻は十時を回ろうとしていた。
(アルク様。お相手の方が起きられたようです)
リバシールで別れたインプから念話が入る。
インプにはある命令を与えていた。それも今日という日のためだ。
読んでいた呪文書を閉じ、庭に出る。
「お待ちしておりました、アルク様」
「ありがとう、インプ」
庭で迎えに来ていたインプと合流する。
数日ぶりに見るインプだが、元気そうでなによりだ。
「こちら、頼まれた例のものです」
「おお、ありがとう。助かったよ。すっかり忘れていたんだ」
インプから受け取ったのはワインボトルほどもある、おしゃれな意匠の施された透明な瓶だ。その中には無色透明の液体がなみなみと入っていた。
ふと空を見上げると、きらめく星の中に大きな月が浮かんでいる。偶然にも今日は満月だったようだ。それは血のように赤く輝いていた。手に持っている瓶の中身がその月の光によって赤く染まる。それはまるで夜空に浮かぶ月がその液体に祝福をしているかのようだった。
インプから預かった瓶を割らないよう静かに『執事ボックス』にしまうと、僕らは庭木たちに囲まれた小道を『執事ランタン』で照らしながら、しばし歩く。ここはまるでちょっとした森のようだ。道はレンガで舗装されているため、靴が汚れることもない。ついでに植えられている植物の中に食材になるものがないか目を凝らす。
森を抜け、そろそろ小道も終わりに近づいてきた。
目的の場所までもう少しだ。




